共産主義者同盟(火花)

唯物論戦線の構築のためのノート(3)

流 広志
314号(2007年10月)所収


主観主義と唯物論との対立

 前回は、経済学のオーストリア学派の主観価値説を検討・批判した。功利主義者(効用学派)は、エピクロスの唯物論を効用主義によってねじ曲げたものであった。エピクロスは、「われわれは、確証に期待されるものや不明なものごとを解釈しうる拠りどころをもつためには、すべてを、感覚にしたがってみるべきである。端的にいえば、精神での把握にせよ、いずれの感覚的判定機能での把握にせよ、現前する直覚的把握にしたがってみるべきである、同様にまた、(行為にかんしては)」現前する感情(快と不快)にしたがってみるべきである」(『エピクロス』岩波文庫11頁)と述べているのに対して、功利主義者は、このような感覚を心理に還元する傾向が強く、オーストリア学派の主観価値説に至っては、それが、経済合理的に啓蒙・開発された二六時中利害計算する知性によって、規制され統制されるものとされ、事実上、合理的経済人の知性による感覚・感情を管理するというふうに反唯物論になる。オーストリー学派などの主観主義者は、経済合理的知性が、感情(快・苦)を規定すると主張したように、唯物論ではなく主観的観念論になっているのである。かれらによれば、財は、主観の外部にある物質ではなく、主観的な感覚を表示するものとされる。商品Aは、欲望種類Aの重要性を表示し、商品Bは、欲望種類Bの重要性を表示する・・・。この財の組み合わせは、総体として、人の幸福度を示し、それは快・不快の感情によって計られる。ある人物の幸福度は、欲望と財の組み合わせ(商品A1と欲望A+商品A2と商品A2+商品B1と欲望B+・・・)、それも重要性の等級にしたがって配列された順序通りの組み合わせによって、決定されるとされる。人間欲望の図表にしたがって、欲望に対応する商品のセットが得られるとき、人は幸福であるという。逆に、欲望全体が満たされず、商品のセットが得られない時、人は不幸であるということになる。この場合には、合理的経済人の計算知性によって、人間欲望の図表通りに、財の獲得がなされることが前提されている。そのような主観の形成ということが、課題になるが、それには、功利主義イデオロギーとユートピアが必要だということである。かれらは、こうして主観の内容を計算知性によって規定し、規制し、管理するという立場に立ち、人間の幸・不幸の決定者としての経済合理的主観の支配をうち立てる。経済合理的主観の判断基準に外れる幸福は否定され、欲望の図表にしたがう快苦の判断だけが、合理的とされる。図表にしたがわない人間の行為は、非合理的とされてしまうということだ。人間の快苦の感覚が、いかに多様で、複雑で、経済主義的図表どおりになっていないことを明らかにしたのはフロイト以来の精神分析学である。精神分析学は、人々が、経済的合理性からはずれた行動に多く快を得ていることを明らかにし、快苦の感覚に基づく人間幸福が、象徴的なもののレベルで存在するということを明らかにしたのである。その基礎には、物的生活の仕方があり、歴史的な生産関係と生産様式とそれに基づく社会諸関係の歴史的なあり方があるということは言うまでもない。
 同時に、経済学ばかりではなく、主観主義と唯物論の対立・論争は、20世紀初頭の物理学の革新の時期に、自然科学の分野でも激しくなった。とりわけ、マッハ主義は、大きな影響を与えた。その感覚論と自我主義は、認識論上の主観主義として、レーニンによって強く批判された。レーニンが、2000年来の唯物論と観念論の哲学的党派闘争の基準として強調したのは、エピクロスの次のテーゼにある基本的な唯物論哲学の「物体の有ることは、感覚それ自身が万人のまえで立証していることであり、そして不明なものについては、前述したように、感覚にしたがい思考によって判断せねばならない。・・・われわれの感覚には、明らかに物体は運動しているものとして現われている・・」(同12頁)という思想である。
