社会民主主義の終焉?―英国EU離脱の意味
斎藤 隆雄
409号(2016年7月)所収
リーマンショック以降の欧州における債務問題とギリシャデフォルト、シリア難民問題と相次いで困難を抱える中で、ついに英国がEU離脱を選択した。これら一連の問題は何を意味するのだろうか。世界経済と政治過程を検証して、その意味を探ろう。
1.民主主義は死にかけている?
6月25日付の「フィナンシャル・タイムズ」の政治分析論評で、米大統領選挙と今回の英国EU離脱選択を捉えて、「瀬戸際の自由民主主義」と命名した。なるほど、そういうことかと思い知らされるのがその翌々日の米国務長官の訪英で「米英の特別な関係」を殊更に協調したことである。そんなことは今更言われなくても分かっているが、その言葉が含意する複数の意味から意外な本音を探し出すのも大事なことだ。欧州大陸から英国が切り離されることが何故これほどにも大騒ぎとなるか、という今回の事件は、戦後の欧州統合の一つの結論であり、米国が管理してきた世界政治経済の決定的なほころびであるからだ。21世紀を象徴する9.11からイラク戦争、リーマンショック、アラブの春、IS、ギリシャデフォルト、ウクライナ問題、シリア難民とこの15年間に起こった世界史的事象を並べてみるだけでそれは明らかだろう。どれ一つとっても彼等にとっては想定外な結末に至っていることは明らかである。
だから、瀬戸際なのは米国が率いてきた戦後世界そのものなのであって、今、大英帝国時代の遺産すなわち英連邦諸国の一員として自らを殊更に示さなければならないのである。それは大陸欧州の理念たるEUとの距離を測ったということであり、彼等の「社会民主主義」とは異なる「自由民主主義」、すなわち「金融資本主義」(それは既に満身創痍なのだが)を防衛するという宣言でもある訳だ。ということは、問題が民主主義にあるのではなく、現在の世界そのものであるということになる。
2.坂道は90年代から始まった
25年前のソ連邦崩壊によって始まった資本主義の下り坂は、当時隆盛を極めた新自由主義政策=投資銀行モデルが世界中に厄災を振りまき、ポンド危機、アジア通貨危機、ロシアデフォルトと続き、世紀の改まった08年に、ついに本家の米国でサブプライムローンが爆発したことで、命脈が尽きた。この間、世界中で何が進行していたのかは、既に多くの論者が明らかにしているように、現実資本とは完全に切り離された金融商品の乱売であり、そのためのイデオロギー装置たる「規制緩和・民営化」であった。もはや資本主義は自らの剰余価値生産では生き延びることができない、とりわけ米国では決定的にそうである。だからこそ情報とブラックボックス商品の生成を以て生き延びようと、軍事・政治部門の恫喝を駆使しながら荒稼ぎしてきた訳である。
その結果、今我々が見ている世界は荒涼とした99%の貧困と無差別空爆と難民、絶望的な国民国家への回帰運動である。2010年代の構造的な崩壊現象は、キプロス島から始まったのだが、ついに英国のEU離脱決定によって、欧州政治のイデオロギーたる社会民主主義の解体が始まったと見るべきだろう。この25年間に第二次世界大戦後の世界政治経済体制の三つの柱(社会主義、金融資本主義、社会民主主義)がついにすべて崩壊の緒に就いたといえる。
今後のEUの解体過程は、独仏の相克による力関係にかかっているが、独のユーロ利得と仏の積極的財政政策との闘いに如何なる決着がなされるかで決まるだろう。いずれにしても、欧州通貨ユーロの実験は完全な失敗に終わったということは確かなようだ。国家連合が共通通貨によって統合できるという幻想は古い戦後復興的幻想であり、ブレトンウッズ体制の亡霊でしかない。欧州社会民主主義のイデオロギーが夢見た福祉国家体制は米国金融資本主義の暴走により潰えたと考えていいだろう。ひとり独だけが自らの隠された金融資本主義体質をEUを隠れ蓑にして生き延びてきたが、それも今や選択の岐路に立たされている。
