新しい情勢に対応した共産主義者の党建設を急ごう
流 広志
325号(2008年9月)所収
劣化するブルジョアジーと激動化する世界
内閣改造してわずかしかたっていないというのに、福田総理はとつぜん辞任した。そして、露骨な選挙目当ての総裁選が行われ、麻生が、7割という圧倒的多数を得て、新総理に選ばれた。地方での圧勝は、選挙の実働部隊であり、現場での自民党員の選挙に勝てる総裁を求める気持ちが強かったことをあらわしている。しかし、この麻生は、差別発言を繰り返す差別的体質を持つ財閥家出身の支配エリート中のエリートである。このことに示されているように、この国の政治は、驚くほど劣化している。それは、日本の支配階級の劣化、すなわち大ブルジョアジーの劣化を反映している。
御手洗経団連は、これだけワーキングプアと呼ばれる貧困な労働者が増大しているというのに、その原因の一つとされている派遣労働法の規制強化の方向での改正に反対を表明した。それならそれで結構だ。ワーキングプアあるいはワーキングプア化を自らの未来のこととしてリアルに想像している若者たちは、『蟹工船』やマルクスの本を読みながら、この階級社会の現実について学び、そしてそこで闘うことを準備し始めているのである。そして、すでに、フリーター全般労組や関西生コン労組系ガテン系労組などが主に若者を結集して、非正規労働者の労働運動を組織している。かれらとかれらに連帯する労働者大衆が支配階級となる革命を起こして、ブルジョアジーの支配を終わらせ、そうして自らを解放する闘いに勝利することで、そんな反労働者的な社会や政治は歴史の彼方に追い払ってしまうだけのことだ。
この国のブルジョアジーのモラル崩壊は底なしである。食品表示偽装に汚染米を人を騙して売りさばいていた業者、粉飾決算等々とブルジョアジーの腐敗・堕落は止まることを知らない。そして、官僚もまた社会保険庁の年金記録改ざん問題に示されたように、腐りきっている。官も民も腐っているのに一人政治だけが腐らずに無事でいられるわけがない。太田農水大臣は、汚染米の流通問題で他人事のような発言をしてひんしゅくを買い、わずか4日の任期を残して引責辞任した。冷戦崩壊後わずか20年で、ブルジョアジーは、このざまである。
他方で、サブプライム・ローン破綻を引き金にした米帝の金融危機は終息の兆しも見えない。先日、証券4位のリーマンが経営破綻した。それに対して、アメリカ当局は、不良資産、最大75兆円の買い取り策を発表し、新聞などでは、「大恐慌以来の巨額対策」と表するものもある。『毎日新聞』によれば、これは2年間の時限措置で、「米国に本店を置く金融機関から、9月17日までに組成された住宅ローン担保証券(MBS)など証券化商品のほか、金融市場の安定に必要と判断される資産買い取りを進める」というものである。この買い取り資金をまかなうため、「米政府に新たに7000億ドルの国債発行権限を与える。米政府の債務限度額は従来の10兆6000億ドルから、11兆3000億ドルに引き上げられる」。世界の金融機関のサブプライム損失は既に総額4000億ドルを超え、国際通貨基金(IMF)は「最終的な損失は約1兆1000億ドルに達する」と見ている。アメリカ政府は、国債を発行して、不良債権を買い取るが、それは価格の低いところから入札していく方針だという。かくして、バブル崩壊後の日帝経済が陥ったように、不良債権の重荷を米帝もまた背負わなければならなくなったのである。日帝の場合、90年代は「失われた十年」と言われる長期不況に見舞われ、その後、経済力が低下していったのである。そして、アメリカの場合は、その需要規模が巨大であるために、対米輸出で経済成長を続けてきた中国経済などに与える影響はきわめて大きいものである。そしてそのことが、この1930年代の世界恐慌対策に匹敵するとも言われる巨額の経済対策の発動となっているのである。さらに、この関連法案と共にベロシ下院議長は、財政出動を合わせて実施したいという意向を明らかにした。イラク戦争の戦費は毎年巨額に上っているというのに、さらなる財政赤字要因を増やせば、米帝の国力は弱まることは明らかである。
これをチャンスとして、22日三菱UFJフィナンシャル・グループは、米証券2位のモルガン・スタンレーに出資することを発表、野村ホールディングスは破綻した米証券4位リーマン・ブラザースのアジア・太平洋部門を買収すると発表した。野村ホールディングスは、さらに、リーマンのヨーロッパ部門の買収にも乗り出し、イギリスの金融大手バークレイズと争っている。
