共産主義者同盟(火花)

320号渋谷論文「チベット問題について」への疑問

埴生 満
321号(2008年5月)所収


320号(2008年4月号)所収の渋谷一三さんの論文「チベット問題について」(以下、「渋谷論文」)を一読して、共感する部分もありつつ、しかし強い疑問を多々感じた。
総じて渋谷論文には、米帝の侵略性を強調し、中共政府の反人民性を相対化するような、「反帝力学主義」のトーンが感じられる。またダライ・ラマ14世やチベット亡命政府に関する評価が非常に不当であると考える。「ダライ・ラマ」の宗教的権威は、チベット人民が迫害から解放され、生活の安全保障と民主主義を得ることができれば、チベット人民自身の手によって相対化されていくであろう。
これについて、以下に述べていく。
なお文中、現在の中国政府を敢えて「中共政府」等と表記した。これは中国政府を中国人民と同一視するような排外主義的論調が一部に見られることに配慮し、同政府と人民の区別を明確にする目的である。もちろん例えば中国政府によって容易に「聖火リレー奉賛・防衛行動」に動員されてしまう、中国人民の現在のあり方をそのまま是とはしがたい。しかしそこへの動員に応じざるをえない権力構造が中国人コミュニティに存在するならばそこからの解放運動を支援したいと、併せて考えている。

渋谷論文の中の、

中国は社会主義における民族問題の原則=分離の自由の無条件の承認という地平から苦闘しているようには見えない。資源を手に入れるためにアフリカにおいて反人民的政府に武器を売り、核独占体制を維持するために核軍縮に手を染めようとしない。この結果がチベット人民の苦難として現れている。

チベットが世界人民共和国を構成することを選ぼうにも、世界人民共和国とは何物でどう実現可能なのかという問いへの答えがなければ意味を為さない。この苦悩は世界の人民に共通の苦悩である。中国共産党の支配と未だ自己を分離することすらできない中国人民もまた同じ苦悩を抱えているに違いない。

という部分には全く同感である。しかしその他の部分の記述、例えば、

この苦悩を共有することのできない全ての反動勢力、とりわけ米国の侵略帝国主義には毅然とした態度を取ることは悩む余地のないことである。

フセインは決して支持できる人間ではなかった。それゆえに米国の侵略戦争に反対する声が小さくなってしまった。その結果は100万人を越すと言われるイラク人の大量虐殺の現出だった。今、中国の大国主義・民族抑圧政策を支持することは出来ない。その結果、米国の転覆策動が成功することになるとすれば、それはチベット人民のさらなる不幸を由来する。
「チベットに自由を」運動に加担することは犯罪である。

などを読むと、渋谷論文の構図として「米国の侵略帝国主義が最大悪で、中国共産党政府(以下、中共政府)の大国主義は次悪」という発想があるようにも見える。
しかし振り返れば中共政府は1950年代以来、軍事的にチベットを制圧し、その過程で多数のチベット人に対して虐殺・強姦・拷問・投獄などの重大な具体的迫害を加えてきた。それを踏まえれば、「チベットに自由を」運動への加担を犯罪と片付けて済ませることには同意できない。現実に米国が中国に侵略して、中国がイラクのようになるという切迫した状況とも思えない。
さらに言えば、「チベットに自由を」という広範な運動自体は非常に幅広い層を含んだ、自然発生的な面が強いと見受けられ、これ自体を「犯罪的」とは規定しようがないと考える。天安門事件の際の中共政府への抗議行動と同じようなものといえる。チベット人民の苦境を他国の人民が無視するとすれば、それは何より恐ろしく絶望的なことであり、今回の聖火リレーへの抗議行動はむしろグローバル化した世界の開明的な面の現われともいえよう。

