政治論議を巻き起こし、プロレタリア政治闘争を発展させよう
流 広志
306号(2007年2月)所収
安倍政権の改憲策動を粉砕しよう
安倍政権は、今通常国会を教育再生国会にすることを宣言したが、佐田行政改革担当大臣の金銭スキャンダルでの辞任に続く、柳沢厚生労働大臣の「女性は子供を産む機械」という女性の尊厳・人格を傷つける発言で、さらなる支持率低下に見舞われている。この発言は、デカルト派のラ・メトリーの『人間=機械論』の規律・訓練的な権力(フーコー『監獄の誕生』、同書を読めば、これは、特定の歴史的制度・装置・具体的条件と結びついた規律・訓練的な権力のことであって、そうではない規律・訓練とは違うものだ)、同書に引用されている「規律・訓練を国民的なものにする必要があるに違いない」というギベールの国家像、「私が述べる国家は、統治しやすい単純で強固な行政機構を持つべきだろう。あまり複雑でないばね仕掛けでもって著しい効果をあげるあの大規模な機械に似なければなるまい。この国家の力は自らの力から、その繁栄は自らの繁栄から生じなければなるまい。いっさいを破壊する時間が、その国家の力を増大するだろう。もろもろの帝国は衰亡破滅の鉄則に従うと信じ込ませるあの俗信を、この国家は打破するだろう」(新潮社171頁)というのと同類の思想を表している。それは、「小さい政府」「効率的な政府」などの小泉構造改革路線、その継承を掲げる安倍政権の「筋肉質の政府論」の新自由主義思想に通底するものだ。柳沢厚生労働大臣の女性差別発言を糾弾する。
北九州市長選での大差での敗北、愛知県知事選挙での楽勝予想を覆す辛勝で、無党派票や女性票が野党候補に流れたことが明らかになった。ただ、一昨年9月の郵政解散総選挙での大勝によって得た衆議院での圧倒的多数を背景に、教育基本法改「正」案を強行採決で成立させたが、今通常国会においては、会期延長ができないという制約もあり、法案をしぼって臨んでいる。安倍総理は、共謀罪、学校教育法・地方教育行政法・教員免許法の教育3法の成立を目指すなどとぶちあげているが、それぞれ足下から、それを否定する要人の発言が飛び出すなど、足並みの乱れが生じている。
安倍政権はだんだん身動きがとれないようになってきており、言うことも、精神論的なものになってきて、力強さが消えてきた。改憲のための国民投票法案にしても、民主党小沢代表は、夏の参議院選挙の勝利による政権交代に向けた野党共闘重視であり、民主党の協力は得にくい状況にある。それに対して、自民党の二階国会対策委員長は11日のNHKの番組で、5月3日憲法記念日という象徴的な日までに国民投票法案を与党単独でも採決に踏み切る考えを示した。教育基本法改悪強行の時と同じである。二階国対委員長は、こういう重要な問題で、与党単独の強行採決をやれば、参議院選挙に悪影響が出る可能性があるかもしれないのに、この問題で党内が割れている民主党に揺さぶりをかけるという賭けに打って出たわけである。NHK世論調査でも不支持率が支持率を上回る結果が出ている落ち目の状態でのこうした賭けは、リスクが高すぎよう。
9条を中心とする改憲策動は、安倍内閣が掲げる最重要の政治目標である。その狙いの基本は、恒久的な海外派兵であって、世界での国際階級闘争を鎮圧するための国際反革命の軍事活動によりいっそう乗り出そうというのである。それは、日本経団連「御手洗ビジョン」と共通する。それを安倍政権は「戦後レジュームの見直し」という文句をかぶせてやろうというのだ。
戦前日帝は、西欧列強の軍事力を背景とする脅しに屈して、開国を余儀なくされ、その後、西欧列強に追いつけ追い越せで、近代化に邁進し、生産力の発展、軍事力の整備、近代国家体制の構築、富国強兵のための教育の普及などに努め、1905年日露戦争の勝利を契機に、第二次日英同盟条約締結をはじめとして、西欧列強との植民地分割・アジアの利権分割の密約を含む協約を結んでいった。日露戦争で西欧列強の一角であるロシア帝国をうち破った大日本帝国を、西欧列強に植民地化されていたアジアの人々が、アジア解放の希望の光とする評価が広がった。西欧列強からの独立を目指すアジア諸国の独立活動家が続々と来日し、日本で学ぶと共に援助を求めた。しかし、日帝は、列強との間で、アジアの利権の分割・勢力範囲の分割の協議に参加していて、独立支援をしなかった。しかも、アジアからの留学生たちの間に、独立運動が盛んになると、これを禁じる通達を出して、抑圧した。アジアからの留学生は幻滅した。以後、アジアからの留学生は減少し続けたのである。
