帝国主義のグローバル化と闘う国際階級闘争の先進的活動家が必要だ
流 広志
307号(2007年3月)所収
ぐらつく日米帝国主義
米帝は、イラクが泥沼状態であることやアフガニスタンでのタリバン復活や対イラン対策が急務となっていることやイスラエルのレバノン侵略が実質的に敗北し、強武装したヒズボラの力が強まっていることなど、中東アラブ世界に対する対策に追われている。米帝は、対イラン戦争計画をすでに作成したとも言われており、核開発凍結を拒むイランに対して、戦争を仕掛ける可能性が高まっているのである。英軍は、イラク南部から一部撤退すると同時にアフガニスタンに増派されている。急遽、アフガニスタンを訪問したチェイニー副大統領は、秘密行動であったにも関わらず、情報が内部から漏れ、爆弾攻撃にあった。イラクばかりではなく、アフガニスタンでも、治安体制が崩れてきているのである。
米帝ブッシュは、中南米諸国歴訪に向かい、貧困・経済成長のための経済援助案を携えていく。中東問題に集中せざるをえなくなっていた間に、中南米諸国で、中道左派・反米左派政権が続々と誕生したことにようやく対策を施そうというのである。ブッシュが進めてきた北米経済圏への中南米経済の統合策は、中南米諸国間の独自経済圏形成の動きが強まる中で、破綻しつつあり、その建て直しも狙いの一つなのだろうが、最初の訪問先のブラジルでは、「ブッシュは出ていけ」を叫ぶ1万人のデモに出迎えられた。また、9日には、アルゼンチンのブエノスアイレスでの約4万人の反米集会にゲストとして出席したベネズエラのチャベス大統領は、「帝国主義の親玉は南米から出て行け」と気勢を上げた。さらに、9日夜に到着したウルグアイのモンテビデオでは、数千人が歴訪に抗議してデモ行進が行われた。米帝ブッシュは、中南米の民衆を敵に回してしまったのである。
3月7日、安倍総理は、憲法改訂のための手続き法である「国民投票法案」を早期に成立させたいという意欲を示した。支持率が急落する中で、開き直って、安倍カラーを鮮明に打ち出して、なんとか求心力を取り戻そうというのだろうが、公明党が5月3日までの成立にはこだわらないと表明するや安倍総理は、それを支持するなど、相変わらずぐらついている。4月の統一地方選挙、7月の参議院選挙が迫る中で、ついには、小泉前総理が、安倍首相に支持率には「鈍感」に「改革」を進めるようアドバイスまで行わざるをえないところまで、求心力が下がっている。
昨年の安倍首班指名選挙の論功行賞で大臣になった安倍政権の閣僚たちは、「政治とカネ」の問題で次々とスキャンダルが発覚し、タガのゆるんだ閣僚たちはつぎつぎと問題発言を繰り返し、女性差別、人権軽視、排外主義、エゴイズム等を露わにしている。安倍総理は、外交においては、「自由・民主主義・人権・法の支配」を基準に掲げているが、自分たち自身には適用しない。安倍政権には、これらの普遍的価値観を実現しようという真剣な姿勢は見られない。
内閣府が6日公表した04年度の県民経済計算では、地域間の格差を示す「変動係数」は3年連続で上昇して15.57%になり、01年4月発足の小泉政権下で、地域格差が拡大していたことが明らかになったのを始め、今や労働者の約3分の1が非正規雇用であり、生活保護費よりも所得の低い「ワーキングプア」層が増えているなど、この間の新自由主義政策によって、格差拡大固定化が進んでいる。それに対して、安倍政権は、格差は活力の源泉だが平等は衰退の源泉だとする新自由主義的な思想をもとに、積極的な施策を取ろうとしない。
新自由主義者が崇めるハイエクは、形式平等は良いが実質平等は自由と両立しないと述べているが、それは、スターリニズム、ファシズム、その他の計画主義思想、社会主義思想がヨーロッパを覆っていた中で、19世紀イギリスの自由主義段階を理想化して対置したものである。ハイエクのいう自由は、個人主義的自由であって、現在のように株式資本の発展した独占資本主義段階では小ブル的夢想にすぎない。ハイエクは、国際関係において、連邦主義・小国の権利を強調したが、今日の新自由主義は、大国・「帝国」・強者の権利を強調している。多国籍企業化が進む現在においては、世界市場では、一国内の大独占資本も、ライバルに比べて相対的に小規模なので、国際的な資本提携や合併・合弁が活発化している。世界市場の独占・寡占が進み、様々な分野で、少数の巨大多国籍企業が、世界経済に決定的な位置を占めるようになっている。それに対して、帝国主義諸国は、比較優位部門については自由貿易策を、比較劣位部門では保護貿易策を取っている。そのために、うまく利害が合致しない分野での多国間貿易交渉はなかなか進んでいない。
