富の収奪とトランプ騒動
斎藤 隆雄
414号(2017年1月)所収
ドナルド・トランプがアメリカ大統領に就任した。昨年末から世界中が蜂の巣を突いたようになっている。これから何が起こるのかと、トランプ劇場を予想する論評で世の評論家諸氏の飯の種が提供され、年末のニューヨーク証券取引所は公共投資期待で大忙しであった。では、実際にこれからどうなるのかと心配している人びとに、更に付け加えておかなければならない、いくつかのことを述べよう。
1.グローバリゼーションの終焉という期待
一般的評論は、グローバリゼーションによって痛めつけられた先進資本主義諸国の中間層が、いよいよ反旗を翻したという徴候をトランプに見ている。TPPやNAFTAといった通商条約への拒否は、自国優先主義とともにアメリカ帝国主義の経済戦略の転換だし、人種差別や排外主義はアメリカ外交のルールの見直しを意味するように見える。
だが、思い出してみるとこれらの戦略転換はこれまでにもアメリカ国内で燻り続け抑制されていたもう一つの方針でもあり、もう一つのアメリカであって、見ないようにしていただけである。TPPの批准はオバマ時代にもかなり危ういものだったはずだ。グローバリゼーションにおけるアメリカの戦略は実はトランプが口出ししている製造業と通商関係にはその基本を置いていない。彼の国内政治(経済)が成功するか否かは定かではないが、富の収奪の基礎を金融資本のネットワークに置いている限り、アメリカはその構造を変えようがないし、むしろトランプが指名した政権内部の行政官の顔ぶれからはその気もないことは明らかだろう。
グローバリゼーションを新自由主義のイデオロギーと混同する傾向がこの間運動圏内部には著しいが、このイデオロギーは70年代までのケインズ主義との対抗関係を抜きにしては語れないし、もはや半世紀近くが経過した今日においては自由主義という名前に値するとは考えられない。むしろ通商における自由貿易主義と言った方が事態をより適切に把握できるはずである。そして、その自由貿易が中国を始めとした新興国や資源国の民族ブルジョアジーに恩恵を与え* 1 、その果実をグローバル企業が収奪していったという構造が問題だったのである。すなわち、金融ネットワークの下でその恩恵を浴していた製造業ネットワークが先進国消費部門を支えるという世界資本主義生産体制の循環構造を作っていたわけである。更に言うなら、その根幹を支える中国?アジア製造業が離陸を開始することでこの間世界貿易は停滞局面に入っていることも現局面の特徴である。
そうであるなら、一国主義的ケインズ主義に対する転換として始まった新自由主義イデオロギーとしてのハイエク・フリードマンイズムが90年代以降の世界情勢にとってほとんど意味をなさないお題目となっていたことも理解できるはずである。この四半世紀における先進国労働者階級への収奪構造は国際金融資本のネットワークによって必然的に生み出された結果であり、トランプ選出に現れた中間層の反乱は新自由主義イデオロギーの賞味期限が切れたことの現れであると考えるべきである。むしろ現在勃興しつつあるイデオロギーは排外主義であり、人種差別主義であり、反自由主義である。
今後起こるだろうと少なくとも予想されることは、グローバリズムの終焉ではなく、グローバルな戦争であるだろう。その戦争は、電脳空間を含めた金融/情報戦争であるだろうし、複雑な利害関係が錯綜した局地領域・局地領土戦争でもあるだろう。
2.国際金融資本はトランプを歓迎
昨年末からの株式相場の上昇は、国際金融資本の恰好の収穫場となった。リーマンショック以降、鳴りを潜めていた彼らの前哨戦と見ていいだろう。債券から株式への転換は、早晩資源(商品市場)と為替市場へとその戦場を変えていくだろう。問題はトランプが何をするか分からないということだ。これは世界の金融ファンドにとって金融資本にとってまたとないチャンスなのだ。変化こそ、変動こそ彼らの収奪の源泉だからだ。世界貿易の停滞傾向に対して、世界政治の動乱がそれを補完して余りあると見ている。そして、少なくともこれ以上の金融規制はない(むしろ緩和へと向かっている)はずだから、危機便乗型の彼らの戦略からすれば絶好の機会が訪れたと見ているはずである。そこから見て取れることは、今後四年間は米帝国主義の粗野で強引な国際政治が跋扈し、ブッシュ政権以上の結末を迎えると考えておいた方がいいだろう。
トランプの排外主義がアメリカ国内政治に何らかの変動を起こす可能性も否定できないが、むしろ現状の富の収奪構造に対する本格的な階級闘争が始まる可能性の方が高い。それはアメリカばかりではなく、世界中でその利害を共有する可能性を生み出す。なぜなら、世界資本主義の生産構造と供給ネットワークが多国籍・無国籍企業によって支えられ、資本の民が収奪すべき富の泉を全世界規模で探し回っているのだから、階級闘争の領域はただ観念的にではなく実態的に世界大にならざるを得ない。対立を煽るトランプ政治がそれを増幅するだろう。
没落しつつある先進国製造業が新自由主義政策の下で空洞化してきたことは、既にかなり前から指摘され問題視されてきた。製造業労働者が国際的な分業ネットワークに組み込まれ、リストラとレイオフに苦しめられてきたのはかなり以前からである。国内生産の10数%程度に縮小した製造業部門の労働者は今やAIによるロボットに職場を駆逐されつつある。企業が多国籍化、コングロマリット化、金融化し生き延びる一方で、労働者階級は周辺的低賃金サービス産業に追いやられている構図が、全世界規模で起こっている。そして、その危機への新しい解答がトランプである(国民国家への回帰)とするなら、願ってもない好機だと言わざるを得ない。そのカードは使い古された紙くずだから、国境を越えた結集に障害となることはないだろうからである。しかし、それは当然苛烈にならざるをえないことも覚悟しなければならない。
3.日本の階級戦は?
