共産主義者同盟(火花)

ウクライナ戦争を巡って

斎藤 隆雄
455号(2022年5月)所収


 今般のロシアによるウクライナへの侵攻は、さまざまな意味で世界史的な転換点になる要素が盛りだくさんに潜在している。しかし、各国の大本営発表やマスメディアの報道を見ているだけでは何も見えてこないし、日本における左右の論壇も一斉にこの戦争への分析と立場を表明しているが、玉石混交百家争鳴の様相を呈してあたかも情報戦の一端を担っているかの如くである。事態が進行形であるだけに、さまざまな情報と憶測が乱れ飛んでいる現状であることで、現時点での判断は極めて困難であるが、しかしあえてそこから多様である分析を整理しながら、何が背後で起こっているのかを見つけていきたい。

1.ソ連崩壊以降の世界システムの再編過程と民族自決権

 ソ連崩壊以降の連邦及びソ連圏の再編過程においてこれまで多様な戦争が勃発してきたが、その主要なものだけで91年から始まるユーゴスラビア内戦、94年のチェチェン戦争、08年グルジア(ジョージア)内戦、そして直近の14年におけるクリミア併合と続いて、現在のウクライナ戦争へと発展してきた。これらの戦争は総じてソビエト連邦が形成してきた領域政治(帝国政治)の崩壊過程で生じている。元々ロマノフ朝ロシア帝国自体が多民族国家であり、統治形態が帝国政治であった以上、17年革命によって領土を引き継いだソビエト政府はこれらの領域に対して民族自決と社会主義経済というイデオロギーを軸とした連邦国家形成を目指したことは周知である。
このソ連邦形成期における諸問題を今回の戦争に絡めて分析している松里公孝さんの論考を参照してみると、プーチンが開戦直前の長々とした演説で述べたレーニン批判もそれなりに理解することができるだろう。つまりプーチンの言説に基づくならロシアとウクライナは同一民族であり、無理やり分離したのはロシア革命期のレーニンであったということになる*1。だから、もう一度元の民族自決の国民国家へ戻すというのが今回の戦争のロシアの論理であろう。

「ロシア人とウクライナ人は、たとえば日本人と韓国人がお互いを別民族とみなすのと同じ意味においては、別民族ではない。言語コミュニケーション上の壁がない上に、習慣・作法・迷信を共有し、メンタリティもほぼ同一である。ロシア人とウクライナ人が戦争した場合、彼らにとってそれは内戦に等しい。」(松里「未完の国民、コンテスタブルな国家 ロシア・ウクライナ戦争の背景」『世界』臨時増刊号p.42)

 確かにゼレンスキーはロシア語話者であって、ロシア向けに演説もしているが、果たしてロシアとウクライナとが民族的な区分線を必要としているのだろうか。更に言うならば、レーニンが100年前にウクライナを別民族の地域としたのはなぜなのかという問題にも議論が発展しそうである*2。確かにこの地域の中世からの歴史を紐解くと支配と分断の歴史が現れることから、一筋縄では議論できない。ここではレーニンが当時ウクライナにおいて活動していた民族主義者たちの運動への一定の理解があったということだとしておこう*3。そして松里さんが言うように言語的な近似性は民族属性の指標であるのか否かという昔からの議論がここで浮かび上がる。レーニンの楽観的な民族問題への捉え方は国際プロレタリアートの団結の優位性に信頼を置いていたからであろうが、ロシア革命以後の連邦制形成期においての民族属性を国民国家の連合体としての「連邦制」として形成する限り、人口統治の形式性を拭うことはできなかった。もちろん歴史的な土地に付着した土着性イデオロギーは新大陸アメリカのような植民地連邦制と同じようなわけにはいかないことは明らかである。その意味で、松里さんの指摘する「民族識別工作」という限界こそが今日の戦争の遠因である言えよう。
 「民族領域連邦制のポイントは、民族範疇を個人のアイデンティティ選択に任せるのではなく、共産党または国家が決める仕組みにしたことである。」(同p.45)
 つまり、同一言語の話者であっても異なる民族規定となる場合も当時から存在したことになるだろう。皮肉にも言語は上部構造ではないというスターリン言語論が当を得ていたことになる。しかしそれはさておくとしても、問題はここからである。異なる言語や習慣ではなく、自己のアイデンティティとしての民族意識というものが存在するのか否かが問われることになるのである。
 プーチンの言う「特別軍事作戦」がお笑い事であるのは、彼が旧来の民族自決論を振りかざして国民国家を目指すという論理は、現在のロシアが193もの民族から構成されているという事実に対して完全に頬被りしていることである*4。故に、今般のプーチンの戦争が多くの左派論壇が言うように「帝国主義的侵略」であるという規定はおおむね確からしいことになるだろう。とはいえ、一方でウクライナの「意識としての民族」独立論という正統性もまたソ連邦解体期においてボルシェビキが引いた国境線の存在意義が問い返されることにもなるのである。ウクライナは1991年の独立以降歴代の大統領がロシアとEUとの二つの力の狭間にあってバランス政治を強いられたこと自体が国民国家としての安定性を著しく欠ける結果となった。「意識としての民族」の独立性が現在の国際秩序に適合しないが故に高度なリアリズム統治と外交が問い直されることになる。ゼレンスキー政権がその任務に果たして応えられるだろうかは心もとない限りではあるが。