やがて、帝国主義間の対立が激化し、日帝が孤立化させられると、ナチス・ドイツとファシスト・イタリアと三国同盟を結び、英米仏などの連合国による包囲網を敷かれ、それに対抗するため、大東亜共栄圏構想の下に、アジア植民地の独立派を結集し、連合国にけしかけた。しかし、連合軍に敗北した大日本帝国は占領され、大日本帝国憲法を改訂する天皇の御名御璽を押した日本国憲法を制定した。この文案作成にあたって、GHQ内の米国務省知日派グループが深く関与したのは事実だが、日本側でも様々な憲法草案が出された。しかし、それらはほぼ無視され、戦前からの官僚と内閣が、GHQとの間で憲法草案作成に当たったのである。したがって、大日本帝国官僚・政治家の責任抜きに、押しつけ憲法と批判するのは間違いだ。敗北したとたんにGHQに屈服し、卑屈に追従した大日本帝国官僚と内閣・政治家のあり方には、戦前体制の悪弊が現れているのである。こんな官僚を作ってしまった戦前体制や教育の問題を批判的に総括しないで、戦前の体制や教育を手放しで賛美し、押しつけ憲法だから、変えるべきだなどと言うのは、無責任な物言いである。日本国憲法は、枢密院で検討された上で、国会で承認された。それに関わったのは、多くが、大日本帝国以来の政治家・官僚たちであった。かれらが、殺されてもGHQ案を承認しなかったら、どうなっていたか。当時の政府の世論調査で、小作農や労働者が、民主的な憲法を多く望んでいるという結果が出ている。ところが最初は、政府は、大日本帝国憲法の規定をできるだけそのままにした憲法草案を採択しようとしていた。しかし、プロレタリア大衆の望む民主的憲法の希望は、GHQ案の方で多く代表されていた。日本社会党や改進党などは独自の憲法草案を発表し、人民の手による憲法を要求したが、当時の政府は、日本人民自身による自主憲法制定ではなく、GHQとの交渉・取引による改憲の道を選んだのである。この官僚専制政府は、大衆に依拠しようとしないし、できなかったのである。
『風をよむ』No.78号は、「反改憲闘争」の項で、「反改憲闘争を、わが国労働者階級による、戦後六〇年、近代一四〇年の総括として推進する」と書いているが、日本国憲法制定過程が、戦前体制を担った官僚層によって行われたことに、その必要が表されているのである。国務省日本派の方が、当時の労働者大衆の思いや希望や気分を代表できたのだ。それに対して、大日本帝国官僚・政治家の方は、すでに労働者大衆が否定していた旧体制をできるだけ維持し守ろうとして、かれらを代表しようとしなかったのである。人々は、そうしたどうしようもない旧体制の官僚どもの思惑などを乗り越えて、戦後革命に参加していくのである。そのような民衆の動きに対して、無力だった官僚をはじめとする支配階級は、GHQに頼り、その方針転換を受け、GHQの後ろ盾を得てから、反転攻勢に打って出られるようになり、自主憲法制定を大っぴらに叫べるようになったのであり、情けない連中なのである。
9条2項の改訂の狙い、日米同盟強化と恒久的な自衛隊海外派兵
そして今、アメリカが望んでいる日米同盟強化、米軍と自衛隊の海外治安任務での共同活動の全面的解禁に向けた9条2項を軸とする改憲策動を本格化させているのである。すなわちそれは、日帝の参戦国化である。それは、支配階級の利益のために労働者大衆を戦場に駆り立て、犠牲を強い、軍事力を支えるためとして、生産力増強に労働者大衆を動員させるためである。
