共産主義者同盟(火花)

安倍政権下でのヘゲモニー諸闘争について

流 広志
302号(2006年10月)所収


安倍政権の教育政策の諸問題

 9月末に発足した安倍政権は、まっさきに教育改革をあげた。
 教育改革については、まず、官邸機能強化と合わせて、「教育再生会議」を設置し、中教審答申が打ち出した教員免許更新制や学校の学外評価の導入などを進めるとしている。すでに、「教育再生会議」の人選が決定し、座長にノーベル賞受賞者の野依氏が就いた。報道によると、この「教育再生会議」は、すでに中教審等が検討した提言を速やかに執行させることが任務であるという。そうするとこの会議は、文部科学省の政策実現を執行するための道具だということになる。野依氏は、座長を引き受けた後に、「すべての人がまっとうな自然観、人間観を持つために、お役に立てれば」と決断したという。10月1日の『産経新聞』社説は、安倍首相の「脱戦後」主義と文部科学省などの戦後教育派の対立が起きるだろうと書いている。「教育再生会議」には、他に、トヨタの張社長、葛西JR東海会長などの安倍を支援する財界人の「四季の会」メンバーなど首相に近い人物も配しているが、安倍・教育担当の首相補佐官に反ジェンダー・フリー派の山谷えり子首相補佐官が二人で人選したというわりに、保守色の薄い人物が多く並んでいる。組閣人事と同じで、バランスを重視した人選のように見える。こんなごった煮のようなメンバーの中で、野依氏がその「善意」をまっとうするのは至難の業だろう。
 「教育再生会議」には、首相補佐官を通じて、官邸主導の教育改革を進める狙いがあるようだが、この補佐官制度自体が、どのように機能するのか未知数である。教員免許更新制度は、いわゆる「問題教師」の排除が狙いというが、その裏には、文部科学省は、天下りの多い官庁であるから、新たな天下り先確保の狙いがありそうだ。国の監督官による学校評価制度については、その目的が、学校間競争を促進することにあるというが、どのような評価基準をすえるのかがはっきりしない。大学の9月入学、それまでのボランティア必修化は、概念に矛盾している。
 他方で、安倍首相は、9月21日の東京都の学校行事において、教職員に国旗に向かって起立し、国歌斉唱を強制し、それに違反する教職員を懲戒処分するとした都の「10・30通達」を憲法19条の思想信条の自由の侵害にあたるとして憲法違反と断定し、処分を無効とした東京地裁の判決に対して、都が控訴したことについて訊かれて、当然だと答えて石原東京都の肩を持ったように、教育と憲法について、深い認識を欠いていることを自ら暴露している。安倍首相は、国旗・国家を尊重するのは当然だからという理由を挙げたのだが、裁判で焦点になったのは、それを懲戒処分してまで強制していることについてである。安倍首相の発言は、的がはずれている。また、彼は、首相になる前は、教育バウチャー制度導入を主張したが、これが批判を浴びると、所信表明に入れなかった。さらに、「だめ教師には辞めていただく」と教員が労働権が制限されている政治的に規定された特殊な職分とされていることを否定するような発言を平然と行った。安倍首相が、公務員の解雇権の自由を主張するのであれば、公務員に対してスト権を含む完全な労働三権を付与しなければならない。
 9月29日の所信表明演説で、安倍首相は、教育問題について、「近年、・・・子どもを取り巻く家庭や地域の教育力の低下も指摘されています」と述べているが、家庭や地域の教育力の低下は、家庭や地域自体が衰退していることの現れである。家庭や地域のつながりが消えていっているのだ。ないものからどうして教育力は得られない。そして、彼は、「家族、地域、国、そして命を大切にする、豊かな人間性と創造性を備えた規律ある人間の育成に向け、教育再生に直ちに取り組みます」という。彼は手品でもやるつもりなのだろう。こういう幻想話をした後、教育基本法案を早期成立させると宣言する。与党の教育基本法案が、国家主義・国家ー公への人々の奉仕・隷属を深める狙いがあることは明らかである。この法案では、国が人々の幸福の増進のために尽くすのではなく、人々が国家のためにより奉仕するようになる教育が理想とされている。彼が理想とする幕末の長州の吉田松陰の松下村塾は、明治維新で活躍する長州藩士を育てたが、かれらは、幕府を鳥羽伏見の戦いなど暴力によって打倒しようとしたのである。