 それに対して、マッハの影響を受けつつ、主観主義的な感覚論を唱えたオーストリー学派のハイエクは、「感覚を外部世界(物理的秩序)の刺激が感覚器官に刻印を与えたものと見るのではなく、それが神経系によって識別分類され、別の秩序(感覚秩序)に変換されたものと見る」(間宮陽介『ハイエクとケインズ』中公新書36頁)と主張したという。言うまでもなく、ここでハイエクは、物体とその運動が感覚されるというエピクロスの唯物論思想とは異なる物理的秩序と感覚秩序という概念について述べているのである。この感覚秩序は、主観的であり、人ごとに違うし、変容するものであるという。さらに、ハイエクは、「感覚器官は外的な刺激を「解釈」している。感覚とは解釈され秩序化された産物だと、という主張である。ハイエクは、感覚秩序を感覚要素の意味をもったまとまりとして見るわけである。各々の要素はこの秩序の中において初めて特別の意味を担う、しかも、この意味のまとまりとしての感覚秩序は「学習」、つまり個人の具体的な「感覚経験」によって変化していく」(同36頁〜7頁)。このことは、前号で見たオーストリー学派のボェーム・バウェルクの「人間欲望の図表」なるものと同じである。感覚秩序の方は、感覚要素の函数的秩序とされているのだから、例えば、色の配列は人によって違った印象を持つというように、主観的に意味づけされている。しかし、通常は、われわれの目は、赤い色なら赤いと認識するし、それを青色と識別する。それがどういう印象をもたらすかは、人ごとに異なる。ある人は、赤い色に、暖かいという印象を持つかもしれないが、別の人は、冷たいという印象を持つかもしれない。その違いは、「経験は心や意識や感覚などの函数ではなく、反対に心や意識や感覚などのほうこそが経験の函数」(37頁)であるところから来るというのである。そこで、通常の感覚論において感覚とされてきたものは、実は感覚ではなく、「前感覚的連関(pre-sensorry linkage)」と呼ばれる、秩序化以前のカオスなのだという。それから、経験と感覚の相互作用によって、感覚秩序が形成されるというのである。「人間の中の無定形なあるものが次第に形をとって感覚となり理論となり、そして思想となるのである」(同38頁)。そして、「ハイエクにとって、理論はすでに在る世界を映しとったものではなく、理論は世界、世界は理論、である」(同)。その上で、「以前の理論の矛盾点を取り除いて「理論を変更し改善することにある(『科学による反革命』佐藤茂行訳)のだ」(同39頁)。つまり、理論を変更し改善することは、世界を変更し改善することを意味するということである。しかし、間宮氏は、ウィトゲンシュタインの思想にハイエクの思想を重ねすぎだと思う。ウィトゲンシュタインは、『論理哲学論』で、「世界とは、その場に起こることのすべてである」(『世界の名著70』329頁)「世界は、事実の総体であって、事物の総体ではない」(同)と述べ、ハイエクのように主観主義や独我論ではなく、客観的実在論の立場を明確に表明しているからである。彼の記号主義は、エピクロスが哲学研究の方法上の規則としてあげる次の(1 語の最初の意味)の思想に近い。
 「そこで、まず第一に、ヘロドトスよ、われわれは語の基礎にあるもの(語の示す先取観念)を捉えるべきである、というのは、それ(基準としてのそれ)に帰着することによって、判断・吟味・問題の対象となるものを判定しうるためにであり、そして、果てしなく説明をつづけるばかりで何ひとつわれわれに判明にならなかったり、あるいは、われわれが無意味な語をもちいたりなどするような、そういうことのないためである。じっさい、このためには、われわれは、おのおのの語について、最初に浮ぶ心像に着目せねばならないのであり、もしわれわれが、吟味・問題・判断の対象となるものの帰せられるべき拠りどころ(語の基礎にある先取観念)をもっているならば、語の説明などはもはや何らの必要もなくなるからである」(『エピクロス』岩波文庫10〜11頁)。
 
