共産主義者同盟(火花)

安倍退陣後の政権構想(3)

斎藤 隆雄
424号(2018年6月)所収


 前稿で私はリフレ派の財政金融政策を当面の政権後の政策として提起した。この政策が資本主義を変革するものとは考えていないが、議会リベラル派の目に余る無能力ぶりを見るにつけ、今何が起こっているのかさえ把握できていない昏睡状態からともかくにも脱出するためのとりあえずの指標を示したつもりである。論議すべき課題は山積しているが、現状の政治が日本経済と同様にマイナスレベルとなっている状態では、手がかりが必要である。本稿では今静かに進行している日本経済の底流で起こっている事態を経済成長というカルトからの脱出という観点から論じる。

1.成長経済というカルト

 経済が成長するとはどういうことなのかをまず確認しよう。エコノミストが日本経済を診断する時、四半世紀にわたってGDP成長率がゼロ近辺に停滞していることを指摘して、いくつかの要因分析をしている。その多くが必ず挙げる要因の一つに人口問題がある。つまり、少子高齢化による労働力不足が経済停滞の主因だというのである。確かに2000年以降急激に労働力人口の減少が続いていることは確かだが、この2015年までは有効求人倍率は1を下回っていたことももう一方の事実である。不足していると言いながら、日本経済は失業者を抱えていた訳だ。更に言えば、1990年以降の10年間は労働力人口はほぼ横ばいであったことである。四半世紀の間ゼロ成長であった要因が労働力であったという説は極めて怪しいものであることがこれでわかる。*1
 GDPが拡大しないということは、資本が供給する商品の付加価値が拡大しないということであるが、それはそれだけ商品が需要されないということでもあるのだが、では人々がもうこれ以上商品はいらないと言っているのだろうか。資本主義を賛美しがちな人たちが言う常套句は、事態をこのように描こうとするが、多くの人々はそれが直感的に間違っていることを知っている。「もう需要は飽和している」とか「商品がもう十分行きわたっている」とかいった俗説がいつの時代にも現れる。技術革新が停滞して新商品は生まれないから成長が拡大しないのだ、といった俗説と同様に先進国と呼ばれる国々での成長停滞の原因とされることが多い。しかしこれが明らかに間違っているのは、00年代に国民の栄養摂取量やたんぱく質摂取量が著しく減少しているという厚労省の調査を見ればいいし*2 、小泉政権下での派遣労働者へのレイオフ攻勢によって多くの労働者が街頭に放り出されたことを思い出せばいいだろう。それでもまだアベノミクスによって景気が回復したと言い募る者には、GDP統計の改ざんをしてまで数値を偽ろうとしたのは何故かと問うこともできる。
 少なくとも事実を見るなら、多くの労働者は自身の生活と将来の展望を考え、消費を控えて将来不安への防衛としての貯蓄に走っているのは明らかだろう。そして悲しいかな、それらの貯蓄が実物投資には回らないで、金融資本の架空取引という世界的カジノ経済に費やされているというのが現在の資本主義の姿なのである。当然それでは成長は望めないし、貨幣で表された富は架空資本を保持する資本家階級へと蓄積(退蔵)されるしかないのである。少ないとはいえ既に良心的エコノミストの中にはこれらのカラクリを暴露している人々がいるが、このことを成長経済というカルトが果たしている役割との関係で論議することが今問われているのではないか。例えば、日本と比べて米国経済はリーマンショックで有名を馳せたサブプライムローンによる一次的なバブルによる経済成長があったことを見る必要があるだろう。あの成長は凄まじい詐欺商法の結果ではあるが、能天気なクオンツたちの言によれば「誰もが家を持てる」という夢をばらまいたという意味では成長路線なのである。日本の労働者階級は80年代末の住宅バブルの記憶から、この詐欺商法には警戒的であったが故に更なる辛苦を味わうこととなったのである。つまり、現代世界の資本主義生産様式においてはバブルという成長経済か、デフレという没落経済かの選択肢しかないのである。バブルもしくはデフレという事態をかのマエストロが「謎」と言ったそれなのだが、なぜこのようになったのかを読み解く必要があるだろう。すなわち、そこにはあれ程喧しく恐れられたインフレが存在しないのである。ケインズ派も新自由主義派もお払い箱になった事態がそこには立ちはだかっているのだ。

