ワーキングプア問題と労働運動について
流 広志
320号(2008年4月)所収
サブプライム・ローン破綻に発した米帝の金融危機、世界的な需要増大に投機資金の大量流入が加わった小麦などの食料品などの価格上昇、WTO交渉の行き詰まりなどの世界貿易体制の流動化、等々、世界資本主義システムを揺るがす事態が、次々と起きている。今年、北海道洞爺湖で行われる洞爺湖サミットは、かかる帝国主義的世界秩序の動揺に対する帝国主義巨頭連が、利害をぶつけ合うと共に共通利害をはかろうとする談合の場である。この間のサミットは、先進国の利益をはかり、後進国の収奪を強め、労働者階級の搾取を強化するグローバル化を基調としてきた。かかるグローバル化に対して、先進国における労働運動の一部は、反グローバル化運動を闘ってきた。アメリカ労働総同盟(AFL・CIO)は、北米自由貿易協定(NAFTA)が、アメリカ合衆国の労働者の雇用を減らしているとして、見直しを求め、民主党の大統領候補ヒラリー、オバマは、いずれもそれを公約している。そこに、先進国的なエゴが多少にじみ出ているのは確かだ。しかし、グローバル化は、後進国の労働者・農民大衆にも大きな犠牲を与えているのであり、NAFTAは、メキシコの農民や労働者を困窮に追い込み、かれらをアメリカへの不法移民として労働市場に流れ込むように追い込み、その結果かれらは、相対的過剰労働力となって、アメリカ労働者の賃金や労働条件を下に引っ張っているのである。そうならないためには、かれらがメキシコで満足に暮らせる雇用があればいいわけだ。
他方、日帝福田政権は、洞爺湖サミットを成功裏に主催することで、政権の浮揚をはかると共に環境分野の世界市場を拡大させ、そこでリードする立場を築くことを狙っている。そのために、比較劣位にある国内産業を取引材料にするつもりだろう。それも含めて生じる国内緊張を改憲による国家主義的統合の強化などによって乗り切ろうというのである。それに対して、多数派たる労働者階級の闘いが大きな意味を持つことはいうまでもない。日帝足下において、階級間の緊張を高めつつあるワーキングプアの大量発生という事態は、日帝がこの間推し進めてきた雇用のグローバル化の結果でもある。そのあたりを含めて、これからの階級闘争に大きく関わるこの問題を簡単に見ておきたい。
後藤道夫氏は、『世界』1月号掲載の「ワーキングプア増大の前史と背景、戦後日本における貧困問題の展開」という文章で、「この問題は、若年フリーター層や、リストラされ、行き場がきわめて限られた中高年の特殊な問題、あるいは、不況とやや行き過ぎた規制緩和がかさなったことによるもの、という誤った認識がなお持たれているようだ」(以下、引用はすべて同誌より、頁数略)と述べている。
論文には、表1として、就業構造基本調査(1997/2002)より作成されたワーキング・プア世帯、貧困世帯の推計が載せられている。この表は省かせていただくが、後藤氏は、「二〇〇二年の貧困世帯総数は一一〇五万世帯(二二・三%)であり、そのうちワーキングプア世帯は六五六万世帯(勤労世帯の一八・七%)であった。一九九七年からの五年間で三四九万世帯の増加だが、そのうちワーキングプア世帯の増加分が一九八万世帯を数える。現在の全国の量的中心はワーキングプア世帯であることがわかる」(貧困基準は、生活保護受給世帯ごとに計算される「最低生活費」の世帯人数別全国平均値、および、それに給与所得控除を加えた額(雇用労働者世帯向け)を用いた)ものである)ことを指摘している。そして、2000年以降の状況悪化によって、現在の貧困世帯は、世帯総数の25%前後、勤労世帯の20%前後に達すると推計している。
氏のワーキングプア論は、今、大きく取り上げられるようになったワーキングプア論と違っている。その点を氏は、「ワーキングプアの大量存在という認識は、現在の政府のみならず、長らく日本社会では強い影響力をもっていなかった。勤労能力がある働き手をもつ世帯が貧困生活におちいるのは、例外的、あるいは一時的な事態であるはずだ、という理解が支配的、あるいは一時的な事態であるはずだ、という理解が支配的だったのである」(113頁)と述べている。氏によれば、1960年代前半までは、「勤労者世帯が賃金と社会保障を合わせて生活する、というヨーロッパ型の社会保障理念そのものは、政府内でも共有されていた」という。それは、「働き手のケガ、病気、失業にたいする保障にくわえて、子育て中の貧困と高齢者の貧困を防ぐことが社会保障の中心的課題として認識され、取り組まれてきた」ということである。
1970年代半ばまで減りつづけたワーキングプアは、それ以降、長く3割前後を推移した。氏は、その原因を解くための、1995年5月の雇用審議会答申を引用している。すなわち、それは、「わが国のように工業化の進んだ段階にあって、一方に近代的な『完全就業』の状態がすでに存在するにもかかわらず、他方になお『不完全就業』の状態が目立って存在することは、社会選択を促進する有力な要因とならざるを得ない。就業構造におけるこの二重性は、国民福祉の上から見て長く許されるべきではない」ということである。