我々は今何をそこから教訓としてくみ取るべきか考える時だ。
3.ニクソンショック以降の第二の戦後を如何に生きるべきか
そもそもの始まりは、71年ニクソンショック以降の世界資本主義体制の根本的矛盾であり、それを如何に解決するかという課題にいよいよ焦点を当てる時が来ている。世界経済が変動相場制下において決定的に不安定なドル体制を支えにしながら、軍事的政治的な米帝支配の下において金融資本主義として爛熟してきた、いわゆる後期資本主義(新自由主義)体制が世界中でほころびを見せ始め、もはや後戻りできない脱近代の世界に突入したにもかかわらず、絶望的な国民国家への回帰が各地で起こり始めている。それは先の見えない海図なき航海の如くである。議会に於ける議長席からの眺望からはもはや何も見えなくなっている。今、視点は議会の外に置くべきであり、国境の外へ、歴史の外へ置くべきである。ニクソンの決断が今、それが長い経路を経て最終的な結論に行き着いたことをカリフォルニアにある彼の墓に誰か報告にいったのだろうか。
つまり、こういうことである。来たるべき世界共産主義世界への長い経路には、共通通貨も変動相場制も役立たずであり、必要としないということである。長期金利が限りなくゼロに近づき、政策金利をマイナスにせざるを得ない今日の世界経済は貨幣が持つ近代資本主義的価値尺度を根底的に変革することを迫っている。かつて我々も世界中央銀行構想がドル体制を終わらせるのではないかと考えていたが、それは明らかに間違いであった。ユーロの失敗がそれをはっきりと示してくれている。問題は貨幣そのものの変革、過渡期なしの変革である。今日の国民貨幣制度、管理通貨制度、信用貨幣制度そのものを根底から作り替えなければならないし、現実がそれを強制し始めている。世界中で滞留する巨額の金融資産とそれを弄ぶ国際金融資本の横行をここで止めなければ、我々は自然の無慈悲な強制力で崩壊現象をまた経験することになるだろう。それは事態を進めるのではなく、遅らせることになるのだ。
今、苦し紛れに進行しているゼロ金利政策と国民国家への回帰運動は歴史的趨勢の二つの側面である。それは、先進資本主義国家が自らの統治の正統性を示すために作り出した二つのタイプである、金融資本主義と社会民主主義は前者が年金基金の利率7%確保という収奪構想を作り上げ、後者が共通通貨という収奪構造による周辺窮乏化政策を作り上げた。しかし、結論は既に出てしまった。投資銀行モデルの破産は帝国主義内部に深刻な格差を生み出し、自らが自らを収奪するという構造を国家の形にしてしまった。更に共通通貨ユーロの国家統合なき経済統合は中心国(独仏)への資本吸収機能しか果たさなかった。ここから人びとは、国家の再編を希求し始め、金融統合も通貨統合も拒否し始めた訳である。しかし、これは絶望的な試みでもある。我々は既に現実資本の多国籍ネットワークの下で、その生活が支えられており、この現実を否定することは不可能である。だから、最も危険なことはこの事実を隠蔽しつつ、あるいは取引しつつ国民国家幻想を振りまくイデオロギーの登場である。
リーマンショックが29年恐慌の再来だとグリーンスパンが見抜いたように、百年ぶりに米帝本国への危機が地球を一周して回帰したとすれば、20年代のファシズムもまた再来してもおかしくないだろう。しかし、歴史は同じ事を繰り返しはしない。茶番に終わるしかないこれらの回帰運動よりも、現実に進行している多国籍ネットワークの企業統合と独占化が生み出す新しい危機に対峙する労働者階級の構想を組織することが最優先課題だ。既に兆しが見えている部分もあるが、我々はこれを現実政治に根を張らすための一歩から始めなければならない。