 また、『論理哲学論』につけられた序文で、新実在論の立場をとるラッセルは、「この書は、記号主義の原理から、そしてまたどのような言語にとっても避けられぬ語と事物の関係(という問題)から出発して、その研究成果を伝統哲学のさまざまな部門に適応し、伝統哲学のさまざまな部門に適用し、伝統哲学と伝統的解決策がじつは記号主義の原理についての無知に、そしてまた言語の誤用に由来するものであることを、そのつど指摘しています」(『世界の名著70』中央公論307頁)と述べているが、ウィトゲンシュタインは、この書の中で、論理絵を現実のモデルと述べ、「命題が真であり、あるいは偽でありうるのは、ひとえに、それが現実の絵であるからである」(同358頁)とも述べているのであり、ハイエクのように理論矛盾を解消するということことではなく、理論の真偽を判断することを主張しているのである。さらに、ウィトゲンシュタインは、ハイエクのような主観主義的独我論に対して、「独我論がいおうとしていることはまったく正しいのであるが、遺憾ながらそのことは、語られえぬことである。みずからを示しはするけれども。/世界は私の世界であるということは、言語の(それだけを私が理解している言語の)境界が、私の世界の境界を意味している、ということのうちに示されている」「主体は、世界のうちに属するものではない、それは世界の境界なのである」(同404頁) 「独我論は、厳格におしつめてみると、純粋なリアリズムに合致することがわかる、独我論でいう自我は、結局は延長のない点に収縮してしまって、残るものは、それに対置されていた実在だけである」(同405頁)「ここに、哲学において自我は非心理学的に問題になりうるということの意義が厳存する。/すなわち自我は「世界とは、私の世界である」ということを通じて、哲学のなかに登場してくる。/哲学でいう自我とは、人間、人間のからだ、あるいは心理学で取り扱われる人間の魂などではない。かの形而上学的なる主体、つまり世界の―一部分ではない―境界なのである」(同)と述べ、それを事実上否定した。独我論は、結局は、外部の実在を示してしまうのであり、自我自体は、境界であって、延長のない点に収縮してしまって、実在の諸属性・性質だけが内容として残るということになる。独我論は、語りえぬ事を語るという不可能性を持っているというのである。間宮氏は、他のところでも、ウィトゲンシュタインの思想を主観主義者ハイエクの思想と同一視し、主観主義の側に入れようとしているが、以上のところから、それが不可能であることはわかると思う。
 マッハは、物体は私の感覚の集まりであると述べ、それをレーニンは『唯物論と経験批判論』で批判した。ハイエクは、ソクラテス流の「無知の知」を強調し、個人に知られることは限られており、「具体的事実を十分に知っているという想定は一般に、理性がすべての価値を判断できると思い込む一種の知的驕りを生み出すのに対し、すべてを知ることは不可能であるとの洞察は、現存する社会の価値と制度の中に沈殿してきた全体としての人類の経験に対する謙遜と崇敬の態度へと導く」(『現代思想ハイエク特集』1992年12月号青土社133頁)と主張した。彼は、不可知論が、現存の社会の価値と制度に対する謙遜と崇敬の態度に導き、それを理性によって価値判断して、否定したり、乗り越えようとするような傲った態度を否定するがゆえに、言い換えれば、現存秩序を間違っても破壊しようというような意識や態度を生まないようにするために、重要だというのである。つまりは、不可知論は、現存秩序への信仰を生み出すゆえに、価値があるというのである。ハイエクは、感覚は秩序化されており、それは漸進的な改善の過程によって進化するのであり、それを尊重することはあっても、理性によってその感覚秩序を変革したりすることを、驕りであるとして、否定する。というのは、感覚秩序は、直感的なパターン認識能力であって、すでに理論化されているからだという。それに対して、理性は、大した役割を持っておらず、むしろ、命題の形式で、思考することは、物理現象のような単純な法則を扱う場合では有効だが、社会現象などの複雑現象については、大した効果がないと言うのである。