このように現実の世界の中で、新自由主義は、ハイエクの考えを都合良く改造して、実際には、大独占企業・国際独占体の利害を代表しているのである。そのことは、新自由主義的「構造改革」路線を取ってきた小泉政権下で、銀行の大合併が進み、4大グループに統合されるなど、独占資本がさらなる大独占に成長して、過去最大の企業利益を上げる一方で、ハイエクが代表した個人企業・中小企業が、大企業の下請け・隷属化を深め、上からのコスト削減圧力が強まって、忙しいが利益が上がらないという状態を強いられ、収奪が強められたことでも明らかである。ハイエクの思想からは、これらの個人企業・小国こそが、自由の基礎となるべきものである。後発のベンチャー企業は、先行する独占的企業に対して、不利であり、倒産後に吸収されたり、買収されたり、資本参加などで、独占資本に統合される。独占資本は、安上がりに、ベンチャー企業に蓄積された技術やノウハウ、顧客、訓練された労働力、設備などを手に入れる。また、独占資本は、国際競争戦での勝利のために、労働コストでも、比較優位を確保しようとして、国内労働賃金をできるだけ上げないようにしている。
また、日帝安倍政権の帝国主義強国を目指しての日米同盟強化、在日米軍再編問題で、米帝は、嘉手納基地にF22ステルス攻撃機数機を留めるデモンストレーションを敢行して、日米合意案を早期に実現するよう迫り、安倍総理は、そのための研究結果を早期に出すように求めたが、名護市辺野古の沿岸新基地建設案をめぐって、沖縄県と政府の間で交渉が難航して行き詰まっている。さらに、安倍政権は、対北朝鮮政策の拉致・ミサイル・核問題の解決手段としての「アメとムチ」政策の「ムチ」に重点を移し、経済制裁や朝鮮総連弾圧を強め、日米同盟強化、朝鮮半島有事の際の日米軍事協力体制強化のための集団的自衛権行使解禁による軍事的圧力の強化などを狙っているが、6カ国協議で米朝が妥協したため、これらの策動を推進する名目としての東アジアの軍事的脅威が曖昧になったし、米帝ブッシュ政権は、イラク・アフガニスタンへの増派を決定し、中東対策に手一杯で、安倍政権の対東アジア外交を本格的にサポートできる状況にない中で、孤立し、安保外交戦略においても、行き詰まっている。
ブッシュ政権の戦争政治に反対するアメリカの覚醒し、自覚した学生・労働者大衆の反戦運動は、ベトナム反戦以上の深さと広がりを持ちつつあり、それもブッシュ政権を足下から揺さぶっている。プロレタリアートは、自国政府を打倒する大衆的な闘いで、とどめを刺して、帝国主義の戦争を止める必要がある。この戦争で得をしているのは、ハリバートンなどの大企業であり、金持ち連中であって、最前線に立たされて殺し合わされているのは、移民の子供たちや貧しい南部の半失業者・失業者や零細農民や零細企業主や貧しい労働者たちだからである。チェイニー副大統領につながるハリバートンは、兵士を衛生状態の悪い病院施設で、まともな治療もしないで、利益を上げていたことが暴露された。言葉の上だけで、愛国者だの、国のために犠牲を払う英雄だのと持ち上げながら、実際には、金儲けの手段とされていたのである。元兵士や現役の中尉でありながらイラクへの赴任を拒否したワタダ中尉のような現役兵士からも、反戦を訴える声が次々と出てきている。兵士の反乱は、革命的情勢の印の一つである。さらに国際反戦運動を発展させて、帝国主義を世界から一掃する闘いを創造しよう。
世界情勢の流動化と主体
