グローバリズムの進展が生んだ世界の富の個人への集中
―反グローバリズムの新型ファシズムは続くのか―
渋谷 一三
428号(2018年11月)所収
<はじめに>
前稿で、グローバリズムが進展した結果、中国・インドなどの後進国が急速に先進国に追いつき肩を並べたこと、金利が0以下になり資本主義ではない仮象が現れたこと、先進資本主義国は反グローバリズムの政治勢力が一様に台頭し、政権を取った反グローバル諸国では金利が復活し始めたこと、などを見てきた。
では、反グローバリズムの政治潮流が歴史的に新しい潮流で、資本主義の現在の行き詰まりを打破し、資本主義の新たな局面を展開する能力をもっているのか、歴史的反動に過ぎず未来を切り開く力などもっていないのか。
本稿では、このことを検討していく。
1.グローバリズムの進展によって、世界の富は数百人の手に握られた。
様々な経済学者が、世界の富が個人を特定できるような規模で諸個人に握られるような事態になっていると異口同音に指摘している。
その共通項を取ると、世界の富の90%を1%が消費しており、下位の50%が1%の富で生きることを余儀なくされている、というような推計である。世界の富の50%を100人以内の個人が握っているとする統計資料を提示する経済評論家もいる。
細かな違いは重要ではない。
大切なことは、富の集中が極端になっているということだ。
富を握っている諸個人をギロチン台に送り、彼らを打倒するという古典的革命をすること自体はいとも簡単だ。貧しい50億人対100人なのだから。
フランス革命的革命なら、すぐにでもできるが、100人を打倒したところで何の解決にもならない。中国の易姓革命よろしく、また新たな100人が誕生するだけの話である。
グローバリズムが進展するとほんの数百人の手に世界の富が支配されうることが可能になることが分かった。これは古い「マルクス主義者」流に言えば、世界革命の条件が整った証左である。世界的規模での生産を僅か100程度の組織でコントロールできるのである。この組織は、現在は会社組織という形態をとっているため、個人への富の集中という現象が起きているが、これを協同組合組織にとって変えれば、富は個人にではなく協同組合の富へと変化する。協同組合の富をどのように使用するかは協同組合を構成している組合員の民主主義による決定に委ねられる。このため、個々人の貧富の差という形式をとる社会は止揚される。
具体的方策は社会の進展とともに具体的に措定されていくだろうが、グローバリズムの進展の先の「革命」=社会変革は、資本主義を止揚するものである。そう悲観したものでもなさそうだ。
2.思考停止状態の日本のマスコミ
10月29日、ドイツのメルケル首相はキリスト教民主同盟の党首を辞任した。州議会選挙での2連続大敗という結果を受けてのことである。ドイツでも「移民」受け入れ拒否の世論の動向はゆるぎない。
10月28日、ブラジルの大統領選挙でも『貧民層へのバラまきをやめよう』をスローガンとするリベラリズムへの嫌悪を露わにする以外はこれといった特徴もないボルソナーロ氏が当選した。
日本のマスコミ流にこの事態を表現すれば、「極右の元軍人の勝利」であり、「極右政党の社会自由党の勝利」ということになる。キーワードは「極右」である。
ドイツの事態も「中道右派」が「新興右翼政党」『ドイツのための選択肢』に歴史的な敗北を喫したことになるそうだ。
日本のマスコミは「難民」や「移民」を拒否する政治潮流を、一様に、『極右』と表現するか『ポピュリズム』と表現する。
この結果、なぜ世界中で伝染病に罹ったかのように『極右政党が台頭』するのかを明らかにすることができず、これらの政党を支持している大衆は『極右』の煽動にのせられいとも簡単に騙されている愚かな大衆ということになる。誤ったレッテル張りが誤った視座しかもたらさず、その結果、民主主義を標榜して他者を極右と規定したはずが、自ら大衆をポピュリストに操られている愚かな民と蔑むしかない結果に陥る。民主主義の否定である。
民主主義を標榜するがゆえに民主主義を否定する。自己矛盾である。
よって、この思考回路は誤っている。
日本のマスコミにとって、民主主義とは中間層のおままごとであるらしく、グローバリズムの進行によって中間層(中流)がやせ細ったことが、民主主義の危機をもたらしたのだそうだ。とんでもない寝言を恥ずかし気もなく真顔で言っている。
これこそ危機である。
ブラジルの新大統領が依拠する基盤は中流以上の階層である。貧困層へのバラマキを止めるという分かりやすい政策を唯一の政策にしている分かりやすい反貧困層・反下層の政治家である。