彼の不可知論は、独我論的な限界を世界の側に押しつけるものであって、無数の不完全な知性を通じて進んでいく知識を発展させていく社会的思考形態の存在を無視するものである。彼にとって、感覚といえば、私の感覚しかなく、集合的感情・社会的感覚・共通感覚・共同主観(われわれという主観)などの超私的な感覚や感情を認められないのである。それでは、例えば、阪神大震災の時に、全国から駆けつけたボランティアたちの行為は、私利を犠牲にした利他行為という私的感情と感覚による行為としか見えないだろうが、そうではなく、あれは社会的感情・社会的欲求の存在を示したのである。私利と利他のバランス計算などした上で、人々は、神戸に駆けつけたのではない。そんな計算するまもなく、うまく言葉にできない感情と欲求に突き動かされて、行動してしまったのである。そうでなかったらあんな短期間にあれだけ多くの人が、現場に入って活動するわけがない。

社会学の分野での唯物論と主観主義の対立

 それに対して、社会現象の学である社会学の分野では、デュルケムが、「社会生活の内容は、純然たる心理的な要因、すなわち個人意識の諸状態によっては説明されないということ、これは明白であるように思われる。じっさい、集合表象が表現しているものは、集団がおのれにかかわりをもつ諸対象との関連でみずからについて考える仕方である。ところで、集団は、個人とは異なったものとして構成されており、またこれにかかわりをもつ諸物も個人とは異なった性質をもっている。おなじ主体もおなじ客体も表現していない表象が、おなじ原因にもとづいているということはありえまい。社会がそれ自身および周囲の世界を表象するところの様式を理解するには、個々人の性質ではなく社会の性質を考察しなければならない」(『社会学的方法の基準』岩波文庫33頁)と述べ、個人主義的方法を否定している。その上で、彼は、集合体によって制定されたあらゆる信念や行為様式を制度とよび、社会学を、「諸制度およびその発生と機能にかんする科学と定義」(同43頁)する。そして、彼は、社会学の対象たる社会的事実を定義する。すなわち、「社会的事実とは、固定化されていると否とを問わず、個人のうえに外部的な拘束をおよぼすことができ、さらにいえば、固有の存在をもちながら社会の範囲内に一般的にひろがり、その個人的な表現物から独立しているいっさいの行為様式のことである」(同69頁)。
 このようにして、デュルケムは、社会的事実を外部に存在する物として扱う科学の一部門としての社会学を提唱したのであった。
 それに対して、主観主義者で個人主義的方法をとるハイエクは、社会的なものに対して貧弱な考えしか持っていない。例えば、「個人が共同目的の実現のために協力するときに、個人がそのために形成する国家のような組織には、組織自体の目的体系ならびにそれ自体の手段が与えられている。けれども、こうして形成される組織は、いかなるものであれ、一個の「人格」であることに変わりはなく、いずれも独立したかぎられた分野をもち、組織の目的が至上となるのはこの分野においてである。国家のように他の組織よりはるかに強力な場合もしかりである。この分野の限界は個人が特定の目的に同意する程度によって決する」(『隷従への道』東京創元社78頁)という具合である。国家の限界が、個人の同意の程度によって決まるならば、それは限界ばかりではなく、国家の存在そのものの廃止も個人の同意によって決まるとも言える。通常の諸個人の同意によってつくられた組織は、解散することがあるから、同じ原理を国家にも適用するハイエクの考えからは、そういう結論が出てくる。さらに、組織を人格とする彼の考えは、社会有機体説的なものなのだろうが、国家のような集合的「人格」と個人の「人格」の間に、個人の人格間の関係を適用するものであり、集合的「人格」と個人の「人格」の間の違いや非対称性という誰が考えても当然のことを無視するものである。