こうして、冷戦終焉後、唯一の超大国として君臨してきた米帝の力の低下が生じ、ロシアの経済力の増大、ユーロの相対的力の上昇、中国・インド・ブラジルなどのBRICS諸国の急速な経済成長、中南米における反米政権の増加、イスラム圏におけるパキスタンに続く、イランの核開発の進展、グルジアでの民族問題をめぐる欧米対ロシアの対立の激化、アフガニスタン危機の深化、世界に広がる食料価格暴騰に対する暴動や物価値下げの闘い、ヨーロッパにおけるストライキの波の高揚、北京オリンピックを前にしたチベット人の自立・独立運動の爆発、グルジアに対するオセット人の闘い、イスラエルに対するパレスチナ人の解放闘争、等々の世界秩序を揺るがす事態が拡大している。
火花三回大会(1994年)路線について
われわれ火花派は、1994年の第三回大会「綱領」で、「ロシア革命をはじめとする革命は、資本の廃絶という任務を一定程度なしとげた。だが、それらの革命は商品−資本をいかに死滅に導くのかという社会革命の課題の前に挫折を余儀なくさせられた。したがって、今日、権力奪取をなしとげたか否かにかかわらずこの社会革命の課題をいかに遂行するかが全世界の共産主義者のグループ・党に問われている」と述べた。そして、続けて、「綱領」は、「商品生産においては、生産についやされた労働は、これらの生産物の価値として、すなわちその生産物が有するひとつの物象的属性としてあらわれる。商品生産−資本主義生産の交換可能性の形態、すなわち直接に社会的形態にある貨幣の力としてあらわれる」と述べている。もちろん、この表現は、商品生産が、交換を目的として行われているという現実の資本主義的生産の基本的特徴から述べているのであって、商品を生産する労働が、使用価値を生産するものであることを前提としている。商品は、交換を目的として生産されるのであるが、それは別の商品所有者の使用価値を有するものとして生産されるのである。
それについてマルクスは、『資本論』第1巻第1章「商品」において、「商品は、使用価値または使用対象であるとともに「価値」なのである。商品は、その価値が商品の現物形態とは違った独特な現象形態、すなわち交換対象という現象形態をもつとき、そのあるがままのこのような二重物として現われるのであって、商品は、孤立的に考察されたのでは、この交換価値という形態をけっしてもたないのであり、つねにただ第二の異種の一商品にたいする価値関係または交換関係のなかでのみこの形態をもつのである」(国民文庫1分冊115頁)と述べている。その前提となっているのは、「価値表現の秘密、すなわち人間労働一般であるがゆえの、またそのかぎりでの、すべての労働の同等性および同等な妥当性は、人間の同等性の概念がすでに民衆の先入見としての強固さをもつようになったときに、はじめてその鍵を解かれることができるのである。しかし、そのようなことは、商品形態が労働生産物の一般的な形態であり、したがってまた商品形態が労働生産物の一般的な形態であり、したがってまた商品所有者としての人間の相互の関係が支配的な社会的関係であるような社会において、はじめて可能なのである」(同114頁)ということ、すなわち、人間労働一般という抽象が、人間一般の同等性という概念として人々の先入見になっているということである。
「綱領」が続けて「商品生産−資本主義生産の交換可能性の形態、すなわち直接に社会的形態にある貨幣の力」を強調しているのは、物象化からの解放という課題を特に強調したものであり、それをソ連東欧スターリニズムの自己崩壊の教訓として導き出したからである。そのことは、今日の金融資本の巨大な成長とその危機の深化ということにも示されている。ただ、このことは、資本主義批判としてはたして冒頭に置かれるべきであったかということについては見直しが必要だと考える。これは当時のソ連東欧のスターリニズム体制の自己崩壊という歴史的事件からの教訓として冒頭に掲げられたのは当然としても、今日の歴史状況からは、必ずしもこれほど強調される必要はないと考えるのである。
『資本論』でマルクスが労働生産物の価値形態について明らかにしているのは、人間労働の歴史的性格ということである。それが抽象的人間労働一般という性格を社会的に受け取ることによって、そしてそれが人間の同等性という概念として一般化することを土台にして、資本主義的生産が発展・成長したのである。