問題は日本である。今年の景気を楽観的に見ている一部エコノミストたちでさえ、日本の先行きには楽観していない。安倍政権が今年目論むであろう改憲策動に、トランプ政治が悪い影響を与える可能性が大きいと思われるからだ。もはやアベノミクスは死語になりつつあるものの彼の政治手法は振り子のように目先を変えて小手先のイベントを繰り出すことにその神髄があるのだから、世界大で拡がる排外主義潮流に乗らない手はない。それが中国との海洋権益を巡る騒動であるのか、スーダンでのPKO活動を巡る騒動であるのか、国内政治における憲法改正24条を中心とした社会思想攻撃であるのか様々な選択肢が彼には用意されている。
太平洋を囲む多くの国、中国、フィリピン、タイとアメリカがそれぞれ新旧入り交じった強権的国内政治へ転換しつつある。もちろん、EUは英国の離脱を巡って一騒動起こっている。であるなら、安倍政権が自らの素性を露骨に打ち出しても不思議ではない。「先進的?」トランプ現象は既に日本では地方政治で起こってきたことであり、これは階級戦の予兆でもある。何が問題なのかが分からない状況を作り出すことに現在の政治戦の特徴があり、かの地方政治においても何も変わっていないにもかかわらず、変革を成し遂げたかの如く装いながら「過激な言葉」だけが飛び交う中で密かに新たな利権構造とそれを支える強権政治が忍び寄る。
福島、大阪、熊本、沖縄における地方政治が、あるいは東電を中心とした原発事故隠蔽政策における複雑怪奇な政策が、東京五輪を巡る醜悪な利権が一つの国家政治の共通する抑圧構造の現れであるということを暴露していくことが求められている。とりわけ、沖縄のこの間の基地撤去闘争は日本政治の矛盾の集約された姿を示している。民族差別と安保政策と植民地政治と福祉政策と地方棄民政策とそれを操る利権政治というあらゆる日本におけるねじれと矛盾がそこに立ち現れている。
客観情勢が突きつけている課題は世界革命(地理的であると同時に領域的でもある)であるが、主体的条件は相変わらず地方的課題的個別的なものに止まっているのは、それだけの理由がある。それは明らかに情報戦での敗北である。それは領域的な狭い政治というばかりではなく、批判精神の欠如とりわけ民主主義政治幻想への批判欠如である。政治を民主主義という狭い枠に留めて何事かを成し遂げようとする限り、それは個別的「考え」の集約でしかなく、いくら繋がっても質的な飛躍はやってこない。否、繋がりさえそれは生み出さないだろう。批判精神はプロレタリアートの共有財産であり、それは主観の中にも個別の中にもない。今我々が提起せねばならないのは、トランプとその類似現象の根底に何が潜んでいるのかを、唯々世界革命への回路として見つけ出すことである。
4.帝国の黄昏
製造業の復活を掲げるトランプの直感はある意味正しい。富の源泉はそこにあるからだ。しかし今やその製造業は新興国に奪われている。大量の労働者を雇用する製造業は自動化されていない工場であり、生産性の低い低賃金労働現場である。先進資本主義国家において雇用を生み出そうとすれば、もはや製造業は割に合わない業種となっている。それは意図的な政策の結果ではなく、資本主義経済の物質的自然的な結果である。トランプはこの歴史法則の壁に突き当たるが、おそらく彼は意に介さないだろう。今のアメリカの雇用情勢はほぼ完全雇用状態にある。自発的に労働市場から離脱した労働者を公共事業で雇用し、それをトピックス的にツイッターで宣伝すればいいのである。
そして、新興国での製造業における収奪構造は単一金融市場/金融グローバリゼーションを強固にすることで防衛することができる。そこで問題となるのは、彼を権力者へと持ち上げた、没落しつつある白人中間層の格差がますます拡大するという現実の方であろう。つまり、ここに劇場政治の焦点がある。少しずつ温度が上昇する湯の中で我々は気付かぬうちに茹で上がる蛙のように緩慢な死を迎えるのか、どこかで飛び出すのかが問題だ。気付かないように常時麻酔のような情報の湯の中で死を迎えたくないなら、どこかで現実を、拡大する格差と収奪の構造を暴露しなければならない。垂れ流される麻酔に抗する堅固で確実で説得的な未来社会を示さなければならない。
権力者たちが演説する象徴的な言葉は、ほとんど空語に近いが、それを支える政治経済構造はきわめて堅固である。ブルジョア政治の政策集合体系は自然法則のように無人格的である。左派的な政策がただただ分配政策を掲げるだけであるなら、それはいつでも巻き返しの効く不安定で不確実な見せかけのものに終わるだろう(巻き返しはいつでもできるし、そのトップバッターがトランプなのだから)。問題は根本的な変革であることは疑いようがない。二度と覆しようがない強固な政治が求められている。つまり、これまでのすべての政治言語と経済言語が無効となるようなそれである。プトレマイオスからコペルニクスへの転換のようなそれである。そのためには、我々は今起こっている現象をつぶさに観察し記録し分析し拡散しなければならない。過去の教訓はほとんど意味をなさない。黄昏時に理性が羽ばたくと、かの哲学者が述べたように、今ここにある現実を批判しよう。ここがロドスだ、ここで跳べ!
脚注
* 1
習近平がダボス会議で自由貿易を高らかに宣言したそうである。さもありなん。