闘う労働運動の発展―共産主義と労働運動の結合を!
流 広志
323号(2008年7月)所収
G8洞爺湖サミットが終わった。日帝福田政権は、ホスト国としての存在感をアピールしたかったのだろうが、これといったはっきりした成果は上がらなかった。一部マスコミでは、サミット不要論まで出る始末である。
札幌や会場近辺で世界各地からの参加者を加えて繰り広げられた抗議行動に対して、公安権力は、二桁の逮捕・弾圧を加えた。また、事前弾圧も加えられている。日帝権力は、韓国から参加を予定していた労働運動活動家などの入国を阻止するなど、反グローバル運動が国際主義的闘いとして発展するのを妨害した。これらの日帝権力の妨害をはねのけて、全国各地で何万人もの人々が、反グローバル運動に立ち上がった。
それに対して、日和見主義的国際労働運動の国際労働運動総連合に合流している「連合」は、7月10日付けの古賀事務局長「北海道洞爺湖サミット閉幕にあたっての談話」をホームページに掲載している。内容は、前号で暴露したレーバーサミットの「声明」「新潟アジェンダ」と同じである。
以下、労働者大衆を資本の奴隷にすることに協力させている日和見主義的国際労働運動の一部隊の「連合」を暴露し、闘う労働運動について、国労と全日建連帯労組関生コン支部の2例を簡単に見ておきたい。そこには、資本主義批判帝国主義批判・共産主義と労働運動の結合、プロレタリアートを支配階級へ高める教育・訓練、政治社会闘争と経済闘争の結合、の具体的で生きた姿が見られる。
おそまつな「連合」事務局長「談話」の洞爺湖サミット評価
まず、この「談話」は、「首脳宣言は、核兵器削減や北朝鮮の核申告の検証の重要性の指摘とともに、首脳宣言として初めて拉致問題を明記したことは注目に値する。しかし、グローバリゼーションの下で拡大する経済・金融危機や社会不安、原油、食料価格の高騰が世界中の最も脆弱な人々に深刻な影響を与えて生じる飢餓や貧困、また待ったなしの危機的状況にある地球温暖化問題などに言及してはいるものの、それらを打開していくための強いメッセージにはなっておらず、世界の働く者とその家族の期待に十分応えるものにはなっていない」と述べている。これはそのとおりである。世界的な富と貧困の対立の先鋭化に対して、洞爺湖サミットは具体的かつ真剣に解決しようという意思さえまともに示さなかった。
つぎに、談話は、レイバーサミットで採択された労働組合声明を福田首相に申し入れたとして、要点を6つあげている。
「連合は、今回のサミットに先立ち、政府・各省への要請などに加え、5月11日〜13日にITUC(国際労働運動総連合)、TUAC(OECD労組諮問委員会)、G8諸国労組等の参加を得てレーバーサミットを開催した。採択された労働組合声明を福田首相に申し入れ、(1)拡大する経済・金融危機への対応、(2)公正な分配を政策の中心にすること、(3)飢餓、貧困、エイズなど開発途上国へのコミットメントの遂行、(4)グローバル化の社会的側面の構築とハイリンゲンダム・プロセスへの労働組合の効果的な関与、(5)気候変動への取り組み:気候変動問題解決のカギとなるグリーンジョブへの転換、(6)核拡散防止と軍縮に向けた努力、などについてサミットの議論に反映させるよう要請した」。
ここに現れているのは、基本的に、ネオ・コーポラティズム路線であることは前号の拙稿で暴露したとおりである。それは、「(2)公正な分配を政策の中心にする」と述べて、生産・労働ではなく分配を中心政策に押し出していることや、「(4)グローバル化の社会的側面の構築とハイリンゲンダム・プロセスへの労働組合の効果的な関与」というように、あらゆる労働者大衆、労組に組織されていない未組織の労働者や大衆を入れないで、労働組合のみの「効果的な関与」を謳っていること、に明らかである。つまり、それらの多数者を引き入れないで、少数者の労組のみの政策決定プロセスへの参加を要求しているのである。
それに対して共産主義者は、「プロレタリアートの全体またはその圧倒的多数者、膨大な多数者だけでなく、勤労し、資本に搾取されている人々の全大衆プロレタリアートの全大衆をプロレタリアートの革命的前衛、すなわち彼らの共産党の背後に引きつけ、これにしたがわせること、搾取者にたいするあくまでも大胆な、仮借ない、断固とした闘争のただなかで彼らを啓蒙し、組織し、教育し、規律に従わせること、すべての資本主義国で人口のこの大多数者をブルジョアジーへの従属から引き離し、プロレタリアートとその革命的前衛との指導的役割にたいする信頼の念を実地の経験にもとづいて彼らに鼓吹すること」(「共産主義インタナショナルの基本的任務についてのテーゼ」1920年8月6日『コミンテルン資料集T』大月書店 197頁)を一つの任務とする。
