資本主義はどのように描かれているか(3)
斎藤 隆雄
350号(2010年10月)所収
〈労働者階級〉の不在についてはどうやら社会学者たちや経済学者たち、経営者たちの共通認識になっているようである。しかし、資本主義を礼賛するような能天気な学者たちとは違い、現代を批判的に見ようとしている彼らは現代世界を変革するための、あるいは現代世界の危機を解明するための方法を探し求めている、主体抜きで?
今回は、前々回取り上げた、ベックの著書の第三部で展開されている、「サブ政治」という言葉を手掛かりに彼らの取り上げる危機への主体を考えてみたい。
1.科学技術
科学技術が経済(生産手段の革新)ばかりではなく、政治に深く関わってくるのは20世紀に入ってからである。科学に対する単純な神話が信じられていた19世紀と異なり、20世紀初頭の二つの世界戦争を巡っては科学技術がもたらした軍事上の変化が従来の政治を大きく変えることになったことは周知である。巨大な兵器の開発は大規模な破壊を瞬時に行うことができるようになって、いわゆる殲滅戦/総力戦が日常化し、とりわけ都市住民は非戦闘員といえども、軍事目標となっていった。しかしこの段階では、その変化が意味する根拠をまだ経済の重化学工業化による軍事技術の変化という下部構造に帰することが可能であった。そして、二つの大戦の最終局面に於いて開発された原子爆弾においてさえ−これには多数の科学者と技術者が国家によって動員され組織されたが−まだ、科学に対しては倫理的な批判しか現れていなかった。(放射能の危険性については、その意識すら希薄だったことは、当時の原爆実験に立ち会った兵士たちの記録映像を見れば一目瞭然である。政府がそれを認識していたが、隠蔽していたという事実はあるにしても。)
科学がそれ自体に対する批判を「科学的に」行うようになったのは、1950年代に入ってからである。ベックはこの変化を「自己内省的な科学化」と呼び、時代の根底的な変化と捉えようとしている。これは前々回取り上げた労働市場における変化と同時一体的なものとして「リスク社会」と呼んだ訳である。
「…科学、科学の応用、そしてそれを受け取る大衆、この三者の間にいかなる関係が存在するか。この点から、科学も二つの発展段階に区別することができる。すなわち、単純な科学化の段階と自己内省的な科学化の段階とに分けられる。」(p317)
R.カーソンが『沈黙の春』を著した頃、日本においてはチッソ水俣工場が大量の有機水銀を有明海に垂れ流していた時代、この時、重大な変化が世界では進行していたということである。それは科学が単純に進歩の象徴として祭り上げられる(科学信仰)ばかりではなく、それに対抗する懐疑のまなざしが生まれ始めていたのである。そして、それは産業革命の初期に生まれた単なる機械の打ち壊しではなく、その科学が生み出すリスクを科学が分析するという時代へと突入したのである。
科学が単純に信仰されていた時代は、リスクは自然そのものの側にあって、それに対抗する科学は全面的に善であったが、科学が複雑化し技術化が進むと科学そのものが新たな自然を生み出していくことになる。科学が科学を扱う人々の間で独占されていた時代には、この新たな自然でさえ科学的に対処できるという信仰は維持できた。しかし、明らかにリスクが可視化され始めると近代化そのもの内部に変化が起きる。
「しばしば攻撃的ではあるが無力な素人の抵抗に代わって、科学に対して他の科学が反抗する可能性が生じてくる。すなわち、批判に対する反批判、方法論批判、および専門分野の奪い合い…」(p326)
「われわれが目下体験している進歩批判、文明批判は、過去二百年間のそれとは違っていることが分かる。批判のテーマは一般化する。批判は少なくとも部分的には科学によって根拠づけられ、科学の定義力を得て、科学をその研究対象にする。このようにして科学批判の動きがはじまる。この動きが進む中で科学内部ではとうの昔に知られていた科学の頼りなさ、視野の狭さ、『先天的な欠陥』が大衆の前にさらけ出される。」(同)
しかしにもかかわらず、科学化が生み出す近代化の進展はその歩みを止めないし、むしろ加速されていく。
ベックはここでいくつかの事例を取り上げている。近代化に伴う文明病がその典型例である。このリスクに対して原因となる産業化を排除することによって防ぐことはこれまで行われてこなかった。逆に、更なる産業化によってそれを防止しようとする。すなわち、労働負担の軽減や環境汚染の改善、健康な生活と十分な栄養補給で克服できるものを、対処療法的な医薬品によって克服しようとするのである。また、大量の化学物質の拡散に対しては、その原因物質の生産中止によってリスクを回避するのではなく、許容値を設定することによって産業化を維持することになるのである。
