チベット問題について
渋谷 一三
320号(2008年4月)所収
1. ダライ・ラマを利用した「チベット独立運動」に反対する。
オリンピックの聖火リレイに合わせて「Free Tibet」なるスローガンがかまびすしく報道され、反中国の世論が醸成されようとしている。
確かに中国の国家体制は多くの問題を孕んでいる。天安門事件で既に問題として浮かび上がった反人民的独裁体制が、今回もまた現れていることは否定のしようがない。少し前の農薬入り冷凍食品問題についても、自国内で混入してものではないとして、真摯に原因究明をしなかった。このことが、中国製食品全体の不買へと繋がっているにも拘わらず、中国政府は自らの非合理的態度を反省することすらできていない。同じ体質が、今回のチベット問題でも表れている。
発端のチベット暴動なるものは、あったとしても小規模で、それも米国の息がかかった者による錯乱活動であることは疑う余地はない。
日本人学生が持ち帰ったビデオにあった映像は装甲車が出動したという事実を示している。だが、その後繰り返し放映された10人程度の人間が車をひっくり返し、それを中国警察が弾圧する映像についてはヨーロッパか米国で作られた映像であることが判明している。この映像を垂れ流した日本のマスコミは、垂れ流したのと同じ時間、この映像は虚偽であったことを言うべきであるが、口を閉ざしたままである。
4月10日のサンフランシスコの映像に至っては、金門橋の高所に巨大な「Free Tibet」という横断幕が掲げられていることから、米国政府の意図に反して、この「抗議運動」なるものに何らかの政府系機関が関与していることを暴露してしまった。クレーンでもない限り、あのような高所な横断幕を貼り付けることはできない。作業に時間もかかり、公共物に横断幕を張るという違法行為を阻止するには十分な時間があったはずだし、撤去することも可能であったはずだ。チベット系も中国系も動員された可能性すらある。あのような場で議論するなどということは運動をしたことのある人なら分かるが、有り得ないことだ。
いずれにせよ、反中国の世論を醸成しようという動きが煽動されていることだけは確かなことである。
チベットはイギリスの植民地であった。中国の独立運動の余波をかってイギリスの植民地から脱却したのも歴史的事実である。ダライラマは、単なる亡命者ではなく、亡命政府を樹立している。初めから反中国の、中国からすれば敵対分子である。ダライ・ラマ14世という宗教的欺瞞によって宗主の座についているうさんくさい人物であることも隠しようのない事実である。反イギリスの独立運動などしたこともない人物が、独立運動を標榜するなどは笑止千万でもある。だが、なぜかチベット人民の側に立った人物であるかのように印象付けられている。帝国主義諸国家の共同作業の「成果」であろう。
筆者は、まず、チベット人民の利害とダライ・ラマ14世なる人物とは全く無関係であることを押えることを喚起しておきたい。米国のライス国務長官が、素早く反応していることからもわかるように、糸を引いているのは米国である。この点で中国の主張は間違っていないと言いたいところだが、今回に関してはオリンピックを「成功」させたいためか、中国は米国を非難することすら出来ていない。中国政府の態度はその時々の狭い「国家利害」に左右されるように変化している。
今、ダライ・ラマ14世なる人物を中心にすえたチベット独立がなされるとすれば、それは米国の属国を一つ増やすだけのことであり、チベット人民の生活はより窮乏化する。この独立運動には反対することがチベット人民の利害に合致する。
この構図は、ついこの間見た構図と一緒だ。フセインは決して支持できる人間ではなかった。それゆえに米国の侵略戦争に反対する声が小さくなってしまった。その結果は100万人を越すと言われるイラク人の大量虐殺の現出だった。今、中国の大国主義・民族抑圧政策を支持することは出来ない。その結果、米国の転覆策動が成功することになるとすれば、それはチベット人民のさらなる不幸を由来する。
「チベットに自由を」運動に加担することは犯罪である。
2. 中国政府の大国主義に反対する。
中国は国内に多数の少数民族を擁する。これらの少数民族が自らの意思で中国国家を構成することは自由である。この自由は、いつでも中国から分離独立する自由とセットになって初めて意味を持つ。この原則を確認することは容易である。問題は分離の自由を行使する時の小数民族の意思の確認の方法である。選挙、あるいは国民投票での表決はある程度民意を反映することはできるが、民意自体も宣伝煽動戦の結果の産物である。チベットを例にとれば、米国の煽動が功を奏し始めているかもしれない。筆者の今の推測では、仮に国民投票をしても分離独立派が多数を占めるとは思えないのだが、中国政府の強圧的態度と実際の流血の弾圧を引き出すことに成功すれば、民意は独立に傾く可能性がある。これは米国への従属国家が一つまた増えるだけのことであり、チベット人民の利益にはならない結果をもたらす。だが、この危険を訴えるチベット人民の党があったとしても(結成されたとしても)、その主張が多数に受け入れられなかったなら、米国がほくそ笑む結果を受け入れるべきである。一旦米国の属国になるという遠回りと苦難の道を選んだとしても、必ず反米になる以外にはない。遠回りと苦難の道であるということを知せることが出来たとしても、実際に中国とも分離し、ダライ・ラマ14世―米国の「独立」運動とも分離した政治的勢力を生み出すことが出来ないことの結果として、受け入れざるを得ない現実なのである。
中国は社会主義における民族問題の原則=分離の自由の無条件の承認という地平から苦闘しているようには見えない。資源を手に入れるためにアフリカにおいて反人民的政府に武器を売り、核独占体制を維持するために核軍縮に手を染めようとしない。この結果がチベット人民の苦難として現れている。
3. チベット人民の苦難は、日本の「新左翼」の苦難と同質である。
大国主義の中国に反対することが、帝国主義の米国に屈服することを現実的には意味してしまう。かといって中国に追随することは何等人類史的解決を生むことではなく、チベット人民の別の苦難を永続させるだけのことにしかならない。中国共産党が共産主義の立場に戻り、チベット人民の苦難を共同で解決する立場に戻ることを呼びかけても、なぜ中国が変質せざるを得なかったのかという根拠の止揚が求められる。それは、また同義だが、今日における共産主義の具体的中身とは何かという問いでもある。
チベットが世界人民共和国を構成することを選ぼうにも、世界人民共和国とは何物でどう実現可能なのかという問いへの答えがなければ意味を為さない。この苦悩は世界の人民に共通の苦悩である。中国共産党の支配と未だ自己を分離することすらできない中国人民もまた同じ苦悩を抱えているに違いない。
だが、この苦悩を共有することのできない全ての反動勢力、とりわけ米国の侵略帝国主義には毅然とした態度を取ることは悩む余地のないことである。