ベーシック・インカムに学ぶ−山森亮『ベーシック・インカム入門』から−
斎藤 隆雄
339号(2009年11月)所収
山森さんの大変まとまった解説書から表題のベーシック・インカム(以後BIと呼ぶ)について考えてみたい。
BIという政策は論者によって様々に規定され、解釈されていることが本書から読み取れる。そこでとりあえずは最初に定義しておく必要がある。ここでは国際的な機関であるBIEN(Basic Income Earth Network)による定義を基準とする。それによるとBIとは「すべての人に、個人単位で、稼働能力調査や資力調査を行わず無条件で給付される」ものとある。この規定だけを見るなら、機関が「地球」と命名している以上、全ての人類ということだと思われるので、国家や限定された組織などを前提とはされていない。また、経済組織をあれこれと改変するという意味合いも含まれていない。ただただすべての人に無条件に給付される所得なのである。しかし、付随する条件がある。それは「給付」はとりあえず貨幣である、としている(現物給付を主張する論者もいる)。
さて、これだけを聞くと様々な疑問が湧き出てくる。そもそもこれは何なんだ。何が言いたいのか。社会主義の政策か。配給制度か。誰がそれをするのか。何のために、等々。
そこで、まず手始めにBIが社会運動という側面から発展してきたという本書での叙述から学んでみたい。いにしえを辿れば、律令国家まで遡れると山森さんは言うが、それが社会運動か否か定かでないので、1960年代から始めたい。
主に三つの国の運動からそれは顕著に始まったようである。一つはアメリカ。60年代の公民権運動で活躍したキング牧師が、黒人女性が始めた闘いに学んで提唱した、という。この黒人女性達が始めた社会運動は「福祉権運動」と呼ばれて、「60年代後半に大きな広がり」が見られるようになる。最初はAFDC(日本で言う生活保護制度)の受給者が中心で、「ケースワーカーの恣意的な審査、嫌がらせ等に抗議する」ところから始まり、全国組織が作られ、最終的な目標が「適切な保障所得」の要求となった。これが、BIであり、キング牧師の公民権運動に合流して行く。1968年初頭にこれらの要求を掲げて、ワシントンへの行進(貧者の行進)が計画されるが、その矢先の4月4日にキング牧師はメッフィスで暗殺され、それを契機に一斉に活動家が逮捕され、非常事態宣言によって弾圧される。
二つ目はイタリアである。1968年頃から始まる全世界的な労働者/学生の抵抗運動がイタリアでは70年代後半まで持続的な闘いとなって続いていた。その中で、このBIを巡る運動も発展してきた。最初に提起されたのは、ここでも女性達であった。北部の都市パドアの女性達が「家事労働に賃金を!」という要求を掲げた。そして、71年にはそれらの要求を綱領的文書にまとめ、「生産性や労働時間とは切り離された、保障賃金」という表現として掲げられた。本書によると、彼女達の運動が「女性をかえって家事に縛り付けることになる」といった批判や、「労働者階級に分断を持ち込む」といった男性側からの批判もあったと記されている。しかし、おそらくそういった批判を経ながら、上のような宣言の表現文となったのだろう。そして、この宣言が特異なのは労働時間とも切り離された「賃金」という言い回しである。これが、のちに70年代後半から盛り上がる「アウトノミア運動」が「労働の拒否」を掲げて闘ったことと繋がっている。
三つ目は、イギリスである。1968年ごろにバーミンガムにおいて、福祉サービスの受給者を中心に結成された要求者組合という組織が生まれる。構成員は老人、障害者、病人、ひとり親、失業者といった横断的な構成で、徐々に各地に広がり、70年に全国連合が形成され、「要求者憲章」という四つの要求項目がある文書にまとめられた。その中の第一の項目に、BIが明記されている。そこには、「すべての人に、資力調査なしでの適切な所得への権利」と書かれている。このイギリスでの要求が最も分かり易い形式をとっていると思われる。ここでも中心となった活動家たちは女性であった。組合が作ったパンフレットには、もう少し詳細な記述が見られるので紹介しておこう。
