統合政府の可能性と是非
斎藤 隆雄
436号(2020年3月)所収
いよいよコロナショックがその全貌を明らかにしつつある。3月23日のNY市場は1万7000ドル台まで下落した。2016年以降のバブル相場が一挙に吹っ飛んだ格好であるが、その翌日2000ドル以上の高騰を示し、今後の乱高下を予想させる。NY市場自体が今や電子取引だけになってしまっているが、情勢は全く見通せない。これから20年代の金融資本主義の崩壊過程は目が離せなくなってきた。
1.FRBの処方箋と世界経済
報道によると、FRBは4兆ドルの資金投入とクズとなった債権の無制限の買い取りを実行するようである。また議会は2兆ドルの財政投入を行うことを決議した。リーマンショック時における大量のドル撒布を上回る規模になることは確実であろう。これによって市場への流動性を確保しようということだろう。またも同じような手法で金融資本の救済に躍起になっている中央銀行の動揺ぶりがうかがえるが、今回の危機が感染症による市民社会自体の動揺に起因するだけに、この十数年間におけるバブル経済がいかに脆弱であったかを如実に証明することとなった。予想できる短期的な未来は資金供給による金融資本の動揺を抑え、再度市場へ通貨を流入させることであるが、消失した不良債権を中央銀行が買い取ることで貨幣システムを管理する管理通貨制度自体の機能不全が露呈することになるだろう。一方、日銀は株式市場への介入を強めると約束したが、それによって株式市場自体が国家管理となるという事態が一層強まることとなる。このことは何を意味するのだろうか。これから進行するであろう世界経済と金融市場は、国家と金融システムと資本市場を統合する巨大なうねりとなる可能性が浮上してきた。今後10年ごとに起こると予想されるこのような危機をこれまでの先進国政府のやり方ではもはや防ぎようがないということが明らかになった以上、資本家階級とその政治的代理人たちは次の展望を見通せなくなってくるだろう。
今回の危機の特徴は金融崩壊に留まらず製造業と資源市場をも直撃していることで、より直接的に労働市場を危機に陥れる可能性が出てきた*1。であるからこそ、各国政府は危機管理の名目で都市封鎖や外出禁止令等を乱発し始めているのである。今後数カ月にわたって労働現場と社会に一挙に広がる可能性がある失業と倒産の嵐が社会に与える危機的状況はブルジョアジーとその政府にとって最も恐れる想定内の出来事であろう。これを如何に管理し、抑圧するかはこれからの資本主義社会の命運を左右するかもしれない。現在欧米各国、中国、日本で行われている社会実験はそういう意味ではまさに予行演習でもある。そこで問われるのは、危機に対して発動される政府とその政権の正統性と彼らが管理する世論操作技術であろうが、かたや労働者階級の主体の未成熟はとりわけ日本において目を覆うばかりであることも事実だ。その意味では、今回の危機に際して最も問われるのはそのようなイデオロギー戦略上の闘争ではないのだろうか。我々はいよいよ準備をしなければならない。来るべきブルジョアジーの巧みな宣伝戦に対して抵抗できるだけの免疫を構築する必要があるだろう。
2.金融システムの統合という処方箋
これから予想される危機的事態は、現状の先進国における金融事情が大きく左右するだろう。とりわけ欧米各国と日本においてはかつてのリーマンショック以降、中央銀行のバランスシートは既に危機的な状況にあり、金利はほとんど無いに等しい。つまりどの国においても金融政策は不良債権の買い取りという「最後の貸し手」機能しか残されていない。ということは、当然繰り出してくる政策は財政出動という使い慣れたケインズ政策だということになる。しかし、既にこの財政出動の「財源」はいわゆる彼らの言うところの「危機的」な状態にある。とりわけ日本は赤字国債が一千兆円を超えてもはやこれ以上の財政出動は可能なのかと言う疑問が出てくるであろう。ここひと月ほどの各国の危機対応を比べてみても、欧米各国が巨額の財政出動を計画しているのに反し、日本の財政出動は見劣りするばかりである。これは現状の債務残高をこれ以上増やせば、今までの彼らの危機言説が問われることになるからである。かといって、増税などはあり得ない現状の中で安倍政権は身動き取れない状態に陥っている。