2.プーチン政権の評価とスターリン批判

 後で再論することになるが、ゼレンスキー政権の嘗てのホーチミン政権との違いが現在の左派と言われている人たちの立ち位置を動揺させているように見える。ホーチミン政権が民族ブルジョアジーを自らの政治的支配下に置きつつ、社会主義革命を掲げたことで侵略しているアメリカ帝国主義への闘いに希望と正義を見出したのであったが、現在のウクライナ戦争におけるゼレンスキー政権が民族ブルジョアジーとその代表たるオルガルヒたちとの関係性を掴みきれていないことで、この戦争の階級的性格を掴み損ねているのだ。
 また、プーチン個人への批判が苛烈を極めている現下の状況の中でウクライナがイラク戦争でのフセイン政権やアフガン戦争のタリバンとどう違うのかが、片やイスラム宗教国家であったことと、片やいわゆるキリスト教国家であったことによって、非対称的な扱いとなっているのではないかという疑義も浮かび上がるのである。
 そして更に言えば、プーチン個人の政治姿勢が嘗てのスターリンの統治形態に相似形であるという言説も見受けられる。故に、スターリンの民族問題への強権的な30年代の記憶を呼び起こすことと重なって、あたかもプーチンがスターリンの生まれ変わりであるかの如くに捉えられ、かつとりわけウクライナ政治内部でそのような言説形成も行われていることで、一層プーチンの政治的階級的な位置付けを曖昧にしてしまっている。
 それらの政治宣伝戦はウクライナ民族主義として国家形成の核となるいうのは歴史的に見て自然ではあるが、この民族主義的な運動による戦争形態はかつてインドシナ戦争におけるベトナムのカンボジアへの介入を生み出したように、常に排外主義と隣り合わせであるという危惧がつきまとうことを忘れてはならない。
 これらの多様な宣伝戦によって事態の全容が不確かになる中で、プーチン政権の今回の侵略戦争が彼が意図するような民族自決論や国民国家統合論などの欺瞞と詐術を暴露するとともに、ソ連崩壊以降のロシア政治思想におけるボルシェビキの大きな痕跡をも見ないわけにはいかない。ロシアにおいてもウクライナにおいても現在の社会構造がソビエト時代の強烈な残像を現在もなお残しており、それが負の遺産となって、世界資本主義世界への再編過程における矛盾として顕在化していると考えるべきであろう。プーチンが単にNATOという反ロシア軍事同盟との対決として単純に問題を捉えていないということがそれを証明している。
 我々には現在、それ以上の評価を下しうる情報を持ち得ていないが、少なくともプーチン政権がウクライナの統治に介入する政治的な意図こそが彼の政治の延長である侵略戦争形態へと発展したのであって、それ以上でも以下でもないことは明らかだろう。