2.経済成長ができない怪現象

 貨幣基準で測った経済の成長とは、先に述べた貨幣基準で測った需要の拡大がないからだということになる。90年代以降の30年間に日本政府が取ってきた経済政策とはこの現実に対してただ一つの方策を実施してきたにすぎない。つまりそれは、建前上需要不足を克服することが経済を再度成長させる鍵であるという考えに基づいているのだが、資本主義政府の取り得る政策は1930年代以来、ひたすら財政政策を繰り返してきただけである。政府が作る需要によるGDPの底上げあるいは前倒しである。世に言うケインズ政策ということなのである。
 本誌でも何度か紹介したが、このケインズ政策の有効性は政府の投じた財政投資が経済拡大と結びつくためには乗数が大きくなければならないが、多くのエコノミストがいうように久しい昔からこの乗数が低下してきている。要は財政投資に見合う程の経済拡大が生まれないという経済となっているのである。にもかかわらず、この政策を政府は手放さないのは、実は別のもう一つの理由があるからなのだ。政府が経済に介入することを極端に毛嫌いする新自由主義思想が一斉を風靡したこの四半世紀にもかかわらず、政府の財政介入は一向に衰えるどころか陰に陽に拡大しているのである。なぜなら、この財政政策による政府(政治家と中央官僚)の産業社会への介入と統制(利権構造)が彼らの生きる目的だからである。原子力発電と政府の利権構造がそのことを如実に表していることが、原発事故によって白日の元に暴露されたし、国鉄民営化も郵政民営化においてもそれは明らかだろう。鉄道事業も郵便事業も払下げによる利権とその後の管理構造をみれば、相も変わらず政府の投資(管理)対象となっていることがそれを暗示している。つまり、何も英国経済学者の名を借りずとも明治以来の日本国家はこの富国強兵政策を一貫して行い、かつこのことで支配階級は日本の労働者階級を収奪してきたし、社会の隅々到るまで支配し続けてきたのである。
 ところが、幸か不幸かこの四半世紀の新自由主義派の世界的席巻で日本政府は自らの伝統的な手法を見直さなければならなくなった。その再編過程は90年代の政党政治のあれこれの再編成であったのだが、重要なことは行政改革と銘打って行われた利権構造内部の闘争である。つまり、経済が成長しないということは利権も容易には拡大しないということであり、これまでの量的拡大で棲み分けてきた支配階級の平和が打ち破られたというわけである。これを最も象徴するものが00年代以降常態化した肥大化する一方の国債依存財政である。経済が成長しない中で熾烈化しつつあった支配階級内部の闘争は政府官僚組織内部の権益争いばかりではなく、強いられたとはいえ日本の金融システム改革の内部で重要な変化が起こっていた。それは、経済における政府領域を維持するための財政原資の不足を大量の国債で賄うという禁じ手に深く手を突っ込んだことである。増税によっては更なるマイナス成長(需要の減退)を招くことが明らかになった90年代中期の経験から、日銀による国債の買い上げという、いつかきた道を選択したのである。これ以降、政府の経済政策上の合言葉は「経済成長」と「財政健全化」という言い訳の二語となったのである。
 90年代初頭の住宅土地バブルの日本における崩壊後の経済成長率の低下とデフレというプロセスは、その後の先進国資本主義経済の典型的な病状となった。日本経済がその最先端に位置することになったのは、しかし明らかに日本経済特有のシステム故である。経済の金融化による資産価格の膨張は欧州や米国においても同時期に多発的に起こったが、とりわけ顕著な状況にあった北欧においては社会民主主義政策による人的資産への投資と巨大な税負担への合意を取り付けたことで克服した。また、米国においてのS&Lの破綻の連鎖は金融システムの再編と基軸通貨ドルによる証券化という手法で危機を中南米諸国へ転嫁することができた。ただ一人日本だけは、矛盾を転嫁できず国内労働市場への収奪と多国籍企業の海外進出によるいわば内外にわたる植民地的収奪構造を構築することしかできなかった。このことは先に述べた通り事態の先送りと経済成長の停滞を招くことになったのである。
 先進国経済とその政府にとっては、日本のケースは幸いなことに良い教訓となった。長期にわたるデフレ経済とその脱出のための方策を模索し苦闘する日本政府は彼らの研究対象となった。一時はナンバーワンとまで煽てられた日本経済の強大な生産力とそれに見合う需要が成長しない、というジレンマは注目の的となった。しかし、これは当初明らかにバブルに酔いしれたツケを払う日本経済の不良債権処理というバランスシート不況であったが、その全てを労働者階級と国債に転嫁すると言う最悪の選択の道を辿ることになった。それは、まさに日本の政府官僚の明治以来の利権構造と支配階級による内部闘争の結果であると言うことになる。問われていたのは日本の政治社会構造を支配していた権威主義的国家主義的なシステム総体であって、あれこれの政策ではなかったからである。2010年代後期の現時点での日本経済の停滞は、政治経済体制の劣化だという指摘があるが、劣化は今や末期症状を迎えつつある。労働者階級のほとんどが政治には希望を抱いていないし、それはまさに正当な判断でもある。投票率が半分にも満たない選挙が各地で行われ、地方では議会さえ成立しない有り様である。エコノミックアニマルと呼ばれた日本人の面影はすでになく、経世済民の倫理観はどこにも見当たらない。政治家と官僚の居直りと腐敗は精神的な崩壊にまで至っている。
 ここにリーマンショック以降の米国と欧州に於けるバブル崩壊とデフレ現象が日本のそれとは異質であることを確認しておく必要がある。開発独裁型の資本主義である日本経済の特異性が資本主義の成熟と没落を一挙に実現させた機縁は現代世界資本主義の構造そのものに由来するのだが、ここではともかく同じように見える現象の二つの文脈を確認しておくだけにしておこう。