そして、「談話」は、「しかしながら首脳宣言では、世界経済について、G8諸国経済の長期的強靱性および将来の世界の経済成長に関し、引き続き肯定的であるという認識を示しているが、これはあまりに楽観的であり、市民生活の実態や不安とはかけ離れたものであると言わざるを得ない。また、公正な分配への視点がまったく見当たらないばかりか、昨年の宣言で強調された「企業の社会的責任」についての言及が今回は大変弱々しく、「グローバル化の社会的側面」の重要性を強調した昨年のハイリンゲンダム宣言からは大きく後退したと言わざるを得ない」と批判する。
言うまでもなく、米帝を筆頭とするG8の頭目たちが、自らの統治や支配を脅かされないのに、「G8諸国経済の長期的強靱性および将来の世界の経済成長に関し、引き続き肯定的であるという認識」、すなわち、資本主義経済の強さや成長についての自信と自負をなくしたり、自己を没落しつつある階級の政治代表と自己認識したり、自己批判することなど望むべくもない。そして、「公正な分配」や「グローバル化の社会的側面」について真剣に取り組むなどということもありえない。
この「談話」が頼りにする「レーバーサミット」の「声明」は、かれらが、G8やあるいは世界の労働者大衆の先頭に立って、その利害、その怒り、その不満を取り上げ、先頭にたって、それらをG8政府や支配階級に対してぶつけることなしには不可能なことを、労働担当大臣への申し入れ程度の気楽なやり方でやろうとしている。ストライキや直接行動や街頭行動などの行動抜きに、G8首脳が一ミリでも、大衆の要求に大きく譲歩することがありうるなどという幻想を振りまくことで、かれらは、労働者大衆を騙しているのである。かれらは、資本主義経済の成長を助けることによって分配を大きくしようと望んでいる。
しかし、資本主義を打倒し、搾取を廃止すれば、ものすごい余剰が生まれ、大幅に労働時間を減らすことができることは、旧ソ連の経験でも明らかである。もちろん、ソ連に、さまざまな問題があったことは言うまでもない。とりわけ、前号斎藤論文が指摘しているような、生産と消費のアンバランスな関係については、いわゆる経済計画論争以来問題とされてきたものであり、90年代に、拙稿においても、旧来の計画に代わる新しい計画という形で問題を提起したし、その後も、そうした試行錯誤や問題の検討を続けてきたところである。経済計画論争におけるハイエクらの主張については、森嶋通夫氏がすでに暴露しているとおり誤りであるが、だからといって、問題の困難性が解決したわけではない(森嶋通夫『思想としての近代経済学』岩波新書参照)。というのは、実際に、森嶋氏の考えどおりの、スーパーコンピューターによる指標的な需給調整(しかも試行錯誤を含む)という形の計画経済はどこでも行われていないので、実際の経験で、それを確かめることができないからである。これは、理論上可能だというにすぎないのである。
環境問題については、「環境・気候変動については、G8各国は、(1)2050年までに温室効果ガスを50%削減する目標を各国で共有し国際交渉で採択、(2)野心的な中期国別総量目標を設定する、(3)主要排出国は2009年末までに拘束力のある削減目標を約束する、等について合意した。しかし、長期的目標の起算時期が明確ではないこと、中期目標では具体的な数値を明示していないなど、総じて曖昧な内容に終わっている。また、G8労働大臣会合でも取り上げられたグリーンジョブ戦略についての言及がなかったことも残念である」と批判している。実効性のある対策はなかったということである。これはそのとおりである。
次に、「開発・アフリカ支援について、感染症対策、母子保健、保健従事者の育成を含む保健システムの強化への取り組みやNGOの重視などが謳われたことは評価できるが、支援のための資金の裏付けがなく、実効性が危ぶまれる。日本政府の議長国としてのさらなるコミットメントが必要不可欠である」として、これもまた資金の裏づけがないという実効性のない空約束であり、きれいごとの確認に終わっていることを指摘している。
そして、「また、昨年はディーセントワーク・アジェンダへの支持が強く打ち出されたが、今回は全く言及がない。「ディーセントワークの創造」は、貧困削減を実質的に担保するための重要な要素であり、この部分の欠落は極めて問題である」として、貧困対策として、「ディーセントワークの創造」に触れていないのは問題だとしている。「ディーセントワーク」によって、正規雇用労働者の「仕事と家庭」の両立をはかり、労働時間を短縮し、雇用を増やそうというのである。しかし、それは、現在の資本の階層編成と労働の階層編成の抜本的な変革なしに実現できないが、それを長時間労働の文化の変革という文化問題に切り縮めては、とうてい不可能である。複数化され分断されている労働市場を統合することも必要である。もちろん、根本的には搾取を廃絶すれば、労働時間の大幅短縮ができる。
「食料安全保障については、国際労働運動がG8に求めていた対応にも沿うものであり、輸出規制の撤廃や最も脆弱な人々への緊急ニーズへの取り組みは歓迎したい。しかしながら、中長期的な対応については、食料費高騰の一因とされる投機マネーの監視等、真因への切り込みがされておらず、根本的解決とは程遠い」。