3.世界帝国システムの再編なのか

 次に、この戦争のもう一方の当事者であるNATOとアメリカ合衆国について考えてみよう。巷間言われているように、日本政府とその下僕たるマスメディアたちが言うようなアメリカべったりの宣伝戦が、つい最近まで行われていたアメリカ帝国主義による数多の侵略戦争に全く言及しないということのおかしさは、いくばくかの思考能力があれば理解できることである。そしてその気付きを時系列上に並べて考察すれば、今回の戦争がこのアメリカ帝国主義が戦後形成してきた帝国システムの必然的な帰結でもあることが更に理解できるはずである。
 戦争という暴力が戦後一貫して途切れることなく繰り返し、様々な地域で行われてきたことを顧みれば、それがどういう力と力のぶつかり合いであるのか考察しなければ、その真の姿は見えてこない。1948年の第一次中東戦争、50年の朝鮮戦争、55年のベトナム戦争、56年のスエズ動乱と第二次中東戦争、67年第三次中東戦争、73年第4次中東戦争とその後の内戦、79年ソ連侵略によるアフガン戦争とその後の内戦、そして91年湾岸戦争、同年始まるユーゴ内戦における99年の空爆介入、01年からのアメリカの介入によるアフガンでの再度の戦争、03年のイラク戦争、11年リビア内戦介入。これら主に東西冷戦期における対立構造に起因する戦争とその後のソ連解体期における対立はこれまで語られてきたような資本主義対社会主義という体制間戦争であったのかが問い直されるのではないだろうか*5。その一番の証明はNATOが何故、ソ連崩壊以後も存続したのかという疑問に応えることから理解できよう。NATOがロシア革命直後の内戦期には形成されず、第二次世界大戦以後に形成されたことはその象徴的な事例となるだろう。戦後のソ連の東ヨーロッパへの侵略に対峙するために形成された安全保障体制であったが、それが「社会主義体制=革命の予防」だとする表向きのスローガンとは裏腹に戦後の一連の戦争を一覧するだけで理解できるように、ユーラシア大陸国家(ソ連・中国)への封じ込め戦略の一環であったということになる。
 この歴史的経緯に詳しく言及しているのが、『未来への協働』紙の秋田勝の記事である。秋田さんは19世紀のイギリス帝国の中国への介入であったアヘン戦争から論を掘り起こしている。そしてイギリスの覇権国としての戦略的思想としてハルフォード・マッキンダーの「ハートランド」理論を紹介している。

「『ハートランド』理論の重要な核心は、『制圧することのできない地域が地球上に存在する』ということを認識することにある。それがユーラシア大陸の中心部にある『ハートランド』と呼ばれる場所だ。…ナポレオンの遠征やナチスドイツの侵攻にも耐えたロシア人とロシアの大地のことである。…イギリスの戦略は…その地域を包囲し孤立させることである。これがイギリスの(後にアメリカの)第一の政治的・軍事的目標になってきたのだ。」(秋田「英米の地政学イデオロギー」『未来への協働』336号)