資本主義の勃興期において、人間の平等という叫び、そして民主主義の要求が大きく叫ばれたのは、日本でも同じである。それは大正デモクラシーとして花開き、さらに労働総同盟友愛会の人格主義、水平社宣言の「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」という言葉に表明された。この頃の労働者がどういう扱いを受けていたかについて、一例を、『大原社会問題研究雑誌』所収の「労働調査(聴取り調査)とライフ・ヒストリー」(山本潔No588 2007.211)から見てみると、以下のようであった。証言者は、1887年(明治20年)生まれの高山治郎市元「造機船工労組合」会長である。
(a)採用(1902年当時)。「石川島に直接雇われるのではなくて、今でいえば職長にあたる人が、その時分には頭目といったのですが、実際に、一切の職人の任免権を持っていたのです。雇われる場合には、頭目の所に行って、『使ってくれませんか』というと、頭目が『それじゃ来い』とか、あるいは『一ヵ月後に来い』という具合に返事し、それで決まったのです。」
(b)熟練形成。「小僧に入るとグループの職人の下に入れられ、その職人に仕事を習うわけです。見様見真似で、時にはひっぱたかれ、殴られておぼえるのです。」
(c)労働移動。(1)「仕事をやらしてくれといって」「他所の工場に入って行くのです。」そして「たとえば手前製缶でござんす。手前、駈出し者でござんす。初拝顔でござんす。手前生国は関東にござんす。関東といってもいささか広うござんす。・・・」と、一通りやるわけです」(“仁義”をきる)。(2)「すると忙しい時は手伝う事もあります」。(3)「暇で手一杯」で仕事をことわられた時は、『何処そこまで行くから旅費を貸してくれ』というわけです。すると、当時で3円か4円出して、『これでとめきりにしてくれ』というのです。・・・その当時では九州の蒲原というのと、東京では梶というのが、頭目の一番であったのです。」(同4頁)
今日では考えられないような、露骨な労働者の人格支配が行われていたわけである。頭目と労働者の関係は、親分子分のような関係であって、人格的な支配―従属関係である。このような社会条件にあっては、商品生産と資本主義生産が完全に支配することはできなかった。この場合の頭目と労働者の関係は、物象化されておらず、人格的関係であることは双方の目にそのまま映っているのである。したがって、資本―賃労働関係が全面的に貫徹してはいなかったのである。それが完全な展開を見るのは、戦後になってからである。もちろん、資本主義は、かかる非資本主義的な形態を含みつつ、基本的には成立し、成長したのであり、かかる社会諸関係を変革していったのである。
このような例のもう一つは、相対的過剰人口であり、その停滞的形態として、マルクスが『資本論』で指摘しているものである。
「相対的過剰人口の第三の部類、停滞的過剰人口は、現役労働者軍の一部をなしているが、その就業はまったく不規則である。したがって、それは、自由に利用できる労働力の尽きることのない貯水池を資本に提供している。その生活状態は労働者階級の平均水準よりも低く、そして、まさにこのことがそれを資本の固有な搾取部門の広大な基礎にするのである。労働時間の最大限と賃金の最小限とがそれを特徴づけている。われわれは家内労働という項のなかですでにそのおもな姿を知った。この過剰人口は、絶えず大工業や大農業の過剰労働者から補充され、また、ことに、手工業経営がマニファクチュア経営に破れ後者がまた機械経営に敗れて行く滅びつつある産業部門からも補充される。蓄積の範囲とエネルギーとともに「過剰化」が進むにつれて、この過剰人口の範囲も拡大される」(『資本論』国民文庫3分冊237〜8頁)。
手工業経営は、資本主義的蓄積の運動の進展に応じて、滅ぼされ、あるいは存続を許される。この過程は同時に資本の集中・集積の過程でもあり、一部の小経営は、大資本の下に従属させられ、その支配の下に入る。手工業経営やマニュファクチュア経営の非資本主義的労働関係は、長く温存される場合がある。例えば、山田盛太郎が『日本資本主義分析』で、大正14年の工務局編『織物及莫大小に関する調査』から引用してる久留米絣の事例で、この時点で、零細工場、零細マニュファクチュア、問屋制度的家内工業すなわち「農家婦女子の副業の賃織」と囚人労働が主になっていたということがある。山田は、この問屋制家内工業を基礎的形態として、囚人労働の低賃金がこれら4つの形態の労賃を下に引っ張ると共に零細工場=零細マニュファクチュアの経営を圧迫したとし、問屋制度的家内工業こそ、「惨苦の茅場ヤンマーヘーレン」であったとしている。