さてこれを如何に誤魔化すかは政権にとって至難の技である。とはいえ、今後予想される失業率の高騰と倒産の連鎖に対して何らの政策も企図しないというわけにもいかない。更にいえば、議会政治に希望を託している多くの良心的な人々にとって悲劇的な事態は野党総体が財政危機論者であることだ。つまり、政権を批判する方法論が彼らには用意されていないばかりか、むしろ安倍政権に対して危機管理という大義名分の下で大同団結する可能性さえ存在する。唯一の希望は「れいわ新選組」だけとなるが*2、この弱小党派に何事かを成さしめようとするには少なくとも1回以上の選挙を経なければならない。危機の深化によって議会政治が機能しなくなることで総選挙を行わざるを得なくなるという政治状況が生まれなければ彼らの出番も生まれないが、おそらくここまでは想定された政治過程として人々の頭の中に生まれるだろう。ただし、これは危機が何に起因していて、どのようにすれば回避できるのかという処方箋が人々の間で共有される必要があり、そのための論戦が組織されていなければならない。これからそのことが痛切に必要となってくるだろう。
では、今後れいわ新選組の財政出動政策がどれだけ有効なのかということが問題となる。現時点での想定される最も急進的な政策は「統合政府路線」である。日銀と政府とを統合し、現状の赤字国債を政府の貨幣発行で清算するということで人々の「危機意識」を解消することで、それ以降の財政政策にフリーハンドを与えるという方向性が最も有効だろう。今回の危機は感染症蔓延による社会的危機から生じた極めてメンタルな要因が金融資本経済の弱点を露わにしたことで生じたのであるから、これらの危機意識による需要減退あるいは需要管理を新しいタイプの生産供給システムへと転換する好機であると捉えることができるだろう。問われるのは有効需要というよりも雇用創出という観点からの変革が問われるはずである。
だがこれらの政策は小手先の金融支援とは違い、産業システム全体の変革が求められることも念頭に置くべきだ。その処方箋に関して現状どこの党派もシナリオを用意していないことを鑑みれば、当面の試行錯誤は避けることができない。そのためにはおそらく強大な政治的力能が問われることになる。「統合政府」路線によってなすことができる様々な試みは、しかし労働者階級にとって手放しで賛成できる路線かというと、そうではない。ここが一番のポイントである。つまり、「統合政府」という路線は実は既に歴史的には演習済みである。戦間期における危機の時代に採用されたドイツのナチス政権の政策や日本の帝国時代の翼賛政策などがその例である。今後なされうる可能な未来には、より洗練されたスマートなやり方で成されるだろうが、根本的な基礎は全く同じであることも知っておくべきだろう。つまり、どのように使うのかということが問われるのである。問題はだから「統合政府」の社会政策が階級闘争の分岐点となる。資本主義と闘うことが社会の全戦線での闘争であるということを如実に露わにする時代が訪れる可能性を覚悟する必要がある。我々にはこの闘争を準備できているのかと問われれば、改めてそのための資源の乏しさを嘆くことになるかもしれない。
今回の危機が何を我々に示しているのかの概略を述べたが、それだけ危機が切実であるという認識を持って事態に対峙していかねばならないだろう。
【補足】スタグフレーションという危惧
今回のコロナショックで国際的分業体制にヒビが入ったという見解が出ているようだ。製造業における国際的な部品供給体制が感染症による都市封鎖等で寸断されている状況を見て一部のエコノミストが危惧し始めているようだ。これは、東日本大震災時におけるサプライチェーンの寸断と同じ現象の世界版である。世界的な通貨供給と製造業のグローバルシステムの機能不全が重なることによる物価の上昇と供給力の衰退がスタグフレーションを招くと考えられている。しかし、これは震災時における物理的な供給網の崩壊ではなく、労働力供給の隘路が生み出す一時的な現象である。むしろ問題は都市とその周辺における第三次産業への解雇現象の波及による需要の低下を通貨供給がどれだけ捕捉するかであって、現在のような金融機関等への資金供給だけであれば、早晩短期的なスタグフレーションは起こる可能性が高い。先進各国が財政出動を大規模に行おうとしているのはその恐れを抱いているからだろう。
一方、日本における財政出動が現金給付ではなく貸付に偏重するなら、その恐れは現実化するだろう。今回の感染症による経済危機に対処するには供給サイドではなく需要サイドへの資金供給が求められることは明らかだ。
脚注
*1想定される事態は経済ジャーナリストの解説に任せよう。現代ビジネスオンラインの記事『コロナ危機で「大失業時代」突入へ…90年前の『世界大恐慌』再来か』(3月24日付:町田徹)参照。
*2れいわ新選組の大西つねきさんが緊急提言を行なっている。提言の柱は家賃(帰属家賃を含む)とローン元本の凍結である。この提言は短期の政策としては最善である。およそ1兆円が必要と試算しておられる。