 ソ連邦崩壊時を前後してアメリカがゴルバチョフにNATOの東方拡大をしないと約束したとかしないとかあれこれと検証されているようだが、結果から見ても、あるいはアメリカ帝国政治の戦略思想から見ても、その約束が単なる気休めでしかなかったことは明らかだろう。まんまと騙されたロシア政治家の愚かさの証明でしかないように見える。そして今般のロシアの侵攻が13年末から14年のマイダン革命時におけるアメリカの政治介入の延長線上にあることも確からしい。マイダン革命がその後期に暴力革命の色彩を強めたのは、米政権の国務省の意図的介入が作用したことは周知の事実である。キエフにおける狙撃事件とその後のロシア人への排外主義的な暴力事件は統治権力の空白期においてなされたとは言え、革命後のポロシェンコ政権がアイデンティティ政治へと突入したことによって革命の性格を強めてしまったと言える。アメリカの帝国政治としての封じ込め戦略の一環として2000年代のブッシュ政権におけるウクライナのNATO加入宣言の下準備としての役割を果たしたと言っていいのだろう。そしてNATOの東方拡大を躊躇していたEU諸国の及び腰も、トランプ政権時からアメリカが要求していた欧州における軍事費負担の拡大もこの戦争によって確実に実現することになるだろうし、同時にEUのアメリカ離れ、ドル離れを防止し、あわよくばロシア資源との切り離しによる欧州の米国依存の一層の強化も図れることとなるだろう。
 今回の戦争分析の中にはアメリカの帝国支配の衰退を云々する言説もあり、一極世界構造の変革が起こって多極世界の出現という見方をする人たちもいる。しかし、これはいささか早まった見方であるように思える。インドなど国連決議に棄権した諸国は今回の戦争を冷静に見定めているようだし、多極化の芽がないとはいえない。西欧帝国主義諸国とその経済的覇権の庇護下にある「帝国」領域とロシア/中国圏の「帝国」領域との間にあって勃興してきた新興国領域という三つの世界が均衡していると見えるのは、世界が資本主義経済によって塗りつぶされているという見地からするなら、至極当然であるとも言えるが、それがアメリカの世界統治の戦略を変化させるとも思えない。
 リベラル価値観外交という表看板からするなら、ロシアの封じ込めに成功し、あわよくばロシア政治への介入が一定程度成功するならば、トランプ政権時におけるロシアの選挙介入への意趣返しにもなるだろう。後はインドやブラジルへの補足的外交攻勢の方が重要な意味を持ってくるはずである。
 このように見てくると、現下の戦争状況は世界帝国システムの再編過程であると見るよりも、むしろ進行しているシステムの再編過程がこれまでの近代国民国家形成の主要軸であった帝国主義的国境線とその後の帝国政治システムとの歪んだ不整合が極点にまで達しつつあると見る方が事態を理解させるであろう。それは例えば、国連安保理事会におけるケニア大使の発言がそれを象徴しているように思える。
 「今日、どのアフリカの国でも、国境をはさんで、わたしたちと深い歴史的・文化的・言語的絆で結ばれた同胞が住んでいます。独立に際して、もし私たちがエスニシティ、人種、あるいは宗教面での同質性を基礎とする国家を目指すことを選んでいたとしたら、何十年も経った今も、血生臭い戦争を繰り広げていたことでしょう。」(ケニア国連大使マーティン・キマニ)
 近代国家が発見した「民族」概念が百年前に「自決権」として措定した政治的権利は現在、アイデンティティ政治として完全に座礁しているというのが世界の実際の現実なのだということを認めなくてはならない。むしろ戦後第三世界論に依拠した「民族自決論」「内政不干渉論」こそが世界資本主義の戦後体制のイチヂクの葉であった可能性の方が大きいのだ。ケニア大使が言うように、今や世界は分断と包摂のモザイク国家の集合体でこそあれ、資本と民族が結合した国民国家などが実現した試しがないのである。