「化学産業は有害な廃棄物を生み出している。ところが、その『解決法』はといえば廃棄物集積場をつくることである。そしてその結果、廃棄物問題が地下水汚染問題に置き換えられる。地下水が汚染されれば、飲料水の『消毒剤』を生産する化学産業だけでなく他の者まで利益を与えることができる。さらに、飲料水に加えられる消毒剤が人間の健康を損なうということになれば、そのためには医療品が必要となる。この医療品による『潜在的な副作用』については、医療供給システムはその拡張によって、これに対処するだけでない。同時にそれを増加させてしまうのである。このようにして、問題の解決が、問題を作り出すという連鎖関係が成立する。」(p370)
近代化のリスクは誰にも止めることができない。それ自体が連鎖の罠にはまってしまっている、という訳である。
科学への信頼は揺らぎ、その真理や合理性は部分的なものに留まる。かつて、科学的な見解が迷信を打破した時代は遠くへ過ぎ去り、迷信がもたらしていたリスクに代わり科学技術が我々を脅かすことになる。つまり、前近代的と呼ばれた時代の認識構造が近代的認識構造によって塗り替えられたのではなく、そういった時代認識の枠組みそのものが疑われだしたのである。
では、ここで立ち止まって考えてみよう。ベックの言うように科学は自身を顧みて、科学が科学を食い物にしているのだろうか。原子力技術や遺伝子組み換え技術、大量の化学物質の生産と複雑に入り組み専門化した技術体系は彼の言うような様相を示し始めていることは確かだ。彼の著書が有名になったのもチェルノブイリの事件が起こる直前だったということがある。我々の生活の中には科学がもたらした様々な有用性とその裏側にあるリスクを抱えていることも知られた事実である。近代が生み出した様々な技術発展が生活を変えて、今やその技術無しでは生活できない所まで来てしまっている、と考えていいのだろうか。
エコロジー思想がこの問題を鋭く提起していることは既に十年前に本誌で取り上げたのでここではこれ以上問題を展開しないが、ベックの言う科学の「自己内省」は後期近代特有の現象であると言えるかどうかは難しいところである。なぜなら、人間の自然との関わりから言えば人間そのものも自然であるということから、科学が初めから自然の外側にあった訳ではないからである。むしろ科学が自らを当初自然の外側に立てると考えていた節があることが問題であったかもしれない。おそらく人間の手が入り込んでいない自然などというイメージそのものに大きな過誤があったかもしれない、ということをここでは言い添えておきたい。
2. サブ政治
ベックが科学に対して特別の規定を与えたことの当否は、とりあえずおくとして、彼の提起した問題の焦点はそこにはなかったのである。彼が本来「リスク社会」として提起しようとした問題は、この危険を管理できない時代が来たといいたいのである。つまり、これらのリスクが顕在化した時、我々は社会的に対処しなければならないが、そのための社会的機関を持ち合わせていないといいたいのである。
「政治システムの様々な機関にとっては、産業、経済、テクノロジー、科学というような生産の分野がシステムの機能上前提として必要になる。ところが、それによって、さまざまな社会生活領域を永久に変えてしまうような変化が、あらかじめ組み込まれる。そして、そのような変化は全て技術=経済進歩の名の下に正当化されるのである。だが、このような形の変化は、民主主義の最も単純なルール−社会変化の目的を知っておくべきこと、話し合い、採決、同意の必要など−と相容れない。」(p379)
つまり、我々は今起こっている社会生活上の技術的発展による変化に対して、本来予期していいはずの可能性や予想される副作用をひとつひとつ取り上げ検討し、かつ討議にかけるというシステムはどこにもないということである。おそらく、もしそれを討議にかけるとなれば、永遠に決定することができない科学論争があちらこちらで立ち上がることは火を見るよりも明らかである。本来、人々の生活に重大な影響を及ぼす科学技術は政治的な性質の問題であるはずだが、もはや政治システム上には乗らない問題となってしまったのである。科学が科学的に発見されたことで、システム上に乗るようになったにもかかわらず、それは科学の脆弱性故に非政治的なものとなってしまった。
「政治の機関は、自分が計画もしなかったし、形成することもできない発展の弁護人になり、どういうわけかそれの責任も持たなければならない。」(p382)
ここ十数年来、日本においてこれらの問題が政治上の問題となっている。非政治的なものが政治的問題にいきなり浮上してくる。80年代以降、HIV問題からアスベスト問題、肝炎問題、そしてまだまだ解決を見ていない水俣訴訟問題、被爆認定問題等々。企業や政府が行った行動によって生まれてくる目に見えないリスクはこれからも増えることはあっても、減ることはないと思われる。
