埴生さんへの「再応答」として
流 広志
310号(2007年6月)所収
拙稿『反戦・反改憲運動の中で、共産主義という「大きな物語」を描き、共産主義党建設を追求しよう』(火花308号)に対する埴生さんの「308号流論文への応答−なお道は長く複雑なので、力まずに行きませんか」(火花310号)という応答があった。
埴生論文が提起する「討論を活性化させることで、今後の共産主義運動の発展を促進したい」という埴生さんの意志を私も共有するものであることをまず表明しておく。
その上で、埴生さんは、拙稿について、「刺激・触発されると同時に、少なからぬ違和感を持った」ということで、いくつかの点を指摘している。
他者の文章に違和感を持つこと自体は当たり前のことであって、私も、他者の書いたものに対して違和感を覚えることはしょっちゅうである。それぞれ人には個性があり、差異があるのだから、他に違和感を感じることは、自他を区別するというごく普通のことである。その違和感が、正しいか正しくないかという判断をするということになると、自他の間に緊張や摩擦が生じうる。この段階の議論を言説構築の政治としてしっかり位置づけないといけない。そうしないとそれは単なる個人的印象の表明と違和感のぶつけ合いという不毛なレベルに止まってしまう。この政治空間から、どのような新しい言説が誕生するかは、前もってはわからない。それは政治的構築の言説実践の結果だからである。だから、そもそも、拙稿がこういう「応答」を生み出すとは思いもよらなかったのだし、この「応答」「再応答」が何を生み出すかはわからないのだが、とにかく、思いつくままの「再応答」を試みてみたい。
まず、「反改憲運動を通じた全国の学生運動の交流活性化・学生運動の発展が望まれる。共産主義の旗の下、この運動を発展させ、自国帝国主義打倒に向けて、プロレタリアートの革命的隊列を構築することが必要である」という部分についてである。埴生さんは、80年代後期の学生運動の経験から、この時点ですでに「学生が自分達自身を「社会の中での層としての学生」と認識する文化は解体していた」という。
私が言ったのは、平和な未来を実現するために、若者・学生が立ち上がることが必要だということで、学生運動の交流活発化は、今すでにあるそういう動きをより発展させるために、少しでも貢献したいということである。望むというのは、願望であり、それを強制するということではもちろんない。だいいち、われわれは、そんなことを強制する手段など持ち合わせていない。それに、「枠」に当てはめるといっても、そのような「枠」については拙稿にはとくに書いていないので、ちょっと考えすぎじゃないかと思う。それは、「同様に「運動を発展させ、…プロレタリアートの革命的隊列を構築する」と言われると、〈やっぱり「党」の偉いさんの力で、隊列に組み込まれてしまうのね〉とネガティヴな印象を受ける」ということだとしたら、余計にそうである。プロレタリアートの隊列というのは、具体的なデモ隊列ということではなく、象徴的な言い方である。共産主義の旗の下に云々という場合に、旗というのが象徴であるのと同じである。それに、もしこれが、前衛党云々という当たりを含めて言われているのであれば、前衛というのは、あらゆる運動において自然発生する一機能であるということを忘れているのではないだろうか? どんな大衆運動にも前衛的な役割を果たす人や活動がある。後衛を自称するグループでも、代表的イデオローグの考えを教えるということをしている。しかし、ある考えを伝えるとか教えると言うこと自体を強制として退けるとなれば、運動自体がなくなってしまうだろう。