世界的な情勢の流動化の中で、フランスにおける下層暴動、英米における大きな反戦運動、反グローバル運動、韓国における民主労総などのゼネストなどの労働運動、中南米での反米左派政権の続出、フィリピンでのアロヨ政権打倒闘争の高揚、インドでのトヨタ労働争議、メキシコにおけるオアハカ州での大衆反乱、ドイツでの労働運動の高揚、東チモールでの石油等の資源をめぐる闘争の激化(『プロレタリア通信』第45号羽山太郎氏「東チモール;「独立から革命へ」参照。これによれば、東チモールにおいて、政権奪取のための結合体として様々な傾向のグループを含んでいた政権党のフレテリン内部での分解が激しくなり、それにオーストラリアなどが介入して、その支援を受けた武装反乱が発生している)、等々と今日の帝国主義世界秩序を揺るがす大衆闘争が激しくなっている。共産主義運動は、総合的に見ると、残念ながら、このような大衆闘争の自然発生性にたちおくれている。
今日のグローバル化の時代において求められているのは、帝国主義を同時に打倒する世界同時革命を指導できる世界党である。しかし、国際的な党派・活動家間交流以上のものはなかなかできていない。国際共同行動は、反グローバル運動や国際反戦行動として実現しているが、それが国際共産主義潮流の建設にまではつながっていないのである。
アジアには、共産主義を看板に掲げている政党がいくつもある。巨大な中国共産党があり、チュチェ思想を掲げる朝鮮労働党があり、インドには政権参加の経験があるインド共産党があり、ネパール共産党・フィリピン共産党という毛沢東主義の共産党があり、政権を握るベトナム共産党がある。このなかでまがりなりにも世界革命への志向性を持っているのは、世界各国にチュチェ思想の普及をはかっている朝鮮労働党ぐらいである。しかし、そのチュチェ思想は、朝鮮労働党の実態を見れば、国際共産主義運動の統合軸になるどころか、国際的なプロレタリアートの対立を拡大するものであることは明らかだ。中国共産党は、世界革命を放棄している。第4インター系の党派は、左翼反対派にとどまっている。日韓の反戦反基地運動や労働運動、フィリピン、東チモール支援などの国際的な連帯運動は発展しているのだが、国際的な共産主義運動の建設はこれからである。その推進が必要である。
かつてブントは、「国際主義と組織された暴力革命」を掲げて、世界革命路線を復権しようとした。それは、3ブロック階級闘争の結合、世界同時革命論へと受け継がれた。しかし、1980年代末のソ連・東欧体制崩壊は、世界同時革命に発展することなく、資本主義世界市場への統合に帰着し、米帝の世界的なヘゲモニーの下でのグローバル化による資本主義世界経済の一時的繁栄の中で、世界同時革命はいったん遠ざかった。「火花」が、第三回大会路線を採用したのは、そうした時代状況の下であった。しかし、90年代後期以来、時代状況が大きく変化した。それは、誤解を恐れずに、簡単化して言えば、グローバル化の状況の下での新たな「戦争と革命」と新たな世界同時革命の時代状況に突入したということである。
90年代の新自由主義的なグローバル化が、中南米・アフリカなどでの格差拡大・経済破綻などに帰着し、21世紀に入るや中南米諸国での中道左派・反米左派政権による新自由主義政策の清算、アフリカ諸国での飢餓・貧困問題の深刻化からの脱出を目指す新政策を掲げる政権の誕生など、米帝の世界ヘゲモニーを崩す動きが拡大している。また、米帝の押しつけた新自由主義諸政策は、アメリカへの中南米からの不法移民の増加やEU諸国へのアフリカ諸国からの不法移民の大量流入に結果した。その中には、イスラム系住民が多く含まれていて、それが、イスラム原理主義を米帝やEUの内部に広まる土壌となった。結局、米帝・EUが、一方で、自分たちに有利な国際貿易条件をアフリカ・中南米諸国に押しつけて、経済破綻に追い込んだことから、生活苦・貧困におちいった大量の人々が、国境を越えて、先進国に流入していったのであり、帝国主義国が自ら蒔いた種なのである。移民は、それを体験で理解するから、反米反西欧主義が広まっていくのである。