これについては、バイオエタノールの生産増大や中国・インドなどの新興工業国の需要増その他の要因について、G8も「談話」も触れておらず、「談話」の言い方だと、まるで、投機マネーが食料費高騰の真因であるかのようである。
「核軍縮・不拡散については、すべての核兵器保有国に透明性をもって核兵器を削減することを求めることが盛り込まれ、2010年NPT再検討会議の成功についてG8の決意が示されたことは歓迎するが、核保有国の核兵器廃絶に向けた具体的実行の担保が不可欠である。また、拉致問題については、首脳宣言に初めて文言が盛り込まれ、各国首脳の支持を得たことは評価する」。
これも、世界一の核大国アメリカが、冷戦崩壊という核保有の最大の正当化理由が消滅したにもかかわらず、大量の核兵器を保有しつづけている理由について述べていない。核兵器は、世界支配のための、帝国主義世界秩序の維持のための、そして、世界の被支配階級大衆に向けられた「棍棒」である。その必要は、冷戦があろうとなかろうと核保有大国にとって変わらないことを、冷戦崩壊後の約20年の実際の歴史が示しているのである。それについて、「談話」はまったくスルーしている。あたかも核兵器は、超階級的で階級性、階級支配とは無関係な一般的「悪」であるかのように描いているのである。
「G8サミットについては、「首脳が自由闊達に議論することが目的であり、具体的成果を求めるべきではない」との見方もあるが、国際社会の安定と発展に不可欠な存在として世界の市民社会からの信認を得るためには、今回の合意事項の具体的かつ着実な実行のみならず、論議不十分な点のフォローアップの推進が伴わなければならない。
連合は、引き続き、グローバルユニオンやG8諸国労組と連携し、国際機関、政府間会合、各国政府に対して、グローバル社会における不公平、不公正の是正や持続的発展に向け、具体的な行動を求めた取り組みを進めていく」。
ここで、「連合」をはじめとする国際労働総連合どの資本主義的な国際労働運動潮流が、自分たちを「世界市民社会」という位置において、その代表者、代弁者として振舞っていることを明らかに示している。この「世界市民社会」という抽象物は何なのだろうか? 国際連合のことだろうか? 単なる理念なのだろうか? それはこの「談話」からはわからない。いずれにせよ、「連合」は、グローバル社会を基本的に容認して「持続的発展」させる立場に立ち、その上で、その不公平や不公正を是正する改良を進めるということを宣言しているのである。しかも、それを、グローバルユニオンとG8諸国労組という先進資本主義国の自由主義的労働組合と連携して、国際機関、政府間会合、各国政府に訴えかけていくというのである。しかし、その実効性は、各国政府の、つまりは支配階級の強制力によって確保せざるを得ないのである。結局、かれらは、政労使一体のネオ・コーポラティズム体制の構築を目指しているのであり、広範な労働者大衆のエネルギーを引き出して、その大衆的力の圧力によって、支配階級に政治意思を押し付けるのではなく、議会や政労使の入った政府の審議会などの協議機関などでの「話し合い」や欺瞞的で抽象的な多数決民主主義というブルジョア民主主義の中で、実際には、支配階級の一員としてブルジョアジーの政治意思の執行約を務める官僚や政治家が牛耳る国家諸機関の一角に加わって、労働貴族としての名誉心やプライドを満足させようというのである。実際のところ、たとえば、ネオ・コーポラティズム的な政府の「労働法制審議会」では、今、改正される方向にある労働者派遣法の原則自由化の法改悪方針が決定された。「連合」はこの時、当初、反対したが、条件闘争に変わった。それに対して、法改正は、このところのフリーター全般労組をはじめとする非正規・派遣労働者たちの労働運動の大衆的闘いの圧力が自公政府を動かざるを得なくしたことによるのである。「連合」は、この時自分たちが行った労働者大衆に対する恥ずべき裏切りを反省していない。多くの労働者大衆が、そんな「連合」の反労働者性を肌で感じ、見抜くし、共産主義者は、それを暴露して、労働者大衆の多数者がかれらに騙されないように啓蒙し、教育し、訓練していく。政府・支配階級への圧力をつくりだしたのは、非正規労働運動の闘いとそれと結びついて、雨宮果凛さんなどが雑誌や新聞や集会や公園やインターネットやラジオやテレビなどを通じて、ワーキングプア問題や非正規雇用問題の真実を世間に知らせ、広め、問題を暴露していったことである。
このような、資本主義を成長させ、持続的に発展させ、政府や国際機関との穏やかな話し合いをしようとし、口先だけのちょっとした批判でお茶を濁しているこの改良主義的ネオ・コーポラティズム国際労働運動潮流(「連合」はその日本支部である)を見ていると、レーニンが1世紀近くも前に述べた次のことを思い出す。