では、大衆的運動の発展が、プロレタリアートの革命的隊列を要求するという場合を考えてみよう。例えば、先のドイツのG8サミットで、鉄道・道路占拠のような実力行動を大衆運動自身が求めるということがある。こういう場合に、「党の偉いさん」が、革命的な隊列の構築を意識的・積極的に打ち出さなかったら、「党の偉いさん」は、大衆運動から見捨てられることだろう。同じことは、ロシア革命においてもあった。ロシアの2月革命後に、ケレンスキー政府が、ソヴィエトを政府支持の傀儡機関に変えようとし、それらと闘う人々の弾圧に乗り出し、そして、ドイツ・ロシアの労働者・農民を殺し合う帝国主義戦争を継続しようとしていた時、臨時政府の実力打倒の準備を開始せよと訴えたレーニンの「四月テーゼ」は、「党の偉いさん」たちの中央委員会で圧倒的多数で否決されたが、現場から、「四月テーゼ」を支持する声が大きくわき起こり、逆転、採択された。また、ボリシェビキ中央が中止を決定し、止めようとしたにもかかわらず、大衆は、7月3日−4日に臨時政府打倒を叫んでデモを組織して革命的隊列を組んで闘った。この時、ロシアの歴史を動かしたのは、階級であり大衆であって、「党の偉いさん」のいっぺんの指令でも命令でもない。逆に、ボリシェビキの「偉いさん」の決定や指示に反して、大衆が行動を起こしたのである。レーニンは、「党の偉いさん」がすべきことは、「この爆発にもっとも組織的な形態を与えることに努力」(『革命の教訓』国民文庫88〜9頁)することであると書いた。そして、彼は、「7月3日−4日の事件でわが党のおかした真の誤りは、党が全人民の状態の革命性を実際よりも低く見ていたこと、ソヴィエトの政策の変更によって、政治的改造の平和的発展をはかることがまだ可能である、と考えていたこと」(『現在の政治情勢についての決議草案』(同95頁)と率直に「党の偉いさん」の誤りを認めている。もちろん、私は、現在の日本の情勢を革命情勢とか革命「的」情勢とも見ていないことを、「全人民の状態の革命性を実際よりも低く見てい」るとは思わない。ただ、1990年代に比べれば、ずっと全人民の状態の革命性は高まっていると思っている。90年代には、増税やリストラや戦争に対して、反対の声もあまり出ず、政府や資本家に対する怒りや不満はあまり聞こえなかった。しかし、状況は変わりつつある。
今、世界的にも日本でも階級や大衆の現体制に対する怒りや不満の地下のマグマがわき上がりつつあることは、埴生さんの目にも、見えている(「もちろん私も現在、先進国において階級闘争が一層顕在化しつつあることに同意する」)。そこで、「党の偉いさん」が努力しなければならないのは、「6月9日、革命的労働者の党、ボリシェビキ党は、おさえがたい力で増大してきた大衆の不満と激昂を組織的に表現するために、ピーテルでのデモンストレーションを準備した」(同87頁」)というような、大衆の不満と激昂を組織的に表現するということである。何百万・何十万という人々が、欧米での反戦運動・反グローバル運動、移民・下層の暴動などに立ち上がっている。近年の日本での大衆運動には、前年の何倍という人が参加しているという報告がネットなどにある。年金未記録問題では、多くの人々が政府・官僚に怒っている。それを適切に組織的表現できなければ、「党の偉いさん」は大衆から見捨てられるだけである。しかしそれは「党の偉いさん」ばかりではなく、大衆運動団体も同じことである。
それから、日本の場合、他の国に比べて、「「社会の中での層としての学生」と認識する文化」の解体が極端であり、それには、1980年代後期の場合は、バブルという経済社会的状況の影響ということが関係していると思う。この頃、自治会や政治サークルなどは、「暗い」だの「ダサイ」だのと言われて敬遠され、文化・エンターティメント系のサークルに多くの学生が集まるようになった。しかし、海外では、例えば、つい最近、フランスでは、全国的な学生運動が起き、大学のバリ・ストなども行われた。アメリカのイラク反戦運動にも学生が参加しており、ストライキもいくつかの大学で行われたようである。韓国の学生運動は、戦闘的で名をはせていたが、今でも労働運動と連携しつつ、全国大学を組織しているし、ビョンテクへの米軍基地移転反対運動や反グローバル運動や米軍犯罪への抗議運動などに参加している。日本の学生の多くが、客観的・構造的な学生層という共通性を意識化できず、個人としてしか意識できなくなっているのには、いろいろなことが関係していると思うが、私としては、今のところ、それを分析・検討する必要があるとしか言えない。これは是非とも埴生さんにもやって欲しいと思うことである。