これらのことから、われわれは、「綱領」で、労働の問題を強調すべきだということが言える。すなわち、そのことをマルクスは、『資本論』で、「商品世界のこの完成形態―貨幣形態―こそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的諸労働の社会的諸関係をあらわに示さないで、かえってそれを物的におおい隠すのである」(同上141頁)と物象化について述べている。そして、「共同的な、すなわち直接に社会化された労働を考察するためには、われわれは、すべての文化民族の歴史の発端で見られるような労働の自然発生的な形態にまでさかのぼる必要はない」(同上144頁)。
これは自然発生的な共有の形態、いわゆる原始共産主義的共同体のことであるが、マルクスは、共産主義的労働を考察するためには、そこにさかのぼる必要はないと言うのである。黒田寛一は、こういうところを読み飛ばして、原始共産主義を持ち上げているが、それはマルクスの歪曲であり、黒田主義への変造である。上にあげた歴史事例は、資本主義的労働関係とそうではない労働関係が併存していた過渡期の労働関係を示している。マルクスは、直接に社会化された労働を考察するために、自分の必要のために生産する農民家族の家父長制的な勤労を取り上げている。そこでは、労働生産物と労働生産物との社会的関係に偽装されることはない。つまり労働生産物は商品として相対することはない。それは、「継続時間によって計られる個人的労働力の支出は、ここでははじめから労働そのものの社会的規定として現われる。というのは、個人的労働力がはじめから家族の共同的労働力の諸器官として作用するだけだからである」(同)。その次に、マルクスは、「協同の生産手段で労働し自分たちのたくさんの個人的労働力を自分で意識して一つの社会的労働力として支出する自由な人々の結合体」について述べている。つまり、日本で言えば、戦前の労働関係から、「共同的な、すなわち直接に社会化された労働」について考察することができるわけである。
われわれが「綱領」で強調した商品・貨幣を廃絶する社会革命の基本は、労働の変革にあるということである。そのことを現在においてはより強調すべきである。ポイントは、マルクスが言う労働の私的性格の廃絶と共同的性格への変革であり、労働の社会化である。このことから、「これにたいしてプロレタリアートの社会革命は、生産手段の私的所有を社会的所有に代え、賃労働制度を平等の義務労働「制度」にとって代えるばかりでなく、それとともに労働日の短縮を根本条件としてそれをも一掃し、労働がたんに生活のための手段であるだけではなく、生活にとってまっさきに必要なこと=生命活動の第一の欲求に転化する革命である。すなわち、資本を廃絶するばかりでなく商品−貨幣を死滅に導く革命、諸個人が社会的分業に隷属する事態をなくす革命、階級支配を廃絶するだけでなく階級そのものを死滅に導く革命である」という部分である。かくして、プロレタリアートの独裁の歴史的意義と任務がより明確になり、相互の関連性が基本的に明確化される。
このことから、社会革命との関係でプロ独=支配階級に形成されたプロレタリアートには、文化性と倫理性というヘゲモニー的資質が求められるということが言える。そのことは、グラムシの考察から理論的には明らかだった。しかし、文化性や倫理性は、労働の性格と密接な関係を持っており、そのことは、エンゲルスが、フォイエルバッハの道徳理論を批判して、「現実の世界では、それぞれの階級が、いなそれぞれの職業でさえ、それに固有の道徳をもっており、罰せられずにそうしうるときには、それを破りもする。そしてすべての人を合すべき愛は、戦争や争いや訴訟や家庭争議や離婚や、一階級による他階級のできるかぎりの搾取やのうちにあらわれるのである」(『フォイエルバッハ論』岩波文庫57〜8頁)と述べていることからもわかることである。すなわち、階級や職業における道徳の違いは、労働の性格の違いからくるものであることは明白である。資本家階級は、経営労働・監督労働などの労働の性質から、かれら特有の倫理を形成する。資本蓄積のための労働は、かれらに節約道徳を身につけさせる。とはいえ、かれらはそれをかいくぐって、それを破りもするのであるが。文化については言わずもがなであるが、文化の階級性・階層性については、アナール学派のハビトゥス論が分析し指摘していることでも明らかである。われわれは、おおまかではあるが、階級階層に共通する文化趣味があることを経験的にも知りうる。