「第二インタナショナルの古い諸党や古い指導者のあいだでは普通に見られることであるが、資本主義的奴隷制の条件のもとで、限りなく多様な形態をとっているブルジョアジーの圧制―その資本主義国が文化的であればあるほど、いっそう洗練された、同時にいっそう残忍で無慈悲な形態をとっているところの―のもとで、勤労被搾取者の大多数が完全に明瞭な社会主義的意識を、しっかりとした社会主義的意識を、しっかりとした社会主義的信念や性格をつくりあげることができるかのような考えを容認することは、これまた同様な欺瞞である。実際には、最も広範な勤労被搾取大衆を啓蒙し、教育し、プロレタリアートのまわりに、プロレタリアートの影響と指導のもとに組織すること、私的所有の生みだす利己心、分散、悪徳、弱さから彼らを救いだし、彼らを自由な働き手の自由な同盟に変えることは、このただ一つの革命的な階級全体、またはその多数者に支持されたプロレタリアートの前衛が、搾取者をその奴隷状態から解放し、収奪された資本家の費用で被搾取者の生活条件をただちに改善したあとではじめて、激しい階級闘争の過程そのもののなかで、実現可能となるのである」(同上197〜8頁)。
われわれは、戦後のケインズ主義的な管理された修正資本主義の下で長く過ごしてきたせいで、現在のグローバリズムの世界、金融資本主義の全能の時代、帝国主義的多国籍企業が我が物顔に、世界中の人々を自由に搾取・収奪する時代の現実を具体的に認識することにすら、時間がかかってしまった。われわれは『火花』誌上で、何度も繰り返し、階級階層分裂の先鋭化の傾向を指摘してきた。それができたのは、何とか学派だのなんとか論だのの図式主義を批判し、それに縛られることなく、事実の観察と分析・評価を行ってきたからである。そして、学者やインテリの生活の仕方から出てくるイデオロギッシュなあるいは空想的な考えや偏見に惑わされないように、批判的態度を貫いてきたことにもよる。われわれは、唯物論者として、懐疑しつつ信じるという弁証法的な認識態度を基本にすべきなのである。懐疑にとどまれば、それは一極的態度でしかなく誤りであり、信にとどまれば、それも一極的態度で誤りである。それについては、以下のレーニンの指摘がひとつの指針となる。
「コップは、争う余地なく、ガラスの円筒でもあるし、飲むための道具でもある。しかし、コップは、これら二つの属性もしくは性質もしくは側面だけではなく、無限に多くの他の属性、性質、側面、爾余の全世界との相互関係と「媒介」をもっている。コップは重い物体であって、投げつける道具となりうる。コップは文鎮にもなるし、つかまえた蝶の入れ場所にもなる。コップは、飲む役にたつかどうか、ガラスで出来ているかどうか、形が円筒形か、それとも完全な円筒形をしていないか、にはまったく関係なく、美術彫刻や画をかいた品物として価値をもつこともありうる。その他、等々。
さらに、もし私がいま飲むための道具としてコップを必要とするなら、それが完全な円筒形であるかどうか、それがほんとうにガラス製であるかどうか、私にとってまったく重要ではない。そのかわり、底にひび割れがないこと、このコップをつかうときにくちびるを傷つけたりしないこと、などがたいせつである。ところが、もし私が飲むためでなく、どんなガラスの円筒でも間に合うような用途のためにコップを必要とするなら、底にひび割れのあるコップでも、あるいはまったく底のないものでも、私にとっていっこうさしつかえない、等々。
学校でおしえるのは形式論理学(訂正していえば―学校の低学年にはそれにかぎられなければならないが、この形式論理学は、もっとも普通なもの、あるいはもっとも頻繁に目にうつるのを準拠として、形式的規定をとり、それにとどまっている。もし、このばあい、二つないしそれ以上の異なった規定をとって、それらを(ガラスの円筒と、飲むための道具とを)まったく偶然に結合すると、対象のさまざまな側面をしめすだけの折衷的な規定がえられる。
弁証法的論理学は、われわれがもっとさきへ進むことを要求する。対象をほんとうに知るためには、そのすべての側面、すべての連関と「媒介」を把握し、研究しなければならない。われわれは、けっして、それを完全に達成することはないだろうが、全面性という要求は、われわれに誤りや感覚喪失に陥らないように用心させてくれる。これが第一。第二に、弁証法的論理学は、対象を、その発展、「自己運動」(ヘーゲルがしばしば言っているように)、変化においてとらえることを要求する。このことは、コップについては、すぐには明らかにはならない。だが、コップとて、永久に不変ではない。また、とくにコップの用途、その使用、その周囲の世界との連関は変化する。第三に、人間の実践全体は、真理の基準としても、対象と人間が必要とするものとの連関の実践的規定者としても、対象の完全な「規定」にはいらなければならない。第四に、弁証法的論理学は、故プレハーノフがヘーゲルにならってこのんで言ったように、「抽象的真理はない、真理は具体的であることをおしえている」(「ふたたび労働組合について 現在の情勢について」『レーニン全集』32巻大月書店 92頁)。
闘う労働運動の2例
(1)国鉄労働組合
1989年11月、自由と民主主義を理念に掲げる日本最大のナショナルセンターの「連合」が誕生した。他方で、総評の伝統の継承を掲げる全労協と日本共産党系の全労連が誕生した。また、ナショナルセンターに加盟しない独立労組や二重加盟している労組もある。
