低迷する民主党連立政権支持率
渋谷 一三
343号(2010年3月)所収
<はじめに>
75%を越えていた民主党連立内閣支持率が30%台にまで急降下した。マスコミは、小沢さん・鳩山さんの政治資金を巡る不透明さを支持率低下の原因のごとくに断定し、特に小沢さんの退陣を求めている。鳩山さんはいいらしい。何とも勝手な都合だ。そして、この評価は巷間では違う。
巷では政治資金ごっこをしていて政治改革が進まないことに対しての怒りが先で、マスコミがずるずる政治資金問題を引きずることに嫌気をさして、さっさと政治資金問題に蹴りをつけてしまえという怒りに変化してきているのです。マスコミの「ねらい」通りに大衆は操作されてしまっているかのように見える。
人々は、自民党時代の利権誘導の政治に対して政治資金を透明化することを求めたが、小沢さんや北海道教組の主任手当て拠出金の流用としての政治資金貸し付け暴露などには、大ブルジョアジーの小ブルジョア政権打倒の企図を感じ取っている。
ところが、「情況」3月号では、佐竹茂さんが「豪腕政治家・小沢という虚構」と題する論文を発表し、「利権誘導政治屋=小沢」というトーンで、大ブルジョアジーの攻撃に加担する論文を書いている。一体自民党の二階はどうなったのか。こうした単純な質問にも答えられない位置で論文を書いている。本稿は、この論調を批判するとともに、小ブルジョア政権の限界をきちんと明確にし、労働者階級の取るべき態度を提案することを主眼とする。
1.
佐竹さんは、政治資金の流れを知らない政治家などいないと断定する。国会政策秘書の肩書きを持つ人が言うなら「はぁそうですか」
と、引き下がるしかない。仮にそうであってもよい。筆者は、ほとんどの政治家がいちいち資金の流れなどチェックしているひまなど
ないと思っていた。実際、「情況」同月号の佐藤さんの論文には「ほとんどすべての政治資金収支報告書には、記載漏れや誤記があるというのが実態だ。」とある。が、小沢さんが知っていたとしてもよい。民主党政権誕生に期待する票を掘り出し政権交代を実現したのは小沢さんの政治資金なくしては出来なかったことであり、きれいごとをいって自民党政治を延命させてきた政治屋さんは、逆に自民党の利権政治という利権政治の延命にも手を貸していただけなのですから、世迷言を言うでないと言いたい。
そして問題は、なぜ小沢・鳩山にターゲットが絞られているのかという点にあるということは、前々号で述べた通りです。
この点で、私は、佐竹さんの分析にくみしない。佐竹さんは続ける。小沢さんはその潤沢な政治資金でもって旧来型の派閥を形成し、一人ひとりの政治家を単なるイエスマンにして思考停止状態にしてしまう、と。そうだろうか。「小沢チルドレン」とマスコミが名づけた議員たちに金を配るほど資金はあつまっていないし、仮に配っていたとしたら検察の立件はもっと簡単にもっと早くに為されたでしょうと思うのです。
この点で、同、佐藤優さんは検察の実際の動きを、逮捕された石川議員を通じて把握しながら言う。「官僚は、口には出さないが、国民のことを無知蒙昧な有象無象と思っている。そしてこの有象無象から選挙された国会議員は、無知蒙昧の塊くらいにしか思っていない。」 確かに一昔前までの国会議員に対しては、私もそう思う。佐藤さんは続ける。「民主党は官僚支配の打破を本気で考えている。官僚の目からすると、これは自らの能力を客観的に認識することができていない政治家の思い上がりだ。こんな状況を放置しておくと、日本国家が内側から崩壊してしまうと官僚は憂いている。」
私もそう思う。官僚の主観世界はそうだろうと。ましてや元官僚である佐藤さんが言うのだからますます説得力がある。政策秘書の佐竹さんが言うのと同じ理屈で、元官僚の官僚分析は「はぁそうですか」と引き下がるしかない。
だがしかし、である。佐藤さんの言うように、「青年将校化する検察官僚」なのか、と。私はむしろ、佐藤さんが批判する「一部の論者」と同じ立場になるのかも知れない。佐藤さんは言う。「自民党政権に戻そうという動きなのだろうか。これも間違えた見方だ。プライドの高い検察官にとって、民主党がクソなら自民党は鼻クソという程度の認識しかない。」確かにそうだろうと思う。官僚の主観世界は。だが、官僚の主観世界がそうであったとしても、官僚の動きをそこに持っていった、ないし、そうと承知して動かし続けている勢力の階級的基盤はどこにあるのでしょう。私は「自民党政権に戻そう」とする部分ではないにしても、大ブルジョアの利害を追求する部分がその勢力だと考えています。
