原発による被害を最小限とするために(2)
早瀬 隆一
356号(2011年4月)所収
拙稿を書いてから二週間ほどの時間が経過しました。今、筆者は自身の判断を変えなければならないと感じています。
福島第一原発をめぐる事態は収束の兆しをみせず、放射性物質による汚染は筆者の予想よりはるかに早く進行しているように見えます。福島原発の周辺地では30キロ圏外の地域においても避難が必要と思われる地域が既に生じています。放射性物質が今も放出され続けている以上、そうした地域が今後更に拡大していくことは不可避でしょう。
前稿において筆者は「最悪事態」を今後起こりうる事態として想定していたわけですが、そうした設定自体が誤っているのではと今感じているところです。そこで想定していたのは大爆発による放射性物質の一挙的かつ途方もなく広範囲への飛散といった事態なわけであり、そうした事態の危険性は今なお現実のものです。しかし同時に、そうした事態が幸いにも回避できたとしても、長期にわたり放射性物質の大気・海洋・土壌への放出が続くことを政府や関係機関もすでに認めています。それらの地域に居住し生活し労働する人々にとっては今現在が日々続くところの最悪事態なのだと今思っています。
今至急に求められているのは政府による退避区域の抜本的な拡大の決断と退避者への支援に他なりません。
しかし、ここまでの経過を見るかぎり、TVに登場する原子力工学の学者諸氏は「安全」を繰り返し、マスメディアもそれを無検証・無批判に流すだけで、むしろ「風評被害」の強調に力点を置いているように思われます。そしてなにより政府(政治家)は原発利益共同体ともいうべき経済産業省・原子力学会学者・電力会社等の「安全」連呼の前に無力であり、政府が自発的に果断な措置をとると期待するのは無理であることが明白になってきたと言わざるをえません。厚生労働省が食品や水道水に関する放射性物質の基準値を更に緩和するという、すなわち<安全の水準>を下げ続けることで「安全」を主張するという本末転倒な方針を発表するにおよんで、彼らに<危機的状況下における最後の誠実さ>を求めるのはナイーブに過ぎるようです。政府や諸機関に被害を最小限に食い止めるための情報開示と果断な施策を求めるだけではなく、むしろそれらに期待することなく、人々自身の力と行動で自らと他者を守っていく、そうした行動が重要な段階になっていると思います。
人々の多様な活動はすでに旺盛に開始されています。幼児や妊婦をはじめとする人々への被害を食い止めるという立場から提言や人々への助言を積極的に行っている原子力工学の学者の方が少なからずおられます。チェルノブイリ事故に際して現地で医療活動に従事した経験から幼児や妊婦への危険性に警鐘を発し避難区域の拡大を求めあるいは自主避難を勧めておられる医師の方々もいます。こうした人たちのインタヴューや講演等は動画で広く人々のもとに届けられています。集会やデモが各地でもたれつつあります。むろん人々の行動は多様で無数です。ジャーナリストの広河隆一さんたちは15日には放射線測定器を片手に現地に就き、各地の数値を計測、チェルノブイリでの経験から危険と判断される場合には、当時退避区域とされていた20キロ圏外であっても避難所の責任者にその旨を伝え退避を促されたとのことです。広河さんはまた測定器を市民団体が管理し市民自身の防衛を図っていく旨提言されてもいます。先ほど読んだ地元紙にはシェアハウスを運営している若者たちがネットワークを組み、被災地や関東圏から放射性物質の影響等を恐れ避難する人たちを受け入れる活動を始めているとの記事が掲載されていました。運動の中では情報を市民自ら管理できるよう「放射線測定器を市民に」の声も出始めているようです。それぞれが自ら出来ることを行いつつ互いに情報を広め促進し合っていかねばと思います。
そして筆者はより広範に無数の人々が行っていること、すなわち友人・知人の間で情報交換し、それぞれが健康への恐れがあると推察する地域から葛藤のうちに一時避難し、あるいは肉親・友人などに一時避難を働きかけていること、そうした行為もまた人々による防衛の行動であろうと思っています。少なくともそれらをマスメディアや原発学者のごとく「風評被害」と切り捨てることをしてはならないと考えています。
もちろん、事態は単純ではなく、筆者もジレンマのなかで本稿を書いています。福島原発の周辺地において再興を期して奮闘している被災者の姿やボランティアとして駆けつけた人たちの姿が頭に浮かぶからです。避難を望みながらも勤務先が営業しているために解雇覚悟でなければ避難できない賃労働の人々が30キロ圏外には無数にいるからです。また支援なくしては避難できない病状の方や高齢者の存在もあります。既に避難した人たちの別れてきた仲間への負い目や葛藤も耳にするところです。かかる現実に対しては政府・行政による決断と法的措置や大規模支援が必要であることは歴然たる事実です。十全な支援体制や構えなく自主避難について書くことは無責任かもしれないとの思いも否定できません。しかし、現状においては、避難を希望する意志とその条件がある者から避難し、それを出来るだけ支え、そうした人々の自主的な動きによって、それが生起させる矛盾を含めた状況そのものによって、政府・行政の決断と施策を促す以外に方法がないと思うのです。
以上、現時点での筆者個人の率直な思いを書かせてもらいました、批判を歓迎します。
追伸
今、二つのニュースが入ってきた。一つはIAEAが独自の調査によって飯舘村でIAEAの避難基準の二倍の放射性物質による汚染を観測し日本政府に勧告したというニュース。もう一つは文科省の発表で、30キロ〜45キロ圏内の3地点で蓄積した放射線線量が年間限度量を大幅に超えているというニュース。飯舘村の土壌の問題も各地で年間限度量を超えている問題も早くから良心的学者の方々が指摘してきたことである。政府がこれでも当該地域に退避の措置を取らないというのは筆者には到底理解できない話だ。とりわけ後者については法的な基準であり、国家として国民に保障するとしてきた<安全の水準>のはず。「法治国家」というなら無条件に国家の責任と損害負担のもとに退避措置が取られるのが当然の話。現在伝わってくる「年間限度量を大幅緩和すれば問題なし」なんてデタラメはもうたくさんだ。