セイフティネット
齋藤 隆雄
334号(2009年6月)所収
昨年の金融恐慌以降、製造業大手による派遣労働者解雇、人員整理攻勢により大量の失業者が町に溢れ出した。今年に入って連合と経営者団体とのワークシェアリングを巡る交渉が始まった。しかし、政府がとった対応策は個別企業への雇用保障が中心であり、いわゆる社会全体へのセイフティネットへの積極的な関与は未だに見られない。
一方で、ワーキングプアを取り上げたマスコミ報道や特集番組が組まれ、それらの話題に関する書籍も書店に並ぶようになった。これらのことから、一時のような「自己責任論」は影を潜めた。
しかし、日本のセイフティネットの現状はいかにも貧弱であるというのは、他の「先進国」社会との比較で明らかになってきている。北九州市で起こった餓死事件が、市の福祉行政の残酷な生活保護切り捨てによって起こったのはそれほど昔ではない。
昨年末の東京での年越し派遣村の取り組みで、村長役を引き受けた湯浅氏は90年代からこれらの問題に運動として取り組んできた社会活動家である。彼は昨年、『反貧困』という著書を著している。それによると、現在の日本は「すべり台社会」であるという。一歩踏み外すと、どこまでも落ちていかざるをえない社会である、という。リストラ、倒産、就職難といった「自己の責任」ではない現実によって社会から滑り落ちる人々が大量に生産されている現実を、彼は丁寧に描いてみせる。
「1990年代の長期不況以降、正規から非正規への雇用代替が急速に進み、非正規労働者はこの10年間で574万人増え、正規労働者は同時期に419万人減った。……今や、全労働者の三分の一が非正規であり、若年層では45.9%、女性に至っては、五割を超えている。……
いわゆるフリーターの平均年収は約140万円であり、国税庁の発表では年収200万円以下の給与所得者が2006年、1022万人に達した。もはや『まじめに働いてさえいれば、食べていける』状態ではなくなった。労働の対価として得られる収入によって生活を支えていく、というこれまでの日本社会の『あたりまえ』が『あたりまえ』ではなくなったのである。」(同書p.21)
彼の言う日本社会の「あたりまえ」とは、70?80年代の総中流意識時代のことであろう。端的に言って、当たり前でなくなった時代とは新自由主義の時代のことである。グローバル経済と規制緩和が席巻した90年代以降の日本の経済社会こそが、ここで言う「すべり台社会」という時代なのである。では、この「あたりまえ」の社会とはいつできたのか、そしてどのような基準で作られたのか。それは、戦後高度経済成長の時代に形成されてきたのであり、基準は既に戦前にドイツを手本とした福祉政策があり、戦後の憲法の下で経済の民主化によって形ができてきた。戦後経済復興とともに日本の経済が拡大し、60年代に帝国主義へと成長して一人前の「先進国」へと脱皮していった過程で、「まじめに働いてさえいれば、食べていける」社会が作り上げられてきたのである。当然、その背景にある「食べていける」社会を成り立たせている条件は様々論じなければならないのだが、ここでは言わないでおこう。
湯浅氏の言うセイフティネットとは三段階である。雇用のネット、社会保険のネット、公的扶助のネットである。第一の雇用のネットとは、完全雇用状態を目指す経済であり、政策である。これは非自発的失業を極力少なくする、という経済原則である。しかし、資本主義経済が不均衡であるという現実を指摘し、政府の財政政策によって需要と供給を均衡させるという考えはケインズの思想である。90年代以降の日本の新自由主義経済下では労働者の流動化は議論されても、政府が完全雇用を目指す考えはひと欠片もなかったと言える。彼も言及しているように、バブル崩壊以降の景気後退期に企業は生き延びたが、労働者は切り捨てられ生き延びることができなかった。
第二のネットである社会保険は、保険制度全体が制度疲労を起こしている現状が露呈してきている以上、福祉(ネット)を切り縮める目的こそが新自由主義思想の中心的な企図であったから、制度としての機能を果たさなくなってきたのは至極当然の帰結でもある。年金、医療、雇用のそれぞれの保険制度の崩壊は制度を管理する政府の不作為が直接的な原因であるとはいえ、そのサボタージュを支えた意識は自由主義思想である。とりわけ雇用保険のネットからこぼれ落ちることが初めから分かっていた労働者を大量に生み出す規制緩和=派遣労働者政策は戦後労働法の理念から言えば、明らかに奴隷制度であり人身売買に等しい政策だからである。