ブッシュ政権は、中東民主化構想なるものをぶちあげつつ、イラン・シリアの政権転覆を含めて、中東での米帝のプレゼンスの拡大を狙ったが、それは今やぼろぼろになりつつある。米帝のイラク侵略戦争において、最前線で約3000人の戦死を強いられた若者の多くは、失業率の高い地方農村地帯や永住権を求める移民の子である。それが、シーア派主流派の高級僧侶と地主が支配する南部農村からバグダッドなどの都市部に移住してきた貧しい都市貧民や失業者、労働者などを支持基盤にするサドル師派のマハディ軍や特権を失って生活苦におとしこめられた中部のスンニ派系武装組織などと最前線で戦わされているのである。ラムズフェルド前国防長官が描いた犠牲者を最小化するハイテク戦争なる絵は、かかる分散する小規模武装闘争においては無力であることが世界に暴露されてしまった。そして、この邪悪な独裁とテロに対する崇高な民主主義の「聖戦」という図式を言い立て、民主主義祖国たるアメリカを守るためとして、この間、この戦争がなければ民生のために回せたはずの膨大な臨時的軍事費が惜しげもなく投じられ続け、さらに、ブッシュ政権は、超党派のイラク早期撤退の報告を無視して、2兆円規模のイラク戦費の新たな支出を伴う2万人規模の大増派という賭けに出た。街にあふれる米軍兵士は、武装勢力にとって狙いやすい格好の標的である。犠牲の増大は避けられない。この賭けに失敗すれば、反ブッシュ・反戦・早期撤退の世論は一層強まるだろう。
その米帝のイラクへの一時的増派策を、安倍政権はあっさりと支持表明した。他方で、久間防衛庁長官は、イラク戦争を間違いだと表明し、普天間基地移設問題での日米合意案を見直すようアメリカに求める発言をし、閣内不統一が表面化した。イラク戦争を真っ先に支持した小泉前総理は、この問題から逃げ続けたまま退陣したのだが、後継の安倍内閣もまた未だにこの問題について、明確な説明をしていない。政策責任者としての責任を果たしていないのである。アフガン増派を求める米帝に対して、それを拒むEU諸国との対立が生じるなど、米帝に追随していくことが、世界の平和と安定の路だろうかと疑問を投げかける問題が次々と起きているが、安倍政権には、日米同盟強化を軸にするという発想しかない。しかしそれも、先の沖縄県知事選挙で、辺野古移設反対の沖縄の多数意志が示されたし、僅差で当選した仲井真知事は、選挙公約である普天埋設日米合意の現行案を拒否する他はなく、それに対してアメリカ政府は日米合意案の実行を求めるという厳しい状態になっている。さらに、久間防衛大臣の発言にみられるように政府の足並みが乱れ始め、政府は追いつめられた。安倍政権が掲げる日米同盟強化の試金石となっている在日米軍再編策が暗礁に乗り上げているのである。沖縄の反戦反基地闘争と本土での反戦反安保闘争との連帯によって、日米同盟強化・在日米軍再編を破綻に追い込むなど、沖縄を日帝のくびきから解放する日沖プロレタリアートの協同を発展させる必要がある。
情勢の流動化
世界的に情勢が流動化している。中南米における左派政権の続々の誕生、レバノンでのヒズボラ系住民と政権与党との対立激化、ソマリアでのエチオピア軍の軍事介入によるムスリム政権の首都からの追放、アメリカ軍のソマリア空爆、アフガニスタンでのタリバン勢力の復活、インド二州での共産党政権の誕生、ネパールでの王政打倒の民主主義革命の成功、毛沢東主義ネパール共産党の政権参加、暴動、タイのタクシン首相追放の軍部クーデター、韓国での与党分裂、イギリスでのブレア政権の弱体化、アメリカでの民主党の上下両院での多数獲得によるブッシュ政権弱体化、中国での社会格差拡大による体制不安定化、フィリピンでのアロヨ政権転覆を狙う軍部クーデター未遂事件の発覚、安倍政権の弱体化、等々。
世界経済は、インド・ロシア・ブラジル・中国などの新興市場の急成長に牽引されており、米英はすでに金融市場の整備を通じて、それら諸国への投資を円滑に行う体制を整え、巨額の投資を行って利益を上げている。そこで、投機ファンドが活動して、この間の、石油価格の動きや株式の動きの幅を拡大し、攪乱している。さらに、日米欧の金融資本は、この間拡大し続けているイスラム金融のカネにも触手を伸ばしている。もちろん、郵政民営化による郵貯・簡保資金の巨大な固まりが、金融市場に自由に出てくるようにしようとしたのも、金融資本の利益のためである。世界中で高い利回りを期待できるプロジェクトのあるところに素早く多額の資金を調達して投資して確実で安全に回収できれば、膨大な利益を得ることができるのである。金融資本は、投資可能な資金調達の手段と資金量のプールが欲しいのである。ところが、そうした投資を自由化すると、アジア通貨危機の際に見られたように、あるいは日本のバブルのように、競争が加熱し、過剰投資になって、それが一気に崩壊するという資本主義の無政府性・自然発生性によって、その国の経済の長期の停滞に陥る。竹中平蔵の成長路線を看板に掲げる安倍政権の政策の結末は、バブル発生と崩壊、長期不況、となることは明らかである。