どうでもいいことのように感じられるかもしれませんが、大ブルジョアの利害と小ブルジョアの利害の対立と捉えれば、労働者階級の利害はどうなのかという問題意識が付随しますが、検察官僚の青年将校のような独走と捉えると、このような問題意識は生じません。
ましてや、佐竹さんのように『小沢=古き利権体質政治家』と捉えるのでは、民主党の勝利の階級的分析も出来ず、現政権の政策分析を小ブルジョアの利害を追求する政権として分析することも出来なくなります。事実、佐竹さんは、小沢さんが「代表をやめたのが民主党の勝因」という分析に陥り、なぜ政権交代が起きたのかを分析できない立場に陥ってしまいました。
2.労働者階級の利害を代表する議会政党を作ってもいいのではないのか。
榎原均さんの研究によれば、労働者階級の政策を実現していくのに、従来金科玉条のように言われてきた奪権が必ずしも必要条件ではない。筆者は、榎原さんのこの研究に敬意を表していますが、短くまとめたり引用できるものではないと判断していますので、失礼ながら、ア・プリオリに措定されたものとして稿を起こします。
フランスは社民政権時代に小ブルジョア農民を残す農業政策を取り、保護政策とともに戦闘的農民デモ等で、農産物輸出国としての地位も保持することに成功した。イギリスですら、一部農産物は輸出できるまでになり、食料自給率は日本よりはるかに高い。
自民党は農業法人による大規模農業に未来を託した。企業による農業経営は、週休2日制も実現可能で、農業から離れていく若者を農業に繋ぎ止めることができるかのように思われた。だが実際に進行したのは、農山村の更なる荒廃の加速と土地すら手放し何もなくなった流民としての農村部居住高齢者の出現だった。これに対する反動として民主党の農村部における地すべり的勝利があった。小沢さんなくしてこの反動を理解していた国会議員は、少なくとも民主党内にはなかった。民主党にあった気分の米民主党のような都市部大衆に立脚したなんとなくのリベラリズム志向だけであり、万年野党が約束されていた。
さて、民主党の圧勝をうけて5000億円に上る農業補償がなされた。だが実際に進行したのは、高齢農民への生活保護的色彩の強い救済措置であり、フランスのような農業生産の小ブル的解決ではなかった。ここに民主党への失望感が発生する。
では労働者階級の農業政策としてはどのようなものが可能なのか。
ソ連邦での集団農業は、国営のソホーズでは官僚的統制とだから働かぬ農業公務員の現出、集団化した農場としての建前のコルホーズでは有力者による支配の再現としての小作農的生産性の低さの現出となり、自営農を中心とする資本主義農業に敗北する水準しか実現できなかった。
ところが現在の日本では、地主の収奪による「農地改革」=自営農化政策が行き詰まり、高齢者が自給用穀物ないし野菜を作るだけの農業の壊滅状態が進行し、残った自営農も安い農産物の輸入自由化により、相対的貧困化が進行し、展望を失っている。また、ブルジョア主導の農協が農業破壊の装置になり、桎梏物に転化している。農民は農協にも支配され収奪されている。
農業企業は雇用を創出するが、大規模機械化農業と肥料付けを良とし、棄民化するであろう大量の小ブル農民をどうするかの対策すら打ち出せないでいる。似て非なるものに農業協同組合がある。現在の、協同組合を名乗って協同組合方式をとっていない農協なるいかがわしい団体ではなく、生産協同組合が農業法人として耕地を耕す可能性が成熟してきている。ソ連時代には有り得なかった条件が成熟している。その条件の「収奪」として資本主義的会社方式による農業経営が小泉時代に模索されたのであった。小規模の農業生産協同組合を各地に設立し、農業労働者が耕作し経営もする。こうした農業経営形態が可能になっている。ある協同組合は「不耕起栽培」を実践し、また別の協同組合は「EM菌有機肥料」栽培を実践し、またある組合は、完全放牧による成分無調整牛乳を流通協同組合を通じて消費協同組合に出荷する。都市部近くの協同組合は都市を意識した農産物生産を専門的に行う。このような農業の根本的改革(再編)を大規模に国家レベルで行う政策を打ち出している党はない。そう、小ブルの農業政策でもないし、大ブルの農業政策でもないからです。だが、こうした再編をするために国家権力奪取が必要不可欠だろうか。小ブル政党に「簒奪」されてもいい政策だし、あるいはまた議会で多数を取った労働者党が行ったところで、軍事的反攻を受けるような政策でもない。だが、こうした政策を打ち出す党がない。
3.新左翼の議会主義批判と「内」ゲバによる自壊を総括して、労働者階級の議会政党建設の是非を真剣に考えるべき時ではないのだろうか。
この項は内部議論も出来ていないので、項目のみとします。読者の皆さんのご意見をお待ちしています。