全労協の主力組合となった国労は、マル生粉砕闘争に勝利し、1976年10月26日〜12月4日の172時間に及ぶ「スト権スト」を打ち抜く巨大な力を持つに至ったが、70年代末からのフリードマンの新自由主義をもとにした「臨調・行革」路線の最大のターゲットにされ、自民党・民社党はもとより、マスコミを動員した財界総がかりの「分割・民営化」攻撃、国労や全動労など「分割・民営化」反対労組を差別選別しての組合潰しにあい、それと民間先行の労戦統一が進むのに対応せざるを得ないという厳しい状態にあった。
81年5月1日の統一推進会の「民間先行による労働戦線統一の基本構想」は、情勢の基本認識として、労戦統一を阻害してきたのはイデオロギーによる運動理念の対立で特定政党の介入・干渉のためだとしつつ、日本経済の安定成長を支えてきたのは質的量的に「わが国」の優れた労働力であるとして、労働組合の日本資本主義経済発展に果たしてきた役割の大きさを強調している。これは明らかに、資本主義擁護という偏ったイデオロギーに貫かれた主張である。それに対して、総評第63回定期大会(1981年)、第64回臨時大会(同年11月)は、それに対する「5項目補強見解」を明らかにした。それは、(1)春闘を基調にする、(2)反自民全野党共闘、(3)選別排除はしない、(4)中小未組織対策を重視する、(5)企業主義の克服、の5点である。1982年8月の総評第66回定期大会で、「労働戦線統一綱領」(草案)が提示された。国労は、7月の第44回定期大会で、「基本構想は資本に協力し、安保条約を支持し、特定の理念に賛成する者だけの結集を進めようとするものであり、右翼的再編の道であり、労働者と勤労国民の要求と権利の前進と平和と民主主義の実現を目指すためのたたかう労働戦線とはなりえないものであり、このまま推移するならば、労働戦線の右からの分断な同盟主導と言わざるを得ない」と批判した。上の総評大会後、国労は、「労働戦線統一綱領」(草案)支持を表明する。1985年1月10日、国鉄当局は、「経営改革のための基本方策」を公表した。国労は、これをさっそく批判し、『国鉄再建への道』をあらわして反論を試みた。さらに、国労は、『国鉄再建政策=21世紀へむけての鉄道(素案)』を策定し、対案を提示する。しかし、国鉄当局は、82年9月の動労第38回定期大会で、「臨調・行革」攻撃に対して、労組の力量が不足しているとして、長期抵抗闘争の中で組織・戦術作りをしなければならないとして、腰が引けてきた動労など「国鉄再建問題4組合共闘会議」(国労・動労・全施労・全動労)に揺さぶりをかけ、ついには、当局は国労と全動労を除く労組と「労使共同宣言」を結ぶに至るのである。「労使共同宣言」は、労使の立場をこえた国鉄改革の協力や企業人としてのモラルの遵守、競争と合理化の積極的推進、派遣制度・退職勧奨制度・新たな希望退職制度の推進、余剰人員対策への取組み、これらの取組みのために労使間で話し合うといった内容である。その後、広域配転攻撃、そして、1986年7月1日「人材活用センター」攻撃による国労潰しが強行された。それが、今日まで続く1047名の組合不当差別による不当解雇者の闘いの元になるのである。元々、自民党国鉄基本問題調査会「国鉄再建に関する小委員会」の三塚博会長は、国鉄改革の基本を労働規律・職場規律の確立に置いていて、経営者による職場支配権・労働指揮・監督権の確立を企図したのであり、職場闘争で現場で職制・管理者に対して優位にたった国労の力を潰すことを狙っていたのである。1986年3月3日、「日本国有鉄道改革法案」「旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律案」「日本国有鉄道退職者職員及び日本国有鉄道清算事業団職員の再就職の促進等に関する特別措置法案」「新幹線鉄道保有機構法案」が国会上程された。これを野党がボイコットしたため、中曽根総理は、国会を解散、衆参同日選挙で、自民党が大勝し、これらの法案は成立した。
1047名の不当解雇撤回を求める国鉄闘争は、約20年の長期的闘いとなり、集中的な組合潰し攻撃にさらされた国労は、組合員を大量に失ったとはいえ、今日まで存続してきた。このこと自体で大きな意味を持つものであり、闘争の力の強さ、大きさを表している。国労なきJRを目指した葛西ら「改革派」の野望を打ち砕き、「臨調・行革」路線に活路を求めた財界・ブルジョアジーら支配階級の目論見の破綻を示している。
(2)全日建連帯労組関生支部
もう一つ、日本のブルジョアジーの階級支配を脅かしている労働組合として、全日建連帯労組関生支部の闘いがある。その特徴については、『火花』320号「ワーキングプア問題と労働運動について」で、木下武男氏のまとめを引用しておいた。長いが再引用しておこう。