次の憲法問題については、いろいろな立場や主張があり、それらを丁寧に見ていかなければならないというのはその通りである。
ポスト・モダニズムは、私の認識ではすでに過去の思想である。埴生さんは、「もちろん私も現在、先進国において階級闘争が一層顕在化しつつあることに同意する」と書いているが、このことについて、もっと事実を調べて、検討・分析すれば、拙稿の言わんとすることがよりわかると思う。
「「小さな物語」論はそれまでの「大きな物語」(理想やイデオロギー)が諸個人に対して抑圧的で残虐ですらあったことへの反省・批判から生じたものである」というのは、冷戦時代における特殊歴史的な条件の下でこそ大きな意義があったのであり、冷戦崩壊後の現在に、それが引き続き解放的な役割を果たしているとは私は思わない。1990年代後期以降、右傾化・愛国主義・歴史修正主義などの「大きな物語」(イデオロギーや理想)を掲げる勢力がのさばるようになったが、それに対して、ポスト・モダニズムはあまりにも無力だったのではないだろうか。こうしたイデオロギーに対してこそ、例えば、脱構築戦略は大きな効果を発揮してもよさそうなものだったが、こうした右派勢力の期待を集める安倍政権が誕生し、右派の石原東京都知事が3選されたように、そういう動きに対して、ポスト・モダニストの闘いというのは、ほとんど見えないし、その戦略はあまり効果を発揮していないように見える。したがって、私は、「それは今後に引き継いでいくべき「質」を提示している」とは言い難いと思う。「今後我々が「大きな物語」の構築を目指すとしても、それは「小さな物語」を生かしつつ進めるべきである」ことが可能だと思う人は、そうすればよいと思う。私は、個人というものを無条件な存在として認識するのではなく、「諸個人がなんであるかは、かれらの生産の物質的諸条件に依存している」(『ドイツ・イデオロギー』)と考える。かれらは、構造だの「大きな物語」という思想が、「《解放》は歴史的事業であって思想の事業ではない。そして解放は、歴史的な諸関係によって、すなわち工業、商業、農業、交通・・・の状態によって実現される」(同)ということを追求しないで、あたかも言葉だの思想だのがそれだけで自立していて、それが現実を動かしているように主張したことは大きな間違いだと思う。個人の創意や自立性、多様性、個性などを尊重するということなら、マルクスが、本来、共産主義が、そういうものを含んでいることを主張しており、そうではないスターリニズムは、共産主義の名に値しないと考える。それをわれわれが、わざわざポスト・モダニズムを借りて、言うことはないと思う。ポスト・モダニズムが、帝国主義・資本主義の側に立って、プロレタリア大衆・被抑圧民族・被差別大衆を搾取・抑圧・差別するのでないかぎりは、特に問題にする必要はないと考える。もちろん、その学問的科学的成果から学ぶのは必要である。しかし、この潮流の中に、資本主義を擁護する者が出てきて、共産主義を攻撃する者がいるから、それを批判しなければならないと言ったのである。
なお個人加盟ユニオンについては、労働現場で労働者が個人化され分断されているために、団結するためには、個人加盟方式ではないと対応できないという現場の事情からそうなっているということがある。一つの職場で、複数の派遣会社からの派遣労働者が一緒に働いている場合が増えてきており、所属会社の違う労働者が隣同士で働いているという形になっていて、会社共同体を基盤にしたクローズドショップ制などの企業別労組という形態はとりにくいのである。
英雄云々については、プロレタリアートの階級闘争は、究極的に勝利するためには、幾多の試練を乗り越えなければならず、この闘いの中では、犠牲者が出るのは避けられないし、今でも、そうした犠牲者を出し続けている。例えば、拙稿で、同志からの情報にあったメキシコのオアハカの教職員組合などの労働者の闘いである。州政府は、軍隊や私兵を投入して、情け容赦なく労働者民衆を弾圧し、多くの死傷者が出た。こうした犠牲を払いながらも、貧しい人たち、差別されるインディオなどの被差別者・被抑圧者のために闘い続けた人々は、英雄と呼ぶにふさわしい人たちだ。それを認めることが、どうしてうさんくさいのかは私には理解できない。