1990年代には、冷戦が崩壊したことによって、世界平和の時代がくるという楽観的見方が広がったことがあったが、現実には、1991年湾岸戦争、米軍によるイラクへの数次にわたる軍事攻撃、コソボ戦争、旧ユーゴスラヴィア内戦、NATO・米軍によるセルビア空爆、そして、アフガニスタン侵略戦争、イラク侵略戦争、イスラエルによるレバノンへの侵略戦争、ソマリア戦争、スーダンのダルフール内戦、等々と戦争が続いている。これらの局地戦争は、イスラエルなどの核保有国が当事者となっていることなどから、核戦争への転化の可能性をはらんでいる。そして、今、米帝は、「対テロ戦争」という終わりなき戦争に踏み込んでいる。帝国主義と戦争が本質的に結びついていることが実証されたのである。ただ、敗戦帝国主義として、厳しく戦争手段に制限を加えられてきた日帝は、日米安保の下で、戦争という手段を、米帝に頼り、それに対して、軍事基地の提供や米軍への様々な便宜供与・支援、その他の政治的経済的支援を行うという立場におかれてきたために、「城内平和」を保てたのである。
イラク侵略戦争を、米帝ブッシュは、「自衛のための先制攻撃」と称して、防衛戦争を装った。今、自民党政権の下で進められている集団的自衛権行使の解禁も、自衛権を装っている。そして、安倍政権が狙う憲法改「正」は、9条第2項で、自衛のための軍隊保持の明記と集団的自衛権行使の解禁を狙うもので、自衛権の範囲を国際秩序の維持にまで拡大しようというのである。日帝が、米帝ブッシュ政権の「自衛のための先制攻撃」を唱えたイラク侵略戦争を真っ先に支持したことで明らかなように、自民党政府の唱える自衛のための改憲が、侵略戦争を否定するものでないことは明白である。帝国主義侵略戦争への「自衛」を名目にした参加への道を公然と切り開くのが、集団的自衛権行使の解禁策動・改憲策動の狙いなのである。そのことは、自民党改憲草案の9条3項に明らかである。それは、「自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」としており、多国籍軍参加などにも道を開こうというものである。石破元防衛庁長官は、これは地球上どこでも自衛隊を派遣するというものではないと釈明しているが、それは欺瞞である。
レーニンは、帝国主義戦争に内乱を対置し、革命を成功させ、革命によって自衛することを主張した。ロシア革命は、第一次世界大戦のロシアの排外主義者・愛国主義者であるブルジョア政府を打倒する革命とその継続によって、ドイツ帝国主義の侵略を防いだのである。ロシア革命は、ドイツ革命に火をつけ、ドイツの労働者大衆や兵士の自国政府への反乱を促し、ドイツ帝国の戦争継続を困難にしたのである。革命は、侵略者から自分たちを守るための手段であったのである。それは、独仏のブルジョアジーが、普仏戦争をけしかけた昨日までの敵同士が手を握ってパリを鎮圧したことの教訓であった。プロシアの侵略を撃退しようと英雄的に立ち上がったパリ・コミューンの英雄的な労働者市民をベルサイユ派のフランス支配階級は、侵略者のプロシア軍を招き入れて、鎮圧したのである。ブルジョアジーは、「国民」には愛国心を煽りながら、自分たちの身を守るためには、平然と敵と通じるのである。それは、敗戦後の日本の支配階級たちが、敗戦するや、一転して、昨日まで「鬼畜」と呼んだ占領軍の顔色をうかがうようになったことでも明らかである。愛国心の正体はエゴイズムであり、したがって最終的には我が身がかわいいということを基準にしているからである。エゴイストは他人には犠牲を求めるが、自分には甘いのである。日本のブルジョアジーは、この間、株配当利益、経営報酬を引き上げて、自分に甘くしながら、労働者の賃金を引き下げて、犠牲を強いてきたのである。
グローバル化とプロレタリア国際主義の対立が激化する中で、南京事件や従軍慰安婦問題を利用して、排外主義をあおり立てている右派・保守派は、日本のブルジョアジーの太鼓持ちをつとめて、排外主義を煽ることで、なんら対立する必要のない労働者大衆同士をけしかけあおうとしている。この欺瞞的策動に引っかかりやすいのは、上層労働者や小ブルジョアジーである。しかし、格差拡大・中産階級の分解、小ブルジョアジーのプロレタリア化が進む中で、これらの層も相当目覚めつつある。
右派保守派は、排外主義と愛国主義をなんとか人々に植え付けようとして、例えば、中国ぐらいでしか行われていないという卒入学式における「国歌・国旗」強制を、反動石原都知事下の東京都を先頭にして、それに抵抗する教職員を処分しつつ、行っているが、この攻撃に屈しない闘う教職員の決起などが追いつめている。