「保証最低所得制度の下では、社会の成員は毎週自動的に、資力調査無しで所得を受け取る。雇用されていてもいなくても、同じ額を受け取る。ケースワーカーはもはや給付を却下したり減額したりする権力をもたない。これは個人単位で支払われ、当該個人の雇用歴、婚姻関係、世帯構成、社会保険加入歴、性的関係、他の如何なる価値判断によっても影響されない。」(p.89-90)
このようにイギリスの運動において、本文最初に書いた定義に近い形のBIが現れた訳である。それぞれ経緯や背景は異なるものの、いずれの運動も女性の活動家たちが関わっていることが顕著な特徴である。また、これらの社会運動に関わるBIに対して、さまざまな領域から批判なり吟味が寄せられ、一定の広がりを持ち得たものの山森さんによれば、「1970年代半ば以降は下火となっていき、BIを彼女たちが要求していたことすら、社会から忘れ去られていく」こととなる。
さて、ここからいろいろな論議の可能性が出てくるが、その前に、これらの社会運動の背景にある思想的な流れも見ておきたい。山森さんはそれについて広い範囲をカバーされている。主に西欧の思想史が中心であるが、従来あまり名前の挙がってこない人々もいるので、大まかな流れを辿っていこう。
最初に名前が挙がってくるのが、トマス・ペインである。彼は1791年に『人間の権利』を書いて、フランス革命への共鳴をイギリスにもたらした(イギリスにおいて発禁処分)。既に、1776年に『コモン・センス』、1796年には『土地配分の正義』も著している。この96年の著書の中でペインは、人間は21歳になったら無条件に15ポンドを給付するという政策を提案している。この15ポンドを元手に事業等を起こして生活の基礎を作り上げよ、という考え方である。これは「ベーシック・キャピタル」とも呼ばれ、BIの一種と考えられる。
このペインと同時期に、同じ英国でトマス・スペンスという人物が『幼児の権利』という著書で土地の共有化と剰余の分配を計画している。この分配は年齢や性別などの条件を一切設けないこととなっている。この提案は「スペンソニア」とも呼ばれ、BIとしては「今のところ遡れる最古の提案ということになる」ようである。彼は、18世紀末から19世紀初頭にかけて様々な機会にこの提案を広めようとして、逮捕拘禁されている。
この期の提案は、フランス革命の時代であり、「自然権としてのBI」という側面を持っていた。しかし、その後に現れる提案は幾分視点の異なるものとなっていく。それは、1848年の革命期である。この時期はマルクスの『共産党宣言』が出版された時期でもあるが、ベルギーのジョゼフ・シャルリエがフーリエの影響を受けて、「地代の社会化」と「保証された最低限」の給付を全ての人に与える事を提案している。その際、従来の自然権としての視点と同時に労働に関する捉え方が変化してきている。ひとつは、産業革命以降の産業資本主義の発展とともに大量に作り出された賃金労働という働き方への異義である。土地と生産手段から引きはがされた(自由になった)農民達が「飢餓の恐怖」に追い立てられて工場に吸い寄せられて行くという当時の社会状況と労働観に対する批判としてのBIである。
もう一つは、BIが実施されれば低賃金劣悪労働が忌避されるのではないかという批判に対する反論である。これらの労働(炭坑労働、煙突掃除など)がその社会的役割に相応しい高い賃金を得る事ができ、従事する人々も出てくるという反論を掲げる。
これら二つの視点は当時主流であったマルサス流の人間を動物扱いする労働観への対抗思想であったと思われる。そして、これらを集大成するのが、J.S.ミル『経済学原理』(1849年)の一節である。山森さんが引用しているので、お借りする事にしよう。
「生産物の分配の際には、まず第一に、労働のできる人にもできない人にも、ともに一定の最小限の生活資料だけはこれを割り当てる。……この主義は、共産主義とは違って、少なくとも理論上においては、現在の社会状態にそなわっている努力への動機をば、ただのひとつも取り去るものではない。」
つまり、ミルの言いたいことは、BIが生活を保障してくれるので共産主義のように共同体主義的ではなく競争主義的な現状を維持しながら、生産性を高める事ができるということであろう。この一節のすぐ後の方で、「生活の資をすでに十分もっている人が楽しみのためになす労働」が優れていると指摘している。