英雄一般がうさんくさいということを言うことにどんな意味があるのか理解できない。ちなみに、『岩波国語辞典』では、英雄とは、「すぐれた才知・実力を持ち、非凡な事業をなしとげる人」である。英雄として持ち上げられながら、実際にはそれが偽者にすぎなかったことが暴露されたりするが、だからといって、英雄そのものが消滅してしまうわけではない。それに英雄的に行動する時もあれば、そうでない時もある。そんなわかりきったことをあえて書かなければならないのは、自称共産主義者の中に、英雄をでっち上げた者がいたからである。しかし、英雄(ヒーロー)を讃える感情は、スポーツ・文化・芸術その他、一般的に存在する。それを政治その他の目的で利用する者がいて、うさんくさくなる場合があるが、それは英雄概念とは別の問題である。過去においても今日においても未来においても、プロレタリアートの自己解放の闘いは、プロレタリアートの「すぐれた才知・実力」を発揮しなければならない「非凡な事業」であり、したがって英雄的な闘いを含む。英雄という言葉を消しても、「すぐれた才知・実力を持ち、非凡な事業をなしとげる人」を消すことはできない。これまで歴史的に共産主義運動の英雄とされた人物は幾人もいる。個人的資質において多少の問題のある者もいるが、それは彼らの英雄性を完全否定するほどのものではない。それと神話化・神格化の問題はまた違う話であって、実践的唯物論者である共産主義者に、神話批判はあっても、神話化や神格化はあってはならないし、してはならないのは言わずもがなである。スターリニズムの問題は、神格化・神話化であり、金日成主義はその類である。私の考えでは、朝鮮の民族解放闘争において、金日成によって粛清された金九や朴憲永は英雄であり、三里塚闘争では、大木よねさんは英雄である。毛沢東は、中国の民族解放闘争の英雄ではあるが、その後の中国社会建設の英雄とは私は思わない。
次に反前衛主義を掲げる者で、「ちっぽけなエゴイスト」「自分の身の安全ばかりを気にして、どうやったら健康に長生きできるかなどということを熱心に追求する者」に対して私が対置したのは、死を相対化してとらえるエピクロスや仏教というのではなく、死についての唯物論的見方を示している二つの例である。これらのテーゼは、死を相対化したのではない。エピクロスが言うのは、死は経験できないし、感覚することができない、感覚することができないものは、存在しないということである。われわれにとって、存在するのは、他者の死の体験からつくられた死についての観念・想像である。それは私個人の実際の死の体験の反映ではないし、それは絶対に不可能である。仏教の場合は、ややこしいので、かなり単純化した。仏教の中には、いろいろな思想がごちゃごちゃに含まれており、時代によって変化があるのである。日本だと、江戸時代の大阪の町民出資の学問所である懐徳堂の唯物論者の富永仲基・山片蝙桃らは、特に仏教研究から、大乗非仏説に到達したように、今でこそ、仏教は宗教というイメージが強いが、もともとは学問という面が強かったのである。その蓄積の中で、唯物論が発展した。自分の死は感覚することができないし、経験できないと言うことは、死の相対化ではない。
そのことは、マルクス・エンゲルスが、『ドイツ・イデオロギー』の中で、「フォイエルバッハは、〔一〇〕人間もまた《感性的対象》であることをみぬいているという点で、もちろん《純粋》唯物論者たちを数等うわまわっているが、かれが人間を《感性的活動》としてとらえていないことは問わないとしても、かれはここでも理論のうちにとじこもり、人間をかれらの所与の社会的な連関においてみようとせず、かれらをいまある姿のその当人に仕上げた、かれらのありのままの生活諸条件のもとでつかもうとはしないので、かれはけっして現実的に存在している、行動している人間にまでは到達せず、かえって《人間というもの》という抽象物にいつまでもとどまっていて、やっと感官においてだけ《現実的、個人的、肉体をそなえた人間》を認めるところまできているにすぎない」(『ドイツ・イデオロギー』合同出版52頁)と述べていることでも明らかである。