4.ポスト植民地主義時代の国家と民族

 かつて米帝のベトナム侵攻に抵抗するホーチミン政権*6の戦いを「民族独立・社会主義」戦争として評価していた時代は帝国主義戦争の余震としての植民地における陸続とした独立運動の波が押し寄せていた時代でもあった。バンドン会議における「内政不干渉」宣言は明確な帝国主義諸国家の政治的介入への拒否であった。だがその拒否は生産関係における分離ではなかったが故に、相対的な孤立経済にあったソ連邦の計画経済(社会主義)があたかも新たな未来への指針であるかの如くに見えたのである。しかし下部構造の歴史的発展法則の厳格な貫徹はその幻想を許しはしなかった。資本主義の未発達な経済の社会主義への飛躍は一種の空想でしかなかったと言えよう。その後の世界史の展開は資本主義経済の金融資本主導(帝国システム)と国家主導(ソ連システム)とのせめぎ合いの中で、ポスト植民地時代へと移行していったと考えられる。
 国家が幻想の共同体である以上に、民族もまた幻想の産物であり下部構造に規定された土着資本と商業資本との歴史的ハイブリットに規定された歴史的上部構造として形成される。民族という政治的産物が資本主義的駆動力として回転し始めることで形成される国民国家形態は周辺的少数者たちを巻き込んで統治形態を形成する時、統治領域での資本主義的発展に伴う階級分裂と多様なエスニシティ集団とが錯綜することとなる。
 今日のポスト植民地時代の諸国家が先のキマニさんの言明にもあったように、旧時代の残像と新時代の萌芽とが入り混じるモザイク模様を呈していることは誰もが知るところである。このような時代にあってプーチンのような前時代的民族論の旗を振りかざしたり、歴代米政権のようにリベラル価値観を振りかざしたりすることで世界は翻弄されてきたのだが、その背後で進行していることとは、資本主義経済の発展している領域ではますます複合的で重層的なアイデンティティが生まれつつあった。それは資本制的生産関係の内部でのグローバルな展開に沿って国民国家理念の空洞化が進行し、またそれを資本そのものが促進してきたということがある。特に顕著であるのは、現代世界の戦争形態が遠隔化、無人化を進化させていることに見られるように、かつてナポレオンが近代理念の旗を掲げて民衆の巨大なエネルギーを解放させた時代と比べて、労働者階級の階級性と集団性が極度に希薄化されてきたことである。それは資本主義の高度な発展によってなされてきたことと密接に関係しており、人々のさまざまな属性によるモザイクが現代資本主義国家における常態となったのである。これはウクライナのような歴史的経緯によるアイデンティティなき国家形成をも可能としたのだが、他方でそれらは帝国主義政治の格好の簒奪対象ともなることになった。アメリカ帝国システムの封じ込め政策やロシアの大国主義的な拡張主義が主に対象とするのはこういった脆弱な諸国家であったことは今回の悲劇を生んだ現時点での特徴である。
 ユーゴやコーカサス地方の内戦も、あるいは中東における介入もこのことを完全に証明している。しかしこれらの紛争地域における帝国主義的利権争奪戦によって世界帝国システムが分裂していくのか否かは旧来型の領土拡張的な国民国家スタイルが陳腐化していく過程で新たな形態に取って代わられるかもしれない。それが今回のウクライナ戦争の背後で進行している事態の本質なのである。

