新自由主義と階級闘争
齋藤 隆雄
328号(2008年12月)所収
「小さな政府」が名実共に消滅した。元々、実態とかけ離れた「小さな政府」の幻想は、もはや言い繕うことのできないほどに、雲散霧消したと言って良いだろう。ヘッジファンドで有名をはせたJ.ソロスが最近のインタビューで、「政府の介入なしには市場が崩壊してしまう局面にある。市場は政府の介入を必要としている。」と答えている。彼の持論は、今日の金融資本主義が実体経済と乖離した所で行われているというものであるから、こういう発言も当然ではあるが、一方で、この期に及んで未だに「市場に任せよ」と言い切る論者もいるようだ。そして、意外な事にこれらの市場主義者(小さな政府論者)は、政府が救済しようとしている金融機関への反発-中小零細を見捨てて、大資本を救うのか―という小ブルジョアジーの声を代表している。アメリカ議会が一度は金融救済法案を否決したのは、その現れである。
昨年夏より始まったサブプライム問題の表面化から今日の金融恐慌局面に至る一連の出来事は、08年九月のリーマンの破綻を契機に一挙に進展した。株式時価総額でみると、07年十月63兆500億ドルで史上最高額を記録して以降、08年の夏までに49兆628億ドルまで下落した。約2000兆円が吹っ飛んだ計算になる。そして、更に九月危機以降は、約一ヶ月あまりで31兆ドルとなり、ピーク時の半分となり、およそ一年で30兆ドル以上が消滅した計算になる。その数字は2003年末の株式時価総額と同じである。ちょうど五年間、ITバブルがはじけて以降の上昇局面が清算されたことになる。
言うまでもないが、これらの数字は信用・投機資本主義経済の架空資本部分の数字であり、各国政府はこれらの信用収縮に対し、大量の資金供給を行い流動性を確保しようと躍起である。金融市場への規制と管理、資金供給という政策以外に現時点で取りうる政策はないだろう。今後、これらの信用収縮が実態経済へ波及していくにつれて、財政政策も取られていくだろうが、労働者階級にとってこれらの問題をどう捉え、如何に対応するかについては、一筋縄ではいかない課題である。
ブルジョアジーが「百年に一度」と形容している今回の恐慌は、1970年代後半より30年間続いた「新自由主義経済」という一連の資本主義の変容に終止符を打つものになるだろう。この30年間を一言でまとめるには容易ではないが、あえて言うなら先進資本主義国に高蓄積された貨幣資本を世界単一の金融市場へとまとめあげ、架空資本取引によるマネーゲームによって富の偏在を一挙に進めたということであろう。しかし、そのことの裏面には世界資本主義の歴史的な金融インフレによって第三世界経済を世界資本主義に組み入れたということも見ておかなくてはならない。中国を筆頭とする東南アジア、中南米、ロシア等の経済の拡大はこの間の金融世界市場形成抜きには考えられない。
ハーヴェイがこの30年間の「新自由主義経済」を周到に準備されたブルジョアジーの巻き返し戦略であったと指摘したのは、概ね間違いではないだろう。経済のみならず社会、文化、イデオロギーといった装置総体を変容させた30年間の総決算の局面にあって、我々は次に来るであろう新たな局面をしっかり見据える事が求められている。
I. 何が起こっているのか―恐慌局面の真実―
「新自由主義経済」は、70年代末米国におけるケインズ政策の最後の政権(カーター)が現実の世界経済の進行に抵抗しきれず、80年代のレーガンに席を譲ったところから始まる。既に、その時点で金ドル交換停止、変動相場制への移行の中で世界の金融資本はオイルマネーをユーロドルの形で世界中を駆け巡っていた。しかし、この時点では各国政府の金融制度はIMG-GATT体制の諸規制が残っており、尚かつ今日のような通信網が成熟していない段階で最初に手が付けられたのが、イデオロギー装置の「新自由主義化」であり、政治手法の新自由主義化であった。
欧米の経済政策が有効需要政策(ケインズ政策)から通貨管理政策(マネタリズム)へと移行していくにつれて帝国主義各国は世界の金融市場にはだかる障壁を順次取り払っていく事で資本移動を急速に高めていくことになる。