「現実にはなかなか存在しない、ある理想の人間像を打ち出して、それに近いものをより肯定し、遠いものをより否定するという構図は、西欧思想などに古代から(それこそプラトン以来)見られる傾向であって、その20世紀前半バージョンがスターリン主義であり、21世紀に持ち越された残骸が北朝鮮の「主体思想」であろう。これらへの批判はポストモダンの思潮の中で繰り返し行なわれてきた。しかしポストモダニズムに否定的な立場をとる308号流論文の文脈では、それらを無視して一挙に〈モダン〉の時代以前に回帰しているように見える。これはこれで1つの〈反動〉になってしまわないだろうか」。
これは、プラトン主義なるものが古代からスターリン主義へ、そして今日の北朝鮮の「主体思想」にまで貫通していて、それが人々を抑圧してきたということのようだが、思想が現実を規定するということは、『ドイツ・イデオロギー』で、観念論として批判されている。私には、もしここで言われているようなことがポスト・モダニズムの基本思想だとしたら、かれらは、マルクス・エンゲルスが革命的言辞を弄する保守主義者と批判した青年ヘーゲル派に似ているように見える。私は、冷戦時代、核武装したスターリニズム大国ソ連があった時代に、その抑圧性からの解放に一定の積極的な役割を果たしたことは認める。しかし、冷戦崩壊後の今日においてもそれが積極的な意義を持っているとは思わない。だから、時代の変化に注意を喚起したのである。そのことは、埴生さん自身が、北朝鮮の「主体思想」を、プラトン主義の「残滓」と述べていることで事実上は認めているものと思う。もちろん私は、北朝鮮人民が抑圧されている状態から解放されるべきだと思うと同時にイラクで毎月何百という単位でイラク人が殺されている状態からイラクの人々が解放されるべきだと思う。それから、コロンビアでは、右派ウリベ政権が陰で支援する準軍組織によって、労組活動家や農民が大勢暗殺されているという状態から、コロンビアの人民が解放されるべきだと思っている。チェチェン問題も同じである。そして、もちろん、資本主義の搾取・収奪・抑圧・差別から労働者大衆が解放されるべきだと思っている。
プラトン主義批判は、おそらく、ニーチェから借りてきたものだと思うが、ニーチェは夢こそ実在であると唱えた観念論者であるから、唯物論者たらんと思っている私は、強い違和感を覚える。ただ、ニーチェに流れているその師のショーペンハウエルの東洋思想研究の影響や仏教思想の影響という点について、もっと研究が進めばおもしろいとは個人的には思っている。
余談だが、仏教というと、今日では、宗教というイメージが強いが、むしろ歴史的には学問・研究という面が強く、仏教史では、学派が大きな存在である。古代以降の日本の仏教についても、当時の中国の先端技術・先端学問文化等の移入という点で、大きな役割を果たした。医療・薬草・灌漑技術・土木・建築技術などの発展に多く僧侶が関わったのである。ただし、仏教は、もちろん、人間を感性的活動ととらえ、生産・産業・生活過程といったものの解明にはあまり向かわず、思弁に止まっている場合が多い。それは、多くは、「あらゆる人間歴史の最初の前提は、もちろん生きた人間的諸個人の存在である。それゆえ最初に確認すべき事態は、これら諸個人の身体的組織およびそれによってあたえられるかれらのそれ以外の自然への関係である」(同30頁)という段階に止まっている。しかし、他方では、教義ばかりではなく、政治的知識・指導、医療、軍事技術・軍事学、庄園経営、庭園設計施工技術、等々の現実的知識も有していたのである。時の権力者と結びついた宗派もあれば、民衆蜂起と結びついた宗派もあり、両者の宗派間戦争もしばしば起きた。比叡山天台宗と京都の町衆自治を担った日蓮宗徒との闘いや近江での比叡山延暦寺と浄土真宗の一向一揆との闘い等々。
私は、モダンだのポストモダンだのという言葉をかなり適当に使ってきたが、モダンからポスト・モダンというのは思想的な時代区別だから、ポスト・モダンの次の時代には、ポスト・ポスト・モダンが来るのだろうぐらいに思っている。もちろん、私は、ポスト・モダニズムに実践的唯物論を対置することが〈反動〉になるとは思わない。
