唯物論戦線の構築のためのノート(8)
流 広志
319号(2008年3月)所収
最後に
ここまで、現代において唯物論を発展させることに資するために、あちこち彷徨いながら、様々なことを考えてきた。その際に、ベンサムから「意思の論理学」という概念を借りて、この分野における唯物論についてあれこれと考えてみたわけである。その結果の一つとして、意思の論理学は、個人意思の論理学には還元できず、社会的意思の分有という形で個人意思が成立するということをデュルケム・広松渉氏の論から確かめた。したがって、それは、政治的共同意思・集団意思というレベルの意思の論理学の中に位置付けられねばならないことになる。そこから、党という集団意思の場についても考えてみたのであるが、そこで、主体性論が、社会と切り離した形で、意思の問題を扱っていることを確かめた。そのために、個人意思と集団意思の間には、非合理的な飛躍が求められることになり、宗教的な信仰のごとき態度が、主体に帰せられた。したがって、党は、信仰団体と変わらないものになった。そこでは、社会的歴史的な相対的でもあり絶対的でもある弁証法的な認識ではなく、絶対的な教義が支配し、したがって、信仰か棄教かという宗派的な争いが起こるのである。
それに対して、党=機能論は、党を、機能的連関としての諸個人・諸機関間の協業と分業の関係態として規定し、それぞれの役割遂行のあり方において、ブルジョア的な功利関係を超える同志的信頼関係を創造することを基本にするものとする。それが階級闘争を絶えず推進していくプロレタリアートの道具であるということは、道具が手の延長として手ができない高度で困難な作業を可能にするように、党は、プロレタリアートの熟練した手によって使いこなされれば、階級闘争の武器として高い機能を発揮することができるようになるということである。そのような高度な道具として党を作り変えていくことが必要なのである。そのための一つの基本的な手段は、できる限り公開された討論であり、それによって、党の誤謬を正していくことである。それが公開を基本とするのは、それが階級と大衆を訓練することになるからである。それはもちろん、特例として具体的条件次第で限定される場合を排除するものではない。しかし、それは期限付き条件付であり、例外である。
個人意思や集団意思を規定するところの社会的意思は、「作られて作るもの」として絶えざる変化と保守の錯綜する動力学のうちで形成されているものであった。資本の意思は、資本の社会的歴史的運動によって集団意思として形成される。だから、マルクスは、『資本論』では、資本の人格化としての資本家について語るのである。他方の極には、賃労働の人格化としての労働者があることは言うまでもない。資本の廃絶は、これらの両極の止揚を意味しているのであり、単に一方の極である資本だけを廃止しようというものではない。
資本主義社会において、資本―賃労働関係という両極の対立関係が支配しているのであるから、一方には資本の人格化としての資本家・資本家階級、他方には賃労働の人格化としての労働者・労働者階級があるのは言うまでもない。資本家階級には、資本主義的利害に基づく集団意思・社会的意思が生み出され、労働者階級には賃労働の利害に基づく集団意思・社会的意思が生み出される。諸個人はそれを分有すると同時に反発などの態度を通じて、偏差が生じ、個性的で多様な態度が形成される。現実には資本家だが、労働者階級の集団意思を我がものとするというエンゲルスのような者も生み出される。賃労働者であるにもかかわらず、資本主義的集団意思を持つ労働者も生み出される。階級利害の集団意思は、純粋に現われることはあまりなく、それを完全に自覚することもあまりない。
新自由主義と経済のグローバル化は、資本の人格化としてのブルジョアジーの利害と集団意思を露骨に表現している。しかも金融資本主義としてのそれを。