第三のネットである公的扶助は、いわゆる生活保護制度であり、資本主義以前から綿々と続いている社会的な制度である。16世紀イギリスで最初の救貧法が制定されたのが今日の生活保護制度の原型であると言われている。この制度が日本で動き始めたのは戦後であり、憲法25条の生存権規定に関わって制定されている。湯浅氏もこの25条の規定を前面に掲げた闘いを組織すべきであると述べている。
以上のようなセイフティネットが公式には機能するはずが、現実にはまったくその役割を果たしていないという悲惨な事実が私たちの前に存在する。しかし、それは意識しなければ見えてこない。膨大な貧困層が社会の下部に滞留しているにもかかわらず、時たま現れる先に挙げた北九州の事件のような事実がニュース紙面を飾り、全体像も分からないままに、たちまち忘れられていく。
湯浅氏は貧困問題を単なるセンセーショナルな問題として取り上げてはいない。確かに、表向き先進国と自称する政府としては、深刻な貧困問題が国内に蔓延しているという事実は隠蔽したいだろうし、マスメディアもこれを取り上げてこなかった。また、これまでの新自由主義が席巻していた時期には、第三世界での貧困問題を引き合いに出しながら自国の貧困問題は「ぜいたくである」と一蹴していた。彼はそれに対しアマルティア・センの「潜在能力」概念を使って、先進国の貧困問題を論じている。更にその考えを発展させて、彼独自の「溜め」という考え方を使って、この課題に対して立ち向かおうとしている。「溜め」とは労働者の人間的な生活の広がりと結びつきのことである。家族や友人、教育的な蓄積や財政的なゆとりなどを総称して彼は「溜め」と言っている。最後のネットである公的扶助、生活保護政策さえ機能していない今日、労働者はこの「溜め」を横につなげなければ生きていけない時代になったのである。
しかし、この湯浅氏の活動は80年代以降政府とブルジョアジーによって解体されてきた戦後労働運動の基本的な役割を復権させようとしているようにも見える。また、事実彼の活動を取り巻く運動体には労働組合も関わっているようである。かつての総評労働運動において「ぐるみ闘争」と言われた地域家族一体となった資本家たちとの対峙関係を彷彿とさせるのは私だけであろうか。しかし、時代は資本主義が高度に発展し、架空資本が世界市場を跋扈する中で、これらの復権運動はかつてとは大きく形を変えているのも事実である。歴史上、労働運動がブルジョアジーのイデオロギーに屈服し、労働者上層の企業別正規労働者の組合としてたかだが二割程の組織率で生き残った組織とは何だったのかを今一度振り返る必要もあるだろう。先進国の第三次産業を中心とした労働者群の分断され階層化された労働者を如何に組織するか、「溜め」を如何につなげていくかはきわめて困難な課題である。
彼の活動は「反貧困ネットワーク」という形で今様々な組織と連携していることが書かれている。労働組合はもちろん、サラ金問題やフリーター、シングルマザー、障害者などが関わる社会運動とも連帯している。これらの個別課題を束ねてひとつの運動にすることは長らく日本の社会運動の課題であった。が、きわめて困難な課題でもある。
彼は言う。
「私たちの目指す支え合い・社会連帯は、個人・団体・社会の"溜め"を増やし、政財界に言い逃れをさせないための、物言う支え合い、異議申立てする社会連帯でなければならない。」(p214)
労働者下層の異議申し立てする社会連帯は、きわめて革命的である。「政財界」(ブルジョアジー)は恐怖するかもしれない。あるいは懐柔するかもしれない。おそらく後者であろうが、彼が賢明であるのは、「特段の要求をしているわけではない。労働基準法、生活保護法、そして憲法。それらの基本的な法を守ってもらいたいと言っているにすぎない。」と言い切る所である。これは、おそらくこの二十年間の新自由主義時代に進行した反労働基準、反生活保護、反憲法という現実に対する切り返しである。
大ブルジョアジーが新自由主義思想をこっそりと懐の中に隠し始めた時、反貧困を掲げて社会連帯を組織していこうとする活動は優れて正しいものだが、おそらくこれから労働者上層と小ブルジョアジーたちは反撃に出てくるであろう。パイが縮小していく中でセイフティネットを充実させていく政策は、富の奪い合いが自覚されればまっさきに潰されていく運命にあることは想像に難くない。かつて17世紀末にイギリスで制定されたスピーナムランド法が辿った経緯はその好例かもしれない。当時イギリスにおいて、働く当てもない失業者は強制収容されて労働させられていたが、この法で初めて自宅にいてパンの配給が行われたのである。しかし、それを見た資本家たちは生活保護を当てにして賃金を切り下げたことでパンの配給を支えていた財政が破綻し、それまでは税を納めていた側の小農民達が生活保護を受けることになったのである。そしてついに18世紀初頭には廃止されることになった訳である。これは、アメリカにおいては生活保護を受けている労働者を雇用して利益を上げている世界最大のスーパーマーケットがあるが、まったく同じことが繰り返されている。
