「アラブの春」の「成功」と誤算
渋谷 一三
369号(2012年6月)所収
1.
『カダフィ大佐が虐殺された。米国の策動に乗ってしまい、核を放棄し、査察を受け入れ経済封鎖を解いてもらったことが、文字通りカダフィの命取りになった。
「アラブの春」がチュニジアから始まったのは決して偶然ではない。カダフィ大佐が唯一虐殺されたこの期に及んでもなお、「アラブの春」がリビアをそしてリビアの石油をターゲットにした米国の策動であったことを承認しがたい向きには、3月19日から5ヶ月の長きにわたってNATOの軍事介入を受けた唯一の国であることに注意することを喚起したい。隣国のリビアへの介入の口実を作るために、チュニジアの政変は是非とも必要だった。』
筆者は昨年このように述べた。
2012年6月25日、エジプトの選管は次期大統領としてムスリム同胞団のムルシ氏が90万票の差で当選したと発表した。決選投票が終わって1週間後の話である。
この1週間の間に軍部との折衝があったことは疑いない。僅差で当選したことにすることで妥協が成立したために、発表前日の24日に大規模集会を開催し、第一回投票で候補者だった青年候補やさまざまの社会階層を反映している候補者との協調を演出して見せた。が、イスラエルの恐怖する選択が行われたことは確かであり、米国のユダヤ人ビューローの圧力によって、軍部はムスリム同胞団が多数派を占める議会を解散させ、大統領の権限を大幅に制限するよう命じた。
リビアとシリアを破壊し、反シオニズム勢力を一掃することを狙った「アラブの春」策動は大いに成功したが、エジプトの青年の登場によって大いなる誤算が生じた。イスラエルとの戦争に負けて以来、親米=イスラエルへ屈服する政権を樹立させてきたエジプトで初めての普通選挙が実施され、よりによって反シオニズムのムスリムの候補が当選したのである。イランの核武装準備とエジプトの政治的反イスラエル政権の誕生という新しい地平が生まれた。
核武装の独占によって中東で軍事大国を作ってきたイスラエルの存立基盤が揺らぐ事態になったのである。
米国の政府筋とCIAは必死の工作を展開している。
2. 青年グループ、ムスリム厳格派、キリスト教徒、政教分離派との間の分断工作
CIAの主要な工作は、各政治勢力間の不信を煽り分断させ軍部系の大統領を誕生させることだったが、この戦略が破産した今、引き続き各勢力の分断を図りつつ、軍部による支配の復活を画策する以外にはなくなっている。
この布石として早速人民議会を解散し、新憲法制定を軍部で行い、新憲法制定までは議会を発足させない=一切の立法権を軍部が握るというなりふり構わぬ軍事支配を開始した。文民政権の仮面をかぶらせていたムバラク政権以下のむき出しの軍部支配である。
この措置によって、エジプト人民の反軍部・反イスラエルの感情はより深く潜行し、確固たるものになっていくことは間違いない。軍部との衝突・流血の弾圧は時間の問題とも言える。エジプト人民がムシル大統領誕生を梃子にしたたかに反軍部闘争を構築していく努力の帰趨に、今後の一切がかかっている。最も強い可能性は流血の弾圧である。盧溝橋事件や先の湾岸戦争時における油まみれの海鳥の例をあげるまでもなく、自作自演の虐殺を政権側がしたかのようにキャンペーンを張りながら「内戦」の形をとった軍事介入をし、ついには民主派を支援するという大義名分を掲げてNATO軍を投入する準備は始められていると見るべきである。
今、エジプトでそうなっていないのは、まさにシリアでこの筋書きによる軍事介入が行われている最中であり、それゆえにNATO軍をエジプトに投入する余力もなければそうする政治的準備も出来ていないからに他ならない。
これこそが、ムスリム同胞団の大統領の一旦の誕生を生んだ背景である。
3.エジプト軍部を通じたエジプト支配
この数ヶ月の状況を規定する概念である。軍部はこの支配を通じてリビアやシリアに対する軍事介入と同じ軍事介入をする政治的準備をしようとする。エジプト人民側はムルシ「政権」を軸に、軍部・米国・イスラエルの軍事介入を可能にする政治的準備との政治戦にいかに丸腰のまま勝利していくかという綱渡りの時空が続く。
4.NATOを通した軍事介入
結局のところ、イスラエルは必ずムスリム政権を倒そうとする。NATOとの戦争にエジプトは勝てるはずがない。軍部は親米・イスラエル屈服派で占められているからである。結局のところエジプト人民の軍事力はシリアのアサド政権の軍事力に頼る以外にはない。米国・イスラエルは「アサド政権の人民虐殺」を作り出し、アサド政権を軍事的に葬る以外に活路はない。三たび四たび人民を虐殺し、その実行犯であるがゆえに手にしうる映像を流して、それがアサド政権による虐殺だとキャンペーンを張るだろう。他に方法はなく、彼らはそんなにやわではない。平然と満州鉄道を爆破するのである。
シリアのかたがつけばエジプトへのNATO軍の介入。これが着々と準備されている既定路線である。
世界の人民の支援・世論の援護なくしてエジプトに春は来ない。