安倍総理は、格差の現実を認めず、ごまかしを続けている。彼は、民主党の格差問題解決の方策についての質問に、60年代の高度経済成長によって格差が解消したと述べ、成長路線でこの問題は解決すると答えたが、その副作用にその後長く苦しめられたことを無視した。イギリスではブレア政権が、サッチャー改革を修正して、なんとか経済の過熱・暴発を抑えてきたが、アメリカでは住宅バブルが崩壊して景気が下降した。金利引き上げを中止して、景気後退をくい止め、軟着陸を成功させたと言うが、金融資本化しているGMなどの製造業は、生産部門が弱体化して、トヨタとの競争に敗れている。現在は、大量リストラでしのいでいるが、やがて大型合併・資本提携などの大再編に乗り出すかもしれない。鉄鋼などで進んでいるような国際独占体のグループ化が進むかもしれないのである。あらゆる分野で、国際独占体のグループが形成され、それが国際競争の中で勝ち残るために、少数のグループにまとまり、世界市場分割の協定を結ぶようになれば、それが世界政治に反映して、世界の分割・再分割の秘密協定が結ばれるようになるかもしれない。すでに、ある分野での国際カルテルが発覚している。
安倍政権は、中国・韓国訪問に続いて、西欧諸国を歴訪し、NATOとの会談では、中国に対する武器輸出をしないように釘をさし、東アジアは日帝の縄張りであることを暗に主張し、そこで勝手なことをしないように牽制した。安倍政権は、日帝の利害を露骨に押し出しているのである。
国内労働情勢の流動化
国内においては、日帝支配階級は、帝国主義的労働運動への再編攻撃、女性・障害者・高齢者・外国人労働者を労働力として利用しきるために、低賃金・非正規雇用のまま下層に固定しつつ、賃労働に駆り出そうとしている。さらに、賃金を下方に引っ張るための重しとして、野宿者・失業者・非正規雇用労働者・不安定雇用労働者・半失業者などの下層をさらに下へと追いやろうとしている。下層が低賃金・低生活水準に落とし込められているのは、他の労働者・勤労者の賃金水準を引き下げる圧力とするためであり、この底が引き上げられなければ、労働者大衆全体の賃金水準も上がりにくい。資本家は、賃金を、可変資本という形態で計算するのであって、その総額に関心がある。下層が多ければ多いほど、賃金低下の圧力は強まる。就労者は、失業者などを含む下層労働者と競争する立場に立たされ、労働市場価格は、下層労働者の賃金水準と失業者・下層によって規定されるようになる。就労者は、いつでも取って代われる就労予備軍があると、不利である。今春闘において、賃上げを渋っている経営側は、労働者に向かって、「日本の労働者が競争しているのは、中国やインドなどの労働者であって、かれらは低賃金なのだから、賃上げを我慢しろ」と言うのである。ところが、経営者の報酬はこの間大幅に増えているのだ。経営者にとって、労賃は経費だが、経営報酬は収入である。下層の生活水準を引き上げ、失業をなくすことは、労働者全体の利益になる。残業代ゼロでただ働きを拡大しようという「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」導入策動など、戦後労働運動が勝ち取ってきた諸権利の解体攻撃を強めている。そして、国際競争激化への対応や自立の美名の下での、労働者の個人化(孤立化)・自己責任化・出来高制賃金化などを通して、責任の客体たる個人を創作して責任を押しつけ、できるだけ自動的な労働力操作を容易にし、それらを資本節約的(安上がりに)に行えるようにしようというのである。すでに正社員のサービス残業や労働強化などによって、労働者の病弊がすすみ、多くの企業で、精神疾患の発症が増えているように、無意識・身体レベルでの抵抗・拒否という形でもその破綻(闘争)が進んでいる。
