2013年という年
渋谷 一三
385号(2014年1月)所収
<はじめに>
2013年を特徴づける出来事は、ブルジョア・マスコミが「アラブの春」と呼称している米国によるアラブ世界への一連の政治・軍事介入である。
国内的には「マスコミの崩壊」と「アベノミクスなる経済政策」による労働者階級の窮乏化の進行とである。
1.アラブ諸国への軍事介入がもたらした惨禍
リビアのカダフィ政権は公然たる軍事介入の結果、転覆させられ、現在は私兵化した「反乱軍」の跋扈と無政府状態が常態化している。
もともとアラブの「部族」社会は、国民国家という社会形態を必要としなかったため無政府状態になりやすい。事実、アラブの民族統一国家は歴史上一度も樹立されたことがない。
カダフィ大佐が大佐のまま政権を握り続けテントを転々とする生活を送っていても何ら差し支えのない「国家」だったのである。米国はこの「部族」社会を分析することによって反カダフィの「部族」を形成し手なづけ、反米のカダフィ氏の私刑を成功させたのである。核廃絶を口ずさんだだけでノーベル平和賞を詐取したオバマは、後世の歴史家から戦争犯罪人との称号を受けることは間違いない。
人民の生活向上を図ろうとして、経済封鎖を解除してもらうために、核武装を止めてしまったカダフィ大佐が私刑に処せられた事実を見たイランは、正しくも核開発に更に邁進し、同じく金王朝も核開発を急いだ。シリアのアサド大統領は正当にも内戦を選び、結果として数十万に上るシリア人が死に、二百万にも上るシリア人が難民化してトルコ領内やレバノン領内に避難することを余儀なくされた。
エジプトではムスリム同胞団出身の大統領の出現という米帝にとっての誤算を生んだ「アラブの春」という欺瞞的呼称の副産物に恐怖したユダが、選挙で選ばれた正当政権をクーデターで転覆させるというなりふり構わぬ暴挙に出た。その結果、多くの民の命が失われた。
日本在住のエジプト出身女性タレントが比較的的確に、ユダのことは隠すという配慮をしながら、エジプトの情況を分析して見せてくれたが、彼女はテレビ画面から消された。また、内戦下の人々の生活をレポートしようという「非政治的」報道を試みた日本人ジャーナリストも「自由シリア軍」の支配地域で殺された。
米帝がアラブ地域でひっくり返したパンドラの箱の蓋は開いたままである。この恐ろしい結果を2014年も嫌というほど見せ続けられることになろう。一体どれだけの命が失われることになるのか、想像がつかない。
エジプトの安定は軍事政権による民衆抑圧によってしかあり得ない。普通選挙を行えば必ずユダの好まない結果になる。ユダと米帝(とりわけユダの政治献金に依存している民主党政権)は、エジプト民衆の抑圧者としてしか登場できない。
そもそもアラブ社会が「部族」社会であったがゆえに、古代エジプトの下層階級の部族が「出エジプト」をしてパレスティナ地方で最も肥沃な土地であるエルサレムを勝手に「約束の地」としたが、そのような暴挙をしたところで、肥沃であったがゆえに一部族が増えただけという形で受け入れられ共存出来たのである。
英帝国主義が戦費をユダから調達することと引き換えに、勝手にパレスティナの地にユダの国民国家を樹立してよいと約束したことから解決不能の問題が生じたのである。ユダの民が世界的な抑圧者へと転化したのである。
ユダの民が「国民国家」という枠組みを強制的に持ち込まなければ、アラブ社会の特殊性として、ユダの民との部族間共生社会は今でも実現可能なのである。また、ユダ自身もこうしたアラブの民の一部族であったがゆえに、2000年近くの間「国家」を持たずとも消滅することもなかったのである。
ユダの民が国民国家を本当に必要としているのかどうかを本気で問う歴史的位置から、例えば世界連邦あるいは国民国家の廃絶された国際社会などを構想し樹立していく歴史的先駆者の位置に立つことなくしては、ユダは世界史的抑圧者として登場しつづけるしかない。
米帝、とりわけオバマ政権は血塗られた反アラブ・反イスラム政権としてしか登場しえない。アラブ・イスラム諸国の反米闘争によって打倒される以外に米国の歩む道はない。
2.日本のマスコミは崩壊した。人民のマスメディアを創出しなければならない。