 渋谷論文では同時に、チベット亡命政府やチベット独立支援の運動を米国等「帝国主義」の謀略の産物であるかのように位置づけている。即ち、次のような部分である。

発端のチベット暴動なるものは、あったとしても小規模で、それも米国の息がかかった者による錯乱活動であることは疑う余地はない。
日本人学生が持ち帰ったビデオにあった映像は装甲車が出動したという事実を示している。だが、その後繰り返し放映された10人程度の人間が車をひっくり返し、それを中国警察が弾圧する映像についてはヨーロッパか米国で作られた映像であることが判明している。この映像を垂れ流した日本のマスコミは、垂れ流したのと同じ時間、この映像は虚偽であったことを言うべきであるが、口を閉ざしたままである。
4月10日のサンフランシスコの映像に至っては、金門橋の高所に巨大な「Free Tibet」という横断幕が掲げられていることから、米国政府の意図に反して、この「抗議運動」なるものに何らかの政府系機関が関与していることを暴露してしまった。クレーンでもない限り、あのような高所な横断幕を貼り付けることはできない。作業に時間もかかり、公共物に横断幕を張るという違法行為を阻止するには十分な時間があったはずだし、撤去することも可能であったはずだ。チベット系も中国系も動員された可能性すらある。あのような場で議論するなどということは運動をしたことのある人なら分かるが、有り得ないことだ。
 いずれにせよ、反中国の世論を醸成しようという動きが煽動されていることだけは確かなことである。

チベットはイギリスの植民地であった。中国の独立運動の余波をかってイギリスの植民地から脱却したのも歴史的事実である。ダライラマは、単なる亡命者ではなく、亡命政府を樹立している。初めから反中国の、中国からすれば敵対分子である。ダライ・ラマ14世という宗教的欺瞞によって宗主の座についているうさんくさい人物であることも隠しようのない事実である。反イギリスの独立運動などしたこともない人物が、独立運動を標榜するなどは笑止千万でもある。だが、なぜかチベット人民の側に立った人物であるかのように印象付けられている。帝国主義諸国家の共同作業の「成果」であろう。
筆者は、まず、チベット人民の利害とダライ・ラマ14世なる人物とは全く無関係であることを押えることを喚起しておきたい。米国のライス国務長官が、素早く反応していることからもわかるように、糸を引いているのは米国である。

 今回のチベット暴動の発端が米国の謀略でないという確実な証拠を筆者は直ちに提示できない。しかし1950年代からのチベット人民と中共政府の関係を踏まえれば、今回の暴動は米国の謀略で起きたものではないという心証を持っているし、仮に謀略が当初存在したとしても、ここまで大規模で広範囲にわたる衝突に発展したことは、中共政府支配下でのチベット人民の苦境という問題に比すれば、大した原因ではないと考える。同様に「free Tibet」運動の多くが米国の影響下にあるとも考えにくい。

近代史を振り返ると、19世紀後半以来チベットは

◇インドから北上するイギリス
◇中央アジアから南下するロシア
◇同君連合体から国民国家へ変化し、少数民族に抑圧的となった清朝

という3つの勢力の間で揺れ動いて来た。ダライ・ラマ13世とパンチェン・ラマ9世の勢力争い等、チベット支配層内部の対立がこれと結びつき、イギリス・清朝から度々軍事侵攻を受けることとなった。最終的には1904年のラサ条約でイギリスの勢力圏に組み込まれ、そして1947年の英領インドの独立によってようやくここから解放されることになる(Wikipediaの「チベットの歴史」の諸項目を参照)。
さてダライ・ラマ14世は1935年生まれであり、インド独立の時点で12歳の少年である。中共政府の侵略が始まった1950年でも15歳であり、同14世をつかまえて「反イギリスの独立運動などしたこともない人物が、独立運動を標榜するなどは笑止千万」とこきおろすのは、いくら誕生の時から「活仏」に認定された特別な存在だからといって、極めて不当であろう。この部分は、渋谷論文全体への信頼性を大きく損ねるものになっている。