 それに対して、デュルケムは、この書の第一版の序文で、「人は、社会生活を観念的な諸概念の論理的な展開として思いえがくことを習慣としているため、集合生活の変化を空間的に限定された客観的諸条件に規定されたものとみなす方法を、おそらく粗雑なものと判断するにちがいないし、また、筆者を唯物論社として扱うことも考えられないことではない」(『社会学的方法の基準』岩波文庫19頁)と述べ、自分の方法は、一部唯心論的でもあるが、科学的合理主義的方法であると称した。唯心論や唯物論の彼流の定義については、ここではおく。彼の集合生活の変化を空間的に限定された客観的諸条件に規定されたものとみなす方法、社会的事実を自己意識の外部に実在する物として扱うことは、唯物論的である。そのことは、「物の外的な特徴がわれわれに与えられてくるのは感覚を通してであるから、要約して次のようにいうことができる。科学は、客観的でありうるためには、感覚を経ないでつくられた概念からではなく、感覚によってつくられた概念から出発しなければならない。科学は、その出発点における定義を構成する諸要素を、可感的な与件から直接に借りなければならないのである」(同114頁)と述べていることからも明らかである。さらに、彼は、そのことを、科学が、あるがままにその物を表現するためには、それにふさわしい概念をつくらねばならないのだが、それには、「あらゆる概念の最初の素材である感覚に立ちもどる必要がある。真であると偽であるとを問わず、また科学的であると否とを問わず、あらゆる一般的観念がみちびかれてくるのは、感覚からである」(同115頁)とも述べている。
 デュルケムは、同書の第3章「正常なものと病理的なものの区別のための諸基準」の中で、この基準を三つ上げている。「(1)、あるひとつの社会的事実は、その進化の特定の段階において考察された特定の種の諸社会の平均のなかに生じるとき、その発達の特定段階において考察された特定の社会的類型にたいして正常的である。(2)、現象の一般性が、考察されている当の社会的類型のなかにおける集合生活の一般的諸条件にもとづいていることを明らかにすることにより、前の方法の諸帰結を検証することができる。(3)、この事実が、いまだその全体的な進化を完了していない社会種に関係している場合には、右の検証は不可欠である」(同148頁)。
 その例として、彼は、犯罪について取り上げる。その中で、犯罪を正常的な社会現象であると述べている。その証拠として、19世紀初頭からの犯罪率の増加を示している。フランスでは、犯罪の増加率は300%にもおよんでいる。それは、「犯罪がこのように集合生活全体の諸条件と結びついてあらわれている以上、およそこれほど明白なかたちで正常性のあらゆる徴候を呈している現象もないことになる」(同151頁)。
 そして、彼は、人々の道徳心を逆なでするようなことを主張する。
 「まず第一に、犯罪をまぬがれないような社会はまったく考えられないということからして、犯罪は正常的なものである」(同153頁)。というのは、「犯罪は、特別な力と明白さをそなえたある種の集合的感情を傷つけるような一行為から成っている」(同)が、それは、このような集合的感情の状態によって変化するものだからである。かつて少年の万引き行為は、説教、非難、親への通報、叱責、弁償、私的な始末書、などの道徳的措置ですまされていたが、近年では、それに対する集合的感情の強度が増大し、明確な犯罪として逮捕・補導の対象となりつつある。絶対的な道徳意識の一致は不可能であり、「われわれの依存している社会的諸影響は、個人によって異なり、したがって意識を多様化させずにはいない」(同156頁)ので、集合的類型からの個人のズレから犯罪的特徴と見なされる行為が存在するのは避けられないというのである。「犯罪としての特徴を付与するものは、それらに内在する重大性ではなく、共同意識がこれにみとめるところの重大性である」(同157頁)。