この流れの思想は20世紀に入って1910年代にギルド社会主義や社会クレジット運動などに引き継がれる。山森さんの分類によれば、この時、産業化に対して肯定的に捉えていたのがフェビアン主義、サンシモン主義、レーニン主義だとしている。そして、ギルド社会主義は「産業化の負の側面を克服しようという立場」だったとし、産業化に対して否定的であるとしている。名前の挙がっている論者は、A.R.オレイジ、A.J.ペンティ、S.G.ホブソン、G.D.H.コールである。そして、後に社会クレジット運動の主唱者となるC.H.ダグラスが取り上げられている。彼の経済学は後に「過小消費論」として現在まで引き継がれ、連合等が賃金闘争の場面で必ず主張する基調となっている。
ギルド社会主義とは幾分ニュアンスが異なる、このクレジット運動は当時資本主義の中心が産業資本主義から金融資本主義へと変貌しつつあったことと関連している。金融独占に対する批判から金融システムの社会化と「配当」制度を提唱するこれらの考えは、後にJ.M.ケインズの『一般理論』(1936年)やW.ベヴァリッジの『ベヴァリッジ報告』(1942年)とも繋がり、ケインズ=ベヴァリッジ型福祉国家として、第二次世界大戦後の先進資本主義国家が採用するようになる。また、J.E.ミードがケインズとの対話の中でベヴァリッジの拠出金方式(現在の日本の社会保障制度はこれである)よりは税方式の方が優れているとして指摘している。山森さん自身の考えはおそらくこの辺りの系譜を引き継ぐのではないか、と想像する。
以上の流れの中で、70年代以降の社会運動に現れた基本的な方向性が出揃ってきたように思われる。イタリアにおける労働の拒否やエコロジー型のBIもその発祥の地はこの辺りではないだろうか。ネグリの知識労働という視点も古くはミルにまで辿る事ができる、というのは私の勝手な解釈ではある。
さて、最後に幾分筋合いが異なる系譜について付け加えておく必要がある。40年代に保守党系列のJ.リズ=ウイリアムズが国家と個人との契約という形式をとった『社会配当』という提案をしている。これは労働の意思がある者のみに給付されるという提案なので、後の「ワークフェア」という考えに近いものだろう。この提案が戦後M.フリードマンに引き継がれ、「負の所得税」という政策提案に繋がる。(『資本主義と自由』1962年)この政策は既に現在英米では導入されており、まさに今日本では民主党政権樹立により検討されている「給付つき税額控除」のことなのである。この仕組みについてはここでは説明しないが、BIという発想と近しいものとして捉えられている。
山森さんの著書からつまみ食いで紹介してきたBIについて、概ねその姿を想像していただけただろうか。ここで紹介しきれなかったものもたくさんあるが、詳細は本書にあたってもらうとして、では、これらの政策をどのように捉えるべきなのだろうか。
最初に述べた疑問については、少なくとも答えることができるだろう。社会主義や共産主義といった思想系譜では全くないということ、自然権思想や自由主義思想に近いものであるということは明らかであろう。だから、おそらくこれまでこれだけの思想的系譜と運動的系譜があるにも関わらず、日本では左派思想や運動の中では話題にも挙らなかったのであろう。しかし、私はこの政策をだからといって視野から追いやることは賢明ではないと言いたい。なぜなら、この政策が前回取り上げたセイフティネットの問題と深く関わっているからである。更に、これまでの運動の中で培われてきた「労働」を巡る視点は同じBIを異なった姿にすることができるからであり、またこれまで共産主義運動が正面から取り上げなかったエコロジーの問題や生産力主義の問題をも含んだ実り多い課題を含んでいるからである。