「(1)企業横断的な賃金決定と団体交渉制度の確立、年功序列型賃金を労働者間の競争させるとの認識で、同一労働同一賃金原則を徹底、会社ごとの賃金格差のない統一賃金の維持、集団交渉に応じない会社に対しては、応じるようストライキをする。(2)大企業と中小企業との支配や収奪という日本的な条件の下で、中小企業を事業協同組合の形態で結集させ、大企業との対等な関係を追及してきた。それによって、中小企業は、「適正価格の保証、品質の安定化、安定供給」によって経営が安定する。それは、「中小企業が協同組合として団結して、個別の取引を抑制する仕組み、つまり共同受注・共同販売を実現する」。「仕事の発注や製品の独占的販売などの面で上に立つ大企業は、中小企業同士の激しい企業間競争によって利益を得る。労働者は企業間競争によって賃金が引き下げられる。この構造にメスを入れるのが事業協同組合であった。/労働力の商品の「個別の取引を抑制」し、「共同受注・共同販売」をめざすのが事業協同組合である」というものである」。
関生支部は、中小企業間、労働者間の競争を利用して利益を得ているのは、独占資本(メーカーやゼネコン)であるとして、中小企業と労働者の共通の敵として反独占統一戦線を構築し、さらには、産業政策にも強い影響力を及ぼしている。
その最初の成果が、「関生労組40年史」というレジュメによると、1974年の灰久建材、大阪ライオン、北大阪菱光、サヤマ、新大阪生コン、大昭和運輸、和歌山生コン、大阪運送との「中小専業8社協定」であり、「オイルショック以降のセメントメーカーと中小生コン専業社との矛盾の拡大。セメントの整理・淘汰攻撃」に対して、「中小企業と労働者の共同行動によって、共通の敵である独占資本と対決して業界の自立を確立することが、企業の安定と労働者の生活向上につながるという路線―政策課題の提起」であった。
「中小専業8社協定」の内容(上記レジュメより)
(1)会社は組合活動に対する支配介入は一切行わず、労働基本権に対する侵害行為に対しては協力共同してその排除に努める。
(2)組合は週休2日制による工場休職については昭和49年(74年)12月迄代休を認める。
(3)組合は祝祭日については、昭和49(74年)12月迄代休制を認める。
(4)8社は週休2日制の休日と祝祭日については賃金月度中に代休を与えるものとする。
(5)8社は第2項、第3項実施にあたって組合員に対する就労権の侵害等一切の不利益行為は行わず、協定に対する違反行為については組合の必要な処置に異論をとなえない。
政策・制度要求闘争は、70年代、民間労組をはじめとする労働組合運動が強く掲げるようになるもので、「連合」結成の一大目的とされているものである。ところが、「連合」の制度政策要求は、上の洞爺湖サミットに向けた「声明」の結末に示されているように、なかなか具体的な成果が上がらないのである。それに対して、関生支部の闘いは、74年春闘で、3万8800円平均の基準内賃金のアップをかちとり、同盟の3万3500円、全国セメント2万8500円を上回る成果を上げるようになる。関生支部は、産別の中でも力を伸ばし、主流組合になっていくのである。
関生支部の闘いとして注目すべきは、76年10月の第12回定期大会で、「日雇い運転手の組織化」という方針を打ち出し、日々雇用3労組(自運労・新運転・阪神運転士)との懇談。本採用との格差是正(休憩時間、洗車時間等)等の諸要求を確認し、その取組みを開始したことである。
77年秋の闘争では、産別統一賃金・労働条件が確立し、それによって中小間の協同組合化が進むようになった。80年には、専業社の統一賃金が実現する。さらに、産別統一闘争として、関西生コン輸送協議会(経営者団体)と、同盟交通労連生コン部会と関生支部の三者で、79年2月「政策推進会議」が設けられる。同年11月生コン関係労働組合協議会(生コン労協)が結成される(生コン支部・同盟交通労連生コン部会・全港湾労組・日々雇用共闘)。
1980年には、生コン支部・全港湾・同盟交通労連・全化同盟が投資計画を規制する運動を展開する。さらに10月、神戸地区協組との協定で、製造コストへの労組の関与権を確立する。
81年3月3日、関西生コン経営者連盟は、臨時総会で、「従来の労働協約の継続審議事項や81春闘要求等の交渉権を全て大阪兵庫生コン工業組合に委任する」と決議し、工組が労働組合法上の交渉当事者になった。
1982年頃から警察の弾圧が厳しくなっていった。大阪府警は東淀川署に「対策本部」を設け、3月1日に三永事件で、「大阪府警は関生支部事務所を機動隊を使って強制捜索。スト権の行使が「強要」、暴力団とのつながりのある坂上社長の退陣要求が「名誉毀損」とされた。のちに12名逮捕。また、工組の事務所なども「背任」容疑で家宅捜索され、武藤理事長(当時)など3名の工組執行部が逮捕された」(同上)。「6月15日〜『セメント新聞』の一連のキャンペーン。「工業組合と労働組合が提携をして独占へ闘いを挑んでいる。これは人民公社的な運動だ。この闘いを放置してはならないし、『箱根の山を越す』ようなことをさせてはならない」(同上)。
同年8月3日には、生コン団体連合会と政策委員会加盟の各労働組合との間で、それまでの労働協約事項、あわせて32項目について確認しあう。いわゆる「32項目協定」である。