5.リアリズム政治としての国際主義

 第二次世界大戦中に第三インターナショナルが解体したのにはさまざまな含蓄がある*7。反ファシズム統一戦線戦術が戦争突入によって事実上敗北したことによる直接的な影響のみならず、プロレタリア国際主義そのものが帝国主義戦争によって解体させられたという、より大きな意味合いが重要である。単にスターリンの個人的な政治に原因を探るなどというブルジョア歴史主義的な見解などは論外である。このコミンテルンの解体以降、現在に至るまでプロレタリア国際主義を支える物質的な基盤は存在しない*8。この事実は現在の国際政治における労働者階級の運動にとって決定的な役割を果たしている。
 この解体状況の主要なる要因は、国際主義に対置された民族主義の帝国主義的読替えという戦後の世界政治のアクロバティックなイデオロギーそのものにある。インターナショナルが戦争によって解体されたこと自体がそれを端的に表している。戦後の民族自決?社会主義革命論などはその典型的な表現であったと考えられる。植民地/半植民地諸国の民族独立と社会主義革命とのハイブリッドはかつての唯物史観の例外ケースとして暴力的に承認されたが、それは実は単にロシア革命の先駆性を際立たせただけであったのだ。そして、民族主義=国民国家=自決権という恒等式がフランス革命以来久々に復権したのであった。全地球的人類史的歴史段階をリアルに我々に教えてくれたのはやはり戦争という動力であった。植民地独立戦争が資本主義世界経済の周縁諸国に拡大していく過程はその後のグローバリズムへの前奏曲であったことは明らかである。そして高度に発展した帝国主義本国における階級性の解体状況と個に分断された人口のアイデンティティ政治は最も発展した資本主義国家において始まるとされた社会主義革命論が発展途上にあるポスト植民地諸国へと移行することになった。もちろんそれはプロレタリア国際主義の主体の移行を意味しているのだが、同時にそれは国家に回収できない階級性と個人のアイデンティティとが漂流するという現局面を現出させている。
 今般の戦争で問われているウクライナの希薄な民族性と独自な意識としての国家意思は放置されると完全にリベラリズムへの回収されてしまうことは明らかである。現在さまざまな左派論者が提起しているウクライナへののめり込みとは違って、問われていることは百年前からの同じスローガン、労働者階級の自決であるのだが、それをリアルにイメージするためのインターナショナルな物質基盤が存在しない以上、一見空想的にさえ見えてしまう。しかし、この原則を守らない限りこの戦争の世界的力学は全くの霧の中に消えてしまうであろう。ウクライナが半植民地であったというまやかしの規定に則って独立戦争規定を喧伝する人たちが多いのだが、ソ連があるいは現在のロシアが国家資本主義的帝国主義であったという歴史的事実を忘却するほど我々はおめでたくはない。そのようなご都合主義的な戦争規定は現実が歴史を動かし、プロレタリア階級が新しい社会を作り出すという弁証法的歴史観を放棄したか、あるいは初めから持っていないかである。
 故に、この戦争への労働者階級へのメッセージは自国敗北主義であり、帝国主義間の戦争にプロレタリア国際主義の旗を掲げて階級的自決とインターナショナルの組織化を全世界に呼びかけることであろう。しかし、果たしてかつてレーニンが提唱したプロ独を根拠地とした組織化やトロツキーの末裔たちが現在も組織している国際NGOのようなものがその物質的な姿なのであろうか。現在世界においては、かつて存在したような統一した理論的原理原則の下で組織される活動家集団がにわかに出現する可能性は極めて低いと考えるべきだろうし、歴史的な今日の段階において根拠地となるような「国家」が成立する可能性もすでに述べてきたように、一層その可能性は皆無に近いと考えるべきだ。つまり、そのような文脈での運動論や組織論は空想主義だと言わざるを得ない。それは現実政治としてのリアリズムを持ち合わせていない。
 自国敗北主義もインターナショナリズムもプロレタリアの自決もいずれもそれらは理念の段階にとどまるのであって、だからこそ、その理念を進行しつつある個の自決と連携した世界的、横断的なコミュニケーション体として形成する社会運動をこそ求めるべきなのではないだろうか。今般のウクライナ戦争とはまさにそのような社会的潮流に最終的な結節点を求めなければ整合的で理路一貫した解答に辿り着けないような転換点となると思われる。

