資本主義の変容と社会主義の実験(4)
斎藤 隆雄
370号(2012年7月)所収
6.70年代の格闘
1970年代が世界史にとって如何に重大な転換点であったかについては、これまで何度も強調してきた。資本主義世界の決定的な転換は金とドルの交換停止と変動相場制への移行であったことは周知である。更にそれが60年代までの旧い意味での「新古典派経済学」の終焉であり、アメリカのニューディール体制の終焉であり、いわゆる「フォードシステム」と呼ばれていた「国家独占資本主義体制」の終焉であった。
では一方の社会主義の実験はどうだったのか。ソ連邦のコスイギン=ブレジネフ体制による小春日和の時代は長く続かなかった。60年代から70年代にかけてソビエト連邦周縁部で統治権を持っていた人々を列記してみると、そこに何が現れていたかが明らかになるだろう。チャウセスクやホッジャ、キムイルソンが民族主義へと移行せざるを得なかったのは、プロレタリア国際主義と呼ばれていた精神の空虚な中味だったと言える。アメリカ帝国主義の新たな国際主義として変動相場制を提起していた時、ソ連は旧態然とした家父長的支配構造しか示せなかった。唯一新たな提起が、ユーゴスラビアと中国で始まったが、とりわけ中国における毛沢東=江青グループと周=ケグループとの格闘に代表されるような党内闘争において、台頭する社会主義経済エリートたちを世界革命戦争へと導き入れる戦略を示すことができなかった。中国共産党がアルバニアに唯一提起したのは、外資の導入であったが、これをホッジャが拒否した時、残された道は限られていた。
共産主義社会への過渡を巡って、ユーゴスラビアが提起していた「自主管理」という選択は残念なことに世界経済への新たな提起ではなかった。ソ連周縁部での経済改革がケインズ主義的色彩を帯びる中で、自主管理が異彩を放っていたことは確かではあるが、中国共産党はこれを評価しなかったし、チトーも市場経済との分岐線を明確に引くことができなかった。60年代全体を通じて提起されていた社会主義の方向性は「革命戦争」であったし、世界革命に至る迄持ちこたえる暫定的な過渡期経済であったと言える。この共産主義へ至る政治革命路線は70年代に攻勢に出た変動相場制とユーロダラー市場による金融の国際化という路線に対して有効ではなかった。
ベトナムに於ける革命戦争がアメリカの敗退に終わろうとしていた時、社会主義経済エリートたちは自国の政治的軍事的防衛という路線しか持ち合わせていなかった。米中国交回復や全欧安保といった課題しか提起できなかった彼らは資本主義の地殻変動を感知することができなかった。石油ナショナリズムの台頭する中では、旧来の世界観で世界階級闘争を見ることはもはや不可能になっていたが、それが何を意味するのかは誰も分からなかった。当時、アラブ諸国でのナショナリズムの台頭が新たな近代化路線と階級戦争の予感を感じ取った人々はいたが、先進国革命と結びつける路線と組織が見つからなかった。既に、50年代のハンガリー動乱以降に芽生えてきたソ連東欧の社会主義政治経済路線への不信は68年フランス革命と77年イタリア革命で分岐は決定的になった。
78年の中国共産党党内闘争でのケ小平の勝利は過渡期経済の暫定的な路線が敗北に終わった瞬間だったと言っていいだろう。世界経済に於ける金融資本の勝利はこの時から始まった。我々がこの時代の階級闘争から何を学ぶかはきわめて重要である。旧来の社会主義諸国への批判は、スターリンの一国社会主義路線や計画経済路線に対するそれであった。一国主義への対峙として国際主義(革命戦争)が提起され、計画経済に対峙して自主管理が実践されたが、どちらも市場経済と外資導入によって見事に敗北した。そこに於ける教訓は、世界経済に於ける巨大な架空資本の現れである国際金融資本への批判的視座の欠如であり、同時にケ小平がニューヨークの摩天楼に驚愕したという逸話に代表される先進資本主義諸国の象徴たる巨大な商品の集積という消費文化に対峙する視座である。
7.イタリア77年革命から産まれた批判理論