TV番組のほとんどは吉本の「芸人」と自称する無芸の輩がパネルのひな壇に雁首を揃えて、将来への展望を失った高校生男子が電車の中で聞えよがしにする「身内ネタのおしゃべり」を繰り返している。「芸人」を自称する「コント」上がりの無芸の徒が、責任を取るのを嫌うTV局によってニュースのコメンテイターをさせられ、政治的発言をさせられる始末。不幸なことにこれらの「芸人」は自らの無芸に無自覚な上に、冠番組を持てたと得意になっている始末。日本のジャーナリズムがなくなってしまった結果に手を貸している衆愚政治のパペット(傀儡人形)がこれらの連中である。
新聞は読むところがなくなり、発行部数は減少の一途を辿っている。安倍の靖国参拝を主体的に批判する新聞社は一社もない。賛成に回るか、諸外国の批判を載せこの情況でわざわざ参拝するのは国益を害するという論調である。神社神道への癒着であり政教分離の根本に反するという批判はついぞ聞かれない。新たな形で政経癒着をしている公明党が神社神道に屈していながら批判できないのは、自らもまた政経癒着しているのだから当然ではある。
戦勝国の戦後秩序作りの根本であった「東京裁判」を根底から否定している以上、米国もが安倍自民党を批判するのは当然なのだが、その米国の内々の制止を無視して、尖閣・釣魚台を米国に守って貰おうと「日米同盟」強化を声高に言っている笑止千万な男が我が国の首相なのである。
米国は戦勝国秩序を破壊する日本の為に米兵の命を捧げるつもりなど毛頭もない。中国機とニアミスを冒してまで中国の勝手なスクランブル発進空域(防空識別圏)設定と戦っているのは米軍機で、米軍の背景なしには「尖閣の実効支配」をうそぶくこともできないのは明らかである。
戦勝国同士でもあり世界貿易の2大国同士である中国と接近するほうが、ファシズムが復興しつつある日本と同盟関係を持つよりよいという選択肢も現実味を持ち始めている。
こうした状況にあっても、虫の息になってしまった日本のジャーナリズムは、上記のような背景説明すらできないでいる。安倍政権に逆らえば報道情報を得られず、記者クラブから外される。安倍が参拝するという報道情報をくれるからこそ参拝の映像を取れるのである。これを貰えなくなると、独自に取材する膨大な資金や労力や体制をすでに失わされてしまったマスコミは、何の記事も書けないのである。特派員体制はすでに無くなってしまった。貧しい戦後日本であっても海外特派員は拡大して維持してきていたのだが、豊かになった現在、自前の海外特派員を持つ新聞社はなくなってしまっている。
政府の締め付けは完全に有効に機能するようになり、政府の許容範囲での言説しか散見されない。尖閣列島は日本のものではないし、竹島も日本のものでもない。そもそも無人の島嶼だったからこそ、互いに領有権を主張しこともなかったのが、経済的利権が絡むようになり、無人だからこそ互いに領有権を主張しあうようになったのだという論調を張る会社はない。許容範囲を逸脱するからだ。そんな論調が例えば新華社通信に引用されでもしたなら、国益を損なった国賊としてとんでもないリンチに合うことは必定である。皆すでにその雰囲気を感じているからこそ、個人レベルでも上記のような論調を取る人は少なくなった。「たかじんの何某」というTV番組でファシストに逆らう個人を集団でいじめる映像を繰り返し見させられることによって、世の中の雰囲気を変えてしまい、ファシストが多数派のような雰囲気を醸成する。マスコミはこうした大衆操作の役割を担う手段になり下がった。
インターネットの監視機構も整備され、自由な言論を封殺するための「炎上」攻撃や質の悪い参加者の横行という相互補完によって、ネット上からもマスコミに対抗する人民のマスコミュニケイション手段は放逐されてしまっている。
ネット上でもミニコミをする以外になくなってきているが、ここからも反撃をする以外に道はない。質の高い自由な言説を活発にやり取りすることがジャーナリズム再興そのものの作業である。おおいに質の高い言説を公表することを望みます。
3.アベノミクスによりさらに進行する労働者の窮乏化