ダライ・ラマ14世という宗教的欺瞞によって宗主の座についているうさんくさい人物である

という評価も問題である。確かに「ダライ・ラマ」が「転生した観音菩薩=活仏」であるというチベット仏教の規定は、私たちからすると大きな違和感がある。しかしチベットが独自に民主主義を発展させていれば、ダライ・ラマはいずれ立憲君主に移行し、やがて政治から分離される性質のものと考えられ、むしろ中共の侵略・抑圧が、チベット人民のよりどころとしての「ダライ・ラマ」の必要性を維持・強化してしまったものといえる。
加えてダライ・ラマ14世が掲げる非暴力的独立運動は、チベット人の中からも「微温的」と批判がありこそすれ、国家と民族のあつれきの続く現代世界において、一つの注目すべき発想である。またチベット亡命政府の日本の出先機関である「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」のホームページを読む限り、チベット亡命政府は18歳以上の全てのチベット人の選挙による議会(25歳以上の全てのチベット人が被選挙権を有する)を持っており、前近代的な神権政治から脱して民主化を進めているように見える。また将来の独立チベットのあり方として、法の下の平等、三権分立、普通選挙、複数政党制等、国際標準からして民主的な空間の創設を表明している(「自由チベット民主憲法の概要」)。
確かに東西冷戦期に米国CIAが独立派チベット人青年の一部に軍事訓練をほどこしたり、武力蜂起を支援したりすることはあった。しかしこの動きを阻止しえなかったことが独立派チベット人民ないしチベット亡命政府の罪になるのだろうか? むしろ中共政府の侵略にその原因を求めるべきではないか。
ある国家なり民族集団が強力な他国から迫害されたとき、それに対抗するため別の他国の援助を受けることは一概に否定できない。第二次大戦期のフランスの対独レジスタンス運動が英米帝国主義の支援を受けたからといって、犯罪的だったとは通常みなされない。
色々な限界はあったとしても、ダライ・ラマ14世およびチベット亡命政府は中共支配下のチベット人民の苦境をチベット人民の側から国際的に発信する能力を有している。また中共支配下の中国で、同亡命政府の「国旗」である「雪山獅子旗」の掲示が刑罰をもって禁じられていることは、同亡命政府へのチベット人民の支持の根強さを反映しているものと見ることができる。即ち決してチベット人の一部特権層の代弁者ではないと思われるので、現時点では亡命政府をチベット人民の代表と位置づけて差し支えないと考える。
ダライ・ラマ14世が欧米の「セレブ層」からも少なからず好意・支持を寄せられているのは確かだが、それ自体がチベット人民の努力と忍耐の「成果」であると言えるだろう。

 私たちはチベット人民の自決権の行使を支援・支持すべきである。
渋谷論文では、

チベットを例にとれば、米国の煽動が功を奏し始めているかもしれない。筆者の今の推測では、仮に国民投票をしても分離独立派が多数を占めるとは思えないのだが、中国政府の強圧的態度と実際の流血の弾圧を引き出すことに成功すれば、民意は独立に傾く可能性がある。これは米国への従属国家が一つまた増えるだけのことであり、チベット人民の利益にはならない結果をもたらす。だが、この危険を訴えるチベット人民の党があったとしても(結成されたとしても)、その主張が多数に受け入れられなかったなら、米国がほくそ笑む結果を受け入れるべきである。一旦米国の属国になるという遠回りと苦難の道を選んだとしても、必ず反米になる以外にはない。遠回りと苦難の道であるということを知せることが出来たとしても、実際に中国とも分離し、ダライ・ラマ14世―米国の「独立」運動とも分離した政治的勢力を生み出すことが出来ないことの結果として、受け入れざるを得ない現実なのである。

と、チベット人民の国民投票について相当ネガティブに捉えているが、筆者はチベット人民が国民投票を行ない、高度な自治なり、独立なりを選べば、私たちはそれを前向きに支持するべきであるし、亡命チベット政府が再びチベットに迎えられるならそれを承認するべきであると考える。そのためにまずチベット人民が自由に討議し行動できる空間を準備する必要がある。それに向けて現在のところ筆者は、運動のレベルではダライ・ラマ14世と亡命チベット政府の活動を支持している。もちろんそれだけしか支持しないというわけではないし、同亡命政府の今後のあり方によっては支持をやめることもありうるし、チベット独立のみによって全ての問題が解消するとも考えていない。しかし同14世と同亡命政府の政策は、チベットのプロレタリアート人民の解放の条件を拡大するものと考えられるので、現時点ではこう判断している。
これは私たちが東ティモールに対して行なったことと同じである(にすぎない)と考える。
付言するならば、筆者は台湾独立問題に関しても同様の判断基準で臨むのがよいと考えている。
 
国民国家と民族問題の克服、国際的なプロレタリアートの連帯と解放に向けて、渋谷さんや他の方々の御意見をまた頂ければ幸いである。




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