このような議論は、「実際には、十分に近代化された経済構造においても、勤労貧困層と各種格差は大規模に生ずるのであり、だからこそ福祉国家が形成されてきたのだが、当時の議論はそうした理解になっておらず、近代化の不足が問題とされたのである。前近代性による弊害と市場経済の欠陥を、前者に引き寄せて融合させて理解する精神構造は、政府だけでなく戦後民主主義派にも共通するところが多い」という問題があるという。
こうした精神構造に対して、60年代、政府部内では、相当額の社会手当にヨーロッパ型の「職種別労働市場」が考えられていたという。
しかし、1964年厚生省は、勤労世帯の生活保護支給の大規模な削減を行う。その狙いは、生活保護にかかわる「全日自労」「生活と健康を守る会」を攻撃することにあったという。これ以降、生活保護からの勤労世帯の排除が始まる。
氏によれば、「もともと政府・厚生省の生活保護拡充策は、重化学工業中心の高度経済成長策を大前提としたもので、強い賃金規制は行なわず、税による所得再配分も抑え、それで生ずる「社会的緊張」を緩和する役割をはたすという位置をもっていた」。そして、「そのため、低賃金状況が広く存在する中で、生活保護制度は孤立して貧困救済の突出した役割を負わされることになった」というのである。60年代を通じて、生活保護の対象は、「後進的社会構造に由来する大量の低所得層から、能力の欠如・欠陥に由来する弱者層(被救恤層)へと転換した」。
後藤氏は、この時期の福祉政策の特徴を開発主義国家体制型のものだと述べている。開発主義国家体制とは、自由と民主主義―資本主義経済にたいする同意調達と政治統合をはかる「大衆社会統合」をになう社会システムの一つ」で、経済成長を介して間接的に国民生活を支援し、大企業中心の経済成長へ集中する体制である。この体制の下、1950年代以降、公共事業費が社会保障費を上回る。1973年の「活力ある福祉社会」構想(「経済社会基本計画」)は、日本型雇用を高く評価するにいたる。それも、1990年代の長期不況の中で、開発主義国家体制とともに解体されたと氏は言う。最後に、氏は、「日本社会がいまだ経験していない生活保障システム―福祉国家―を本格的に検討すべき時期であろう」と述べている。
同誌には、木下武男氏の「ワーキングプアの貧困からの「離陸」 職種別ユニオン運動という選択肢」という文章も載っている。氏は、問題を労働市場の構造変化は一九九〇年代以降の「流動化」段階から、二〇〇〇年代以降の「非正規化」段階という新しい状況に入った、ということである。/九〇年代からの雇用状況は、それまでの、正社員として特定の企業に長期間、そして安定して雇用されるという固定的な枠組みが変化し、失業者・離職者・転職者・無業者・非社員という流動的な労働力が労働市場のなかで比重を増したところに特徴があった」と書いている。このような状況認識は、後藤氏と同じである。
違うのは、後藤氏が、ワーキングプア問題を、国家体制の問題、社会福祉・セーフティネットの問題として取り上げているのに対して、木下氏は、労働市場の問題と階層化の問題としてとらえていることである。
木下氏は、1980年代から増加しつづけた正社員が、90年代半ばにピークに達して、99年から急減したことを指摘する。正社員は、97年に3812万人がピークで、2005年には3333万人となり、479万人減少した(「労働力調査」)。99年に、労働者派遣業法改定で、建設業・港湾運輸・警備保障・製造業などを除いて、派遣の原則自由化がなされた。2004年の同法改定で、製造業での派遣労働が解禁された。この過程で、これまでの家計補助型非正社員が多数であったのに、生活自立型非正社員が増えたという。また、正社員の中には、スーパー、ファースト・フード、居酒屋チェーン店、各種量販店、専門のショップなどの店長・店員、小規模事業者の社員、介護・医療・保育・学習塾などの民間企業の社員などの周辺的正社員―低所得非定着型社員―が生まれているという。
そして、氏は、この問題を解くための基本を、労働者が労働力商品の所有者であるという点に置く。
そして、熊沢誠氏の論を参照する。熊沢誠氏は、労働者の「離陸」について、「労働者階級のなかのある階層が資本主義社会の『貧民』または『国民』一般から自己を分離して、やがてそのありかた、考え方においてある独自性をもつ組織労働者になること、そのプロセス」と述べている。また、「それは個人主義的ではなく、集団主義的な、国政参加的ではなく、産業自治的な離陸」、すなわちユニオリズムによる離陸であること、さらにイギリスの例を紹介し、熟練工による「第一次の離陸」とそれから半世紀近く遅れた不熟練工による「第二次離陸」の「二つの段階」があることを示している」。イギリスにおける「第二次離陸」は、1888年のマッチ工場での数十人の女性労働者のストライキと組合結成から始まったという。イーストエンドにあるガス製造工場労働者約2万人の3交代制要求の実現、ロンドン港荷揚げ労働者の待遇改善要求スト(かれらは、冬はガス工場で働く臨時日雇者であった)、そしてかれらのジェネラル・ユニオン結成、という不熟練労働者の労働運動によって実現されたという。不熟練労働が「労働の代替可能性の広さ、低賃金、雇用不安定、そして職業的な定着性の欠如(前掲『日本の労働者像』)が離陸を遅らせた」。