マルクスは、『資本論』第3巻第5篇利子と企業者利得への利潤の分割。利子付資本第21章利子付資本において、「生産担当者のあいだに行われる諸取引の公正は、これらの取引が、生産諸関係から自然的帰結として生ずることに基づいている。これらの経済的取引が、生産諸関係から自然的帰結として生ずるということに基づいている。これらの経済的取引が、関係者の意思行為として、彼らの共通の意思の表出として、また個々の当事者にたいして国家の側から強制されうる契約として、現われる、法律的諸形態は、単なる形態として、この内容そのものを規定することはできない。それらは、この内容をただ表現するだけである。この内容は、それが生産様式に対応するものであれば、これに適当であれば、公正である。これに矛盾していれば、不公正である。奴隷制は、資本主義的生産様式の基礎の上では、不公正である。商品の質にかんする詐欺もそうである」(岩波文庫7分冊10頁)と述べている。ここで問題にされているのは、その前にある貨幣の貸し手が利潤の一部である利子を借り手から取得する経済取引のことである。
経済的取引関係は、共通の意思・共同意思・社会的意思を生み出す。法律の形で国家によって強制される契約とされる場合には、最終的には警察などの実力装置によって強制執行される。違反は犯罪行為とされる。そうでない場合には、共通の意思の強制は、社会的制裁にとどまる。取引停止や非難や場合によっては同業組合からの追放などの措置にとどまる。しかしそれがその企業にとって命取りになるという場合もありうる。
経済的取引関係は、商業信用などの信用取引関係を発展させる。それは、やがて、貨幣の支払手段機能の独立化としての手形などの信用貨幣を生み出す。それは、貨幣取扱業と結びついた支払・決済業務を集中させた銀行業者による銀行券という信用貨幣まで進む。商品は、支払い約束証と引き換えに、買手に渡ることになる。銀行資本においては、預金を預かって、それを投資する業務を基本としつつ、手形割引業務や信用供与・融資などの金融業務が行われる。最近の規制緩和による保険・投資信託業務の取扱い解禁によって、銀行は、金融商品の取扱い業務をも加えた金融資本としての総合性を備えつつある。
銀行券は、銀行が手形割引の際に渡す一覧払い手形であって、貨幣支払い約束証である。それが、流通手段として、一般に流通しているわけである。貨幣は、金や銀行券という形態を取ってはいるが、それは、経済的関係の機能連関の独立形態であって、それが物に貼り付いているものとして、共同観念化されているのである。日常の経済関係において、それが信用というほとんど宗教的信条に近いものにまで固められていれば、まるで、物自体に価値が備わっているようにしか見えなくなるのである。経済的社会関係が社会的意思を形成するので、経済的取引の場合にその当事者たちは、ただその社会的意思の代弁者として振舞うだけなのである。
しかし、こうした過程をわれわれは反省することができ、認識することができる。例えば、日銀券は、印刷された紙という物であることをわれわれははっきりと認識することができる。物としての紙の使用価値として、それを燃やして暖をとることもできる。しかし、そうしたからといって、日銀券の貨幣機能をなくすことはできない。貨幣機能は、社会的機能であって、社会関係が日々生み出しているものだからである。それは、社会関係の全般的かつ根本的な変革によってしかなくせないものである。それは不可能事ではない。実際に、人類は、歴史的に貨幣・商品のない社会を経験しており、また現代においても、部分的限定的ではあるが、そうした経験をしているからである。われわれは、商品化されない物をつくり、その使用価値を消費するしそうできる。それを貨幣を媒介としないで交換することもしているしできるのである。
それらのことが可能でもあり、現に存在していることは、それらが集団的意思行為としても可能であり、存在できるということを意味している。なぜなら、それらは社会的行為としてしかあり得ないからである。つまり、複数人の間の交換という行為を前提とする。ブルジョア経済学の一つの抽象的理想郷であるロビンソン・クルーソーの自給自足の孤島生活ではなく、協同生活・社会的生活という現実的な生活のあり方を考えなければならないのである。