共産主義者は、かかる闘いを支持すると共に、右派宗教団体が動員や物的支援を行いつつ愛国主義イデオロギーを信者や他の人々に注入する洗脳の先頭に立っているし、愛国主義自体が、支配階級の利害のイデオロギー的表現であり、階級利害の共同幻想にすぎないから、幽霊信仰を暴露し、唯物論を普及拡大し、それを革命と結びつけることで、労働者大衆の排外主義や愛国主義に対する闘いを発展させ、プロレタリア国際主義を発展させる必要がある。また、経済成長や再チャレンジによって格差が縮まるとか、改憲は戦争をするためではないとか言って労働者大衆を騙している資本家政府を打倒して、夢や希望のある未来を切り開かねばならない。プロレタリアートは、共産主義の旗の下に団結し、闘うことを呼びかける。その際に、先進資本主義諸国において、ブルジョアジーとプロレタリアートの中間で、両者を折衷させている日本の民主党のような中間派や小ブルジョアジーなどの動揺を、プロレタリアートのヘゲモニーを及ぼして麻痺させ、ブルジョアジーとの闘いに結合することも必要である。
先進的活動家の創出と「共同政治新聞」の計画
このような世界情勢の急速な流動化に対して、労働運動であれ、社会運動であれ、政治闘争であれ、唯物論戦線であれ、先進的な活動家層が多く求められている。1980年代ぐらいまでは、それらの分野で、先進的活動家層は、一定の厚みを持って再生産されていたし、共産主義党派にしても、それを前提として、活動をしていたのだが、90年代以降、先進的活動家の層が、薄くなってしまった。しかし、21世紀に入るや、この層が、イラク反戦運動などを契機に増加し始めている。とはいえ、まだまだ少ない。共産主義運動は、共産主義と唯物論の研究・宣伝・普及をはかると同時に先進的活動家の拡大に努めなければならない。革命的意識は、こうした層を通じて、大衆と結びつき、広がっていくのである。
この結びつきを作り上げるためには、活動家同士の連絡・研究・情報交換・交流・交歓・教訓の共有・学習・研究の交換などを一時的ではなくできるだけ恒常的に、組織的に行えるような媒体が必要である。活動家自身が発行・運営・企画し、配布する「共同政治新聞」はその一案である。もちろん、現在でも、活動家がその活動分野ごとに必要な情報交換や呼びかけや啓蒙などを目的とした新聞やパンフレットやビラなどを数多く発行している。ここでいう「共同政治新聞」は、総合的なものであり、労働者活動家が自主的に発行した初期「イスクラ」のような形のものである。それに対して、共産主義党は、記事の提供など、様々な形で援助し、協力すればよい。そのような「共同政治新聞」は、できるだけ定期的に発行され、活動家ばかりではなく、これから活動家になるかもしれないような層にもある程度は渡るようにしなければならない。したがって、それは、労働者大衆にとって身近な話題を取り上げることも必要だし、政治的事件についての意見や主張をも取り上げなければならない。それに、活動家が関わっている運動についての報告や主張も取り上げなければならない。その他、労働者大衆が関心のある話題についても扱う必要がある。その他、理論的な論文を載せてもいい。それを配布することで、活動家は、労働者大衆の反応や関心等々について、敏感に感じることができるようになるだろう。
党派の媒体は、基本的には組織機能を果たすように作るというのがレーニンの『何をなすべきか』の思想である。それに対して、活動家の「共同政治新聞」は、先進的活動家の育成・向上をはかるのが基本目的で、言うまでもなく、党機関誌のように党組織を作ることが目的ではない。共産主義運動にとって、活動家の厚い層があることは、階級闘争の推進に責任を果たす上で、重要である。共産主義者は、実践的唯物論者でもあり、ただ共産主義意識を抱いて超然としているような宗派主義者ではない。ましてや、階級闘争の中からの党建設を追求してきたブントを継承しようとするなら、なおさらである。「上からも下からも行動すべき」(レーニン)なのである。
これはもちろん私の描く「絵」にすぎない。しかし、少なくとも、このところの千単位の大衆集会が続く上昇機運を生かすためには、もっと活動に意識性・計画性が必要であることは明らかだと私は考える。