格差・下層・失業・人権等々の問題が集中して現れているのが、野宿者・日雇い労働者問題である。先日、差別・排除・見殺しのブルジョア自由主義に支持された殺人行政の現れである大阪の長居公園での野宿者のテントなどに対する市の不当な行政代執行が行われた。その経費は、約2000万円だったという。そこまでして確保しなければならない公益とはなんだろうか? 大阪市行政は、今夏の大阪での国際陸上選手権の会場整備の妨げになるからだというのである。しかし、近年のオリンピック大会が、人権問題をテーマに掲げ、長野冬季オリンピックでは、障害者が多く参加したし、パラリンピックも同時に行われるなど、スポーツと人権が結びつけられるようになってきた。そうしたスポーツ界の流れを考えれば、野宿者を物扱いして強制排除して生活を破壊する大阪市のこのような人権破壊行為は、近年のスポーツ精神に反しており、世界陸上という世界が注目する大会を開く資格がないことを表している。大阪市行政は、自立支援という美名に隠れた野宿者排除・見殺しの殺人行政を止め、同じ地域社会の一員としての野宿者への根本的対策を講じるべきである。それに成功するなら、崇高な理想を掲げるスポーツ大会の成功を、世界が高く評価するだろう。幻想は抱けないが、世界陸上大会主催者に、大阪行政の非人道性を訴えることも、一手だ。
それから、日本テレビなどが、この大阪市の蛮行を取材、放映した中で、「なんとなく怖い」などという散歩者などの声を拾って流していたが、こういう差別意識を露わにしたものをそのまま説明もなしに流すのは、報道側に差別に関する配慮や認識が欠けている証左である。長居公園の野宿者が、そこを通る人になにか危害を加えるようなことをしたのだろうか? 先日、未成年を含むグループに襲われて命まで奪われたのは野宿者の方だった。よくわからなくてなんとなく漠然とこわいという意識を放置しないで、事実はこうだと知らせ、その事実情報をもとに偏見や差別に陥らず、正しい認識を形成し、判断できるようにするというのが、放送法に基づいて存在する報道機関の役割だろう(例えば、「放送法」第3条の4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること)。通りがかりの散歩者と同じ意識レベルで、それに同調し、拡大してどうするのだ。野宿者と地域住民の交流がなされているところもあり、そうした野宿者に理解がある住民の意見も聞かなければ、多くの角度から論点を明らかにすることにならない。こうした下層の利害を取り上げ、代表しないでは、プロレタリアートの解放はない。大阪市は野宿者・日雇い労働者などの下層に対する殺人行政を直ちに止めよ!
政治論議を組織して、共産主義運動を発展させよう
環境問題・帝国主義侵略戦争・中南米での大陸革命的情勢の可能性の増大・南北格差の拡大、先進資本主義(老帝国主義)内の格差拡大・固定化、世界の富の少数者への集中とその他の圧倒的多数への人類の分裂、国際反戦運動、国際反グローバル化運動の発展、等々は、世界同時革命の時代にあることを示している。
こうした情勢の中で、共産主義運動は、ようやく本格的な発展期に来ている。資本主義の最近のイデオロギーであった新自由主義は、世界中で後退し、破綻している。中南米諸国はもちろんである。NAFTA(北米自由協定)に参加しているメキシコでは、先の大統領選挙を認めない左派を支持する大衆が持続することによって、社会が分裂した。オアハカ州での教職員組合を中心にした市庁舎占拠闘争は、北部と南部の間の亀裂が深まっていることを示した。メキシコは革命的情勢に近づいている。イラクで手一杯の米帝は、どうすることもできないでいる。サパティスタは、キューバとの連帯を強めることを宣言し、都市部の労働運動・市民運動・左派運動との連携を強化している。ベネズエラのチャベス政権は、21世紀の社会主義を目指すとして、主要産業の国営化策を進めている。ニカラグアのサンディニスタ・オルテガ政権は、キューバやベネズエラとの連帯を表明し、反米左派政権の一角を担うことを明らかにした。
