教育問題(1)―公教育制度について
渋谷 一三
314号(2007年10月)所収
<はじめに>
教育の崩壊が叫ばれて久しい。80年代の学級崩壊、90年代の学校崩壊、酒鬼薔薇聖斗事件以来の青少年による猟奇殺人事件の頻発、「キレル」症候群の普遍化、などなど。
頓挫した安倍政権の目玉は「教育再生会議」なるものだった。ブルジョアジー自ら、再生と命名するほどに、教育が崩壊していることを認めている。
そもそも公教育をここまで荒廃させた責任はブルジョア政府にあることは明白である。中教審をはじめとして、教育制度をころころと弄り回し、現場の教員の意見など聞かずに、これを被服従の対象としてのみ捉え、さまざまの統制を加えてきたのは、他ならぬブルジョア政府である。
その上、「盗人猛々しい」とはこのことといわんばかりに、教育再生会議なるものをつくりあげ、またぞろ教育制度を弄り回そうとしている。
ひとたび教育の話となると、呑み屋談義なみに「百家争鳴」する。その根拠は、親なれば誰でも教育に直面しているという事実とともに、親ならずとも、自らが被教育者だった経験を持っているからである。口汚く言えば、誰もが好き勝手なことを言って、収拾のつけようのないのが、教育談義というものである。
どうにも収拾のつけようのないことをいいことに、ブルジョア政府は多数意見の代表者を装って、特定の思想と特定の方向性を持った制度いじりを行ってきた。本稿の目的は、この実際に進行した事態の暴露に限定する。というのも、教育問題として語られている青少年の荒廃は、この器の中で収束する議論ではないし、教育問題と公教育問題が混同されている現状では、この両者を一旦峻別して議論すべきであるし、公教育として括って議論すべき問題と、義務教育と高等教育とで分けて議論すべき問題等々が、渾然と語られることによって生じる議論の混乱を整理する必要があるからである。
本稿は、義務教育制度の中の公教育制度に限定して、その動きを暴露するものである。
1. 教育の「市場化」
現在進行している公教育制度「改革」は、一言でいえば「市場原理の導入」である。
どうしていいか分からず、方針を持てなくなったブルジョア政府の具体的指針なるものは、流行の「市場原理の導入」であり、米国の模倣である。
そもそも教育に「市場原理」を導入できると考えること自体が乱暴な議論の立て方である。唯一市場原理を導入できるとすれば、それは公教育体制を破壊することを意味する。全てを私学にすれば、市場原理は作用する。それ以外に市場原理を作用させる機能など教育にないのだが、経済と単純に混同して、市場至上主義が横行している。
まず、公学校体制を破壊すれば、市場原理が作用するということを見ていこう。
授業というサービスを消費する児童・生徒。この場合授業の良し悪しは、サービスの購入者たる児童・生徒が決定することになる。したがって、ここでの判断基準は明快になる。大学受験に役立つ授業を効率よく展開できる教員が良しとされ、教員の人格などはどうでもよいのである。この分析を丁寧にすると、相当な紙面を必要とするので、ここでは京都の進学塾で、講師に殺された小6の少女の事件を想起していただくに留める。
消費者たる児童・生徒にはどの商品を選ぶかの自由が保障されなければ、独占業種の下での消費者と同じになり、市場原理は働かない。したがって、どの学校のどの教員の授業でも購入できるようになっていなければ、市場原理は働かない。私学だけになれば、どの学校を選ぶかの自由選択は可能になる。もっともこの自由は経済上の自由と同様に、購入者の購買力によってあらまし決定される形式的自由にすぎない。「どの企業の製品を買うか」のレベルでの自由は、全ての学校を私学にすることによって実現される。だが、「どの企業のどの製品を購入するか」の自由を得るためには、特定の教員の授業をビデオ化するか双方向通信にするかしない限り実現しない。しかし、ビデオ化すれば、参加意識がなくなり、現実感が大きく減少し、教育効果は激減する。すなわち、「どの教員の授業を購入するかの自由」は、中途半端にしか実現しないのである。市場原理のアナロジーは早くもほころびを見せた。が、そもそも、全学校を私学にし、公学校体制を破壊する決意すらできないのであるからして、「教育に市場原理を働かせる」方針は、初めから躓いている。
それでも、市場至上主義の模倣は進行している。
東京都石原都政で開始された新学校群制度=学校選択制。一定の範囲の学校を群とし、その中で、自由に学校を選択してよいとするものだ。これは、学校を選ぶ基準が進学率という単一の価値基準になるという現実に目をつぶり、各学校の特色を出せば分散するはずだという観念ないし建前に基づく夢想であり、現実には群れの中の一校に進学希望が集中することから、早くも破産を宣告されている。
