ロシアによるウクライナ侵略と民主主義
渋谷 一三
463号(2023年06月)所収
1.東部2州の併合と住民投票
民主主義をとりあえず多数の意思の確認に基づく多数決と規定する。それ以外の属性から民主主義を論ずることも出来るし、ブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義の違いなどと設定し論議を迷路に落とし込むことも可能だ。それは、議論の拡散と観念化への道を開くだけで、何ら結論を得ることは出来ない。
今、ウクライナを巡って住民の帰属希望を巡って民主主義が取りざたされているのであるから、民主主義を多数の意思の確認に基づく多数決と前提して、議論を進めたい。
ロシアによるウクライナ侵略で行われた「住民投票」は、全くのまやかしの投票だった。国際監視団による監視の下に、住民の自由意志による投票が行われたのではなかった。
あの大きな投票箱に入っていた票は底一面を埋めるだけの少量でしかなかった。また、投票に無理やりに行かせることも行われたし、投票者が賛成票を投じたか反対票を投じたかが容易に分かる監視下で行われた。
自由意志による投票ではなかった。ここが押さえておかなければならない重要な1点である。
したがって、ロシアによる「住民投票」は無効である。
この点で参考になるのは、スコットランドの独立の是非を問うたUnited Kingdom (連合王国=大ブリテン島と北アイルランド連合王国=イギリス)の2度にわたる住民投票である。
投票の結果は僅差での独立反対であった。
独立を目指してきた住民は投票結果に従った。暴動とか武力闘争などは生まれなかった。また、仮に独立賛成票が多数を占めたならば、イングランドの首相はこの結果を尊重し独立を承認する用意をしていた。
だからこそ、独立賛成派・反対派双方とも、投票の結果を尊重したのだった。
ロシアによる「住民投票」はクリミアを含めて無効である。
2.ロシアとウクライナの言語の類似性などを根拠にして旧ソ連の版図をロシアと認める傾向は、明らかな誤りである。
先に見たスコットランドとイングランドの言語の類似性は著しい。が、スコットランドの高地文化とイングランドの文化は明らかに違い、スコットランドではスコットランド人の出自であるノルウェー・バイキングの文化が強く保たれている。
また、言語的にはほぼ同一のイングランドとアイルランドを隔てているのは宗教であり、それも同じ一神教のキリスト教プロテスタント派とカトリック派の相違が決定的要素となっている。
オランダ語とドイツ語は著しく類似しており、方言の範疇に入れることが可能である。英語はドイツ語と旧宗主国のフランス語のちゃんぽんである。
さらに言うならヨーロッパ語族はラテン語という古語の上に成り立っており、全体が宮崎弁と津軽弁程度の相互互換性が分かりにくい方言と言ってよい。
日本語も韓国語(朝鮮語)と同じ文法で同じ語順で発音が少し変化しているだけの単語を多く含む。極めて類似した言語なのである。
言語の類似性や文化のある部分の共通性を根拠に『結果として存在する民族』を否定し大国に吸収しようとするレトリックは20世紀の帝国主義の侵略戦争にしばしば使われたものであり、現在はその深刻な反省の上に成立しているはずだった。
類似性や過去の歴史の解釈の上に論理を作るのは、退行した議論にすぎない。
大切なのは、現在のウクライナの人々の意識と意志である。
3.ウクライナ人の意志
ウクライナはロシアに対して1年間戦ってきた。多数の死者を出しながら「一旦東部2州をロシアに編入されるも、プーチン政権崩壊後に再度ウクライナに返還させる」道を拒否してきた。
この強固な意志は、それまでの歴史によって形成されてきた<結果>である。
最も現在に近い例では、スターリンの支配の下、ウクライナで生産された小麦などの食物は根こそぎロシア“本土”に持ち去られ、ウクライナ人の餓死者が大量に出た歴史がある。
ウィキペディアによれば、ウクライナは9世紀キエフを中心にキエフ大公国が樹立されたのが起源。このころロシアは現ペテルスブルグを中心にノブゴロド公国であって、明らかに出自が違う。
13世紀にはウクライナはモンゴルに支配され、16世紀にはポーランド領の一部として編入され(ポーランドはモンゴルに支配されていた歴史がある)、17世紀以降はロシアに支配された。
また、クリミアはモンゴルの後継のセルジュク・トルコ、そのまた後継のオスマン・トルコ領内にあった。19世紀に仏・英・オスマン帝国とロシアとの間で近代史上稀に見る大規模な戦争が行われ、その戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、ドナウ川周辺、カムチャッカ半島にまで及んだ。
ナイチンゲールが登場したクリミア戦争がこれである。
ロシアはこの戦争に負けたのだが、20世紀のイギリスによる「アラビアのロレンス」に象徴されるオスマン帝国解体作戦のさなか、ロシアのツァーリによるクリミアへの干渉が行われ、クリミア半島への支配意識が残存していることを示した。
