二大政党制の始まりなのか?−社会主義と言われた像の再検討−
渋谷 一三
338号(2009年10月)所収
<はじめに>
前号に、『朝日新聞を筆頭に「良識」派を自認する新聞は「政権交代」による自浄作用を期待し、二大政党制を理想化する位置から、自民党の負けすぎを警戒し、「自民党よしっかりしろ」キャンペーンを貼り、負けすぎをポピュリズムや小選挙区制のせいにする論調をはることで整合性を獲得したかのごとくに安心している。 果たして、そうなのでしょうか?二大政党制の幕開けなのでしょうか。』と書きました。
今号はこの点をすこしばかり検討してみたい。
私個人としては、鳩山さんの国連演説で、やっと日本が普通のブルジョア国家になったという感慨にふけることが出来ました。自民党政権では米国の属国で、何一つとして自分の判断で断定することがなかった。反米ではないかとレッテルを貼られることで逆に「なめられた」発言を封じた。「Show your flag」などと、戦費まで出してやった米国に生意気に居直られイラクへ派兵しアフガンで無料給油サービスなどという屈辱的なことをしてすら、日本の頭越しに米朝協議をされてしまう。国粋主義者なら自民党幹部を暗殺すべきなほどの国辱ぶりだった。
民主党政権になって、アフガン給油も止める方向を強くにじませ外交の切り札の一つにすることが出来た。そのことだけでも、十分に普通のブルジョア国家になることができたと思う。自民党政権では金を使って馬鹿にされる材料を作っていたのだから、大きな違いというものです。
さて、はじめの1週間でもうこんなにも違う。経済政策ではどうなのか。
1.民主党の藤井さん自身の言葉で語っていただこう。
@子育て支援金・・・ |
内需拡大政策という範疇で語るものではなく、結果として内需にもなるということです。 未来の魅力ある大人を育てていくための施策といった方が妥当かもしれません。 不用不急の政策の資金を回して、お約束を実行するということです。 |
A景気刺激策・・・ |
成長成長といっても大企業の経済成長では、今問題となっている格差社会を是正することは出来ないのです。 景気刺激が必要なのではなく、直接に格差を是正することに役立つ資源配分(所得の社会的再分配)をすることが大切なのです。 従来の、不況だから景気刺激などという概念で捉えるような時代ではないのです。そんな古い発想では赤字を増やすだけです。 私はG7でもわが国はこの場に集まった国々の中で最も財政出動をする余力の無い国だと申し上げてきました。 |
至極もっともな普通の会話が成立する国になっているとは思いませんか?
私が、前号で「民主党は正しく小ブルジョアの政策を表明している」と述べたことが間違ってはいないという新たな証左でもありましょう。
2. すがすがしさを感じているのは私だけでしょうか?
二大政党制の始まりという言説に自己陶酔し自縛されている朝日新聞を例外にすれば、マスコミは一斉に政権党にすりより始めている。もちろん自民党の肝いりで出来たフジ・サンケイグループ、週刊新潮・文春は別で、相変わらずの論証抜きの記事を垂れ流してはいる。
だが、大多数の民主党に投票した人々は満足し、子育て支援金・高速道路無料化など個々の政策では必ずしも賛成してはいない人々も民主党政権には満足している。
その根拠は自民党政権の腐敗にだけあるのではなく、自民党の政治家へのどうしようもない断絶感・彼らの語る言葉の奴隷根性などなど、無くなってみると、そんなドロドロなどなくても政治は進むのだという事実が残った。これがすがすがしさの根拠でしょう。
では、個々の政策での部分的反対の根拠は何なのか。前号でもふれたように、小ブルジョアジーの政策では満足できない部分があるのに、労働者階級の利害・感性を代表する政党が無いことによる。
3. 社会主義とされてきた通説の再検討
従来、特に労働組合を通じて流布されてきた社会主義・資本主義のイメージを再検討しない限り、何が労働者階級の政策なのかもはっきりするはずがない。
従来資本主義のイメージは、それを言っている連中は自称社会主義者のくせをして、「無限の生産力」「ただそれを搾取している資本家が悪い」というものだった。まず、この言説がうそ八百の上、天に向かって唾を吐いている行為であることを確認しよう。
@ 資本主義が、原理的には無限の、「必要に応じて取る」ことができるほどの生産力を解放できる社会・経済システムであるという資本主義賛美が根底にあって初めて、搾取を止めさせ資本家を打倒しさえすればいいという世界観が生まれる。この世界観は裏を返せば、社会主義を馬鹿にし矮小なものとしているのであります。だから、社会主義の研究すら進まない。この百年の犠牲に満ちた無駄な歴史―無駄にさせられた歴史は、搾取の仕組み論に社会主義を矮小化したことから始まる。
新左翼がフランスで誕生し、日本にも影響を与えて新左翼を成立させ、社会主義を搾取の仕組みに矮小化し、資本家階級を打倒しさえすればいいかのような社会・経済思想をスターリニズムとして括って断罪したまでは良かったが、それで終わり。資本主義を超える人間の社会的結合の水準をどのように準備し生み出していくのかといった研究が現在の日本で細々と営まれている以外は、世界的には、新左翼も消滅してしまったと言ってよい。