われわれの今日の課題
次に、「資本を廃絶するばかりでなく商品−貨幣を死滅に導く革命、諸個人が社会的分業に隷属する事態をなくす革命、階級支配を廃絶するだけでなく階級そのものを死滅に導く革命」の任務を解明しようとした『戦術・組織総括』についてである。これにもとづく「新しい運動・新しい組織」の模索が、文字通り模索として今日まで続けられてきた。この文書は、1994年に採択された当時の階級闘争の現実から導き出されている。2008年の今日の階級闘争の現実から見ると、個々に描かれていることのいくつかが変化していることに気づかないわけにはいかない。
階級闘争の中で、労働運動領域においては、今日、世界的に労働運動が戦闘化し、そして社会運動ユニオリズムという形態を取っている場合が多々ある。アメリカのAFL―CIOから分裂したSEIUなどの労組やオーストラリア労働者組合はその例である。『大原社会問題研究雑誌』584号「【特集】オーストラリアの労働運動と労働党」所収の「労働運動と新しい社会運動―オーストラリアの事例」(ヴェリティ・バーグマン/翻訳・鈴木玲)は、労働運動と新しい社会運動の相互関係について分析した論文であるが、その中で氏は、「1960年代末以降のオーストラリアの労働運動と新しい社会運動の相互関係を分析することによって明らかになるのは,運動間の関係を説明する他の重要な要因があることである。それらの要因は,闘争が闘われているレベル,個々の運動の影響力や推進する価値の認知のされ方および認知の時系列的変化,そして経済的構造の変革などを含む。古い社会運動と新しい社会運動の結びつき方は,これらの要因に反応して変化するため,不変的あるいは一貫的な関係では全くない。運動間の関係は,社会自体の変容に伴い発展する。すなわち,階級文化の違いが永続的であったとしても,労働運動と新しい社会運動の関係は,広義の社会的過程の影響を受けて変動する運命にある」と述べているが、日本でも同様のことが指摘できる。
ちょうど1994年頃は、ソ連・東欧の体制崩壊などがあったこともあり、左翼圏と結びついていた労働運動は、古い社会運動として、新しい社会運動から批判され、敬遠されていた時期である。フェミニズムはとくにその傾向が強かったように見える。
氏は、オーストラリアでは、「1960年代から80年代初めまでの時期,古い社会運動と新しい社会運動の関係は楽観主義と目的の整合性に特徴づけられた。しかし,80年代から90年代初めまでの間,2つの運動の明白な相互関係は少なくなった。この時期には「新しい社会運動論」に基づいた考え方が支配的になり,新しい社会運動の研究者や活動家は労働運動を政治的に価値がないものとみなすようになった。90年代半ば以降グローバリゼーションの影響が強まると,労働運動が新たな形で活性化し,労働運動は同時期に新しい社会運動の活動の衰退により生じたギャップをうめた。このような運動の変遷は,新しい社会運動論の労働組合に対する「偏見」に対する反駁となった。すなわち新しい社会運動論は,労働組合が生産主義的な狭い課題のみに関心をもち,経済主義的な戦略をとり,エスニシティやジェンダーなどの非階級的抑圧に関心をもたず,官僚的な運営を行っているとみなしている。労働運動は産業領域での活動の多くの伝統を維持しつつも,新しい社会運動の特徴をもち始めている。同時に,新しい社会運動はグローバリゼーションにより引き起こされた問題に直面するなかで,以前より経済問題や労働運動の役割の重要性を認識するようになった」と同論文で述べている。
われわれはこれと似た現象を体験したが、同じように、今、グローバリゼーションの引き起こした問題に対して、労働運動の役割の重要性、経済問題の重要性、そして、労働や階級性階層性の重要性をより強く認識すべき時期を迎えている。それは、われわれに新たな政治闘争・共同行動のヘゲモニーの構築の必要を示している。新しい社会運動は、今、大きな困難に直面している。その困難を共に解決する実践的なヘゲモニーが求められているのである。それは、労働運動と社会運動の接近や結合であり、あるいは大衆運動の新たな結合の形成であり、そしてそれは、それらを目的意識的に推進していく新たな共産主義者の党の建設を必要としていることを意味している。
