共産主義者同盟(火花)

政府について(1)

齋藤隆雄
300号(2006年8月)所収


1.政府論議の意味

 政府について論議することの意味について最初に述べておく必要がある。先に私が小さな政府についての今日の政治上の論議を取り上げたことに関連して、幾つかの必要な議論を意識的に省略した。その理由は、これまで革命的左翼がこの種の論議を避けてきたという背景があり、稿を改めて書く必要を感じたからである。
 今回、ここで提起するものはおそらく議論全体のほんの一部ではあるだろうけれど、今日最も必要とされている問題の一つであると確信する。
 まず、革命運動の争奪の対象である政府機能は、これまでブルジョア独裁からプロレタリア独裁へ、という独裁の主役の入れ替わりとして捉えられていた。このような考え方の枠組みは正当なものだろうか。そして、この考え方の中に欠陥はないのだろうか。これが第一の疑問である。
 更に、政府機能として従来からある立法と行政とが一体となった執行機関がまず最初に掲げる幾つかの基本法は自明のものになっているのだろうか。つまり、資本主義社会に於ける三大階級の基礎にある土地、資本、労働の三つの要素の社会化は、政府の命令によって可能なのか、という疑問が第二である。
 第三には、独裁とはいえ議会制民主主義の形態をどのようなものとして組織するのか否かという問題を含めて、民主主義的政治形態を政府機能としてどのように実現するのかということ。
 これらの疑問は、これまでの歴史的な経験から幾つかの実践を経て、世界中の革命を目指す人々が教訓としたものもあるが、全体的には確定的な構想を組み上げてきたようには見えない。むしろ、個々別々の論議として様々な機会に個別に語られてきただけである。
今日、「社会主義」国家と呼ばれている諸国家の政府機能を見るなら、我々が目指そうとする運動の実現のための里程標となるようなものがないというのが現実ではないのか。
 こういった地点から話を始めようと考えている。