6.国家としてのウクライナ

 プーチンの振りかざす民族自決論とバイデンと歴代のアメリカ政権の振りかざすリベラル価値外交とは20世紀型の帝国政治の政治的建前であって、その本質は国家資本主義か金融資本主義かという選択であるということは既に述べたが、ではウクライナはこの二つの選択肢以外には選べないのであろうか。現状ではゼレンスキー政権は後者の選択をなそうとしているようだが、ではこの凄惨な戦争に勝利するか否かは別にして、ウクライナの民衆の未来的展望は明るくないことになるであろう。
 すでにウクライナはIMFから巨額な援助を受けており、半身は金融資本の支配下にあると言っていい状態であり、穀物と鉄鋼業の輸出によりかろうじて国民経済を支えている現状からは、いずれに傾くにせよ経済的自立の展望は描きにくいと言わざるを得ない。私の知る限りでは、これ以上のウクライナ経済に関する知見はないので国民経済的な背景からの階級分析はできないが、歴代のウクライナ政権の経済運営の失敗を見るならば、NATOなりEUなりの領域に入ったとしても、あるいはロシア経済圏に取り込まれたとしても、いずれも周縁地帯としてのウクライナの労働者階級はかつて東欧諸国が経験した希望と絶望の歴史を再び歩むことになることは火を見るよりも明らかであるように思われる。
 そして問題はウクライナがたとえ現状の領域を保持したままであっても、「多民族」という刻印をつけたまま国家経営をなさねばならないことは自明である。そしてこの「多民族」という国家の国家的幻想形態とは何なのかという問いが常に付き纏うことになるだろう。否、これこそが現状の戦争形態の真の姿であると思われる。プーチンがクリミア半島を武力で切り離したことに象徴されるように、もはや民族自決権が政治的紛争以外の方法では成立せず、多民族こそが一般的国家形態であるという現代世界の現実が表していることは、レーニンが百年前にウクライナを一共和国として半自立させたことが歴史の狡知であったと言えるのかもしれない。この歴史的皮肉は現在の戦争の建国戦争としての性格を象徴している。さらに言うならば、アメリカ合衆国に象徴される南北アメリカ大陸という民族国家では決してあり得ない多民族性を抱えた植民地国家こそが20世紀の新しい国家像であると誤解した19世紀型社会主義論のアキレス腱でもあったのかもしれない。
 チェコスロバキアがソ連崩壊以後に民族ごとに国家を分割した経緯は詳しく知るところではないが、東欧を含めたスラブ社会にはいまだに民族自決論が有効性を持っているという現実があるように見える。その意味では、ウクライナが分割されるということがこれからもありうるかもしれないことを考えれば、そして既にクリミア半島がそうなっていることを見れば、先に私が提起した「意識としての民族」論的な新たな国家形成ではなく、20世紀型の国民国家へと落ち着く可能性が大きいのかもしれない。
 であれば、プロレタリア国際主義の観点からはそれをどう評価すべきであろうか。今、ロシア国内における反戦活動が弾圧下にあっても盛んであるが、これらはウクライナの歴史的な「民族的」親近性を考えるならば、この20世紀型「民族論」の下での再編はむしろロシア労働者階級との感情的敵対をも結果することになり、ロシアにおける反戦活動との連帯を模索するという活動が困難になることが予想される。ウクライナにおける独立戦争とも言える今回のロシアとの戦争が民族排外主義へと変貌しないか否かが労働者階級にとっての試金石となるだろう。いくつかの確かではない情報によればウクライナ民族派や「ナチズム」的排外主義が横行していると聞くと、いささかの不安と困惑を禁じ得ない。ここでもまた、ウクライナの国家としての形成のアイデンティティが如何なるものであるのかが問われることとなる。そして、この新しい国家形成へ向けたウクライナ労働者階級の闘いは、帝国主義領域における我々の闘いの方向性と相通ずるものであり、これこそが連帯の旗として掲げなければならない真の本質なのである。

脚注

*1「実際、私がすでに言ったように、ソビエト・ウクライナはボルシェビキの政策の結果であり、正しくは『ウラジーミル・レーニンのウクライナ』と呼ぶことができます。「我々の統一国家の崩壊は、ボルシェビキの指導者とソ連共産党の指導の側の、歴史的で戦略的過ち、国家建設と経済および民族政策において、異なる時期に犯された過ちによってもたらされたものである。」(YAHOOニュースよりプーチンの演説)
*2ゼレンスキー自身もロシアとウクライナをカインとアベルに喩えていたことがある。(The Asahi Shimbun GLOBE 迷宮ロシアをさまよう 2021.07.29)
*3ロシア革命におけるウクライナ問題は農業問題でもあったことは周知である。これについての議論はまた別途必要であろう。
*4ムヒナ・ヴァルヴァラ『ロシアにおけるナショナリズムと「同胞」の定義について』
*5いわゆる「冷戦」と言われていた戦争政治形態は現在では明らかに帝国主義間戦争であったという認識はいまだに一般的ではないが、筆者はそういう認識でしか戦後世界は解釈できないだろうと考えている。
*6ベトナム戦争を率いたのは、とりあえずベトナム共産党であることに注意。
*7第二インターナショナルもまた第一次世界大戦によって解体された。
*8それは一国プロ独国家という意味ばかりではなく、組織的な意味での第一インターのような協議会形式においても今や存在しない。本来ならば、国連に対置する労働者の世界連合が形成されるべきであろう。




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