「アウトノミア」や「オペライズモ」といった呼称で我々にも伝わってきた新たな革命路線は、80年代に雪崩を打って崩壊した旧来の社会主義路線に取って代わって提起された、新しい共産主義の思想である。この理論系譜での著名な理論家は『帝国』のA.ネグリであるが、イタリアを中心とする欧州の階級闘争を巡る様々な理論形成の試みは80年代以降の資本主義の変容に対する敏感な反応でもあった。これまで、「ポストモダン」として一括りに批判されることの多いこれらの理論群は、レギュラシオン理論などの50年代後半からの植民地理論の系譜を含むものから、アルチュセールやフーコーといった哲学や社会学などの革新まで幅広い領域に及んでいる。
本稿で私が関心を寄せるものは、最初に提起した吉本/埴谷論争での問題意識である労働者階級の戦後に於ける変遷であり、これらの関連から論じた連合赤軍内部での格闘の意味する所である。つまり、イタリアでの批判理論が提起した労働過程の変容への対峙と我々のそれとの比較という問題意識である。イタリアのアウトノミア運動において提起された占拠闘争や労働倫理への批判は、先に挙げたフォードシステムの終焉とともに始まった資本主義の生産過程の変容と符合している。つまり、従来のプロトタイプの大量生産から少品種少量生産への転換であり、それに適合した労働者の社会的改造という視点が既にこの時点で朧げながら共有されていたと思われるからである。それは、彼らの工場闘争のスローガンが「働くな!」であり、「サボろう!」であり、「社会的賃金の要求(ベーシックインカム)」であったからである。この戦術は、従来のフォードシステムにおける雇用契約とは異なるフレキシブルな対応を要求する直接的な生産過程の変化であり、更には製造業から第三次産業への労働者階級の大量移動であった。このことを、後にネグリが「大衆的労働者から社会的労働へ」という歴史的変遷として捉えている。現在、「プレカリアート」「マルチチュード」「ノマド」といった新しい呼称が流布されているのは、このことを言っているのである。
今世紀に入って、俄に理論戦線に現れた「認知資本主義論」もまたこの文脈の下にあると言える。「認知労働」という資本主義が新たに要求してきた労働者像に対して、我々がどう対峙していくかを、これらの理論は求めている。この労働変容については、コミュニケーション労働、情動労働、知識労働などという様々な言い方があるが、注目すべきはこの労働者像が、次のような労働倫理に支配されているという指摘である。
「不自由・不平等な労使関係を当然のこととして受け入れ、資本のために労働することを人生の価値ある生き方であるという労働倫理…」 * 1
つまり、人間がまるごと資本の為に労働する機械のような存在となる、という指摘である。このことは生涯学習理論や教育システム、人的資本概念として社会的な分業構造としてがっちりと出来上がっているというのが、現代の認知資本主義の姿であるということなのである。
また、更に「認知労働に於いては、労働の結果は頭脳の中に化体しており、…人格からは分離できない。」* 2 と指摘し、24時間賃金労働に従事していると同じであるとしている。とりわけ、人間関係を労働内容とするものやIT産業におけるソフト開発者などはこの指摘がきわめて適合するように見える。すなわち、かつての単純マニュアル労働から複雑な場面適応型の労働への労働過程の変容が労働者を丸ごと変容させられているとする分析なのである。私の解釈が間違っていなければ、これを「生生産」と呼ぶようである* 3。 このような賃労働の変容を受けて、これまでの古典経済学の根幹をなしていた「労働価値」説が無効となっているという指摘にも発展することとなる。