それは、21世紀に入って急速に進んだグローバル化とそれに対決する反グローバル運動の世界的な高揚という新しい情勢が、われわれに提起するものの一部である。その戦闘性は、諸運動を権力問題に直面させているということを表しているのである。グローバル化が今日の資本主義にとって必要であり、それはその国家の政治意志として強固に存在し、だからこそ、反グローバル運動に対して牙をむいて襲いかかっているのであり、それとの闘いは戦闘的にならざるをえないのである。そして、グローバル化の結果としての非正規雇用の増大、相対的過剰人口の増大、ワーキングプアの飛躍的増加、などの階級階層分裂の拡大、格差社会化、「一億総中流幻想」の崩壊、等々は、労働と階級性・階層性を明瞭化しているのである。生きるために資本の賃金奴隷とならざるをえないという賃金奴隷制度は、今や多くの非正規労働者・ワーキングプアの具体的体験によって暴露されており、それは、『蟹工船』ブームに示されている。資本の手先によって露骨に搾取される蟹工船の労働者の姿を我が身に置き換えて理解・共感できる若者が増加しているのである。「一億総中流」で、貧困問題は、第三世界にしかないと思われていた時代とは違うのである。1994年の火花派第三回大会は、まだそうした時代に開かれたものである。
今、われわれは、新しい階級闘争の現実に対応した新しい綱領・戦術・組織を必要としている。それは、われわれだけではなく、このようなグローバル化の現実に直面している人々の困難を解決するための階級闘争の構築のために必要なのである。それは一人火花派のみの閉ざされた試みであってはならないのである。共産主義運動の綱領・戦術・組織は、すべての被搾取者・被抑圧者・被差別者の解放を実現するための指針でなければならない。そのためには、この事業を目的意識的に実現しようと決意している先進的な活動家や共産主義者と手を結び、その統一・統合を進めなければならない。われわれは、第一回大会が掲げた「四分五裂した前衛の統合」という方針を今日的に復権しなければならない。その旗印を鮮明に掲げ、前衛党建設のイニシアティブを発揮することが必要である。それは、階級闘争の戦闘化、労働を中心として、社会運動と労働運動の相互浸透、政治闘争の推進、権力闘争の発展、新たな支配階級へのプロレタリアートの形成、共産主義と労働運動の接近・結合・共同運動の構築、等々のプロレタリア・ヘゲモニーの形成、共産主義運動の再生・発展、等々の課題に応えうる力量と内容を持った新たな共産主義党・プロレタリア党を構築するということである。
われわれが今日の反グローバル運動や反貧困運動や非正規労働運動で出あうのは、「生きさせろ」というスローガンであり、労働基本権の要求であり、社会保障の要求である。主に経済的要求である。それと憲法21条の生存権の政治要求が結びつけられている。また、今、南北アメリカや韓国などに広まっている「社会運動ユニオリズム」があるが、その特徴を、バーグマンは、「社会運動ユニオニズムは,戦闘性,非常に民主的な組織運営,そして包括性に特徴づけられる。また,新しい社会運動の最良の側面と,労働運動の最も勇ましい伝統を併せもつ。これらの特徴は,企業主導のグローバリゼーションが強いた新しい物質的環境に対応するかたちで生まれた。重要なことは,主流の労働組合が労働力の(さまざまな階層への)分解に対応し始めたことである」と指摘しているが、労働力の階層分解は、世界的な傾向であり、日本もそれは急速に進んだ。それに対応する労働運動、あるいは社会運動がまだ大きく成長していないのが問題である。
1994年の火花第三回大会後、すでに14年の歳月が立ったが、その間に、世界も日本の階級闘争の現実も大きく変わった。その間、われわれは様々なことを学んできたし、様々な経験を蓄積してきた。それは、これからの共産主義運動の発展、党建設、政治的イニシアティブの創造、ヘゲモニーの形成、新たな階級闘争構造の構築、新たな活動家の育成・拡大、労働運動と共産主義運動の共同闘争の組織化、社会運動の相互交流の促進、問題意識の相互交流、経験の交換、共同研究や共同行動、討論、等々の中で生かされることは間違いない。