右派保守派による反共キャンペーンは、今ではかなり信用を落としている。資本主義のひどい現実がそうさせているのである。ソ連・東欧体制崩壊はすでに20年近く前で、記憶の彼方になりつつあり、今更、スターリンがどうのこうのと言っても、ぴんとこない人が増えている。それよりも、目の前の資本主義の現実の醜さ、過酷さ、悲惨さの方が、自分たちに直接関わるものである。そこに夢や希望を持てないとなれば、それに取って代わるものを求める人が増えるのは当然のことである。反共主義者が過去をほじくり返しても無駄である。ましてや、右派は、天皇制という家父長的身分制を支持する差別主義者であり、排外主義者である。プロレタリア大衆にはそれらへの反感が深いレベルで生み出されるし、共産主義者は、プロレタリア大衆の変革力を信じて、その自覚、その覚醒を促進しなければならない。アメリカでも日本でも、多くの人々が、差別・排外主義・愛国主義は、支配階級共同体の利益にしかならないということに気がつき、目覚め始めている。
今日の世界の現実を見れば、資本主義が多くのプロレタリア大衆を幸福にする制度でないことが明らかになりつつあり、その根本的変革が必要だという意識が広まっている。そうした自覚が、環境問題や第三世界と先進国の格差拡大、先進国内でのプロレタリア大衆と資本家階級との格差拡大などの現実の中から生み出されているのである。このような情勢に応えるプロレタリアートの党・共産主義の党を建設する必要がある。ところが、それから逃げ、階級闘争からの逃避、プロレタリア大衆の武装解除・ブルジョアジーヘの投降・屈服を呼びかける者がいる。革命を「合法か違法・不法か」を基準に計ったり、党を「前衛か否か」という基準で計ったりするものなどである。前者が、革命の実際上の否定であることは言わずもがなである。後者は、インテリの労働者大衆不信と懐疑主義の現れである。かれらは、プロレタリア大衆が前衛の間違いをただす力を信用していないのである。階級闘争からの召還を「昼寝」宣言で正当化した吉本隆明主義がその代表的なものである。吉本主義が現在のインテリや小知識人に支持を持っているのは、懐疑主義、階級闘争への不信・懐疑・恐怖・不安を正当化し、表現しているからである。また、彼の小さな物語礼賛、とりわけ家族共同体幻想論は、家族の個人化・家族共有財産の私有化、この領域の産業化・市場化、介護・福祉・家事・育児・教育等のビジネスが家庭生活への浸透などで、その基礎がなくなりつつあることで、破綻しつつある。
それから解放されるためには、政治経験と政治論議を通じた鍛錬が必要であり、そういう場が必要である。『火花』は、そうした場を提供しようとしてきたし、これからもそうしたいと考えている。もちろん、他にもそうした場はいろいろある。理論はもちろんだが、政治論議を深め、ネットワークを形成し、大衆と結びつき、共に闘い、呼びかけ、仲間同士の連絡・親交・情報共有・相互の向上、表現を磨くこと、等々を組織するための政治新聞その他の媒体を発行・配布して、組織的な経験を積むことも重要である。その際のやり方は、具体的な条件や力量等々の違いに応じて多様である。ただし、それを個人に還元しきるのではなく、共同体的性格に応じて、集団的組織的に蓄積しなければならない。もちろんそれは個人に経験として蓄積されるものでもある。共産主義者は、それを助け、支援し、分析・評価する必要がある。きちんと訓練され、力量を蓄積できれば、大衆の自然発生的な運動に的確かつ素早く対応できるようになり、両者が緊密に結びつけば、支配階級の攻勢に耐える力が増大する。それら階級闘争の総体に対して、共産主義党が広く深い視野を確保して、的確な判断と見通しを提示することができれば、階級闘争をより発展させることができる。プロレタリア党は、階級闘争の精髄になれなければ、大衆に乗り越えられてしまう。そこで、プロレタリア党は、階級闘争に対して責任を持ち、情勢を分析・評価し、政治討議を行い、政治意識を鍛え、組織を建設して、階級闘争において生じるあらゆる事態に備え、階級闘争の精髄にふさわしい内容を備えるように鍛錬を続けていく必要があるのだ。プロレタリア大衆の政治論議を組織し、共同政治新聞などで、運動のネットワークをつくり高度化し、組織をつくること、共産主義運動内の結合関係を高度化し、あらゆる事態に備える力を作り上げ、革命的プロレタリア組織を建設し、プロ独へと組織・指導すること、サンディカリズムに労働者の団結レベルを止めることなく、革命的政治・社会組織を建設すること、等々が必要である。