柄谷行人氏は、冷戦崩壊で条件が変わったから積極的発言はOKだと1990年代に社会運動を開始した。政治一般を抑圧的として政治に否定的だったポスト・モダニストの一部が、90年代に、積極的に政治社会運動を開始した。柄谷氏はさらに変化して、憲法9条を擁護し、世界共和国樹立を訴えるなど積極的に政治運動をすべきだと発言するようになる。こうした一部のポスト・モダニストたちは、自己変革を遂げたのである。そうしなかったポスト・モダニストは、冷戦という特定の時代条件にとらわれ続けているのであり、そこから前に進むのではなく、そこに止まり続けて、そこから今日の大衆運動を批判したりする者がいるから、「反動」と評したのである。
「私達のささやかな経験によれば、様々な運動体や諸個人との関係を作り、共同作業を進めるためには、相手との双方的な交流の中でこちらも変化していくという、こちら側の「柔軟性」が不可欠である。これほどまでに前もって勢いこんでしまうことは、かえってそれを阻害するのではないか」
こう指摘された拙稿の部分は、われわれ自身に向けて言ったもので、誰か外の相手に向けて言ったものではなく、いわば、われわれの決意を表したものである。相手との双方向的な交流云々はこれまで幾度も強調してきたことなので、いわずもがなであって、むしろ、この間の世界や日本での情勢の急激な変化ということにわれわれ自身が遅れをとらないようにしたいということでこういう表現になっただけなので、あんまり大げさに受け取らないようにしてもらいたい。大衆運動に向けて言ったわけではないのである。
「「下層」と一言でいっても、その内容は極めて多様である。低賃金・非正規労働者のような、古典的な「下層」労働者の問題ももちろん引き続き重要である。一方、長時間のサービス残業などによって、時給換算した場合、大企業正社員や医師など一見「下層」らしくない人々が、実は「上層」とも言えない実態が生じている。そして「小さな物語」の時代を経ている現在、客観的・構造的には「下層」であることを強いられているようであっても、個々の労働者を見ると非常に多様なアイデンティティの持ち方をしているだろう。そこでは「下層」労働者を一つの層として扱うような運動の作り方は有効ではなく、もっと個々人の特質やそのおかれた環境の個別性を尊重するような〈丁寧さ〉が必要とされると予想される」。
この部分については、私の書き方は確かに丁寧さに欠けているかもしれない。私は、上層には、一握りの特権的労働者、ブルジョアジー、大地主、投資家、上層官僚などを想定し、下層には、中間層から下に落ちてきている部分を入れている。その上で、下層云々のところについては、大企業正社員や医師などの「上層」労働者の長時間サービス残業とか時給換算すれば、上層とも言えないということだが、この層は、時給換算しても上層であることには変わりはないということは指摘しておかねばならない。今問題になっている「ワーキング・プア」層の場合、年収は、生活保護費以下、しかも長時間労働である。それか仕事にあぶれる日がある日雇い労働者の場合は、時間があっても、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(憲法25条)からほど遠い。国家公認の「健康で文化的な最低限度の生活を営む」水準が、生活保護費とすれば、それ以下だからである。ちなみに、その2には、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。もちろん、大企業正社員の長時間サービス残業・過労死・精神疾患の多発などは解決されねばならない問題だ。そのことと、下層の解放ということが対立しないように両方をうまく解決していく方策を見つけることは必要である。ただし、下層を犠牲にして、自分たちの特別利益を平然と享受している労働貴族は別である。個別具体的なケースでは、共産主義のため、プロレタリアートの解放のため、下層や被差別者の解放のために、闘いを支持するブルジョアジーは、まれなケースであろうが、プロレタリアートの味方である。また、下層にも反共主義者や愛国主義者なども存在する。