功利主義が、ブルジョア的諸関係の一面を反映した思想であることを確かめた。したがって、功利主義をなくすには、ブルジョア的諸関係を廃絶しなければならない。つまり、それは、実践の問題であって、たんなる観念の問題ではない。もちろんそれは、思想闘争・イデオロギー闘争を伴っている。
功利主義が、目の前にある人間心理と道徳を収集・整理し、それから任意の類型を取り出したものにすぎないことは、ニーチェが、功利主義は、イギリス的な思想にすぎないと喝破した。功利主義は、資本主義が誕生するにあたって、ブルジョア道徳の基礎の一つをなした。日本でも、明治初期から、ベンサム・ミルなどのイギリス功利主義の文献が翻訳され、自由民権運動に影響を与えた。それに対して、マックス・ウェーバーは、勤労道徳や節約・倹約による資本蓄積という点を、プロテスタンティズム道徳に帰した。なぜなら、手にした利潤を消費しきってしまったら、生産方法を改善したり、事業を拡張するなどのための資本が蓄積できないからである。しかし、マルクスが明らかにしたように、資本蓄積は、労働者を搾取することによって行われるのであって、資本家が自分の収入からの支出を節約することによって行われるのではない。中小の個人企業家については、確かに、節約は資本蓄積の有力な一手段である。しかし、信用の発展や株式会社が一般化するようになると事情は変わる。それについてマルクスは、以下のように言う。
「信用は、個々の資本家または資本家と見なされる者に、他人の資本および他人の所有にたいする、したがってまた他人の労働にたいする、一定の限界内で絶対的な支配力を与える。自己の資本ではなく社会的な資本にたいする支配力は、彼に、社会的労働にたいする支配力を与える。人が現実に、または公衆の意見において、所有する資本そのものは、もはや信用という上部建築の基礎となるのみである。とくにこのことは、社会的生産物がその手を通過する卸売商業にあてはまる。一切の尺度は、資本主義的生産様式の内部ではなお多かれ少なかれ是認される一切の弁明理由は、ここでは消失する。投機する卸売商人の賭するものは、社会的所有であって、彼の所有ではない。資本の起源は節約にありとする文句も、同様にばかげたものとなる。なぜならば、彼はまさに、他人が彼のために節約すべきことを求めるのだからである。(近時全フランスがパナマ運河山師のために、一五億フランを貯蓄した如きである。だからここでは、全パナマ詐欺が、それの起こるよりもまる二〇年前に、正確に記述されていることになるではないか。―F・E)もう一つの、節欲にかんする文句を、いまやそれ自身信用手段にさえもなる彼の奢侈によって、真向からやっつけられる」(『資本論』第3巻第5篇利子付資本第27章資本主義的生産における信用の役割 岩波文庫7分冊178〜9頁)。
自由民権運動がつぶれた後、日露戦争後に花開いた大正デモクラシーの中で、西田幾多郎が『善の研究』で、功利主義を批判する。それは、資源の多くを外からの輸入に頼っていた大日本帝国の経済基盤の脆弱さは、観念の中で解消されるほかなかったことの反映である。米価高騰の中で起きた米騒動の解決策として、朝鮮からの米の移入に頼らざるを得なくなったし、次第に国内矛盾の激化に対応するために、外地の存在が大きくなり、後には、「満蒙は生命線」などのスローガンに示されたように、ますます対外拡張策によって解決の道を進むことになっていくのである。労働者や貧農・小作農には、勤労と節約が強く求められ、支配階級の間には、私利私欲むきだしの功利主義道徳が広まっていた。こうした財閥や政府・軍・地主などの腐敗は、内部からも批判されるようになり、右翼と結びついた軍隊内からのクーデターをも引き起こすようになる。そして革新派が次第に勢力を拡大していく。そうして、国民総動員体制・体制翼賛化が図られるが、それでもやはり、上層の腐敗はなくなることはなく、様々な抜け道を通して、奢侈が行われた。太平洋戦争中も、上層を相手とする商売はなくならず、贅沢な遊興が行われつづけた。軍の幹部不足や規律・綱紀の緩みが深刻化した。功利主義的な利害得失の計算は、大本営でも行われていた。ソ連と交渉して停戦するのが得かどうかが終戦工作会議で検討され、対ソ工作が決定された。「本土」防衛のための時間稼ぎとして沖縄が「捨石」にされた。だが、原爆投下とソ連の参戦によって、「本土決戦」は幻と消え、アメリカとの国体護持の裏取引と引き換えに、無条件降伏のポツダム宣言を受諾することになる。
