共産主義者同盟(火花)

本誌455号(2022年5月)・斎藤隆雄「ウクライナ戦争を巡って」に対する批判

Criticism on SAITO Takao’s “Around Ukraine war” (in issue No. 455 of this journal, May 2022)

HANYU Michiru
埴生 満
462号(2023年3月)所収


〈要旨〉

 今般のプーチン・ロシアによるウクライナ侵略に関して、昨年05月に斎藤さんが本誌に投稿されていたが、その内容に少なからぬ疑問点があるため、ウクライナ・ロシアの関係、歴史的な事実経過、人権と民主主義、マルクス・レーニン主義の観点を含めて今回まとめて論じた。我々は専門家と称しながら事実関係を歪めてプーチンを擁護する胡乱な識者に惑わされたり、「どっちもどっち論」や「米露代理戦争論」に陥ったりすることなく侵略者・虐殺者であるプーチン・ロシアの不正義を明確に非難し、ウクライナの抗戦を全力で支援すべきである。

はじめに

 斎藤隆雄さんの標記論文(以下、斎藤論文)は今回のプーチン・ロシアのウクライナに対する侵略戦争について緊急に見解を示そうとする積極的なものであったが、事実関係・民主主義・人権、そしてマルクス・レーニン(ML)主義の点から、内容に多分に問題が含まれていると見受けられる。それは現状少なからぬ国内外の左派に共有されているもので、社会の中で左派に対する信頼を損ねているのではないかと懸念する。我々共産主義者が信頼を回復させ、ウクライナとロシアの労働者階級と一般民衆の解放、そして世界的な革命を準備していくためにそれらを指摘することは有意義と考えられる。
 以下、具体的に述べていきたい。

斎藤論文の概要

 そこには概ね以下のような論点が含まれているようである。

松里公孝氏の論文の問題点

 さて、まず斎藤論文中に引用されている松里公孝氏の論文1)(以下、松里論文)がかなり問題含みなものであり、何の意図でこれを論拠として引用したのか理解が難しい。例えば松里氏は、〈4月にロシア軍がキーウ(キエフ)周辺から撤退したのはキーウ攻略を諦めドンバス防衛に集中するよう作戦を変えたからではなく、3月29日の和平交渉を受けたもの〉ということを述べているが、これはロシアが2月24日の開戦劈頭、キーウへ電撃的に特殊部隊を侵攻させウクライナ政府首脳を拘束し現ゼレンシキー(ゼレンスキー)政権を打倒しようとしたこと2)、および3月28日以前に戦力の東部集中の動きを見せていたこと3) 4)と整合せず、松里氏の恣意的断定と思われる。また「プーチンは諜報機関の楽観的な報告を信じ、ウクライナ軍など簡単に粉砕できる…と信じて開戦したが、ウクライナの軍と人民の抵抗が強いことに驚き、ウクライナ民間人を無差別に殺傷し始め、国内的には言論統制を強めている」という自由主義圏での報道を松里氏は「誤報」「戯画的理解」と一笑に付しているが、ロシア軍が短期終結を想定し継続的な補給を準備していなかったことを鑑みれば、この報道を根本的に否定できる根拠はないだろう 注1

 注1・なお、ロシア軍が開戦当初からウクライナ民衆への無差別攻撃を行っていたことをみれば、民間人無差別殺傷はプーチン=ロシアの作戦計画の内に含まれていたものであると、筆者自身はさらに深刻に考えている。

