共産主義者同盟(火花)

またもや異次元か?

斎藤 隆雄
394号(2014年12月)所収


 衆議院の解散で、相も変わらずの政治風景が再現されようとしている。アベノミクス解散やら何やらと名付けているが、まったく検証するに値しない。そもそも権力維持のための解散が見え見えだから、多くの労働者はうんざりとしている。それを知って、あれこれと世論操作に余念のないマスコミは、株価や失業率をあげつらい、企業家たちは賃上げをちらつかせている。しかし、もう十五年以上実質賃金が下がり続けていることを、肌身を通じて感じている労働者は、「成長神話」を半ば年に一度の初詣の籤のようなものとしてしか見ていない。大吉を約束する政治家たちの言葉に、まあ縁起物だねという感じだ。

1.いよいよ大詰め

 解散を前にして日銀とGPIFが株価操作に動いた。政府と官僚は、いよいよ総出で危機を繕い始めた。消費税増税の先送りは、単なる時間稼ぎなのは明らかで、財政破綻という奈落へのスパイラルを緩和する以上ではない。来春の賃上げを約束する大手企業家たちは、儲けすぎ批判をかわすためにも鳴り物入りで恩着せがましく実施することになるだろう。しかし、元々アベノミクスに何の内実もないのだから、デフレ脱却も財政再建も成長経済もまったく望むべくもない。マスコミが宣伝する株価上昇や失業率改善が異次元金融緩和に依存していることだけは確かだが、個人投資家たちがあぶく銭を手にしたらデフレから脱却できるなどと夢想することは愚かなことだ。また、非正規労働者がわずかばかり増えたからと言って、それが財政に寄与するわけもなく、まして経済成長などおこがましいと言わざるを得ない。
 むしろこう考えるのが正当だろう。いずれ近いうちに訪れる金利上昇によって、困難となるのは財政ではなく、長い間の低金利で借り入れしていた住宅ローン契約者たちの行く末だ。数十万の労働者が路頭に迷うことになることは確実なのだ。今、我々が直面している困難は、デフレなのではないということが理解できていない。デフレは、危機を救ってくれているという現状認識ができない人々が、そして、未だに成長経済というありもしない幻影を追い求めている人々があまりにも多い。そして、実のところ成長経済という希望的観測は、財政再建という目的に直結しており、それが政府官僚たちの利害の媒介項となっているという、単純なネズミ講をなしているだけなのだ。財政が労働者の生活に還元されるという福祉国家の回路は、既に破綻しているという現実を、皆で見ないようにしようというのが、今日の政治の役割である。それが「期待」をキーワードにする成長経済路線の真の姿である。
 単純な予想をしてみよう。政府の言うようにデフレから脱却して、インフレが実現したとして、それがたとえ穏やかなものだとしても、物価上昇と賃金上昇とが何をもたらすのか。今、物価が停滞しているから辛うじて生活が維持できている生産領域は、当然ことごとく破綻することになる。なぜなら、賃金上昇は生産性が高い生産領域にだけ可能だからだ。また、それは価格競争力の弱体化を招き、通貨の下落を更に招くことになるだろう。かつて80年代に米国が経験したような国内産業の弱体化と労働者階級の疲弊がかつてない規模で押し寄せることになる。ブルジョアジーたちが移民労働者の受け入れをことある毎に吐露するのは、そのことを予見しているからである。しかし、日本の政治家たちや官僚がそれを恐れているのは、そのことが招き寄せる政治的危機の方である。移民労働者と日本の労働者階級との連帯を危惧しているのである。問題は既に経済にあるのではない。経済は、今後いかなる経路を辿るにしろ、破綻という末路を約束してくれている。問題は、ブルジョアジーと政府官僚たちが如何に最小限に自らの利害を守り切るかという、政治日程だけなのである。そのためには、破綻を見てはいけないし、予見してもいけない。明るい未来とまでは言わないにしても、「賢明なる」政府による「それなりの」解決を、専門的で衒学的な用語と数字で誤魔化さなければならない。
 ここまでは、実は賢明なる労働者は理解できているし、それとなく肌で感じている。まさに、だからこそ、事態は大詰めに来ていると言っていいのである。

2.異次元解散

 政治日程が選挙モードに入ったことで明らかになっているのは、政治が完全に現実を逸脱し、脱臼し、次元を異にしてしまったことである。「選挙をしている場合ではない」という意味での逸脱ではない。「予定通り消費税を上げろ」という意味でもない。そうではなくて、政治自体がもはや何もないもの、ここには存在しないものとなりつつあるということである。先に、大阪で橋下が何だか分からない市長選挙をしたが、今回の衆議院選挙も何だか分からない得体の知れない異次元政治となっているのである。
 しかし労働者階級は、この政治に対して応答することを強要される。それが民主主義だとしたら、民主主義とはまさにブラックホールだ。労働と生産、日々の生活と消費のやりくり、迫り来る破綻の予感と重い債務、これらが次元の向こうでは何だか分からない複雑な政策集合体によって彩られた得体の知れない選択へと変身する。政党間の選択の幅は無いに等しい。財政は破綻し、外交は対米従属で、福祉は削減され、税は上昇する。人口が減少し、ゴースト日本がまもなくやってくる。これは、誰もが知っている未来である。多国籍企業がますます収益を増し、金融市場であぶく銭を稼いだ成金が都市の高層マンションで優雅に暮らすという未来も知られたことである。
 安倍政権はこのことを知らないわけがない。だからこそ、異次元解散なのだ。あと四年は政権を維持したい、そして東京オリンピックに向けて何とか20年までお祭り騒ぎで、崩れゆく日本経済を見ないようにしよう。これは単なる希望的観測ではない。そのために、総動員される政策が目白押しなのだ。そして、選挙を強要される労働者階級はそれ以外の選択肢が想像できない。否、想像できないようにこれまでも周到に準備されてきた。自分たちの生活している空間そのものが収奪され続けてきたことで、この異次元を現実だと思い込まされてきたのである。だから、選択肢がないし、選択するために選挙があるわけではないのである。ただ、カレンダーに書かれた行事でしかない。
 では、この先何が待っているのか。経済は崩壊するが、それは実は経済ではない。経済はどんな時でも動きを止めない。債務を抱えて破産した労働者がテントを張って生活していても、そこには生命維持のための経済がある。崩壊するのは社会の方である。政府と官僚はそうなっても言い訳を「理論的に」説明するだろうし、お門違いの更なる政策努力をするだろう。「それは誰にも防げなかった」と言って。
 ギュンター・アンダースがヒロシマ・長崎の惨状を見て、民衆のあたかも災害にあったかのごとくに暮らす姿に驚いたように、またもや敗北を認めないのか。福島のことをまるで無かったのかの如くに語る政治と経済の次元に、またもや付き合うのか。それとも、「もううんざりだ!自分たちの世の中を作り直そう。」と動き出すのか。そのどちらかの選択が待っているのだ。つまり、こちらの次元を見よう、現実を見よう、崩壊寸前の我々の暮らしを見ようということなのだ。街頭へ出て、ショーウインドウの向こうに見える荒野を見よう。高層ビルの足下を吹き抜ける寒々とした風を見よう。目に見えない放射能を見よう。目に見えない債務の重圧を感じよう。それが、我々の次元の現実だ。ここから我々は立ち上がらなければならない。




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