戦後の経済成長の中で、被支配者階級の間にもある程度功利主義道徳が広まるようになった。大量生産・大量消費のフォーディズムの到来によってである。とはいえ、それは、一部の成り上がりを除いては、ささやかな豊かさを与えたにすぎなかった。大企業正社員などの中間層に上がった層を除く、中小零細企業の労働者や相対的過剰労働力とされた半失業者や細業の従事者などは、下層に取り残されたままであった。支配階級はその何百万倍も豊かになったのであり、功利主義は相変わらず支配階級にとってのみ真実であるにすぎなかった。
しかし、本稿で確かめたように、ベンサム・ミルの功利主義は単に私利私欲を解放するものではなく、あくまでも「最大多数の最大幸福」を人間行動の基本基準とするものであった。それは社会的な快を善とするものであった。それが、ニーチェには俗物的なごまかしに見えたのであり、それに対して彼は、支配階級と被支配階級に分かれている現実を肯定し、それぞれが別個の道徳に従う階級社会の姿を示して見せたのである。新たな支配階級であるブルジョアジーには、貴族階級としての哲学や道徳が必要であるとし、それに対して被支配階級には奴隷としての哲学と道徳が必要であると主張したのであった。新たな支配階級の資格は、悩みの深さによるとされた。それが、階級社会の現実を反映しているという点ではニーチェは、キリスト教道徳に媚を売ったミルよりは正直ではある。信用制度の発展にともなって、ブルジョアジーは禁欲道徳を捨て、享楽主義者となっていく。しかし、支配階級と被支配階級の階級闘争が必然的に起きる。もっとも、イギリス功利主義の「最大多数の最大幸福」の原理は、私利私欲の規制としても働くもので、それはブルジョア的社会主義の基本原理となった。リカード派社会主義などが生まれたし、厚生経済学やマーシャル経済学はそうした方向に向かったのである。
それに対して、反アダム・スミス的な方向で、信用と株式会社が発展し、独占化が進みつつあり、国家の経済への介入への誘引が増大するようになってきたことに対応した経済学を提唱したのが、ケインズであった。彼は、国家が経済に積極的に介入しなければ、失業問題は解決しないと主張した。「市場の神」に委ねていれば、何年かに一度の好況末期にだけ、失業問題は解決するだけである。失業問題は、治安問題を悪化させ、革命にもつながりかねない。事実として、第一次世界大戦の敗戦国ドイツに対して戦勝国が多額の賠償金を課されたことによって、すさまじいインフレに襲われたドイツでは、失業者や労働者が次第に革命化していったのである。同時に、国家社会主義が台頭することになった。ロシア革命に対抗するための安定したヨーロッパ秩序をつくるために、賠償の放棄を訴えたケインズの戦後復興プランは各国政府に受け入れられなかったが、革命を防ぐための政府による積極的な経済介入による失業問題の解決というケインズの考えは、アメリカで、ニューディール政策として実現された。しかし、ケインズが功利主義を批判して採用したムーア倫理学は、インテリのサークル主義的なユートピア倫理であって、無力な観念論にすぎなかった。
デュルケム社会学は、社会的事実の解明に向かうことによって、私利私欲をも社会的事実としてつかむ可能性を与えた。それに注目したのが、廣松氏であり、「私という意識」もまた社会的意識として物象化されたものであり、社会的定在であることを主張した。マルクスにあっては、その点は、『経済学・哲学草稿』の段階では、ヘーゲル左派的な「自己意識」の哲学の中にあったが、その後、『ドイツ・イデオロギー』の段階になると、意識の社会性をはっきりと打ち出すようになり、社会諸関係の解明を具体的に進める中で、経済的諸関係が意識の土台をなすという『経済学批判・序説』における有名な唯物史観のテーゼへと到達するのである。また、階級闘争が歴史の原動力であるという『共産党宣言』に代表される階級闘争史観のテーゼは、意思の問題を考える上で基本的なものである。