 それから、安倍首相は、学力と規範意識を身につけさせるとして、これまで、折り合いがつかなかった学力主義と人格主義の両立をはかるという。人格は学力では形成されず学力は規範によっては育たないという矛盾に引き裂かれてきたこれまでの教育のあり方を乗り越えるつもりらしい。安倍政権の閣僚の顔ぶれを見て、かれらがすべて道徳的に立派だと信じる者はいないだろう。カントは、美的感情を崇高な道徳感情と結びつけている。ところが、「美しい国」を目指す安倍政権は、道徳的崇高さを感じさせない。所信表明演説の教育の部分では、美と規範意識を関連させようとしているのだが、それはカント主義同様のたんなる夢想の国でしかないのである(マルクス)。それは、家族や地域というすでにずいぶん壊れた無存在を基礎にしているからである。地域・家族を再生するには、現在の新自由主義的な政策を根本から転換して、労働時間を大幅に削減し、肉体的精神的消耗を減らし、労働者を家庭や地域に返さなければ無理である。逆に、自民党は、「ホワイトカラー・エグゼブティブ」なる法案を成立させ、長時間労働やサービス残業を合法化しようと狙っている。
 反ジェンダー・フリー派の右派保守派は、男は外で仕事、女は家庭の育児・家事と地域のつきあいという男女固定分業を再構築するという解決法を大まじめで叫んでいる。資本主義は、成長するために、女性労働者の追加労働力を必要としているのに、どうやって、それをしようというのか? 下部構造は、女性が外で働きに行くのを止めることができない。この間の、小泉構造改革で、経済的に苦しくなった中間層の一部と下層は、共稼ぎせざるをえない。上層の高い教育を受けた女性は、支配階級の一員として、それにふさわしい仕事に参加することを望んでいるし、そうしている。山谷のり子首相補佐官にしても、反ジェンダー・フリー派といっても、外で議員として働くのを止めて、家事に専念などしない。資本主義は、人口減少下の労働力確保のために、女性労働力を必要とする。もちろんそれは、パート・派遣などの非正規雇用という形が多いという差別をともなっている。
 安倍首相の打ち出している教育再生策は、10月9日付『毎日新聞』社説「締め付けを強めたいのか」が言うとおり、教育現場を締め付けようとするものである。社説は、「「規律ある人間の育成」を目標に掲げる安倍首相は、教育への国の関与の度合いを強め、管理の徹底を目指しているように映る。しかし、その方向は、教育をできるだけ学校や地域の自由に任せ、子どもたちをのびのびと育てていこうという教育本来の理念から、かけ離れてはいないか」と懸念を示している。さらに、与党の教育基本法改定案で、「国は教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」という条文を設けて、国の関与を明確にし、教育振興基本計画の策定を政府に義務づけたことに対して、「現行法の下でも文部科学省が教育の指針となる学習指導要領を策定しているにもかかわらず、あえて明文化することによって、教育内容への国家介入を強めることにつながらないか」と懸念を述べている。教員免許更新制度の新設にしても国の監査官による学校評価制度にしても、「運用によっては教育現場を一層締め付けかねない。こうした管理強化により、学校や教員はこれまで以上に教育委員会や文部科学省の顔色をうかがうようになり、教育現場にぎすぎすした雰囲気と混乱をもたらすのではなかろうか。教育への国の関与はできるだけ抑制的であるべきだ」と安倍首相の教育再生策を批判する。東京都の学校行事での「日の丸・君が代」強制も、教育の官僚的統制・管理強化が狙いなのである。
 安倍首相の教育再生策は、国家が人々に奉仕するのではなく、人々が国に奉仕することを理想とするものだが、それは、教育官僚の現場統制管理を強めるもので、現在の教育現場が抱える問題解決にとってマイナスのものでしかない。それは教育基本法改悪も同じである。