次に「地域評議会」設置命令。この発想も、学校の教員を先生として、とりあえず共同教育者として立てる旧来の社会習慣の崩壊という現実を促進し、「親」ないし市民という名の地域有力者が、教育サービスの内容や質をチェックして要望という名のクレームをつけることを公認することによって、特定の階級・階層の教育思想による公学校支配を実現しようとする試みである。PTAとの棲み分けが明確でないなどの事情によって、まだ機能していない所が殆どだが、これが機能していけば、今風を吹かしている教育サービスの購入者たる親=モンスター保護者など吹き飛ばされる。事実、不当な自己中心的な要求を突きつけてくる親への攻撃は、教育委員会から始められている。そもそも、お客さんのクレームに判断抜きに平身低頭してきたのは各地の教育委員会であり、自らの「市場主義」への傾斜が「ご無理ご尤も」の平身低頭の姿勢を生み出し、モンスター親を生み出してきたのだが、原因が市場主義にあることに思い至らないために、親のクレームを選択する基準=力関係を生み出したいと躍起になりはじめた。確かに、ごく一部のモンスターが教育を破壊する作用は予想外の大きさだった。市場化することによって、先生を一労働者の位置に「落とし込め」、社会党や日本共産党とのみ結びついている日教組を破壊することは、自民党にとっては是非とも必要なことであったし、実際に、先生を「働かない公務員一般」にすることに成功し、旧来のクレームシステムを完全に破壊し、モンスター親の出現をみるに至った。旧来、親は不審や疑念を抱くと、担任に直接か、PTAを通して匿名性を獲得してか、主任ないし学校長にクレームを持っていった。多くの場合、子どもの前では先生を立てておいて、先生に直接文句をいうという風習が生きていた。こうした風習の中で、誤解が解けたり、教師が学んだり、親が学んだり出来ることがあった。が、こうした風習は完全に破壊され、教育委員会直通ホットラインかメールで一方的見解を匿名で送付することが一般的になっている。
女性の労働市場への投入によって労働力不足を解決してきた70年代以降、80年代には「しつけ」が公教育のサービスに加えられるように強制された。労働者になることによって疲弊し、時間的余裕を失った女性(男性はとうの昔に)が、主観的意図は持っていても、客観的には十分に子どもに関わることができなくなり、しつけが公教育の中に持ち込まれ、生活指導部が強大になっていく過程が進行したが、「街中と学校がほとんど変わりない」(プロ教師の会河上さん)状況を呈する90年前後には、「しつけ」に対するクレームから公教育がしつけを担えという要求自体が消失する。中国で「小皇帝」が登場するよりだいぶんと前に、いわば「小殿様」が出現した。日本社会は「殿様扱い」とすら認識することすらできなかった。それほどに、親も一体化して、「お客様は神様」になっていた。
このときの子どもの位置は、お客さまであり、クレーム主体になっている。教員に対する物理的暴力が消失する代わりに、教員に対し優越感を持った児童・生徒が誕生する。曰く、「おかあさんに言いつけてやる。」「教育委員会に訴えてやる。」
市場主義は公教育の外との関連においても進行した。90年代を境に、下層階級の子ども以外は何らかの塾に通うようになり、子どもの生活実感からしても、公学校は一部に過ぎなくなる。放課後の遊びは細り、共稼ぎ世帯の子どもたちが学童保育の公的版によって学校に残り、「子守」される状況へと変化した。
市場主義への浅薄な信仰は教育委員会の教員管理にも方針を与え、授業内容の統制に成功する。各地の教育大学において、授業のマニュアル化の手法が徹底して叩き込まれ、授業研究の名の下にマニュアル式授業法が伝播した。解放教育への反発から、授業内容を考えることを放棄した教員層に、このマニュアル化が支持され、急速に普及することになる。学校をITの市場にした森政権の妄動が思わぬ効果を上げ、授業内容のマニュアルがネットを通じて簡単に交換・入手できるようになったことも、この風潮を助長した。少なくとも70年代には「さぼり」「手抜き」として軽蔑された授業内容の入手・模倣が、正しい授業内容の実践として市民権を得るに至った。
かくして「教科書も使って教える」から「教科書を使って教える」と後退した状況が、「教科書を教える」までに後退し、教科書をカラー拡大コピーして磁石黒板に貼り付けていく授業スタイルが一般化する。ノートも鉛筆も貴重品である世界の大多数の国々での子どもの状況など念頭にすらない教員たちは、こうした授業手法が持続不可能な帝国主義本国ならではの手法であることなど、微塵も感じることができない。ましてや、こうした手法が授業を面白くないものにするばかりか、学力低下の主因であることに思い至ることなど出来ない。
学級崩壊→学校崩壊と移ろってきた状況が、公教育崩壊へと突き進んできた原因の大きな部分が、教育の「市場化」政策にあることは間違いない。
次回は、教育の「市場化」政策を支えてきた教育「理論」の変遷を見ながら、公教育を分析していきたい。