経済的関係が人間の意志を規定するものとして、『資本論』の中では、商品所有者同士の商品交換の場面が第1巻にあり、さらに第3巻の信用論は、その解明である。アダム・スミスにおいては、その点は神秘化され解明されないままであったし、それを引き継いだハイエクにおいてももちろん解明されなかった。彼は、ただ、そういう慣習を社会進化の証として尊重せよと言うのみである。しかし、信用制度は、資本主義の拡張を促進すると同時にそれを破壊する信用恐慌の基をなしているのであり、しかもそれは社会主義社会への過渡的形態を生み出すのである。株式会社がその一つであり、もう一つが協同組合企業である。前者は、「資本主義的生産様式そのものの内部における資本主義的生産様式の止揚であり、したがって自己自身を使用する矛盾であって、それは明らかに一つの新たな生産形態への単なる過渡点として表示される」(『資本論』第3巻第5篇利子付資本 岩波文庫178頁)。また、「資本主義的株式企業も、協同組合工場と同様に、資本主義的生産様式から結合生産様式への過渡形態として見られるべきものであるが、ただ、一方では対立が消極的に、他方では積極的に止揚されているのである」(181頁)。
第1巻の交換過程論では、まず、商品交換が商品所有者(私有者)の間の自由意志による契約という意思関係による行為であり、したがって法的関係であることが指摘され、つぎに、この内容が問題にされる。商品私有者には、自分の持っている商品の使用価値はない。それと引き換えに、他者の持っている商品の使用価値を欲しているのである。彼が持っている商品の使用価値はただ交換手段であるという使用価値である。誰も自分が欲しい使用価値をもつ商品としか自分の商品を手放さない。このかぎりでは、交換はただ個人的な過程でしかない。他方では、彼は商品を価値として実現しようとする。そのかぎりでは、交換は彼にとって一般的な社会的過程である。同じ過程がすべての商品所持者にとって個人的であると同時に社会的過程ということはありえない。すべての商品所持者の持つ商品も一般的等価物ではないので、諸商品は労働生産物または使用価値として相対するにすぎない。それを解決するのは、商品の社会的行動として一定の商品を除外することによって、この商品で他の全商品が自分たちの価値を全面的に表すようになることである。この除外された商品の現物形態が、社会的に認められた等価形態になり、一般的等価物であることが、社会的過程によって、この商品の独自な社会的機能になって、この商品が貨幣となることによってである。
商品所持者は、一般的等価物である貨幣と引き換えに商品を手放す。貨幣を得て商品を手放した元商品所持者は、貨幣で自分の欲する使用価値を持つ商品を買う。貨幣と商品が交換される。貨幣には商品価値を測る価値尺度機能、商品交換を媒介する流通機能の二つを基本に、支払手段機能、蓄蔵機能、世界貨幣機能、がある。このうち支払手段機能は、商品流通において形成される債権・債務関係から生まれ、債務証書が貨幣として機能するようになったものである。債権・債務関係は言うまでもなく、後払い契約であるが、貨幣支払約束の期日が来る前に、持ち手を変えて流通することが可能であり、それは貨幣支払約束への信用によって支えられている。商業関係で貨幣支払約束の確実性を確信する者同士で、お互いに与え合う信用関係が、手形などの信用貨幣の基礎をなす。もちろん、そこにあるのは、契約であり、意思的関係であり、法的関係である。信用を集中し取り扱うのが銀行業であり、銀行が発券する銀行券は、貨幣支払約束証であり、銀行の債務証書なのである。それが流通手段として一般的に流通しているのである。銀行券は、債権・債務関係という意思関係・法的関係の物化した物的形態なのであり、イギリスの中央銀行券は、「私は貨幣を支払います」という銀行の意思(貨幣支払約束)を表示した一覧払い債務証書なのである。
唯物論者を自認する柄谷行人は、『世界共和国へ』(2006年岩波新書)で、ポスト・モダニズムをシニカルに資本主義の現状肯定するものと批判した。しかし、唯物論者なら、やはり階級闘争を認めなければならないのに、氏にはそれがない。