 このように今回の戦争の状況認識すらかなり怪しげな松里論文だが、その中でさらに「ロシア人とウクライナ人は、たとえば日本人と韓国人がお互いを別民族とみなすのと同じ意味においては、別民族ではない。言語コミュニケーション上の壁がない上に、習慣・作法・迷信を共有し、メンタリティもほぼ同一である」などと今回の戦争と本質的な関係のない話を持ち出してウクライナ人・ロシア人の類似性を強調し間接的にプーチンらの人種差別思想(ウクライナ人はロシア人の一部となるべき)をアシストしつつ、「ロシア人とウクライナ人が戦争した場合、彼らにとってそれは内戦に等しい」としてプーチン=ロシアの侵略の犯罪性を小さく見せかけている。付言すれば、ロシア語とウクライナ語は同系統の言語ではあるが「東京弁と大阪弁よりも違う」もので、ロシア人はウクライナ語を「なんとなくわか」る程度でしかなく5)、松里論文のいう「言語コミュニケーション上の壁がない」というのも実態とは異なっている。実際、ロシアがツァーリズム時代・ソ連自体を通じてウクライナ語を繰り返し弾圧してきた歴史自体6)がウクライナ語・ウクライナ人にロシア語・ロシア人とは明確に区別できる異質性・独自性が存在していることを示している。このように事実関係を無視し胡乱な言説を弄する松里氏を、我々はもはやウクライナ関係の専門家として参照すべきではなく、むしろ(意識的か無意識的かを問わず)客観的にプーチン=ロシア寄りのプロパガンダ協力者と疑った方がよいように思われる。 そして今回のロシアによるウクライナ侵略に関して、

などといったことを松里論文は述べるのだが、ここでは自由・尊厳・民主主義を求めるウクライナ民衆の自発性・主体性は完全に無視され、全ての事象が米国などNATO諸国とロシアとの間の駆け引きの産物とされてしまっており、松里氏の帝国主義時代じみた非常に古色蒼然たる視点があらわになっている。この種のプーチン・ロシア擁護は、その他の多くの論者にも見られるものである。