3.資本主義は終わったのか

 00年代以降の日本経済の現状とリーマンショック以降の世界経済全体を見て、一部の人々は「資本主義の終焉」を指摘し始めた。これは正当な分析だろうか。2016年秋の日銀の金融政策総括レポートにおいても、ついに日本経済がマイナス経済に突入したというのである。つまり、自然利子率がゼロ以下になったということを暗に認めざるを得なくなったのである。おそらくこれはすでに久しくそうであったことの渋々の承認なのだろう。90年代のバランスシート不況の終了以降の日本経済は早くからマイナス経済に陥っていたはずである。これをもって「資本主義の終焉」と捉えることもあながち間違ってはいないかもしれないが、L・サマーズが言う「長期停滞論」*3とどこが違うのだろうか。長期停滞ならいつかまた資本主義は復活するということを予定している*4。終焉論なら資本主義に替わる何ものかが始まっているということを含んでいる。同じ現象の二つの見方は論者の願望の反映なのだろうか。少なくとも言えることは、先進国経済がいずれも資本の原点たる利潤を計上できなくなってきていることである。成長どころではないのである。
 では、資本主義の自動崩壊論的観点に立って新たなシステムの萌芽がどのように芽吹いているのかを挙げている論者がいるかと言えば、心もとない限りである。その多くが互酬制に基づいた経済の再構築であったり、その表れとしての協同組合運動であったり、あるいはNPO活動や社会連帯経済などが論議の俎上にのぼってきている。ただしそれらの運動が資本主義経済の支柱であるブルジョワジーの息の根を止めるための強力な武器となっているかといえば、どう見ても力不足であるように見える。更に現代資本主義経済の新興国での勃興を見れば、先進国の長期停滞と経済成長率の減少だけでは世界資本主義システム全体が消滅していくとはとても考えられない。問題は衰退しつつある資本主義経済の長期停滞をその廃絶へと導くための意識的な闘いが求められているのである。資本主義はそれ自体が自然性的なものである限り、終わらせるための仕掛けが必要なのである。
 ところが、多くの論議はこの資本主義の終了ではなく、金融資本主義のあるいはグローバリゼーションの終了を資本主義の精神と取り違えている。自然利子率の低下やマイナス化は、それ自体だけでは資本主義の終焉を結果しないのである。それは実物経済、自由主義的資本主義、あるいはかつてレーニンが論じた独占資本と金融資本の結合としての初期帝国主義時代の重厚長大資本こそが今や死に絶えつつあるのである。実体経済上の資本はもはや利潤を生まなくなり、とりわけ米国経済においては最終消費経済が経済全体の7割にも達するという前代未聞の構造になっている。その構造を支えているのが架空資本取引であり、いわば負債経済そのものなのである。かつて経済の空洞化だとして大騒ぎした製造業の海外移転は米国では70年代にすでに始まっていたし、先進資本主義国家においては資本主義の成熟化に伴って順次起こってきた現象なのである。英帝国主義の没落の過程において英国経済(スターリング圏)を支えたのはシティーの金融資本であったし、米帝国主義もまた80年代以降金融グローバル化による資本の証券化による金融経済へと転換していったことは誰の目にも明らかだろう。これらの歴史過程で、大陸欧州と日本だけが帝国経済の経済圏の中で特異な経路を辿ることになるのであるが、最初にバブル/デフレ経済に突入したのが日本であったわけである。その理由は先にも述べたように、明治以降の開発独裁経済体制による社会の隅々に至るまで染み込んだ国家資本主義的構造そのものが、バブルを市場経済(市民社会)による克服ではなく、国家による克服へと転化したことで真っ先に泥沼のデフレ経済へと突入したのである。これは歴史の先取りであり、21世紀に入っての再度のバブルであるサブプライムローンによる危機による一挙的な金融危機へと拡大したのである。
 ここで問題なのは、バブルという危機ではなく、その後の先進国政府が取った危機回避行動そのものである。07年サブプライムローンが招いた危機はその広さと深さでは80年代末のバブルとは比較ならないぐらい大規模であったがために、米英のみならず欧州全体をも巻き込んだ信用危機へと発展したことで、危機の回避は伝統的な中央銀行による流動性供給という「最後の貸し手」機能の発動しかなかったことである。これこそ現在世界を根底的に転換させるものとなったのであり、「先進国」日本の「お手柄」でもあったのである。ここで問わなければならないことは、何故このような世界的危機となったのか、その世界性を準備した現代資本主義の特徴(つまりグリーンスパンの謎)であり、また何故危機回避政策が経済成長の停滞とデフレを招いたのかという構造そのものである。
 資本主義が終わったか否かは、この二つの問いに答えなければならない。ゼロ以下に落ち込んだ自然利子率は資本の生命線である拡大再生産を不可能にするが、それは原因ではなく結果である。近代経済学が現象の描写でもって事態の解明と勘違いするが、われわれはこの轍は踏まない。問題は複雑ではあるが、明らかに市民社会の変革が問われていることだけは確かである。