 このことから、犯罪を通じて、社会生活上の集合的感情が進化していくので、犯罪は、「道徳および法の正常な進化にとって不可欠なもの」(同)だという結論が導き出される。そして、集合生活の変化にともなう法や道徳意識の変化が、道徳の根底にある集合的感情が強すぎることで阻害されると、不動の形態に固定化され、社会生活は窒息してしまうという。「道徳意識の変化には個人の独自性が実現されることが必要である。とすれば、世紀に先んじることを夢みる理想主義者の道徳意識が表明されるためには、その時代の水準にも遅れをとっている犯罪者の道徳意識の存在をもゆるされなければならないことになる。つまり、一方は他方なくしては存在しえないということである」(158頁)。
 これが間接に有用であるにすぎないのに対して、「犯罪の存在は、たんに必要な諸変化への道が開かれているということを含意するばかりでなく、場合によっては、直接にそれらの変化を準備するのである」(同159頁)。これはどういうことだろうか。「犯罪の存するところでは、集合的諸感情は。あらたな形態をとることのできるほど充分な柔軟性をもった状態にある」(同)し、そればかりではなく、集合的感情がとろうとしている形態をあらかじめ決定するのに寄与している。犯罪が、来るべき道徳の予兆をなし、道徳変化への一過程となった例が無数にある。その例として、デュルケムは、ソクラテスの事例をあげる。彼の犯した犯罪は、今で言えば、思想の自由であるが、それは当時のアテナイの人々の生活諸条件と適合しなくなっていた伝統を脱し、新たな道徳と信念にアテナイ人が移行するのに寄与したと彼は評する。ソクラテスが犯罪者とされたのは、当時のアテナイ人の多数の集合的感情に背くものであったからだが、同時に進行していた諸変革の前奏をなした点で、有用であったという。「事実、自由哲学の先駆者たちといえば、中世の全時代を通じ、そしてじつに現代の前夜にいたるまで、世俗の裁判権が正当に罰してきたところの異端者たちにほかならなかった」(160頁)。
 こうしてデュルケムは、「通念に反して、犯罪者は、もはや根本的に非社会的な存在、社会のなかによび入れられた一種の寄生的な異物などではなく、まさしく社会生活の正常な主体としてあらわれる」(同)と主張する。そして、彼は、通常考えられているのは逆に、犯罪の発生率が平均から異常に低下する場合、それは、社会的混乱の徴であるという。犯罪が病態的なものではないとすれば、そのような観点からの刑罰=治療という目的は的はずれなものにすぎないので、彼は、刑罰の理論は、一新されねばならないと言う。同じように、フランスのミッシェル・フーコーは、非行が、監獄制度が、再生産している正常な社会現象であることを『監獄の誕生』で指摘している。こうして、功利主義が、個人心理や個人道徳心の概念化に終わるだけの認識主義から抜け出せずにいたのに、デュルケム以後の社会学は、社会制度や社会現象、共同意識や社会意識、社会的思考形態や集合的感情などの集合的現象としての規範や道徳・法・制度の解明に進んでいくのである。それに対して、ベンサム・ミルなどの功利主義者は、法や道徳の基礎に、功利心を置くのだが、それを人間一般の心理として同一なものと信じているのである。ベンサムは、犯罪は、犯罪者の快楽のために犯されるのであるから、それに対して、犯罪者には、苦痛を与える刑罰を下す必要があると言う。しかし、犯罪が個人の功利心から発生するのであれば、犯罪の抑止は、それ以外の手段での功利心の満足を図る必要があり、したがって、社会全般の福祉・幸福の達成が必要となる。そこで、功利主義は、社会主義へと接近することになる。
 それに対して、カント主義的な道徳論をとるハイエクの場合は、個人主義を基本にする点は功利主義者と同じだが、道徳の根拠を個人に先天的にそなわる「良識」に求める。『隷従への道』において、道徳は個人の行動の現象であるばかりではなく、「個人が自由に自ら決意し、道徳律を守るために自発的に個人の利益を犠牲にすることを求められているところにのみ、存在しうるものである」(東京創元社266頁)と述べ、自由・自発性・内なる道徳律ということを道徳の基礎に置いている。さらに、「個人の責任をともなわないところには、善もなく悪もなく、道徳的美点を発揮する機会も、また人が正しいと考えるもののために、その欲求を犠牲にして信念を明らかにする機会もない。