どうしてそうなったのか。
一つにはトロツキズムへの依拠。この部分は、スターリニズム批判と括ってしまったがゆえに、スターリンの政敵であったトロツキーの復権に眼目が移ってしまい、世界革命さえすればいいかのような世界観を流布させ、世界革命に向けた武装闘争が行き詰まると共に、その政治生命に終わりを告げることとなった。
もう一つは街頭闘争主義・直接民主制への過大な評価あこがれ。多くの古い「社会主義者」の呪縛・支配から大衆を解放するためには、直接民主制や古い権威の呪縛からの解放は絶対に必要なことではあった。だが、それが実現したことは、はじめの第一歩にすぎない。これらの部分の日本共産党批判は呪縛からの運動の解放を意味し、実現したが、社会主義の内容の批判の深化を勝ち取ることはできなかった。その結果、日本共産党という党組織は現在も残っているという現実をもたらしている。
相変わらす大衆を支配している社会主義という名の資本主義思想は無傷のままである。
A 「こどもは保育所に入れて、共働きをするのが女性の解放に繋がり、こどもの社会的育成、性の解放にも繋がる」という思想
この思想は根強くあるばかりではなく、現実を支配している。この思想は労働者階級の思想だとして資本家階級が攻撃するものだから、いつの間にか労働者階級の要求であるかのようになっている。ことに何も考えはしない労働組合の幹部連中にとってはそうだ。
本当にそうか。保育所の労働者なら知っている。その労働は過酷で、実際はおしめの交換が一巡したら授乳(給食)、それが済んだら昼寝をさせるのに一苦労。そのすきに自らの給餌と連絡帳への記入。またおしめ交換。要するに乳児は収容されて生命の存続のための最低限の措置を与えられるだけの収容所。保育士にとっては、人間対人間のかかわりなど持てず、理想とは違った介助作業の連続だけの職場。幼児にとっては、建前での「集団での育み合い」ではなく、個と個の生物的利害のぶつかり合いの場へ投入されるだけのこと。実現しているのは女性の労働力市場への簒入。それも、主婦と名がつき格段に安くなった労働力として。
こんなものは労働者階級の要求ではないとはっきり宣言しよう。「共稼ぎなどしなくてよい賃金」。だが、それは賃金という形では実現不可能。なぜなら、資本家は国際的競争の中で生きており、高い賃金など払っていては倒産する以外にない。だから、「共稼ぎなどしなくてよい労働生産性の向上を実現する社会の建設!」がスローガンたるべきであり、「男女のどちらが主婦になってもよい社会・文化の建設」がスローガンであろうし、あるいは一日5時間労働制の2交代制が実現されていても良いのかもしれない。
とにかく、「保育所―パートで主婦は安く忙しく働く」のが社会主義とは無縁の思想であることだけははっきりと宣言しよう。
この一点ですら、民主党は言ったり志向しているか。否。社会民主党も否。日本共産党も否。労働者階級の政党がないということがはっきりする。
B この種の「社会主義のうそ」はたくさんあるが、本稿ではこの2点に留め別稿にすべきと考える。
4.労働者階級の政党がない。
大資本家の政党である自民党が再び政権につくためには、小ブルジョアジーとの連合を組むか、労働者階級をだまして取りこむことが必須条件になる。
グローバリズムが大ブルジョアジーを代表する政治経済路線であり、これが相次ぐバブルとその崩壊の繰り返しという現実を生み出すだけで、限界を露呈し、世界的には破産を宣告されている。
代わって登場しているのが、EUなど小ブルジョア自身が政権を握る運動であり、ヨーロッパにおける軒並みの社民政権の誕生とEUの成立に見られる、その路線の成功です。オバマ政権の誕生もこの流れの亜流と見ることもできましょう。グローバリズムを明確に否定する対案を持てないものの、小資本も生きていける資本主義として、EUをこの世に誕生させることに成功しているという現実そのものが何よりも説得力をもたらしている。
日本民主党もこの流れに入る。だからこそ、遅きに失したAU(東アジア共同体)構想を恥ずかしげも無く掲げざるをえないでいる。AUが出来るとしたらもう中国中心であり、日本は良くてこれに入れてもらえる程度の選択肢しかない。戦後処理をしてこなかった無能な自民党政権が続きすぎたことが選択肢をとうの昔に無くしてしまっている。
小ブルジョアと大ブルジョアが同じブルジョアとして連合を組めるのは唯一大ブルジョアが小ブルジョアの利害を阻害しない施策を採ることを約束した場合のみだが、農業にも見られるように、自民党が小ブルジョアに配慮する能力すら失っている現状では、大連合はもはや有り得ない。政権をとった小ブルジョアが譲歩する必要はないからである。
労働者階級は自らの要求を表現できないでいる。したがって、労働者階級の党は(少なくとも議会内には)存在しない。小ブルジョアの政策に部分的に違和感を感じるものの、その政権にすがすがしさすら感じることができる。小ブルとの連合は当面続けられる。
こうみてくると、二大政党制にはならない。民主党が余程の失政をしない限り、自民党が政権に返り咲くことはないと言える。