確かに、個別に見れば多様であり、下層としての共通利害が、単一の政治的立場に収斂するとは限らない。しかし、下層という共通性から発するところの歴史的共通使命は存在し、その適切な表現がありうる。それを明らかにして、きちんと表現できれば、それは共感を生み、下層の団結を発展させるように導くことだろう。われわれは、未だにそれに成功しているわけではなく、そこに向けて努力している途上にあるにすぎないわけだが。もちろん、それは、ラクラウ・ムフの、アイデンティティは政治的に構築されるのであらかじめ決定されていないという主張があるが、やはり共通の生活条件・生活過程がその構築を規定するのである。そうでなければ、フランスの移民暴動、アメリカの不法移民の数百万の街頭デモ、メーデーへの大量参加はあり得なかっただろう。
「そして「小さな物語」の時代を経ている現在、客観的・構造的には「下層」であることを強いられているようであっても、個々の労働者を見ると非常に多様なアイデンティティの持ち方をしているだろう」。
ここでは「小さい物語」の時代という時代規定が優先されて、客観的・構造的に「下層」であることが強いられているというグローバル化時代の現実よりも、多様なアイデンティティの持ち方という意識の在り様の方にリアリティを付与している。言うまでもなく労働者ばかりではなく、誰にも個性がある。「下層」であることは今日の資本主義が強いている現実である。企業は正社員の採用を抑制し、パート・アルバイト・派遣などを多く採用し続けている。求人案内に、正社員の採用数が少ない以上、パート・アルバイト・派遣などで職を得る他はなく、しかも、なかなか企業は非正規雇用者を正社員にしないので、それが長く続く間に、「下層」化してしまうのである。中小零細企業は、大企業の下請け仕事で、コスト抑制を長く強く求められていて、多くが、「下層」に近づけられているのである。
私は、「小さな物語」という流行思想の時代は終わっていると考えている。埴生さんが言うように、個々の労働者には個性があり、多様であるが、他方で、「下層」として団結しなければ、生存すら危ういという共通の生活条件にあることが共通の自覚になりつつあると思う。フリーター全般労組などが主催する「自由と生存のメーデー07」には、昨年の倍の500人近くが参加している。これは、別に、個々の労働者の多様性を否定するようなことではなく、下層という集団的社会的アイデンティティもまたかれらのアイデンティティの一部になっているということを示しており、それを反映した大衆的運動が出てきているということを意味している。層という社会的アイデンティティが存在するのに、個人的アイデンティティのみを取り出して、それに対置したら、それは抑圧的となるだろう。
全体として、被抑圧・被害者意識が強く感じられ、しかも、その対象が、抽象的である点が多少気にかかった。しかし、思想を問題にするのはいいけれども、例えば、若者中心のグッドウィル・ユニオンが、派遣会社グッドウィルの具体的な「悪」として、データ装備費を給与から天引きしていた問題を追求している問題のような具体的な抑圧・搾取について目を向け、分析・検討することに力を入れないといけないと思う。もちろん埴生さんにはそんなことは言わずもがなだろう。この件では、労働運動と団結の具体的成果が出たのである。もちろん、運動はつねに目に見える成果をもたらすとは限らない。しかし、そうでなくとも闘いに人々は立ち上がるものであるが。とはいえ、こうした「共同の成果」が上がったことは、似たような境涯にある青年労働者たちに希望と夢と勇気を与えるだろう。「私たちの闘いによる共同の成果です」という最後の言葉は、複数性・団結・共同への力強い確信を表している。なお、交渉は、「データ装備費」返還などをめぐる組合側の公開質問書への折口会長の回答がないなど、見通しがわからなくなってきているようである(6月19日現在)。
共産主義者は、こういう青年労働者の闘う姿勢から学び、そして、この団結・共同の在り方に共産主義的団結や共同の萌芽があることを見失ってはならないのである。もちろんそれは、他の大衆的諸運動でも同じである。
グッドウィルグループ(株)折口会長、データ装備費の返還を確約!