斎藤論文の問題点

 そもそもまず、なぜか斎藤論文はプーチン=ロシアによるウクライナ民衆を標的とした蛮行について一切言及していない。目下の事態の深刻さに照らしてこれは不可解なことである。
 そして残念ながら、斎藤論文にも松里論文と相通じる問題が見てとれると指摘せざるを得ない。プーチン支持を明言してはいないものの「ウクライナのような歴史的経緯によるアイデンティティなき国家形成」などと、民族主義運動がロシア革命前から脈々と続いてきたという実際の歴史的経緯とは異なることを述べたり、ウクライナおよびウクライナを支援する米国・NATOの問題点をあれこれとあげつらったりすることで今回の問題の相対化(「どっちもどっち」化)が図られているように見える。これは性犯罪における被害者へのバッシング(例・ミニスカートを穿いていた被害者が悪い、自分で襲われに行ったようなものだ)、すなわち「セカンドレイプ」に似たものであり、労働者を含むウクライナ民衆へのプーチン=ロシアの加害を免罪する効果を生むと懸念される。
 またレーニンがソ連形成時に選択した連邦制を、民族主義運動に配慮し過ぎたものであるかのように否定的に語っているが、実際のところボリシェヴィキは十月革命による権力掌握後の早期からウクライナの民族主義的自立政権を武力攻撃していたのであり、その後の連邦制という「落としどころ」は、ウクライナ民衆を含む非ロシア民族側が実力で勝ち取ったものと評価できる。もちろんスターリンが後に人災的飢餓(ホロドモール)による大量死をウクライナ民衆に強要して報復に出たことも、今日のウクライナ民衆の対露従属拒否意識の形成を考える上で見逃せない6)。
 NATOは2008年に「ウクライナの将来的加盟を支持」と宣言し、ウクライナも加盟を希望してきたが加盟は実現していない。またNATO諸国は2014年のロシアによるウクライナ侵略(クリミア半島とドンバス地方の奪取)に対しても及び腰の対応しかとらなかった。従って、プーチン=ロシアによるウクライナ侵略は「アメリカ帝国システムの封じ込め政策」などとは何ら関係なく、旧支配民族側の独裁者の人種差別的および民主主義嫌悪的な思考に基づく支配地域拡大の企図であり、そこでは民衆虐殺、そして旧被支配民族の民族性圧殺(学校施設や文化財破壊、ロシア式教育の強制、子どもの拉致を含む)がセットで行われている。そしてここでのウクライナの敗北は、ウクライナ民衆がさらに虐殺され支配され人権と尊厳を奪われる結果にしかならない。従って今回の場合、斎藤論文が提唱するような「自国敗北主義」の呼びかけはウクライナ民衆に対しては全く失当といわざるを得ない。そうではなく、侵略者を撃破し撤退へ追い込むことへの協力こそが不可欠である。同時に斎藤論文ではなぜかウクライナの自衛戦争を「独立戦争」と言い換えている。この表現は比喩としてありえるものの一つといえようが、他方でことわりなく使用した場合、あたかもウクライナ側が自らのメリットから戦争を希求・追求しているかのように暗示し、プーチン=ロシアの一方的な加害性を曖昧化する効果をもたらしうると懸念される。
 さらに「いくつかの確かではない情報によれば」として、具体的な事例提示や根拠を全く抜きに「ウクライナ民族派やナチズム的排外主義が横行していると聞く」と言及し「不安と困惑」を表明していることも大きな問題であろう。これはプーチン=ロシアのディスインフォメーション(虚偽情報)戦術7)に引っかかり、その〈虚偽情報をあれこれと垂れ流すことを通じてウクライナと支援国への疑念を生じさせ、その国際的な力と勢いを弱める〉という戦略への加担になっているので、良心的であろうとする意図(例えば「もれなく情報を拾おう」「両者のバランスを取ろう」など)が何らかあったとしても我々はこの種の不用意な振る舞いを避けるべきである。そしてこの戦争に関連する報道を「アメリカべったりの宣伝戦」とし、「アメリカ帝国主義による数多の侵略戦争に全く言及しない」と論難するのも、このロシアのウクライナ侵略がプーチン=ロシアによる全面的な不正義な行為であってそこに米国は特段関係していないこと、そして米国の過去の行為は今回の戦争での米国のウクライナ支援の妥当性・正義性をいささかも損なわない(損なうのだ、という主張は「人身攻撃」の誤謬もしくは詭弁8)である)ことからして失当である。それこそ「いくばくかの思考能力があれば理解できること」(斎藤論文)ではないだろうか。
 斎藤論文ではまた「ゼレンスキー自身もロシアとウクライナをカインとアベルに喩えていたことがある」として、あたかもゼレンシキー自身がウクライナ・ロシア間の近似性を肯定していたかのように述べているが、元になった記事9)を確認すると、ゼレンシキーは「ロシアの我が国に対する態度は真に兄弟的なものとは言えず、むしろカインとアベルの関係を思わせる」と批判していることが分かる。すなわち近似性を認めるというより、両者の関係を殺人者カインと被害者アベルのような非対称的で不公正なものと指摘した発言であり、斎藤論文の記述はミスリーディングで、やはりプーチンに加担する方向に作用するものとなっている。こういったことを避けるためにも、出典の確認は励行すべきであろう。

レーニンを振り返る

 ここでレーニンらボリシェヴィキの民族自決権についての見解を振り返っておきたい。『民族問題にかんするテーゼ』(1913年6月)10)を見ると概略、以下のように示されている。



 さらに、『民族自決権について』(1914年2-3月)11)では、以下のように述べられている。


 被圧迫民族のブルジョアジーが圧迫民族と闘う限り、その限りで、われわれはつねに、どんなことがあろうとも、他のだれよりも決然とそれに賛成する。というのは、われわれこそが圧迫に対するもっとも勇敢で、もっとも一貫した反対者であるからだ。