われわれが自分自身の利益に対して責任を負い、その利益を自由に犠牲にする場合にのみ、われわれの決意は道徳的価値をもつのである」(同)と、道徳を個人信念としている。そして、「物資的事情が選択を行わせるところにおいて、われわれ自身の行動を秩序づける自由と、われわれ自身の良識にしたがって生活の設計を行う責任は、そのなかにおいてのみ道徳的感覚が成長し、道徳的価値が個人の自由意志によって日々新たにつくり出される大空のようなものである。指導層に対してではなく、人が重きをおく物事のうちで何を他者のために犠牲にするかを決定する必要があること、そして自分自身の決意の結果に責任をとる必要があるということなどは、真に道徳という名に値するものの本質というべきものである」(同266〜7頁)として、自由と良識による責任が、道徳的感覚を育むという。これは、あきらかにプロテスタンティズム的な道徳観であり、小生産者的な倫理観である。このような個人主義的な良識を元にして、彼は、集産主義を、功利心の抑制ではなく集団でそれにふけることであると非難している。彼は、個人企業者の理想社会の倫理を「独立、自助、すすんで危険を負担しようとする気風、多数と対立する自分自身の信念を曲げぬこと、自発的に隣人と協力しようとする気持ちなどは、個人主義的社会の運営が基調とするものである」(同268頁)」と表わしているのである。
 現在の個人主義的な自由社会の現実が、ハイエクの理想的個人主義的良識を裏切り続けていることは、誰の目にも明らかで、われわれは、日々、政治家・企業・官僚・学者等々の犯罪・反道徳行為のニュースを嫌というほど聞かされている。自由化の中で、自発的に隣人と協力することは少なくなってしまった。それは、共同体があり、その集団的感情があるから成り立つものであった。また、日々の物的生活の過程、職業過程は、個人の道徳感覚を成長させてはいない。その責任を、ハイエクの時代のように、集産主義の影響とすることは無理である。なぜなら、今、勝ち誇って時代の支配思想となっているのは自由主義だから。自由主義の支配の下で、これだけの犯罪が起きているということは、やはりデュルケムの言うような新しい社会諸条件が解放されるべき時が来ている証であろう。それに対して個人の良識を対置することは、社会進化を妨害する反動にしかならないし、それは現実に対して、究極的には無力である。
 それから、道徳の規準が、個人の良識ではなく、共同意識にあるというデュルケムの思想は、歴史的に、例えば、通常は悪とされている殺人が、戦時においては、善とされ、敵を多く殺した兵士が誉め称えられるということでも明らかである。それも、古代のアステカ社会では、戦争での殺人はタブーとされていたように、共同体の共同意識の在りようによって異なっているのである。個人の良識を育成するのは物的生活の仕方であるとハイエクは言うが、彼は、それを生産関係に基づく社会諸関係の具体的な解明によって明らかにするのではなく、個人主義的な主観的良識に還元し、個人心理・個人の道徳心に解明の鍵を求めたことで、良識の歴史的変化や、善が悪に、悪が善に転化する弁証法的な道徳の実際を捉えられないのである。要するに、彼は、その哲学上の師であるカント同様の半唯物論者なのである。
 あえて、ハイエクをとりあげてはいるが、もはや、彼に言及する者も少なくなってしまい、彼は忘れられつつある。現代の経済条件からは、新たな集合的感情の状態が日々創られているが、それは、ハイエクのいう良識とはずいぶん中味が違ってきている。例えば、環境破壊の問題は、今では先進国の人々の集合的感情が厳しくなりつつある分野で、それまで犯罪と考えられなかった行為が次々と犯罪とされ、不道徳と見なされるようになってきている。企業や個人の行動の自由を規制しないと自分たちの存在が危ういという情況では、ハイエクのように無邪気に自由を礼賛するわけにはいかないのである。こういう点も含めて、ハイエクの道徳律が現代の情況に対して間に合わないことは明らかである。(つづく)




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