たった今入った情報です!どんどん転送してください。
グッドウィルユニオンhttp://ameblo.jp/goodwillunion/entry-10036064240.html
○グッドウィルグループ(株)折口会長、データ装備費の返還を確約!
コムスン問題で大揺れのGWG折口会長は、本日午後記者会見を行い、介護事業についてはしがみつく事を表明したものの、スポット派遣労働者からピンはねしていた「データ装備費」については変換することを表明しました。
昨日の本社前(六本木ミッドタウン)行動が決定打になったわけではないでしょうが、この間の私たちの闘いによる共同の成果です。
私は、こうした人たちの闘いの中で、共同して、「大きな物語」「大きな夢」「希望のある未来」を描いていく必要があると思う。それは、新たな「前衛党」を成長させることにつながるだろう。ドイツ・ハイリゲンダムでのG8サミットに対して、10万人が世界から結集した反グローバル運動は、「もう一つの世界」という「大きな物語」を描きつつ、闘いを押し進めている。その中にはすでに共産主義運動が存在している。
それから、理想一般やイデオロギー一般が無条件に抑圧的だとも思わない。それは、拙稿で『ドイツ・イデオロギー』から引用したような生活条件から必然的に生まれる理想やイデオロギーがあり、それはそれを生みだしている物的生活条件が解消されなければならないという歴史的使命の表現としての理想やイデオロギーなどの「大きな物語」には現実的根拠があるからである。ただ、例えば、ポスト・モダニストの一人と言われた今村仁司氏の言う西洋形而上学の無根拠性を繰り返し示し続けてその構造的暴力を無化するということと、現実生活に根拠を実際に持っていて、そこから発し、頭脳に反映するところの、イデオロギーや理想とを区別しなければならない。現実生活に根拠がある場合には、思想の側でそれを消しても、それらは何度でも立ち上がってくるのである。それは思想の中で決着することができず、現実生活の側で根拠に決着をつけなければならないのである。
「もちろん率直に認めるのだが、そのことを流さんに説得力をもって示せるような実例を、筆者が直ちに準備できているかと言われれば、残念ながらノーである。だからこの文章も極めて限界のあるものといわざるをえない」。「ただ今後の社会運動に携わるにあたり、流論文とは違うニュアンスを提示して、今後の討議に付することで、私達が新しい地平を切り開くことに若干でも資することができればという思いで一旦提起させて頂いた」。
誰にでも、何にでも限界はあるが、それも、例えば、「9条改憲阻止の会」では、かつてお互いに時には暴力的衝突まで起こした同士が、手を握って、6・15 9条改憲阻止日比谷野音集会に1200人(主催者発表)集まって、成功をおさめたように、長い年月の間に、主体的にも客観的にも状況が変わって、克服され、乗り越えることが可能である。もちろん今後どうなるかはわからない。それは言わずもがなである。
討議、新しい地平を切り開く云々は、埴生さんの積極的な姿勢を表していると受け取った。繰り返しだが、「討論を活性化させることで、今後の共産主義運動の発展を促進したい」。これらを埴生さんの前向きの意志の表れと受け取りたい。
なお埴生論文のタイトルの「なお道は長く複雑なので、力まずに行きませんか」については、私は主観的には力んでいるつもりはなかったが、それは、書いたように、この間、世界はもちろんだが、日本でも情勢の動きが急で、それに追いつき対応しなければという思いと事態に立ち遅れてしまうのではないかという気持ちが強く出たものだと思う。冗談だが、時には力むのもいい「人間だもの」(相田みつを)。
ちょっと丁寧にということを意識しながら書いてきたこともあり、長くなったし、読みづらいものになってしまったように思うが、私の「再応答」としたい。埴生さんが希望するように、意見のある方は議論に参加して頂きたい。