ケインズ型の経済政策が何故崩壊したかについては諸説あるが、第一にはゆるやかなインフレによる金利生活者の消滅をめざした事が、既に製造業の斜陽化が進行していたアメリカ経済に対して決定的な要因であったことである。ハーヴェイの分析から考えて、アメリカを中心とする金融ブルジョアジーの巻き返し政策にはケインズ政策への攻撃が必要であった。第二に、インフレそのものが歴史的停滞期にあったアメリカ経済を多国籍企業化させ、国内的には不況下のインフレ(スタグフレーション)を招き、階級戦争を激化させたことである。そして第三に、ケインズ政策そのものが戦後IMF-GATT体制を基本においた国民経済体制を前提にしていたことである。変動相場制に移行していた当時の世界経済にとっては桎梏となっていたと言える。更に第四に、財政政策の展開のために組織された政府諸機関そのものが肥大化したことで硬直化したことが挙げられる。いずれにしても、ケインズ政策は世界恐慌以降の資本主義経済を国家管理化することで乗り越えた一時代が終焉を迎えたことになる。
90年代に入って、急速に発達する通信網が各国毎に自立していた金融市場を結びつけ、世界単一の資本市場が成立する事になった。そこに立ち現れたのは、「他人のお金を資本化する信用資本が投機によって増殖する時代」だったのである。グローバルマネーと呼ばれるこれらの信用資本は、「将来の利益に対する請求権であって、現実に投下されている資本に対する処分権は持たない」存在であり、更にそれらは「架空資本を取引する事で蓄積していく」のである。まさに、「バブルとその収縮、これを繰り返す事」が運命づけられているのである。(引用は、榎原均ホームページより)
とりわけ、2003年以降米国の住宅バブルを中心としながら、対イラク戦争をきっかけに、一次産品への投機資本の流入による価格騰貴と株式・債券市場の活況によって、世界のGDPの4倍にあたる500兆ドルを上回る取引が世界を駆け巡っていた。日銀元理事の平野が、「世界の実体経済が一だとすると、金融経済の規模が四、レバレッジをかけた見かけの上の元本は十に膨れ上がった」と証言している。今回の金融恐慌の発端を作ったのは、このレバレッジによる膨れ上がった経済に対するリスクヘッジのために作られた金融商品そのものから始まっている。
今回の金融恐慌のきっかけを作ったサブプライムローンやCDSの特異性は一国経済ではなく、世界経済全体を直接巻き込んだ世界金融資本の姿を露にしたということである。グローバル経済の実像がそこに焦点を結んで誰の目にも分かるようになったことである。従来から指摘されていた世界の資金循環は、アメリカの消費経済(世界のGDPの1/4)を軸にして世界貿易の拡大とそれを支える新興資本主義国の安価な労働力が実体経済を形成し、そこから生まれる膨大な剰余を世界金融市場内部で実体経済に再投資されることもなく、架空資本として循環していたということである。問題は、生産に対する消費自体がサブプライムに代表されるように膨大な借金による消費であり、将来の賃労働収入を担保に入れるという債務労働者化を進行させていることである。そこから生まれる脆弱性(リスク)が更に金融資本間の賭博競争とヘッジと呼ばれる架空資本を拡大させた訳である。
今日の危機はマネタリズムや新自由主義経済の行き着く先を証明したが、それは実体経済的には過剰生産であり、金融経済的には過剰資本である。もしこれらの危機を市場に任せるなら、銀行/証券/ファンド資本の破綻とそれに連鎖する生産資本の破綻が続くだろう。貨幣と生産活動の収縮は1929年世界恐慌を上回る規模になることは疑いない。世界中に失業者が溢れかえり世界革命の条件が急速に成熟するだろう。ブルジョア階級の最も恐れているシナリオが展開する事が明らかな以上、彼らが手をこまねいているはずがない。マネタリストたちの処方箋は流動性の確保であり、ブルジョア同士の疑心暗鬼を解消し当面の運転資金を確保することに躍起になっている訳である。
また、危機の世界性から各国政府は財政政策の出動を模索しているが、これは世界経済が一つに結びついている以上、かつてのケインズ的政策が無効である事は既に明らかである。有効需要政策がもし可能であるとすれば、その条件は世界政府以外にはありえない。G8からG20への拡大はその試みの淡い願望の現れであるだろう。
新自由主義経済とグローバル経済が生み出した今回の危機に対するブルジョアジーの自然発生的な方針は、リスクマネーの管理(CDSの取引市場形成)とドルの価格調整である。財政政策(有効需要政策)は労働者向けの宣伝戦でしかない。彼らにできる事は、次のバブルを準備すること以外にはないだろう。
しかし、他方で労働者階級の取り得る方針もまた限られたものである。各国の社会民主主義勢力は財政政策とセイフティーネットの拡充ということ以外にめぼしい方針を持っていない。革命派は、政府打倒と世界革命という方針以外に何を準備しているのであろうか。主体的条件をさて置くとしても、実現すべき社会のグランドデザインが明らかに欠如していると言わざるを得ない。我々はこれを主体の危機と呼ぶべきだ。
次回からこれらの主体の危機を含めて、我々が取り得る方針を検討してみたい。