こうした歴史の結果として形成された現在のウクライナ国民の意識が、多大な犠牲を払わさせられながらも、1年間に及んでも敢然とロシアの侵略と戦い続けるという意識である。
大事なのはこの点である。
我々は過去から学ぶことはできるが、過去を総括することはできない。過去の現実的物質的総括が現在であって、現在から過去を総括すると言うのは、現在の総括視座が定まって、その視座にしたがって過去を見ることにすぎない。だから、現在設定した視座ごとに何種類もの過去の総括が可能である。過去の総括なるものを設定してからその視座で現在を規定するという手法は、転倒したものである
現在は動いており、現在をどう生きたかによって未来が生まれる。
ロシア領に一旦なった後、プーチンの死後ロシアからの独立を図る方が犠牲が遥かに少なくて済むのではないかと唱える人々もいるが、そう考える主体がウクライナには無い。犠牲が少なくなるという保証はないし、一度侵略されたらそこから脱却するには百年単位の被抑圧の時間が必要なことが多く、更に再度その支配から独立するために戦争が強いられることが多いのが歴史の示唆するところである。
4.ロシアの侵略が成功すれば、習近平は台湾の武力「統一」へ踏み切る。
ウクライナ問題は、「多数決の問題」でもあるし、「民主主義の問題」でもあるし、その他色々の理論上の検討課題を提示している問題であるが、その理論的検討を待って「正しい方向」に進むことができるという問題ではない。それは極めて実践的な問題であり、この瞬間にどういう態度を取ったかという実践が未来を決めて行く問題であることを忘れてはならない。
ここでの判断を決定づけているのは、多数決の問題ではない。1つの中国を認めても、習近平独裁政権による統一には反対し、台湾による平和的統一になら賛成するという態度である。この態度を生み出すのは共産党による独裁体制を忌み嫌うという意味の民主主義の希求である。
「現中国による台湾吸収は許さないが、台湾による中国統一はいい」という態度は論理的には破産している論理である。態度を決定しているのは論理ではなく、現在における判断主体の意志である。
このことが「グローバル・サウス」の態度を曖昧にさせている経済的根拠以外の原因である。
5.米国は今までに幾多の政権転覆活動や武力行使、戦争を行ってきた。
ウクライナ問題で突然米国に正義の味方づらをされても説得力などないというものだ。
ようやっとロシアが支援したアサド政権が勝利して内戦の終結が見えてきたシリアは言うに及ばず、一連の「アラブの春」策動は米国によって行われたものであり、この中で約束通り核を廃絶したリビアのカダフィ大佐は殺され、内戦状態は今も継続している。エジプトのイスラム系大統領の誕生は誤算であったが為に、打倒された専制主義の前大統領を再び大統領の座に据えた。これも米国の仕業である。
イスラエルの核武装は認めるが、これに対抗するイランの核開発は許さないのも米国である。
ベトナム戦争は傀儡政権を作ってまでホーチミン政権を打倒しようとした米国が起こした戦争だった。
そもそも台湾が台湾でいるのも、国民党蒋介石の台湾への敗走を米国が軍事的に支援し、共産党毛沢東の軍の追撃を断念させたことに拠っている。
朝鮮戦争もイラク戦争もアフガン戦争も米国の仕業であり、この他、枚挙にいとまがない。
ご覧のように、米国の「力による現状変更の試み」は数え切れないほどあり、ロシアのそれの比ではない。
ここで形成された反米の意志は広く、また、強固なものである。
このことが、ロシアへの経済制裁がG7に限定されている現実の1つの根拠になっている。
6.共産主義の立場なるものがアプリオリにあるものではなく、何かしらの理論的作業によって措定できるものでもない。
共産主義者は習近平体制を社会主義の一過程として認めるのか。
要するに、好ましいと感じているのかどうか。このことが<現在での判断と意志>を形成していくのであり、ウクライナ問題への態度決定も、ロシアの侵略戦争を認めるのか否か、中国の覇権主義の打算からするロシア支援を認めるのか否か、という、優れて能動的なことなのである。
共産主義者は、米国による数々の『力による現状変更の試み』に反対してきた。
同じ理由でロシアや中国による『力による現状変更の試み』に力強く反対する。
これは正確な物言いではない。ロシアに侵略された領土を奪還しようとするウクライナの戦争は『力による現状変更の試み』ではある。
ミャンマーでクーデターを起こさせお墨付きを与えている中国は、『内政不干渉』という言葉で、この反動的・反人民的クーデターを擁護している。バンドン会議以来の非同盟諸国会議の「内政干渉に反対する」というスローガンは今日腐敗臭を放っている。
正確に言うならば、過去の総括によって現在の態度が決まるのではなく、現在のロシアの対ウクライナ戦争が、それが侵略戦争なのか、東部2州の“ロシア系住民”の闘争支援なのか、という現実の分析が共産主義者の態度を決定するのである。
ロシアの対ウクライナ戦争は侵略戦争であり、ウクライナ人民に災禍をもたらす反人民的戦争である。抑圧民族による被抑圧民族の支配を維持しようとする戦争である。
だから共産主義者はロシアの侵略戦争に反対する。