2013年12月の消費者物価は前年同月比1.9%も上がった。さしずめ、2%のインフレ目標達成万歳というところだろう。だが、労働者の賃金は上がっていない。大企業の内部留保資金は拡大し、株式への依存度は減っている。したがって、東証の売買代金の6割を外国人投資家が占めることとなり、富は国外へ流出している。株式市場は資金需要から変動するのではなく為替相場によって大きく変動するようになった。円安の進行によって見せかけの日経平均は上昇した。その上昇率は民主党政権時の2倍。進行した円安の1.25倍と比較すると、2014年には株価の下落が基調になる。
証券会社の勧めるままに株に手を染め、塩漬けに苦しんでいた素人の「一般投資家」は喜んでいるが、ドル換算した株価はすでにバブっている。要するに株式市場の空洞化が進行しているのであり、円安と同じ分の富が流出しているだけの話なのである。
だのに、株と縁もない下層階級までもが「景気が回復しつつある」と本気で騙され安倍政権や自民党政権を支持したりしている。
実際に進行しているのは、臨時雇いの常態化であり、低賃金労働と労働時間の無制限の延長である。この結果、労働者はますます疲弊し、自殺者は3万人を越え、生きるために働く状態から働くために生きているだけの状態へと更なる悪化が続いている。
労働組合は連合へほぼ一元化された上、組織率は低下し、労働者の商品としての価格維持機能すら果たせなくなっている。要するに何の役にも立っていないばかりか、下層労働者・派遣労働者の抑圧機構になっている。
労働者下層は自らを組織する動きすら出来ないほどに疲弊しており、むしろファシスト支持層になっていっている。1日12時間から16時間も働かされていて労働組合を一から結成する中核になる人間が出てくるはずがない。労働者下層の平均労働時間は12時間にも達する。もっとも、正規雇用社員の労働時間もまた12時間程度が普通で、こと労働時間に関しては違うのは週休が1日か2日かだけのことである。
円高でデフレ経済を続ければ、物価は下がり、労賃も下がり、労賃の国際競争力は回復して産業空洞化も回復していくのが自然の調整作用なのだが、デフレを経済の収縮と強弁して、事この件に関しては何故か「市場に任せろ」とは言わず、日銀に金をジャブジャブ金融機関に出させてあげ、「あなた」や「私」にではなく、何故か金融機関のみに特権的に金を回して投機資金にさせ、あぶく銭を稼がせている。これが、アベノミクスなるものの正体で、経済が回復する手立てを売っているわけではない。株価の上昇が景気と全く関係ないと承認すれば、景気が回復しているなどということはなく、労働者の実質賃金が下がり、その下がった分だけ企業の収益が上がっているにすぎないことが理解できる。
デフレは物価の下落が伴う分、労働者の実質賃金は減らない。そればかりか、労賃の他国通貨換算では円高分を差し引いても下がる。対するに、アベノミクスでは、物価が上昇し、原油の輸入価格の上昇などにより貿易収支は赤字に転落し、それが国家財政の不健全化を促進し、労働者の実質賃金を下げる。
要するに労働者階級の窮乏化が一層促進され、ファシズムの基盤がますます厚くなっていく。共産主義者の任務は再び第1義的にファシズムと戦って勝利することになった。
ファシズムとの戦いに自覚的でなかった戦前の日本の「共産主義者」は、ファシストに弾圧され惨めな転向の歴史を作りだすしかなかった。
同じぶざまな姿を晒さないためにも、共産主義者は、労働者下層がその窮乏化から自らを救う闘いに組織していく任務をやり遂げなければならない。さもなくば、赤狩りに再び負けることになろう。
今日、国際共産主義運動は壊滅的打撃を受けており、社会主義を名乗る中国は、特別な階級が支配する階級独裁国家となり果て、朝鮮は王族と化した金日成一族の支配する王朝になっている。共産主義への理想主義的願望があった戦前よりはるかにひどいマイナス環境の中で、ファシストの勢いははるかに大きい。
すでに現実から破産を宣告されている過去の国際共産主義運動の止揚は、日本で言えば、この窮乏化している労働者下層階級(労働者階級本体と言った方がいいくらいに量的にも多数になっている。)の闘いと共にしかないだろう。連合に代表される超過利潤によって買収された労働者上層部は一層薄い層になり、いずれ消滅するだろう。
労働者上層部と下層部への分裂の時代は終わり、労働者下層部が労働者階級本体になる時代に入った。