小沢民主党の行方(1)
渋谷 一三
316号(2007年12月)所収
大連立騒動
読売新聞の渡辺の仲介により、福田―小沢会談が持たれ、大連立構想が二人の間では合意された。が、民主党の執行部の反対にあって、大連立構想は消えた。責任を取って辞任を表明したのは、非公式とはいえ代表権を持った者が話し合った結果に責任を持てなくなった事態に対する礼儀として当然の手続きであった。
この事態に対して大方二通りの見方がある。
一つは、「折角の自民党政権打倒のチャンスを潰すボス政治だ。」とでもいうべき反対論であり、他の一つは、「小沢は、民意を理解していない。」とでもいうべき反対論である。いずれも、大連立に反対なのは共通しているが、前者は形式民主主義に力点をおいた批判であり、後者は現在の政治情勢の読み方からする批判である。
そこで、一旦、小沢さんはこう考えたであろうという筆者の推測を述べる。
政権を取ろうと本気で考えれば考えるほど閣僚の人材が党内になく、大連立を通して閣僚経験を積ませ、現実に即対応する能力を獲得する必要がある。さらに、この大連立を通じて自民党の分解再編と民主党の分解再編をし、党内異分子集団を自民・民主ともに一掃したい。
さらに、福田が軍事を巡って小沢の国連中心主義軍事・外交路線を飲んだのは画期的であり、自民党内対米追随派との分岐を促進し、政界再編に直結できる。
おおよそ、以上のような判断があったものと推測する。この観点に立てば、上記の「自民党政権打倒のチャンスを潰した」という位置からの批判は、当たらないことが分かる。大連立によって政界再編が日程に上るばかりか、強制されるからである。
批判は、「民主党に投票した人の民意は、大連立を含んではいず、勝手に大連立に合意するのは、投票した人の民意を軽んじるものだ」という形式民主主義を巡る体裁をとっており、民主党と自民党との間にどのような政治的分界線が引けるのかという実質の議論に踏み込んでいない。
小沢さんからすれば、政治腐敗の防止のためにブルジョア二大政党制が必要だという持論は持っているものの、どのような分界線が恒常的に引けるのかは、未知の領域であり、現在の相違は、対米追随軍事・外交路線か、自主独立(一人前の帝国主義国家としての待遇を要求する)軍事外交路線か、の相違しかない。対米追随により、バブルは移転させられるわ、今回また、サブプライムローンの処理機構への出資を求められるわ、「思いやり予算」として膨大な米国のための軍事支出は出し続けなければならないわ、等々の不当な負担を強いられている。米帝と決別して独自の軍事を持つには金がかかりすぎるし、危険は大きい。という事柄を総合して判断すると、国連中心を銘打って等距離外交をした方が政治的・経済的メリットが大きいし、軍事費も削減できるという事実に思い至った、というのが小沢さんの政治的立場であろう。これは第1次細川内閣成立時にはすでに固まっていた政治ヴィジョンだ。
筆者は、資本主義を前提とする限り、この判断の方が妥当だと考えている。
この「小沢ヴィジョン」からすれば、大連立は何の不思議もないことだが、政治の中身を抜きに考えると先の形式論議にはまっていく。自民党政権を終わらせること自体に意味付与をする立場だ。自民党政権が潰れて民主党政権になったところで、何が変わるというのか。形式論議をする人たちはこの問題に答えようとしていない。
先の選挙結果分析で、筆者は「民主党が政権を取れば、かねてから小澤さん自身が強調しているように、政権・公共事業と結びつく二大政党制の始まりではなく、自民党の没落の開始にしかならない。自民党は二度と政権政党に返り咲くことは出来ない。」と述べた。二大政党制にする分界線がないのだ。
選挙区選挙でも大敗を喫した自民党は、古賀選対委員長を中心に地方を回っている。地方の公共事業の復活と農村対策を厚くしようとしている。古賀という人物は利権政治の象徴とでもいうべき人物で、道路族。すでに、道路特定財源の復旧(実質切り下げ)を見送らせ、一般財源化も阻止した。小沢さんの農家補助政策と似て非なるものである。
農家補助は、フランスのように農業を実質保護して自国の農業の衰退を阻もうとする政策であり、工業の要請である自由貿易の建前を立てた上で、関税による保護ではなく、農産物も自由化した上で実質保護するために税を投入するという政策である。利権は発生しにくい。対して、公共事業は農民を農業から切り離した上で、必要性の低い道路建設の日雇い労働者として一時的に現金収入を保証するやり方で、不当に高い落札を通じて淘汰されるべき土建業者が生き残り甘い汁をすい、農民は農業から切り離された上で危険な上に安い劣悪な労働形態の中で働かされるだけのことである。
古賀との相違を政治的分界線にできるかといえば微妙で、民主党が政権を取った段階で、自民党の利権政治は破綻するしかない。利権を求める業者は民主党に接近するだろうが、政策が違い、利権政治の幅は狭いものにならざるを得ない。
どうも二大政党制になかなかならないようなのだ。
これが、大連立に踏み込んだ小沢さんの政治的立場の必然的根拠だろう。
当の民主党は、小沢さんというたった一人の政治家によって地すべり的勝利を手にしたものの、なぜ勝てたのかすら理解する水準がなく、勝利目前にして敵と手を組む小沢の政治オタクぶりにあきれるという風な理解しかできていない。「策士策に溺れる」とでも思っている風である。そこで、小沢に辞められたら来る衆議院選挙に勝てそうもないし、続けてもらう以外にないものの、民主党のイメージを悪くしてくれたよなあ、的理解しかしていない。
騒動は空騒ぎだったことが、ご理解いただけただろうか。
実質は今後の政策の中味なのです。民主党が、自民党と「対決」して政権を奪取したとして、その政策は大連立でする政策とほとんど同じなのです。
民主党もまたブルジョア政党であることを忘れてしまって、形式論議に明け暮れている人々には、呑気にやっていてもらうしかないでしょう。
以下、次号