創価学会員のみなさんへ
渋谷 一三
394号(2014年12月)所収
<自民党・公明党に投票しないでください!>
衆議院議員選挙が近づいています。安倍氏は「アベノミクス」の是非を問うとして、衆議院を解散しましたが、真意は別のところにあります。
折しも12月10日に「特定秘密保護法」が発効し、公務員の内部告発が出来なくなったばかりか、世論操作をより圧力をもって行うことが出来るようになりました。
すでにマスコミへの支配を強めていた自民党は、選挙期間中の報道の公平性を保つようにとの名目で野党の選挙運動をワイドショー番組などで事実上取り扱わせなくさせることに成功し、今回の選挙報道は驚くほど減少しています。
そして、今回の衆議院解散の真意は、ここにこそあります。
小渕大臣の選挙違反疑惑・松島大臣のうちわ贈与問題での居直り・宮沢大臣の政治資金不適正使用問題などで支持率が下がり始めたところで、集団安保関連法案を通過させることが困難になり始めたところでした。
防衛族を自任する石破幹事長を更迭して閑職大臣にする権力闘争をしてしまった安倍氏は、党内にはっきりと敵を作ってしまったのです。それがよりによって、集団安保に最も関係の深い石破氏でした。
アベノミクスなる言葉を乱舞させて一貫して軍事問題から目をそらさせて支持率を維持してきた安倍陣営でしたが、IMFからもアベノミクスの無効を宣告され、一番通したい集団安保=日米安全保障体制から日米軍事同盟化=関連法案の通過が危ぶまれ始めたところでした。
米国は自衛のためにシリアやイスラム国に爆撃をするとはっきり宣告し、実際に爆撃を続けています。空爆は必ず無辜の市民を殺戮します。死傷者の8割以上が一般市民でその5割が子どもだというNGOの報告もあります。
日米軍事同盟が出来上がれば、当然のことながら、「自衛の為に」自衛隊が出撃することになります。米国ははっきりとそう要求してきました。先のイラク戦争の時にも、日本のために運ぶ原油の輸送ルートの機雷除去ぐらい自分でやれと激しく米国につめよられました。
安倍内閣と公明党が閣議決定した集団安保体制は、このケースでは自衛隊出動となるものです。もはや、山口氏が主張するような「歯止め」にはなっていないのです。
池田名誉会長はこのことを危惧され、平和の尊さと平和主義の堅持を求める主旨の発言をされましたが、自民党によって「政教分離の原則に反する」「宗教団体による政治への干渉だ」とされ、発言の中味への批判をすることすらせずに、発言を封殺されてしまいました。
この一つの事例でも、特定秘密保護法体制が戦前の治安維持法体制に密通するものであることが推察できます。
山口氏は池田名誉会長の発言を封殺する側に立ったのでした。
今回の解散は、集団安保体制の構築を目的とする解散であり、日米関係をはっきりと軍事同盟関係にし、このことで中国と対抗しようという方向へ舵を切るための解散です。
一般的に自民党との連立というのではなく、安倍派との連立政権は軍国主義体制の樹立に他なりません。かつての自民党幹事長、野中広務さんも、危険だと危惧されています。そして平和の大切さを改めて力説されています。
平和主義の創価学会は一体どこへ行ってしまったのですか!
いつでもというわけではありません。
今回の安倍政権との連立はやめなければなりません。
戦争に手をかしてはいけません!
創価学会員の良心に訴えます!
今回の選挙では、自民党にも公明党にも投票しないでください!
たとえ好きでなくても、民主党・社民党・共産党・生活の党のいずれかの候補者が立候補していたら、そのどれかに投票してください!
<小選挙区制の怖さ>
創価学会員の半分が自民党に投票することで、小選挙区では自民党が勝ってしまいました。そうです。公明党の候補者がいないのですから、棄権するか自民党に投票するかしか選択肢がない場合が多いのです。
対立候補が共産党だけという選挙区が多く、無党派層の人も、独善の臭いがぷんぷんとする共産党に入れるのは相当に抵抗が大きく、なかなか出来るものではありません。
この結果、実は創価学会の半分の人が自民党に投票するだけで、自民党は圧勝してしまうのです。
また、公明党の候補者が立候補する選挙区では自民党は候補者を立てませんので、実は創価学会が大嫌いなひとが多い自民党員が一人も公明党に投票しなかったとしても、自民党員が共産党に投票することはないのですから、公明党の候補者は当選します。
これが小選挙区制のからくりです。
人の良い創価学会員さんは、公明党の立っている選挙区では自民党支持の人が入れてくれているのだからと信じ切って、自民党候補者に投票しているのです。
繰り返しますが、自民党員のほとんどは創価学会嫌いです。また、自民党支持者が誰一人として公明党に投票しなくても、公明党の候補者は有利に選挙を戦うことができるのです。別に、自民党支持者に感謝などする必要はなかったのです。