しかし、セメントメーカーの労組攻撃は続いた。セメント直系の溝田氏(枚方小野田)が大阪兵庫工組理事長に就任、かれは労組との4回の交渉で「32項目協定」を拒否し続けた。それに対して、関生支部は早残拒否と指名ストで経営側の出荷調整をズタズタにし、生コン納入が10日から2週間以上も遅れるという事態も生まれるという闘いを組織した。11月13日には、セメント主導の溝田執行部は、政策委に「諸協定を履行することを前提に32項目の具体化については労使協議する」と約束した。12月17日、日本共産党機関紙『赤旗』紙上に突如、運輸一般中央本部の「権力弾圧に対する基本的態度」なる「12・17声明」が掲載され、関生支部内の党員グループや運輸一般や日共による分裂策動が1年にわたって続く。さらに、混乱に乗じて、権力の弾圧も続く。
1989年には、「主要目的は生コン産業における安定した品質の製品の提供であり、また過積載による違法行為と交通事故の撲滅」を目的に、「品質管理を監視する会」を結成する。このような関生支部の産業政策闘争は、1992年2月生コン産業政策協議会結成(関生支部・生コン産労・全港湾)、そして、1995年1月の阪神大震災の倒壊建造物の施行不良や手抜き工事、資材の品質不良などの問題点の把握と96年1月25日の『阪神大震災の教訓・建造物はなぜ壊れたのか』の出版に具体化される。
2003年以降、セメント支部と生コン支部との対立が激化し、それにつけこんだ権力の弾圧が繰り返されるようになる。05年1月武委員長をはじめ6名の役員が逮捕され、9ヶ月〜1年4ヶ月間勾留された。この弾圧の結果、バラ輸送運賃の適正化を求めて取り組みバラ車の減車の取り組みが頓挫し、大阪生コン協組構造改革委員会が実質的に機能停止し、生コン価格が下落・土曜日の工場稼動が始まり、協同組合がメーカー主導の運営に変質してしまった。それに対して関生支部は、06年12月の繁忙期に2日間のストライキを打って、まきかえしをはかった。08年春闘では、5労組共闘統一ストライキで有額回答と協同組合の枠組み強化の政策協議を前進させ、弾圧によって失われた成果を取り戻す闘いを続けている。
闘う労働運動の発展―共産主義と労働運動の結合を!
レジュメを提起した高英男副委員長は、関生の闘いの出発点は、労働者を人間扱いしない生コン企業関連運輸会社などの「人格否定」に対する怒りにあると述べている。独占資本は、中小零細を下請け孫請け化し、競争させることでコストを下げて、かれらから収奪し、そのしわ寄せを労働者の低賃金低労働条件として押し付けてきた。そこで、ゆとりのない中小企業経営者が労働者を酷使することになっていたのである。そこには、キリスト教社会主義者で労働組合総同盟友愛会の創立者の1人の鈴木文治が掲げた「労働者階級の権利思想の発達、人格承認の要求」という労働運動の原点とも言うべきものが生きている。しかし、関生労働運動は、それに止まらず、産業政策や企業の投資計画や制度計画にまで労働者統制を及ぼそうとしているし、労使交渉とストライキなどの実力闘争を組み合わせた巧みな戦術を駆使している。
それに対して、80年までに世界に冠たるトヨタ生産方式で世界市場で販売を伸ばしつづけたトヨタでは、長時間重労働で疲れ果てた労働者は、アンケートで、自分の子供をトヨタで働かせたくないという回答が圧倒的多数という結果や高卒の新規労働者の確保がままならなくなるなどのことに、トヨタ幹部もショックを受け、90年代には、フレキシブルなライン作りとして、「人が主役の人を大切にした工場」「人にやさしい職場」「人と機械の共存」「人と共存できる自動化」など、財界の口癖の人間主義を掲げた新工場の建設やライン改良に取り組んだ。言うまでもなく、これらの改革では、自動化が進められたのであり、それは資本主義生産の基本である労働者の機械への従属が進んだだけのことである。このようなフレキシブルなラインの導入によって、女性でも作業が可能になった。90年と93年には賃金改定が行われ、生産手当が生産性給となり、現場の技能系従業員のみに支給されるようになった。そして、その賃金体系に対する比率が6割から2割に縮小された(兵藤サ『労働の戦後史下』東大出版会 500頁)。合理化によって、技能評価のウェイトが下げられたわけである。トヨタでは、能率管理のための報奨金的な賃金制度が同時に導入された。つまり、賃金は、生活給的な意味をさらに失って、成果給的な性格が強められたのである。
ブルジョア的な人間主義(ヒューマニズム)が実際には何を意味しているかをもう一つの例を取ってみてみよう。