われわれは、綱領でも戦術・組織総括でも、プロ独、権力闘争、政治闘争、党建設、蜂起ということを述べてきた。それらのことは、今日で、新しい意味を持って、強調されねばならない。なぜなら、少なくとも理論的には、プロ独は、社会革命という課題と結びつけて提起されたのだし、そのことは、協同組合的労働や自主管理的労働、すなわち人格関係が物象化されない労働における人格関係としてある労働諸形態の解明という形で進められてきたからである。管理労働・経営労働への習熟ということは、レーニンが労働組合論争の中で、プロ独下の労組の役割として提起したものであり、その後、企業長任命制によって、官僚による企業経営という国家経営の形になって形骸化されたのだが、それでも、労働組合の任務として経営と管理の学校ということを強調した点は今日においても復権すべきであり、そのことは、日本の戦後の生産管理闘争の経験や経営権をめぐる階級闘争の経験からも言えることである。そしてそのことは、東欧改革の中で、経営権にあたるものを実効支配権と規定したW・ブルスの論考にも示されていたのである(拙稿「東欧改革のつきつけたもの」参照)。それは、関西生コン労組の事業生産組合による中小企業経営への労働者統制あるいは労働者ヘゲモニーの貫徹の闘いにも示されているのである。もちろん、それらは様々な諸問題や限界を持つものではあるが。
とくに、その場合に、それらは、影響力のある党の指導の問題性に直面したということが共通している。ボリシェビキが当時抱えていた危機は深刻なもので、10回大会における一時的例外的な分派禁止の非常措置によってしか分裂回避は不可能とレーニンが判断したほどであった。実現できる可能性が低い中での提起ではあったが、レーニンが労働者に経営権・管理権を移す準備をすべきと考えていたことは確かである。そして、東欧のスターリニズム党は、企業の実効支配権を党・国家の手中に握ったまま、改革を重ねるのだが、ついには、資本主義に屈服していくことになる。ソ連を始め、多くの東欧諸国で、テクノクラートがそのまま資本家や管理層に移行したのである。労働者自主管理を実現したのは、「連帯」労組のグダニスク造船所など限られている。あとは、外資の導入による経済再建と企業変革・経済変革の道を歩んだのである。生産管理闘争は、日本共産党の路線的動揺の中で、敗北を余儀なくされた。それは大河内一男元東大総長の主張した生産復興のための労働組合の生産増強運動として、経営権にふれない形での生産力増大を労組の任務とすることに切り縮められる。それに対して日共は、経営協議会での労使協議要求へと傾いていく。経営権は、GHQの路線転換にも助けられて、経営者の手に完全に握られていった。
これらのことは、前衛あるいは党の政治指導の影響が、労働運動・社会運動の発展にとっても、阻害要因としても、大きなものであることを示している。小さな影響力しかない反政府党しかない状況では、支配階級の党派は圧倒的な力で支配的ヘゲモニーを及ぼして、これらの諸運動に強い影響を及ぼすことができるということである。それが、1990年代以降に、自民党が行ったことであり、労働組合員にさえ自民党支持者が増えるという現象をもたらしたのである。小泉ブームというのもあった。それは、労働運動ばかりではなく社会運動にも波及するのであり、官僚ヘゲモニーの運動の形成という事態をさえもたらした。支配階級の党派と闘う党が運動にとって必要なのである。
われわれは、今日のグローバル化と階級階層分裂の拡大・固定化の現実を根本から転倒する革命に直面しているのであり、そのためには共産主義者の職業革命家を含む共産主義者の党を早急に建設する必要がある。政治的イニシアティブを発揮し、活動家を育て拡大し、高度な政治判断力を養う政治経験と政治論議を行い、組織を建設し、そのための政治新聞を発行・配布し、その配布網を築いていき、その書き手を育てることである。そして、共産主義にたいする強い信念をもつ指導部を作ることである。日和見主義が運動に悪影響を及ぼすことは、戦後革命期の日共の実際で明らかであるから、指導部が日和見に陥ってはいけないのである。こうした共産主義者の党は、次の支配階級へとプロレタリアートを形成しなければならないのである。その規準は基本的には綱領などの共同文書に記される。われわれは、1900年のイスクラ(火花)創設から、3年、第一回大会から5年の歳月をかけ、2回大会を準備し、そのイニシアティブを発揮し、努力した、レーニンらのように、共産主義者と先進的プロレタリアートの党大会を準備するイニシアティブを発揮しなければならない時を迎えているのである。そのための協議と共同をただちに始めることを決意する必要があると考える。2008年の今日、「新しい階級闘争の構造の中で、新しい任務を引き受けていくことのできるような党の建設に向けて、われわれは自らを不断に変革する。そして、われわれ同様こうしたたたかいをくぐりぬけた部分による、新たな綱領・戦術・組織のもとでの団結を必ず実現する」(『戦術・組織総括』)ことが、具体的にはどういうことなのかが問われているのである。