「貧困が大量に生み出される社会は弱い。どれだけ大規模な軍事力を持っていようとも、どれだけ高いGDPを誇っていようとも、決定的に弱い。そのような社会では、人間が人間らしく再生産されていないからである。」(p209)
アメリカのことを想定して言われているのだろうか。アメリカは貧困を大量に生み出している社会であるが、つぎつぎと移民を受け入れて人間そのものを使い捨てている。おそらく、これからもそうして自らの社会の強度を保つはずである。日本はこれから英米系の政策をとらざるを得ないだろう。社会のシステムを英米系に変革してきたこの30年間をブルジョアジーたちは無駄にはしないはずである。
貧困を生み出す、あるいは貧困が生み出るとは、資本主義経済である限り必然的な結果なのである。できるだけ少量にする努力をしましょうという意味であるなら、ケインズ主義的である。人間が人間らしく生きるには、社会的富の生産と分配の仕組みを根本から考え直す必要があるが、それを真摯に作り出していく視点をこのセイフティネットの制度を考える際に必ず求められるはずである。でなければ、今度は大きな政府への批判に耐えられなくなるし、悪くすれば官僚主義批判の序列の末席に追いやられるだけかもしれない。セイフティネットが経済制度として落ち着く先は、ブルジョア政治を支える労働者上層が政府の財政支出に耐え得る範囲なのではないか、という一般的な結論に対し、どれだけ人間らしさ論が戦い得るかは、社会的連帯の理念の深さによるのではないだろうか。
最後に、共産主義者はこの制度に対しどのように対峙してきたのか考える必要がある。今や計画経済が歴史的に敗北した限り、市場経済をどう批判するかがするどく問われている。資本主義経済がすくなくとも不均衡市場であることは明らかである以上、非自発的失業は必然であり、景気変動による大量の失業者が生み出されるのも、本源的蓄積期の経済にとっては大量の労働者の流動と失業が生み出されるのも原理的に明らかである。しかし、それに対置するべき制度設計が未確定であることも確かである。これまでの計画経済では資源の無駄な生産と非効率なシステムしか生まれないであろう。(このことについては、稿を改めて論じる予定である)
いくつかのことが明らかになってきている。労働市場が生産物市場とは異質であるということや金融市場の暴走は避けられないということ、架空資本が現実資本を支配するという資本主義の構造は歴史的な必然であるということなどである。資本主義のそのようなシステムを、法で修正していくという現在の社会運動がいつの時点かで社会そのものを質的に転化させうるのだろうか。すくなくとも、17世紀末の英国でのセイフティネット形成から二百年以上が過ぎた中で、それが確からしくは見えない。方向性は、湯浅氏が奮闘している社会連帯運動の政府や法や制度そのものから距離をおいた闘いにこそ光明があると見るべきだろう。共産主義者は常にその連帯運動の現場にいなければならないし、そこからしか変革の芽が生まれないことは確かである。
政府と企業の結託に楔を打ち込み、政府と労働者が連帯するという図式が民主主義を梃とした社会運動の隠れた図式であるが、最も矛盾に満ちた社会的に打ち捨てられた労働者の生きるための方策は労働市場や政治舞台の中にはどうやらなさそうだと、直感できる。社会運動を調整する人々が必要であることは疑い得ないし、異なる領域に繋がる開かれた窓は必要であるが、彼らが生きていき、我々が生きていく社会的基盤の設計図が別個に求められているように思われる。政府を巡る争奪戦ではなく、我々自身の設計図の下で政府機能を利用するという発想がこの間の運動の基底にはあるように見える。これはもう一つの政府を作る作業であるかもしれない。今ある権力政治と平行した社会というイメージはやや空想的には見えるが、若い活動家たちの軽やかな動きを見ていると、そういう可能性を想像してしまう。学ぶべきことがそこにはあると、変革の萌芽がそこにあると言える。