4.財政ファイナンスが必要だ

 前稿でリフレ政策を提起した根拠は、二つの理由で必然だし必要だ。第一に日本のゼロ成長の根拠が日本資本主義そのものの歴史に由来するからである。つまりどうあがいてもこれを克服することは当面不可能である。デフレは克服することはできてもゼロ成長を克服することはできない。ここで注意が必要なのは、インフレを成長経済と同等に考えないことだ。インフレは自然利子率がゼロ以下でも起こりうる 。いわゆる構造改革と称する市民社会変革が現在の産業構造の変革なしにできるはずがないのである(上場企業の利益の半分が海外からの収奪だということはその象徴的現実だ)。
 第二に、日本は米国と違い独自の通貨圏を持たない、ドルに依存した経済(あるいは米国に依存した政治)を続けざるを得ないことだ。現実資本の米国への投資ばかりではなく、金融資本を米国へ供給するという寄生的経済からも脱却できない構造となっていることである。この二つの現実から導き出される日本の経済構造の歪みから生まれるゼロ成長は必然だと言っていい。故に、この現実から生まれる日本の労働者階級の悲劇を改革するための第一の着手は財政ファイナンスだということになる。なぜなら、これによって直接的な安保体制からの離脱というハードランディングではなく、日本の金融構造の変革というソフトランディングを可能にするからである。財政ファイナンスによる日本の金融システムの変革は、米帝を主体とした基軸通貨ドル体制からの脱却の第一歩となる可能性を秘めた政策だからである。つまり、金融機関の生み出す信用貨幣からの脱出という歴史的な変革を促す第一歩を政治的選択として提起するからである。
 日本の閉塞状況がアベノミクスという怪物を生み出した根拠は、米帝国主義への経済的寄生構造の結果なのだから経済的離脱が政治的離脱に先行しなければ、そこからの真の脱出は不可能だし、成長を可能にする前提も生まれない。未来へ向けた政治的選択は、願望ではなく現実的な根拠を持って提起されなければ意味がないだろう。財政ファイナンス政策が全ての万能薬だと勘違いしないでほしい。先にも言ったように資本主義を変革するものでは決してない。しかし、対米従属と復古主義というゼロ成長路線の暗い未来に対峙するものとして、少なくとも次の時代を準備するものとしての選択肢を提起するものだということなのだ。

脚注

* 1 念のために付け加えておくが、この四半世紀に景気変動がなかったとはいっていない。しかし官庁エコノミストによれば戦後最長の好況局面が二回もあったことを忘れるべきではない。低成長と失業者を抱えている好況とは何かを問い直すべきだろう。
* 2 松尾匡『経済レポート2017年』参照
* 3 2013年11月ローレンス・サマーズはIMFカンファレンスでの講演において、リーマンショック以前の米国経済はバブルにもかかわらず加熱せずインフレは起きなかったのは何故かと問い、資本主義の長期停滞局面を指摘した。
* 4 典型的な長期停滞論は、19世紀後半の英国経済の20年にわたるデフレ期をその事例として挙げる。




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