 ロシア正教 注2 の権威を利用し、自身を過去のツァーリ「ピョートル大帝」になぞらえるプーチン12)の独裁下のロシアはウクライナの諸民族(ロシア語話者も含めて)に対する暴行・殺戮、およびその文化の破壊を続けている。これこそはレーニンらが闘争対象としたツァーリズム・ロシアと黒百人組の現代版であり、マルクス・レーニン主義(ML主義)の見地からしてもまず我々現代の共産主義者にとってプーチン・ロシアとの闘争は重要な任務となる。またウクライナは1991年に国民投票を通じ、レーニンらの言う妥当な形でロシアから分離した国家であり、それに対する暴力行使には無条件に反対すべきと考えられる。そして現在のウクライナのゼレンシキー政権はまさに「被圧迫民族のブルジョアジーが圧迫民族と闘う」という典型的な事例であり、我々は他の誰よりも決然とそれに賛成すべきといえる。これらに照らせば、斎藤論文に示されている曖昧な態度はML主義から逸脱しているとさえ言えるのではないだろうか。

 注2・ロシア正教会は決して東方正教会全体を代表していない。東方正教会中の代表格であるコンスタンティノープル全地総主教庁はプーチンやロシア正教会ではなく、ウクライナ独立正教会を支持する立場をとっている13)

権力者でなく労働者階級および一般民衆の視点での発想を

 以上述べたことを含め斎藤論文は全体として、ウクライナの労働者・民衆に対するプーチン=ロシアの深刻な蛮行を等閑視し、また民衆が民主主義を求め抑圧を跳ね返そうとする自発性・主体性を価値下げし、民衆の抗戦を根拠なく米露間の「代理戦争」であるかのように語っているなど、ともすればウクライナ民衆とその闘争に対して冷笑的・日和見主義的であるように見える 注3。言い換えれば〈モスクワ・ペテルブルクの権力者目線〉や〈国際法が未発達だった帝国主義時代的な思考法〉といったバイアスがあり、意外にプーチンの視点と近似した一面があるやに懸念される。ウクライナはプーチンやその加担者らのディスインフォメーションとは異なり、欧州諸国の中でもネオナチなど極右の政治的勢力が異例なほど弱い地域である14) 15)。そもそもウクライナ民衆の生命・人権を第一に考えれば、あるいは民主主義とML主義の観点に照らせば、「今回のロシアとの戦争が民族排外主義へと変貌しないか否かが労働者階級にとっての試金石」などと現に虐殺されている側に注文をつける前に、今後民族排外主義が伸長しようがしまいが、何をさておいてもウクライナ民衆とそれを代表する政府が一日も早く民衆虐殺の侵略軍を撃破し撤退に追い込めるよう今直ちに最大限の多様な支援を行っていくべきであるし、さらに非・極右的なウクライナ現政権が同国内の民族的マイノリティ(ロシア人、ユダヤ人、クリミア・タタール人、高麗人、ギリシャ人、ロマ人、ルーマニア人、ハンガリー人など)を含む諸民族・諸国民との協働でもって速やかかつ鮮やかに勝利することこそが、戦後の民族排外主義の抑制に効果的であると見込める。
 付言すればウクライナは現在欧州連合(EU)加盟を目指し、それに必要な政治的基準、経済的基準およびEU加盟の義務を負う能力に適合するための準備を進めており、その過程で不可避的にEU基準の人権尊重・少数民族保護施策の整備を求められる16)ことになる。これも排外主義の抑制という点では有効に作用するであろう。

 注3・本誌編集委員会は斎藤論文を「ロシア・ウクライナをめぐる歴史的な国家・民族関係、諸階級・諸階層の相互関係をふまえ慎重に態度を模索しようとしている」と積極的に評価しているが17)、これは斎藤論文と同様の誤りに陥っているものといえよう。我々はこのように労働者・一般民衆への虐殺への等閑視や、冷笑的・日和見主義的な態度を「慎重さ」と称揚すべきではないし、それを克服しようとする主張を「一面的で断定的」などと短絡的・恣意的に価値下げすべきでもない。

