コロナ対応体制は提示済み。それを作り上げるだけだが、
一向に作り上げる気配がない自公政権
―自公政権に見切りをつける以外にない―
渋谷 一三
448号(2021年6月)所収
今頃になって、五輪開催の是非を論議させるショウをマスコミに開始させた。
筆者が五輪中止を提言したのは、今年の1月。それ以降は言うのを止めている。今はもう、五輪を中止できるタイミングではない。
五輪を中止できないタイミングになってから、五輪の開催の是非を議論させるのは何故なのか?
再延期と合わせると、いまだに、今年五輪を開催すべきでないとする世論が65%に上っているからだ。
この時点で議論させると、完全無観客で行うか人数制限するかの相違をさておけば、五輪を開催することを主張する派の方が現実主義に映る。なぜなら、事態は国際的にもう後戻りできない所まで進んでしまっているからだ。
現実主義者のように振る舞えることで、実際、この不毛の論争が始まってから、開催支持派が漸増している。
この期に及んで安倍が選んだ尾身会長が越権行為を犯して、五輪開催に警鐘を鳴らすなぞは笑止千万。安倍の人を見る目のなさが改めて実証されただけのこと。飼い犬が手を噛もうとしているのだが、この飼い犬は飼い主の手を噛む能力もないので、喜劇にすらなっていない。
この飼い犬には、五輪開催の是非を論議させる意図など理解出来ようもなく、開催の是非論議に一石を投じているだけなのに、何故ご主人様に怒られるのかが分からずに困惑している。
今頃になっての五輪開催是非論議の開始は、五輪開催支持派が現実主義者であるかのように映じさせるための演出である。