氏は、この本の中で、交換形態の四つのパターンを掲げている。どうしてその四つなのかは、柄谷氏の選択にかかっているが、氏はそれをポランニーから借りている。そしてその理論からは、見事に、階級闘争が抜け落ちている。マルクスは、資本主義における信用制度の発展が、協同組合工場の存続を促進すると言ったが、プルードンのように、政治闘争を否定することを批判した。上で確かめたように、経済的関係は、意思的法的関係を取るのであり、したがって、政治的意思としても、代表されるのであり、つまりは、経済的闘争は、政治闘争としても闘われる意思的行為となるのである。この結びつきを否定することに、プルードン主義の誤り、空想性が示されているのである。
日本の近代史の中から、一つ例を取るなら、大正時代の米騒動がその後の社会や政治に与えたということがある。それは、朝鮮での産米増殖計画を急ぎ、日本への米輸入を増やさせることになるし、米騒動に多くの被差別部落民が参加したことから、その対策に乗り出したということもあるし、これに衝撃を受けた右翼は、国体の崩壊の危機感を強め、体制の革新が急務であると判断し、急進的な行動を激化させていくきっかけにもなった。米騒動が、瞬く間に全国各地に飛び火して、全国化したことは、支配階級に統治危機を感じさせた。それに対して、大正デモクラシーの並みの中で登場した左翼や社会主義者の側は、とりわけ、日本共産党で、福本のインテリ主義が支配し、大衆との結びつきよりも、結合する前に分離するとして、理論闘争に力を注ぎ、少数インテリによる孤立した党建設が行われていたのであった。そうして大衆との結びつきが必要な段階であるにも関わらず、孤立を深めるのである。なにやらニュー・アカデミズムの末路を見ているような感じだが、当時は、政治的チャンスはあり、普通選挙を利用した議会への進出にも望みがあった。それにもかかわらす、その機会を逸したのは、左翼の側の主体的要因によるところが大きい。もちろん、共産主義の浸透を恐れた支配階級が、治安維持法などによる左翼弾圧を強化したということはあるのだが、それとても、大衆との強い結びつきがあれば、打撃は少なく抑えられただろう。そして、右翼の側から、体制の革新が叫ばれ、農本主義者は農業農村指導に乗り出すことになり、大日本帝国指導部は、国内危機を対外膨張によって解決するという帝国主義的解決策によりのめりこんで行くのである。
福本は、左翼が大衆を訓練して、帝国主義統治に対する抵抗主体として、これを打倒し、もって、経済的政治的社会的解放を実現するのではなく、インテリ同士の理論闘争に明け暮れることで、党を建設しようとしたのである。しかし、米騒動は阪神地区での日本農民組合の運動に大きな影響を与えたし、全日本労働総同盟友愛会などの大衆的労働運動が生まれていたのであり、そこに共産主義者・社会主義者がはいって活動していたのであるから、レーニン主義者であれば、工場・職場をつなぐ全国政治新聞での全面的政治暴露に力を注ぐべきだったのではないだろうか。もちろん、理論闘争の意義を軽視するわけではない。米騒動で、大衆が政府に対して「米をよこせ」として行動に立ち上がったことは、ロシア革命で言えば、血の日曜日事件の時の女性デモ隊が「パンをよこせ」と叫んでそれが官憲によって弾圧されたことから革命が急速に進んだのに近い情勢があったことを物語っているといえるだろう。もちろん、ロシア革命では、ロシアの左翼は、1905年の第一次ロシア革命を経験していて、それから10年以上の政治経験を積んでいたのであり、できたてのの日本の左翼とは経験の差は歴然としているのだが。