おわりに

 現在の世界において、正義は侵略に対する抗戦者の側にあることが国際法上も確立されていて、これは労働者を含む民衆の生命・人権・尊厳を守る上でも妥当なものである。また労働者階級の利害の観点からしても、民主主義が機能するようになった現在のウクライナの政治体制と市民社会空間は、人種差別的で生命・人権を蹂躙して顧みない権威主義独裁者の思惑と暴力から守られるべきである。そして世界各地の労働者が、様々な限界を抱えつつも共有された正義の実現に向けて協働する経験を積み重ねていくことこそ、過去の歴史上のインターナショナルよりもずっと進化した形態と内容を持った次のプロレタリア国際主義・インターナショナルの組織化の前提となる。ここで前世紀的観点から「左翼」が何ごとかを呼びかけても実効性を持ちえないばかりか、この世界における正義の実現と民衆解放闘争・階級闘争の発展の阻害物となるおそれすらあるといえよう。

 この世界は日々更新され、それによって新たな歴史が形成され続けている。今回のロシアのウクライナ侵略とそれに対するウクライナ民衆の抗戦は、世界各国のブルジョワ政府に対し思考と行動の変容を様々に促している。左派の側もこれまでの視野と思考パターンにとらわれず、抗戦する労働者と民衆の側に立ちその勝利を支援しつつ、国際的に共有された正義をこの世界で労働者と民衆のために強化・拡大する取り組みに積極参加していくことが望まれる。

参考文献

1) 松里公孝. 未完の国民、コンテスタブルな国家. 世界.42-53 2022.
2) Wikipedia. キーウの戦い (2022年). 2022/09/15;  Accessed 2022/09/22.
3) 時事通信社. ロシア軍、首都から後退 ウクライナ反撃で防戦. 2022/03/24;  Accessed 2022/09/22.
4) 日本経済新聞. ロシアは「朝鮮半島化」画策 ウクライナ情報機関が指摘. 2022/03/28;  Accessed 2022/09/22.
5) 川口雅浩. 「ロシアはウクライナ語を弾圧した」露言語学者が語る. 経済プレミアインタビュー [2022/05/23;  Accessed 2022/09/20.
6) 黒川祐次. 物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国 中公新書; 東京: 2002.
7) 黒井文太郎. プーチンが仕掛けたフェイク情報戦争 怪しい海外報道を判別する方法 情報戦で読むウクライナ戦争. 軍事研究.42-55 2022.
8) Wikipedia. 人身攻撃. 2022/06/19;  Accessed 2022/09/20.
9) 服部倫卓. 迷宮ロシアをさまよう ロシアとウクライナは「カインとアベル」?物議かもしたプーチン論文を分析する.  Accessed 2022/09/19.
10) レーニン ヴェ・イ. 民族問題にかんするテーゼ(1913年6月). 川内唯彦, trans. 民族自決権について. Vol 104. 大月書店; 東京: 1913:37-49.
11) レーニン ヴェ・イ. 民族自決権について(1914年2-3月). 川内唯彦, trans. 民族自決権について. Vol 104. 大月書店; 東京: 1914:110.
12) サラ・レインズフォード東欧特派員. 【解説】 自らをピョートル大帝になぞらえるプーチン氏、その思惑は?.  Accessed 2023/01/30.
13) 喜田尚. ロシア正教会が東方正教会と断絶 ウクライナめぐり反発.  Accessed 2023/01/30.
14) Mariam Naiem. Twitter:2022/04/07  Accessed 2022/09/19.
15) BBC. Europe and right-wing nationalism: A country-by-country guide.  Accessed 2022/09/19.
16) 駐日欧州連合代表部プレスチーム. 欧州委員会、ウクライナ、モルドバおよびジョージアのEU加盟に関する展望を確認する意見書をEU理事会に提出.  Accessed 2023/01/30.
17) 『火花』編集委員会. 「ロシアのウクライナ侵略において、左派は被侵略民衆と政府の抗戦を徹底支援すべきである」掲載にあたって.  Accessed 2023/02/28.




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