他方、ヨーロッパの新興政党は下層に依拠している。
米国のトランプ氏は、下層は下層でも白人の下層に依拠し、あとは白人の中間層でもある福音派とユダヤ教徒に依拠するという複雑な依拠形態で、ヨーロッパほど単純ではなく、典型にはなりにくい。
そこで、ヨーロッパとブラジルを検討してみる。
すると、ヨーロッパは下層に依拠し、「社会自由党」のように、かつてナチスが「国家社会主義」、と、「社会」を標榜したのと同じ構造である。
これはファシズムの規定に見事に合致する。
一方、ブラジルは前政権が貧困層に依拠したものの、政権自らの腐敗・汚職・賄賂で政権を失ったことへの分かりやすい反動でしかない。それゆえに、政策の中味は何もなく、排外主義もなければグローバリズムへの反動政策も打ち出していない。
ポピュリズムだの極右だのというレッテルが、分析の視座になるどころか、逆に、素直に考えれば比較的簡単な分析すら出来なくさせる邪魔立てになっていることが分かる。
また、欧州の「"移民"受け入れ拒否」は、単純に排外主義とは断定できない。@米国のアラブ世界かき回し武力行使(アラブの春作戦)の尻拭いを拒否しているのでもあり、A経済は、一方でグローバリズムに席巻されていながら、移民の受け入れは国境の内部の経済にその負担を要求されているという矛盾に耐えられないという物理的反応でもある。
グローバリズムはその特徴としてグローバリズムの結果に対して一切責任をとらないのである。結果に責任を取らないで良い為に安易に拡大・進展してきたのである。
3.米国中間選挙が明らかにした全米規模での反グローバリズム
米国中間選挙の結果、上院は共和党、下院は民主党が多数派になるという「ねじれ」が生まれた。この「ねじれ」自身はこの20年間の一般的傾向であり、下院は大統領を出している党と逆になる傾向がある。
それゆえに、たいしたことではない。実質的にトランプは信任されたのだと論評する評論家もいる。だが、この選挙で明らかになった統計資料がある。「19才から25才の有権者の2/3は、民主党を支持し"社会主義"を自称している」という資料である。
トランプの出現によって、社会主義とは無縁だった米国内に社会主義を求める潮流が生まれたのである。もちろんこれらの人々が言っている社会主義という言葉は、社会民主主義と読み替えるべきである。
社民主義が米国で大量に「発生」した。先の大統領選で健闘した民主党のサンダース候補が社会主義者を自称したのは、むしろ結果の反映であったことが分かる。日本のマスコミは、当時も今に至っても、米国社会のはっきりとした兆候すら見逃して、報道することすら出来ていなかったのである。
「米国の利害が第一」と唱えるトランプ大統領の誕生が、グローバリズムの進展に対する第1形態での反動であった。だが、グローバリズムには第2形態があった。民主党支持層に現れた反動がそれだった。社会民主主義の"復活"である。
米国中間選挙が明るみに出したもう一つの重要な統計資料がある。
それは、United States (国家連合) という形式と実態のかい離である。
米国には正式にはアメリカ合州国あるいはアメリカ諸国連合と訳すのが正しい国家形態である。各州は実は各国であり、それゆえに州(各国)ごとに法律が異なり、警察権も及ばない。そのために警察は連邦警察という特別なものを創設せざるを得なくなったし、連邦政府を作る際、各国ごとの選挙人を決め、大統領選挙では各国ごとに表決するために、「選挙人の総取り」という現象が発生する。
この国家連合という仮象(今となっては)は、議会選挙でも現実との乖離を生む。
各州は各国なのだから、国家間の対等性による連邦政府・議会を構成させるために、上院は全ての「州」=State=国で、2議席と決められている。このため、有権者数とは関係がなく、選挙結果は得票数とはかけ離れた結果になる。
全米の上院議員選挙での民主党の得票数は共和党の得票数を1200万票上回るが、議席数では6議席少ない。また、有権者数が最も多いカリフォルニア州(4000万人)の1票は、それが最も少ないワイオミング州(60万人)の1票の1/60の価値しかない。
このように、連合国家という建前が制度疲労を起こしている結果、トランプ氏が大統領になったのだという側面もあり、連邦議会上院を共和党が多数派を取ったのでもある。
だから、『民主主義の危機』だの『大衆が極右化している』だのという"解説"は的外れもいいところなのだ。
4.グローバリズムとその反動たる新型ファシズムの矛盾の時代
この時代が少なくとも1decade =10年は続くだろう。
この矛盾が発展の原動力であり、この矛盾の止揚としての新時代の到来は意外に早そうである。