こういう過去を教訓化するなら、柄谷氏も、先の本の最後で、人類の直面する課題として、戦争、環境破壊、経済的格差の三つを上げており、新自由主義政治がもたらした経済的格差の問題が、帝国主義国と第三世界の南北格差に加えて、帝国主義本国内でもワーキングプアと呼ばれる貧困の拡大として現われてきていることに対して、貧困の経済的解決を目的意識的意思的に解決するための政治闘争が必要になっていることは明らかだろう。 この間、明らかになっているように、ワーキング・プアの中に、1999年の労働者派遣法の改悪によって生み出された働く貧困者が多く含まれているが、それはブルジョアジーの経済状態から生まれた政治意思の政策化として政治的に決定され法律化されたことに起因している。企業の経済的要求は、「厚生労働省『派遣労働者実態調査』(2005) によれば,派遣先が派遣労働者を活用する目的は「欠員補充等必要な人員を迅速に確保できるため」(74.0%) や「一時的・季節的な業務量の変動に対処するため」(50.1%) が中心である」『日本労働研究雑誌』No566「派遣労働者の人事管理と労働意欲」島貫智行(山梨学院大学専任講師))というもので、これを意思的法的に表現して法律化したのが、1999年の労働者派遣法改正と2003年の製造業での派遣解禁での派遣の原則自由化であった。この改悪は、ILOの条約改正によって、派遣の原則自由化を促したとする解釈をもとに、政労使の合意の下に行われたして行われたものである。しかし、『中央公論』3月号のある論文によれば、それは、まったく恣意的な解釈であり、しかも、これを推進した側も、解釈の不当性を自覚しているというのである。それにも関わらす、法改正が強行されたのは、企業側の要求が強かったせいである。ILO条約の不当解釈で、条約の濫用に当たるのだが、条約そのものにも曖昧なことが、こうした拡大解釈を助長した面もあるという。それに対して、非正規労働者の組織化が労働運動として進められ、1999年の同法改悪以前に戻すことが労働運動側からの要求として掲げられている。そしてこの闘いは、日本国憲法の第25条生存権の保障という項目に基づく憲法をめぐる政治闘争としても闘われているのである。それは、貧困の拡大によって迫り来る生存の危機からの解放という政治闘争と経済闘争とを結びつけなければならない闘いである。
柄谷氏のあげる全人類的三大課題、@戦争、A環境破壊、B経済格差、の解決のためには、これらの諸領域において、反戦、環境保護、経済的解放・貧困の解消という政治的社会的経済的解放の集団的意志をもった闘いが必要であることは明らかである。それを、資本主義的帝国主義と資本制経済とを地球上から一掃する国際革命まで発展させる必要がある。そして、世界単一プロレタリア共和国の段階から、階級が死滅するにしたがって階級闘争の非和解性の産物たる国家が死滅する。資本主義世界では、支配階級=国家同士の功利主義的競争があるから、戦争も環境破壊も経済格差もなくならない。国益という支配階級の利害が対立するために、互いに自国の利益にならないことをしない。米帝は、イラク侵略戦争によって手にしたイラクなどの石油利権を手放そうとしないし、日帝はアジアで築いた利権を固守している。発展途上国が経済発展を優先して、環境保護規準や労働者の権利保護が先進国に比して甘いことを利用して大きな利益をあげている。他方では、資本流出によって利益が減ったり、発展途上国と競争関係にある国内業者は、反中国などの排外主義を煽り、ライバルを蹴落したいという願望を示す。歴史が証明しているように、経済戦争は軍事戦争の土台をなす。
柄谷氏の考えとは逆に経済闘争は、政治闘争として代表の闘争として意思的に闘われることによって、経済闘争としても徹底して闘い抜かれるようになるのである。すなわち、柄谷氏があげる三つの全人類的課題の解決のためには、被支配階級が次の時代の支配階級としての意志を持ち、権力を握り、そして、全世界のプロレタリアートと被支配者との連帯を築き、援助して、それらを解決に導く主体とならなければならないのである。プロレタリアートの政治的解放は、経済的解放の政治的表現に他ならず、したがって、政治闘争は、経済闘争と結び合わされねばならないのである。プロレタリアートの経済的解放は、プロレタリアートの政治闘争の目標(マルクス・エンゲルス)なのである。プロレタリアートがそのような社会的政治的意思を持つことは、自己解放にとって、絶対に必要なことである。