安倍外交の諸問題

共和党ブッシュは、敗北が予想されている11月の中間選挙対策でも手がふさがっている。
 安倍首相が韓国に到着したその日、北朝鮮は、地下核実験を行ったと表明した。昨年来の米帝による金融制裁解除のための朝米直接交渉の実現を意図したものであるようだが、すぐに、米帝・中国・韓国・日本などがこれを非難した。アメリカの国連大使は、軍事力主義を強調するネオコン一派のボルトンであり、イスラエルのレバノン侵略の際に、イスラエル非難の決議に反対し続け、イスラエル軍によるレバノン虐殺攻撃を引き延ばし続けた男である。ボルトンは、戦争という手段を使って、軍需産業・石油エネルギー産業の利害をはかっているブッシュ政権の国連担当である。国際的な事件を、戦争の危機=軍需産業の需要拡大のチャンスとして利用してきたネオコンは、この問題を軍需ビジネス化することを狙っている。
 すでに、核保有5大国による核独占のNPT体制は、イスラエル・パキスタン・インドの核保有で崩れている。アメリカは、これらの国の核保有に対しては、国連制裁決議を提起しないどころか、インドに対しては、公然と核保有を容認する態度をとっている。米帝は、核保有・核拡散問題に対して二重基準を取っているのである。15日(日本時間)に採択された北朝鮮制裁法案は、貨物検査(臨検)などの強制措置を含むものとなった。日本政府は、99年成立の「周辺事態法」発動や特措法を検討し始めた。「周辺事態法」は、米軍に対しての後方支援策であって、国連決議による多国籍部隊への支援を想定していない。こうした事件を利用して右派保守派が排外主義を広めるのを許してはならない。
 安倍政権の外交政策は、日米同盟強化、ミサイル防衛推進、米軍再編強力、等の日米安保体制再編強化を軸に、靖国参拝問題を棚上げにしつつ、日中の相互互恵関係の構築・日韓政府間外交の再構築をはかって、北朝鮮包囲網を形成していき、アジアにおける米帝の先兵として、アジア・太平洋地域での安保体制構築を積極的におこなうことである。すでに、ハワード保守党政権下で、イラクへの軍隊派遣などでオセアニアから東南アジア諸国、とりわけインドネシア、東チモールなどへの関与を強めているオーストラリア、そして、IT産業などが発展し、急速に経済成長を遂げており、米帝との関係を密にしているインドとの積極的な関係強化を打ち出していることに明らかなように、日米同盟の対象を拡大し、より広範な地域での日帝のプレゼンスの拡大をはかろうというものだ。それは、自衛隊のインド洋での後方支援・給油活動やイラクでの陸上自衛隊の復興支援活動のための派遣など、自衛隊の活動範囲の拡大と対応しているのである。世界に進出して活動している日本企業の活動を守り、利益を守るために、軍事的政治的関与を拡大・強化しようというのである。安倍首相は、インドの核開発を一言も批判しないで、協力関係を拡大すると述べているのだ。そして、そのための日米同盟再編・強化の負担は、神奈川・山口県岩国市・沖縄などに押しつけられるのである。

噴出する諸領域でのヘゲモニー闘争に勝利しよう!