氏は、こうした不熟練労働者の「第二次離陸」は、まだだと考えているのだろう。氏は、「ワーキングプアが働いても生活が成り立たないのは、社会保障・社会政策など国家による所得再配分政策によって生活が支えられていないことと、経営者から支払われる賃金があまりにも低いからである」と述べている。そして、後者の解決策として、同一労働同一賃金―職種別賃金―企業を超えた労働条件―労働者の職種別賃金―企業横断的な団体交渉制度―産業別交渉の確立を主張する。
そして、氏は、すでにその実践を行っている全日本建設連帯労組関西生コン支部を例にとる。それは氏のまとめによると、(1)企業横断的な賃金決定と団体交渉制度の確立、年功序列型賃金を労働者間の競争させるとの認識で、同一労働同一賃金原則を徹底、会社ごとの賃金格差のない統一賃金の維持、集団交渉に応じない会社に対しては、応じるようストライキをする。(2)大企業と中小企業との支配や収奪という日本的な条件の下で、中小企業を事業協同組合の形態で結集させ、大企業との対等な関係を追及してきた。それによって、中小企業は、「適正価格の保証、品質の安定化、安定供給」によって経営が安定する。それは、「中小企業が協同組合として団結して、個別の取引を抑制する仕組み、つまり共同受注・共同販売を実現する」。「仕事の発注や製品の独占的販売などの面で上に立つ大企業は、中小企業同士の激しい企業間競争によって利益を得る。労働者は企業間競争によって賃金が引き下げられる。この構造にメスを入れるのが事業協同組合であった。/労働力の商品の「個別の取引を抑制」し、「共同受注・共同販売」をめざすのが事業協同組合である」。
こうした実践を独占的なセメント・メーカーや大手商社・ゼネコンと闘いながら進めているのである。
氏は、「ワーキングプアを貧者の大軍とみることなく、職種別結集の可能な未組織労働者として見る目が労働組合運動に求められている。そして、ワーキングプアのところに「産業別・職種別運動型」ユニオンを確立することができるならば、日本でも職種別の編隊をもって労働者の「第二次離陸」を実現させることができる」と主張する。
ワーキングプア問題がここまで大きな問題になったのは、経営側が、雇用の多様化をうちだして以降のことである。それは、フリーターなどの非正規雇用の若者が、昔ならそこから抜け出せたであろうのに、なかなか抜け出せなくなって、大量のワーキングプアが生まれたからである。少子高齢化が進む中で、若者が大量にワーキングプア化していることで、さらなる少子化の加速が予想され、さらに年金・保険などの財政状況の悪化が確実である。
後藤氏は、近代資本制経済下では必ずワーキングプアが発生することをデータで示した。木下氏は、この問題を労働市場の遅れの問題と見ているようである。そして、それを、労働運動の遅れとしても見ているようである。氏の考えでは、熟練労働者の労働運動が「第一次離陸」として、熟練労働者の貧困脱出を実現したのに続いて、非熟練労働者の「第二次離陸」が必要だというのである。それには、産業別・職種別の労働市場と職種別賃金の確立が不可欠だというのが、氏の主張である。日本の労働組合は、企業別労組である単組の力が強く、産別は、単産であるが、これは単組の連合にすぎないという。それに対して、氏の考えでは、職種別組合としてのユニオンこそが、求められているということになる。
後藤・木下両氏とも、講座派的な見方をしているように思われるが、非正規雇用問題とワーキングプア問題と失業問題と貧困の問題は、基本的には、相対的過剰人口・資本主義的蓄積法則という視点から解明されるべきものであるが、両氏にはそれがないように見える。ただ、後藤氏の方は、近代的労働市場において、ワーキングプアが必然的に発生するとしている点で、この視点に近いものがあると言えよう。
われわれとしては、共産主義と労働運動の結合を基本としつつ、プロレタリアートを新たな支配階級へと高めるための教育・訓練を行っていくこと、そして、政治闘争と経済闘争の結合という観点から、この問題を考え、提起する必要がある。
ワーキングプアの解放闘争としては、5月3日の東京でのフリーター・メーデーがある。6月25―26日には、「戦争と貧困をおしすすめるサミット外相会議反対!6/25−26京都行動」がある。反貧困の闘いは、若者などから世代を超えて広まりつつある。政府は、多少の改良策を打ち出して、人々の不満や怒りを懐柔策で緩和しようとし始めた。かくして、先鋭的な闘争を孤立化させて他の人々と分断し、潰そうとするのは、いつものやり口である。かかる分断策動にまどわされることなく、解放闘争を発展させていかねばならない。それは、例えば、戦後革命期における共産党系の全協の労働組合運動における赤色組合主義が、民同の分裂という労働戦線の分裂をもたらしたような誤りを繰り返さないということである。本稿は、問題を多少見てみたという程度のものにすぎない。