とりとめのないものになってしまったが、少なくともここまでで、「意思の論理学」の唯物論的な再構築という課題に取り組む必要があることについては明確にしたつもりである。そして、われわれにとって「意思の論理学」は、階級階層の相互関係において形成される社会的意識形態としての意思の歴史的社会的な階級闘争の論理学に他ならないということも。言うまでもなく、これは終わりなき思考の運動の一部分過程にすぎない。
なお、蛇足だが、廣松氏の社会理論には、エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』や『ドイツ農民戦争』のような仕事が必要だったと思う。
(余録)天道イデオロギーと農民戦争
本稿では取り上げられなかったが、近世日本における社会的意識形態について、新たな興味深い議論が歴史学において進められていることの一例を紹介したい。
例えば、幕末の農民一揆で掲げられるようになる「世直し」というスローガンが、天道思想に基づくものであり、それは幕府の公式イデオロギーとしての儒教的仁政主義を内面化しつつも、公的利益の元を「天」に置いて、その「公儀」の執行受任者としての幕府とその下で「御百姓」として、農業を「天職」とする職業観と勤労意識、そして、それに対する違反を「天」に代わって懲罰するという「天誅」という観念の形成、そしてそれに「太平記読み」が大きな影響を与えたことなどが指摘されている。江戸後期には、小作化がかなり進展していたし、農村の階級構成は、複雑化しつつあった。幕府財政の逼迫化対策として進められた新田開発や農業労働力不足を補うための入植による新旧農民間の対立や出稼ぎや渡り職人や「通り人」と呼ばれる博打・宿・目明しなどを経営する者などが存在し、農民一揆にはそれらの多様な層の農村住民が参加するようになった。そこで、「天」が命じる幕府や領主の職分である仁政を怠るならば、「天」に代わって、制裁を加えるとする論理が、唱えられたわけである。それが、身分制度を批判して平等主義を唱えた安藤昌益の思想にも現われているという。
社会的意識形態としての天道イデオロギーは、小農の共同体としての村の階級階層分解に伴って、支配階級へと上り詰めようとする豪農・地主層の社会的式形態としての国学イデオロギーがナショナリズムに転化するの対して、農村の多様な層の連合体を結合するのに形成された天道思想に基づく「世直し」イデオロギーへと転化するのである。もちろん、江戸期を通じて進んだ商品経済の農村への浸透や農村副業の展開とか、その他いろいろなことがかかわっているのだが、ざっと見たところでは、これまでの研究では、社会的意識形態としての民衆イデオロギーと儒学や国学などの諸思想との関係が切り離されて論じられているようである。農民がその生活様式からどのような世界観を形成し、それに諸思想がどのように関わっているのかの解明はこれからのようだ。本居宣長の国学が、当時の実力をつけ自信を深めていた商人の自負を表現していることは明らかであるが、それがあくまでも幕藩体制を前提としていたのに対して、幕末の国学派は、宣長の保守性を批判して、倒幕へと向かっていく。等々。
このように、社会思想史の分野における社会的意識形態という集団意識・集団意思の形成と階級階層の関係、そして階級闘争の関連についての解明が進められている。エンゲルスが『ドイツ農民戦争』で指摘したように、日本でも農民一揆は、農村の小農・小作農・半プロ層などが中心になるにしたがって革命的となり、「天」に代わっての倒幕というところまで進み、それはやがて明治の自由民権運動の秩父困民党の闘いの中で、新たな公儀である天朝様に弓を引くという自覚にまで進んでいくのである。幕府や政府や天皇は、「天意」を実現するための機関にすぎず、「天意」に反すれば、民衆の手で打倒すべきだという考えに到達するのである。明治維新は、上からの平和的革命であったとする説があるが、これは史実を一面的に見たものに過ぎない。農民の革命的運動は、明治に入ってからも続き、とくに、明治3年(1870年)の日田県一揆には、後の大蔵卿で旧日田県知事の松方正義が派遣され、後に雑税廃止を建言したことが、廃藩置県・地租改正の一契機となったと言われる。小作争議・農民運動は、第二次世界大戦中も止むことなく続いた。
(了)