90年代はじめ、日経連は『新時代の「日本的経営」』と題する冊子を出した。それは、「人間中心(尊重)の経営」というスローガンが掲げられている。それには、働く人の意識の多様化に合わせて、従業員個々人の主体性を尊重し、多様な選択肢が必要だが、それには、能力・成果重視の処遇が必要だという。そして、雇用形態の多様化、企業を超えた横断的労働市場、「人材の流動化」などが必要だとして、雇用形態を三つの類型に分けている。第1は、「長期蓄積能力活用型」。主に管理部門・技術部門の期間従業員で、長期契約雇用である。第2は、「高度専門能力活用型」。企画・営業・研究開発などで、有期雇用契約。第3は、「雇用柔軟型」。事務・技能部門の定型的業務や専門的事務などで、有期雇用契約。処遇については、「「雇用柔軟型」は、職務給・時間給で、「高度専門能力活用型」は年俸性か業績給、「長期蓄積能力活用型」については、年功的運用のかたよりをただし、複線型人事管理と職能資格制度を基本にした人事管理に加えて、「職務と関連させて資格基準の具体化をはかり、「今まで以上に職務にリンクした職能資格制度」とするとともに、賃金管理面においても、「年功賃金から職能・業績反映型への見直し」を進めなければならない」(同510頁)としていた。
この結果がどうなったのかをわれわれは今目の前に見ている。この人間中心の雇用の多様化策として原則自由化された派遣労働者の多くがワーキングプア化し、非正規労働者の全雇用者に占める割合は、約35%にまで拡大している。今ではこの層の多くは、相対的過剰人口化されている。「長期蓄積能力活用型」の労働者は減少し、長時間労働を強いられている。労働市場は複数化している(ちなみに韓国でも同様である)。兵藤氏は、派遣労働者、パートタイマー、外国人労働者の労働市場を「中間労働市場」と呼んで、それぞれの特徴を描いている。ただし、それらはやや古い時期の特徴で、とくに、派遣労働については、85年の労働者派遣法に基づく対象について述べられている。98年の原則自由化と2003年の工場への派遣解禁という単純労働での実態と特徴については触れられていない。今、与野党の間で、日雇い派遣の禁止などの労働者派遣法改正協議が進んでいるという。改悪や骨抜きにならないように監視する必要がある。
国労と関生支部の労働運動を簡単に見たが、いずれも、日々の資本と権力との闘いの中で、1975年6月の第36回定期全国大会で採択された「国鉄労働組合綱領」で「社会主義政党との緊密な協力関係をつくる」ことを謳った国労労働運動は、20年にも及ぶ闘いで、このような綱領の精神を抱く、数万の労組員を育て、多くの共闘者・共感者を生み出した。関生支部の闘いは、「81年春闘の関西生コン政策委員会(関生支部、同盟、全港湾)と工組との連帯雇用保障の締結、特別対策委員会の設置という政策闘争の前進」に対して、「日経連(大槻会長)は機関紙で、「関西生コンの運動は資本主義の根幹に関わる運動をしている」と発言するなど、独占資本の支配の中枢まで迫る闘いを作り出し、その闘いの中で、多くの労働者を階級闘争の闘士として育て、教育・訓練している。資本主義のもとでは、労働組合の任務は、改良闘争などの資本との闘いによって、労働者を階級闘争の闘士として育てることが基本であるが、共産主義とそれを結び付け、教育訓練して、プロレタリアートを支配階級に高めることが必要である。関生支部のように、産業政策や協同組合の組織化や投資規制や労働市場の統制や管理や規律や経営や品質管理や文化や理論などあらゆることに経験を積み習熟することは、なおすばらしいことである。トヨタの例でもあるいは日経連の雇用の多様化論にしても、分業によって労働者を一面化し機械に従属させ、ブルジョアジーという支配階級=支配民族=人間の尊重を強いるものでしかなく、多能工化によって日本的経営=人間的になっていると言葉ではいうものの、実際には人を多面化させていくということはないのである。
今の物価高騰の中で、労農大衆とりわけ下層の生活は苦しくなっている。人々の現状に対する怒りや不満は高まっている。「連合」のストなし春闘をよそに、昨年の関生支部など5労組のストライキや先日の釜ヶ崎での暴動などは、その予兆を示すものだろう。世界では、米産牛肉輸入解禁への抗議から始まった韓国の大衆闘争は、政府打倒闘争に発展し、食糧価格高騰に対する暴動が相次ぐなど、政府と民衆の闘いが広がっている。
「連合」は、資本主義の根幹に関わるような運動を組織するどころか、資本主義経済の成長に協力することで、分け前を多くいただこうというのである。このような資本にたいする奴隷根性丸出しの労働運動に、労働者の多くがそっぽを向いていて、組織率低下に歯止めがかからない状態になっている。「連合」の資本主義擁護のイデオロギーの下では労働者は解放されない。プロレタリアートを共産主義の下へ獲得していかなければならない。
「最も広範な勤労被搾取大衆を啓蒙し、教育し、プロレタリアートのまわりに、プロレタリアートの影響と指導のもとに組織すること、私的所有の生みだす利己心、分散、悪徳、弱さから彼らを救いだし、彼らを自由な働き手の自由な同盟に変えることは、このただ一つの革命的な階級全体、またはその多数者に支持されたプロレタリアートの前衛が、被搾取者をその奴隷状態から解放し、収奪された資本家の費用で被搾取者の生活条件をただちに改善したあとではじめて、激しい階級闘争の過程そのもののなかで、実現可能となるのである」。