ここからは、多岐に亘る諸問題を論議するための土台として、この政策がもつ意味について考えてみたい。まず、これまでの山森さんの解説から見えてくることは、この政策が「労働の成果を所得とする」という当たり前のように見える常識を疑わせてくれることである。働かなくても食べて行けるという、子供や老人あるいは病人等の場合ではなく、充分働けるように見える人々に対しても適応される制度という所がまず驚きである。更に、これまでシャドウワークとして所得を得ることができなかった、生命の再生産に関わってきた労働に対しても正当な報酬か否かは別にして、所得を保障しようという考え方が、また驚きである。しかし、これらのことは産業社会以前の社会においては至極当然のようになされてきた仕組みでもあったことにも気づかされる。おそらく、今もこのようなシステムで労働の成果が分配されている地域が世界中には多く見いだされるだろう。国家の収奪や所有権の問題を別にすればではあるが。
だから、この政策は資本主義経済が発展し賃労働が労働形態の主要なものとなる時代特有のものである。そこには所有と分配を共有していた時代の記憶が残り、支配への抵抗としての権利が明記され、資本主義経済の均衡を実現しようという夢が混ざり込んでいる。とはいえ、これまでの「社会主義計画経済」が示した現実と比して、このBIが無意味だと言えるだろうか。労働英雄が賞賛される社会主義とBIの思想の一部分が示している労働への疑義とは対極の位置にあるように見える。60年代後半から展開された社会運動の中における女性達が闘ったBIの意味とフリードマンが提起したBIとは同じなのだろうか。それぞれの切り口から多様に見えてくるBIの真の意味とは何か解明する必要があるだろう。
BIという考え方は、これまで見てきたように古い記憶を下に戦後福祉国家と名のつく先進資本主義国家の内部で運動として展開されてきたことは重要な意味を持つように思われる。生活保護政策の下で権力の恣意的な基準に翻弄されてきた底辺労働者、失業者、シングルマザー、障害者、病者たちの運動が求めたBIは高度資本主義国家内部における民主主義思想の欺瞞と労働観の変革を求めるものであった。「賃労働ができない者にも生きる権利がある」という叫びがある。そこに、「賃労働をする気のない者にも生きる権利がある」と拡大し、「完全雇用は無理だから、消費主体としての権利を保障する」というフォーディズム思想が介在するようになった。更に、この政策には多様なものを吸引する力が籠っている。民主主義の成立には生きる事が前提だ、と(衣食足って礼節を知る)。
しかし、よく考えてみるとこれらの考え方には共生の視点が欠けている。資本主義が前提だとは必ずしもしていないが、少なくとも資本主義そのものには手を付ける必要を認めていない。また、この政策は基本的には国家や政府という政策主体(徴税主体)が既に埋め込まれている。つまり、BIは国家と言う領域の内部とそうでない外部があるということを暗黙のものとしている。更に所有権の問題にも言及されておらず、賃労働と生きると言うことがぴったりと重なる、それ以上でも以下でもない前提が隠されてもいる。つまり、きわめて未分化な政策であると結論付けることができる。
この政策を共産主義的だと言う人がいるが、それは所得が再分配される事が「共産主義」だと思い込んでいる人々が如何に多いかを示している。資本主義的な文化とイデオロギーが支配している中でこの政策提案は今起こっている事態を見えにくくすることは明らかだろう。ただ、民主主義的な権利の内部で生存権がはっきりとした形で表せる一つの政策ではある。所有権の否定が泥棒を肯定している訳ではないのと同様に、この政策がもたらす可能性については否定すべきではないだろう。その場合、湯浅さんの言う脱貧困にとって重要な考え方である「溜め」という労働者相互の連帯を基準に捉えるという視点が一層重要性を増すだろう。
生活の最低限の保障が労働者階級にとって自らの歴史的な役割を自覚する契機となるか否かは我々自身の文化創造にかかっている。貨幣に象徴される物神崇拝からの自由は長い過渡期が介在するだろうことは今や自明なものと思われる。その長い過渡期にこのBIが一定の役割を果たす可能性は否定できない。とりわけ、女性達がこれまで担わされてきた生命の再生産に関わる労働を変革する契機となることは期待していいのではないだろうか。
BIについては、今後機会があれば今回論じる事ができなかった多様な論点について再論したいと考えている。