 安倍政権が、教育現場の管理・統制強化を狙っているように、政府は懲罰主義的な傾向を強めている。立川ビラまき弾圧事件をはじめ、微罪やでっち上げを含めた無茶苦茶な治安弾圧が続いている。9月27日・28日には、釜ヶ崎地域合同労組の稲垣委員長をはじめ、「西成よろず相談所」のメンバーなど5名が不当逮捕された。それに対して、『産経新聞』は、市民の権利を守り、権力の不当行為を厳しく監視すべき立場にあるジャーナリズムの使命を裏切り、公安情報を垂れ流し、短い記事の中で、「過激派」「黒ヘル」というレッテルを貼って、弾圧が正当であるかのごとき印象を世間に与えようとした。
 大阪市では、市職員への闇給与支給が問題となり、湾岸部の埋め立て地が売れないなど、億単位の無駄遣いが発覚している。そこに同和利権問題が加わったが、この問題の本丸はそこではない。マスコミは、スキャンダラスな同和問題に飛びついたが、それよりはるかに巨大な税の無駄使い、企業と結託した税金の横領が行われているに違いない。その単位は、同和利権などをはるかに上回るものだろう。「世界花博覧会」を口実にした野宿者の公園からの強制排除の陰で、財界と行政が狙っている利権は巨大なものだろう。『産経新聞』は、大阪府警や市などが流している野宿者へのネガティブ・キャンペーンをそのまま垂れ流して、公園の水道料金年間165万円・月額16万円というちっぽけな数字をわざわざ書いている。『産経』は、人道活動を支援している企業であるのに、こんな人権意識の低いことを書いたのだ。『産経』は、記者はもちろん企業としての人道感覚の低さを反省し、内部の人権教育を強化すべきだ。この弾圧に対して、「反弾圧9・27救援会」(連絡先・釜ヶ崎医療連絡会議)は、大阪府警西成署に対して全員の即時釈放、大阪市の「野宿者強制排除」に組みしないよう求める「申入書」をたたきつけた。大阪市の野宿者強制排除は、人権を踏みにじる殺人行政である。先の公園野宿者強制排除に人々の関心が集まったのは、格差拡大・固定化が進む中で、これを他人事ではないと身近に感じる人が増えているためだろう。企業・金持ちたちと価値観を共有している大阪行政に対して、下層大衆を代表する運動として、野宿者運動が成長してきたことに、危機感を持ったので、弾圧を強めているのだ。行政は、自らを正さなければならない。ただちに、大阪府警西成署は逮捕者を釈放し、大阪市は、差別行政・野宿者強制排除を止めろ!
 安倍政権のナショナリズムに対しては、東京地裁判決(9月21日)が先制パンチをくらわせた。教育というヘゲモニー領域の闘いにおいて運動が拡大している。例えば、「新しい歴史教科書をつくる会」の策動は、先の採択戦での敗北でうち破られ、その後、その責任問題もあって、分裂騒動を起こして弱体化し、また、石原東京都の突出した職務規律を強調しての現場支配のための「日の丸・君が代」強制・懲戒処分攻撃は、9月21日の東京地裁判決で打撃を受けた。「つくる会」は、泥沼の非難合戦を繰り広げた相手である八木秀次を担ぐ「日本教育再生機構準備会」になりふりかまわず参加している。その「日本教育再生機構準備会」は、村山談話と河野談話を継承するという安倍首相の教育再生策に期待すると述べ、権力にすり寄ることで生き延びをはかろうとしている。また、先日、教育基本法改悪反対集会が、2万7千人を集めて成功した。大阪では、野宿者と支援者によって、地域住民と野宿者との交流を拡大し、地域を変えていくヘゲモニー的闘いが行われ、それに危機感を強めた大阪市と大阪府警西成署は、弾圧の挙に出た。さらに、沖縄においては、知事選挙も絡みつつ、辺野古における闘いが生み出した広範な沖縄の人々の反基地意識のヘゲモニーによって、利権を狙う推進派の政治を阻止している。
 このように、様々な領域において、ヘゲモニーをめぐる闘争が噴出している。それは、階級闘争のプロレタリアートのヘゲモニーへと押し上げられつつある。それを、われわれは、意識的に推進しなければならない。そのためにも、新しい共産主義運動を創り出していかねばならない。そして、新たな内容・ヘゲモニーを持った共産主義の党を建設することである。それは、様々な領域でヘゲモニーをめぐる闘争があるから可能なのである。ヘゲモニーをめぐる闘争では、文化や言説領域が重要な役割を持っている。格差社会の現実は、生活をめぐる闘争領域をふたたび前面に押し出していることのだが。階級闘争において、プロレタリア・ヘゲモニーを形成するには、プロレタリア・下層を代表する言説を形成することが必要である。それを、共産主義をめぐる言説形成と結びつける必要がある。このレベルでの闘いも重要である。もっとも、ある調査では、社民党の支持層では、公務員と非正規雇用者の割合が高いことに明らかなように、下層は、支配階級の言説に感染しにくいのだが。社民党の政治は、社会が利害の異なる階級階層に分かれて階級闘争を闘っているので、階級組織が必要だし、階級をなくすのが真の平等なのに、それを欺瞞的に抽象的な市民像・平等観に解消する。
 そうではなく、労働者階級的で共産主義的な言説形成のための討論・学習・交流・分析等々を拡大し、それを広範な人々に伝えていくことが重要である。むろんそれは国境に左右されない。われわれは、ブルジョア・ヘゲモニーの言説を解体する闘いを行い、プロレタリア・ヘゲモニーをうち立てていく必要がある。そのために、運動その他の場で広範な人々と結びついている有機的知識人層のヘゲモニーを形成する言説形成の場、言論普及の手段として、新聞などの媒体をつくり、広めることは役に立つ。それは新たな共産主義的世界観を形成することに結びつくだろうし、結びつけなければならない。等々。




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