「政治と非政治が日常的に交代するというのは不気味である。政治家は計画にも意識にもない道がどこへ至るのか誰かに教えられなければわからない。しかも教える人もやはりそれを知らず、興味はほかのもの、つまりそれによって得られるものだけに向いているのである。」(p383)
このように決定的に人々の生活を左右するものが政治的でもなく、非政治的でもないような問題となることを、ベックは「サブ政治」と表現するのである。
「技術=経済的発展は、政治のカテゴリーにも非政治のカテゴリーにも入れられない、つまり何か第三の形の政治、いわばサブ政治という不確かでどっちつかずの存在となる。」(p381)
このサブ政治という領域を基本的人権と議会制民主主義、福祉国家という枠組みで現在の先進国社会の中に見るなら、確かに不確かで不気味な存在として立ち現れていると見える。80年代以降、課題別の多彩な市民運動が様々な領域で生まれてきたという歴史的な事実からするなら、彼のこの著書でいう現象は先駆的な指摘だ。では、このサブ政治の領域で始まっているのは何なのか。
科学技術と経済成長という領域から生まれるサブ政治は、政治的決定を裏側で形成しているが、それは一部の専門家や企業の利益に従属しているが故に、リスクは潜在的なものに留まり、政治的テーマには浮かび上がらない。では、それに対抗する政治とはどこに存在するのか。
「非常に危険な大規模テクノロジーが、企業の約束事の世界から外に出て一般の世界と相互に関わるようになる。」(p408)
「危険の警告を発しているのは、…むしろ最近ではしばしば科学者であり、そのほか多数の市民である。こういう人たちは危険に曝されると同時に、危険について一定の能力や権限を有しているのである。」(同)
ベックが指摘している現象は、実はここ日本において既に始まっていたということを我々は知っている。かの水俣での反公害闘争は彼のいうリスク社会に対抗する新たな運動を生み出していた。彼の言うように、ここでは労働組合は機能しないということを証明したし、政治の表舞台に登場した時は既に膨大な人命被害と犠牲を生み出した後であったからである。そして、裁判闘争に於いては多数の科学者が動員されたし、専門家と市民がスクラムを組んで、街頭デモにおいても、企業との団交・株主総会においても、隠蔽を援護する官僚に対しても闘争が組まれた。そこで直感されたこととは、ベックの言うように「政治は将来の社会のあり方を決定する唯一の、あるいは中心的な存在ではない。」ということであっただろう。しかし、ベックの結論はきわめて常識的なことに留まっている。
「最も基本的なものは、明らかに、強力かつ独立した司法、それからマスメディアの受けてとしての強力かつ独立した大衆である。」(p457)
上の基準に照らし合わせるなら、日本の政治情況はかなり悲観的にならざるを得ない。司法は腐敗しているし、大衆はマスメディアに翻弄されているからである。サブ政治という領域が肥大化している現在にあって、彼の言説が現在どのような結果を生み出しているかを検証すれば、ある程度は頷けるものがある。毎年開かれる地球環境会議や企業への規制、商品の履歴開示、化学物質の報告義務などといった制度創設はリスクを顕在化させないための政治的解決策である。しかし、それは膨大な科学技術の複合的な影響を検証して立案されたものではない。むしろ、このことでますます我々は専門家たちや官僚制への依存を増大させていることになる。
ここ数年、人々が気付き始めていることは、これらのリスクを生み出す根源としての「経済成長」に対する懐疑である。科学信仰を再検討するという作業はかなり以前から始まっているが、それは例えばエコロジーであったり、反科学であったりと、未だ政治的ではなかった。だが、今日人口減少社会へと突入する日本で、この課題はこれから大きな問題となってくるだろう。その際、かつて科学的と自称した社会主義思想は人々の記憶から失われる可能性が現に進んでいる。
サブ政治が政治的課題になじまないという規定は、現代福祉国家社会の民主主義制度に起因しているというベックの指摘は、ある意味、重要である。すなわち、この社会制度自体を変革して行かなければ、この問題を解決することにはならないということを指し示している。多方面の社会運動から非政治である問題を政治に登場させる現象が多発している。公権力が私的な世界、家族、愛情関係にまで介入せざるをえない時代にあって、サブ政治がいつまでもサブでおれるとは考えられない。今、我々の直面している世界はベックの指摘した世界から一歩も二歩も先に進んでいる。
お詫び
前々回、家族形態を言及した部分で「従来、「男尊女卑」という考えは封建的な遺制であり、近代以前の名残であるという指摘が流布していたが」という部分は、やや強引な言説であった。そういった指摘がかつて世間的に流布していたことは間違いないが、既に戦後の社会学的分析からこれらの指摘が誤っていることは明らかである。