しかし、ここで我々は一つの疑問に逢着する。日本においてはこのような労働者像は既に存在していたのではないか、と。「企業家畜」とか、「労働中毒」といった言葉で表現されていた労働者像は既に60年代には一般的であったと言えないだろうか。本稿第一回で紹介した平川の労働者体験はそれに当たるのではないか。ここに、欧州に於ける労働者観と我々のそれとの大きな隔たりを発見することになる。70年代を通じて、欧州に於ける労働者階級の闘争を顧みると、イギリスでの山猫ストやイタリアの占拠闘争が現在の移民労働者の街頭闘争、占拠闘争へ通じる歴史に比して、日本の階級闘争はスト権スト以降、急速に労働運動が終息していくのは、明らかに彼我の距離を感じざるをえない。68年に於ける世界的な階級闘争の合流が、実は異なった道からの歴史的邂逅であったのではないか、という疑問に突き当たる。従来、これらの日本における階級闘争の沈滞は主体的な脆弱性や暴力的党派闘争に起因するという見方が支配的であったが、客観的情勢への視点が欠けていたのではないかという発見がそこに見いだせる。
イタリアの新しい理論が示している我々への提起は、日本の労働者階級への新たな視点での歴史的分析あり、足下で進行している資本の側の「認知労働」的攻撃への労働者階級の反攻のあり方を問うているように思われる。
このことは、敗北した社会主義の実験がもたらした労働者階級の実態的労働倫理をも分析課題として提起するものである。イタリアの活動家たちが早い段階でマルクスの「経済学批判要綱」の「機械の章」を取り上げたのはその意味できわめて重要である。共産主義における労働のあり方、一般的知性と呼ばれる共有された労働者の知識が果たす役割と現在の「知」の有り様は変革への突破口である可能性があるだろう。おそらく、それは経済/政治/社会を統合する新たな共産主義理論を構築する重要な糧となるはずである。
とは言え、今日我々が直面している労働者階級の危機的な状況に対して、資本の側の攻勢はリーマンショック以降の激化する階級闘争に対してソブリンリスクという新たな危機の醸成による労働倫理の強要を迫ってきている。ギリシャに始まるEUの金融危機は明らかにこの間の資本の側の反転攻勢であることは明らかである。かつて、日本の労働者階級の誕生の歴史をイギリスのエンクロージャーではなく、スペインの小作農民の現状と重ね合わせた歴史家* 4 がいたが、我々の今日の労働者階級の現状を考える上で、極めて示唆的である。平川が60年代に発見した日本の労働者像はまさに産まれたばかりの工業労働者であったのであり、彼らこそは小作農として抑圧され、自らの零細田地を自らの技量で守り切った人々の息子/娘たちであったがため、欧州で一世紀以上をかけて生産された近代的雇用契約の下で長らく農村と切り離された賃労働者とは異なる人たちではなかったのか。団塊二世と呼ばれる今日の若年労働者層が遭遇しているものは、一方で「認知労働」と呼ばれるかつての親世代の封建的労働倫理を強いられながら、他方でグローバル経済の下での低賃金と格差、高失業率に苦しめられている。近代を通過することなく、彼らがかつての封建奴隷の如くに細分化されたサービス事業所毎に搾取されている時、再び街頭での新たな闘争が提起されているのは、再度の異なった道からの遭遇でもある。
提起されるべき新たな運動は、これらの自然発生性を旧い労働倫理を振りかざす疑似改革派に回収させないための社会革命でなくてはならない。共産主義の再定義が求められているのは、まさに現実の闘争の要求なのである。
脚注
* 1
小倉利丸『非物質的労働をめぐって』(People’s Plan 47)小倉氏はネグリの問題の立て方に関して、先進国での労働の変容を認めつつ、「マルチチュードの議論の決定的限界は…『周辺部』が十分に視野に入っていない」と批判している。
* 2
「…生産の目的が問題の解決やアイデアまたは関係性の創出ということになると、労働時間は生活全体にまで拡大する傾向がある。」ネグリ&ハート『マルティチュード 帝国時代の戦争と民主主義』
* 3
カルロ・ヴェルチェローネ『価値法則の危機と利潤のレント化』(「金融危機をめぐる10のテーゼ」)「価値の主要な源泉はいまや固定資本や反復される没個性的な遂行労働にではなく、生きた労働が結集する創造性と知にある。」
* 4
E.H.ノーマン『日本における近代国家の成立』