2.四原則

 パリコミューンが歴史上の最初の社会主義政権であった、というのが一昔前までは一致した見解であった。今では、それも危ういものになってきたが、とりあえずここで歴史的に示された四つの行政ルールを最初に取り上げよう。
 原則の第一は、当時の政治状況を反映して、軍事組織をどのように作るかということであった。独軍の包囲下にあった当時のパリでは、防衛戦を闘う必要がまずあったことと、正規軍がコミューンへの弾圧装置であったことを考え合わせると、民兵制という提案は当然と言えば当然であるが、同時にそれは強いられた選択でもあったと思われる。では、実践的にはどうあるべきだろうか。
 歴史的な経験からみると、同じことがロシア革命においては違った展開となっている。帝政(旧体制)の正規軍が腐敗していたということ、戦時であったということはある程度パリコミューン(独仏戦)と似ているが、1917年の二つの革命の間に、軍ソビエトが形成されたことで、正規軍が赤軍へと再編されている。また、中国革命においてはまったく違った展開となっている。
 あれこれの歴史的経験の異同を論じるよりも、ここではそれらの革命において軍事組織が政治的な力関係の中でそれぞれ特異な経過を辿っているということを指摘しておきたい。すなわち、歴史的な経験からは特定の原則が見出されない。
 では、パリコミューンの民兵制(全人民武装)というのはうち捨てられる原則であるのだろうか。もともと軍事組織(正規軍)というのはブルジョア社会では絶対制国家の官僚組織の原型を引き継いだものであって、民衆への弾圧装置であると認識されていたはずである。だからこそ、「民兵制」が指向されたのだと思われる。つまり、軍事組織というのは武装された強制力を持つ組織である以上、利害対立の決着を人間の命と引き替えに行おうとするものであるから、少なくともその力を多くの人々に分散させ、利害そのものの基盤を民衆(プロレタリアート)に置こうとする、一種の安全装置といえるだろう。ブルジョアジーの労働者階級への圧制の道具としてはもはや機能しないようにするだけではなくて、軍事組織の民衆的管理を徹底させようとしたと言える。
 しかし、先にも言ったように、問題はもう一つある。歴史過程を見れば一目瞭然であるが、どの革命に置いても常に付きまとう課題、「革命の防衛」という差し迫った課題である。これは、原則と言うよりも強いられた課題と言うべきだろう。実現すべき社会に特別に必要な条件ではないにもかかわらず、必然的に起こってくるが故に、革命後の社会への大きな課題となる。
 原則の第二は、選挙制度と解任制度である。これは民意という想定の下で、選挙で選ばれた代表者が恣意的な行動や特権を排除するために設計されている。当時は、普通選挙制度が一般的でなかったという歴史的事情があるにもかかわらず、選挙そのものの限界性を意識した原則であることは評価される。しかし、現在においては、この問題は多くの解決できない難問を抱えている。
 この原則は、選出された代表者が政治的選択の場面で、選挙人の意思を正確に反映するという制度的保証を、即座の解任という制度によって支えられている訳であるが、制度的な細部を問題にしない限りは、現代において近似的に一部実現しているようにも見える原則である。確かに、現代においては代表者は選挙人に個別課題に於いて拘束されないという抜け道が作られており、代表者の恣意的な行動や独断専行を即座に止めることはできない。
 しかし、問題はむしろそのことよりも選挙、意思決定、解任、選挙というサイクルそのものが政治的な意思決定のサイクルと一致しないことの方が重要である。政治上の意思決定の多くは統治政策の制度設計に関わるものであるだけに、もし即座の解任が日常的に行われた場合、制度への信頼性が損なわれることになるのは明らかであろう。また、そのことで政治上の制度設計が短期的な課題に偏ることが予想される。また、代表者が選挙民の人気取りの為に統治全体への配慮を欠いた政策決定をする可能性も否定できない。これらのことは原則そのものの欠陥というよりも民主主義そのものが持つ限界という側面もある。
 ただ、これらの諸問題は革命後には民衆が賢明な政策決定をするはずであるという仮定で論議する訳にはいかない。後に議論することになる諸課題と合わせて、これらの問題は革命後の社会・文化革命の長い錬成が必要となることを確認しておこう。
 原則の第三は、公務員の労働者並み賃金である。この原則は、現代に於いてはほぼ制度的に完成している。中央省庁の高級官僚や政治家たちの様々な特権を除いては、この原則は公務員制度として定着しているとみていいだろう。だたし、この原則が実現しようとしている政府機能の真の目的は道具としての官僚機構である。政府の政策を実現していくための手足となる官僚組織がどのようなものになるか、によってこの原則はより詳細なものとならざるを得ないだろう。とりわけ、これまでの歴史的経験からすれば、官僚機構の肥大化は経済構造の種差を問わず、常に重大な社会問題となりえるし、また革命の根底をも覆す課題でもある。
 原則の最後は、立法機関と執行機関の統合である。三権分立という近代ブルジョア民主主義制度の根幹を否定したこの原則は、実の所歴史的には未だ実現していないと言える。パリコミューンにおいても、ロシアソビエトにおいても、実態的には公安委員会独裁というフランス革命の限界を乗り越えることができていない。この原則の目的は、三権分立というブルジョア民主主義制度の歴史的成立経過を批判した論議とフランス革命の教訓という二つの構成要素でなっている。前者は、三権の分立が絶対王政からブルジョア革命期にかけての権力の分解(王権、貴族、市民)という歴史的な背景の中から出てきた制度であり、ブルジョア独裁下では見せかけの制度であるということ。また後者は、権力奪取後の権力闘争において、プロレタリア独裁下において権力を分散する必要がないということである。
 ただ、問題は現在では資本主義的政府を打倒した直後のそれではなく、革命後の政府の腐敗を如何に防ぐかという課題から見ると、立法と執行の統合機関が制度として適しているかというと、必ずしもそうとは言い切れないだろう。問題は分立そのものではなく、権力の分散という課題を制度としてどのように設計するかである。これは、これまでも複数政党制だとか、情報公開制だとか、分派問題などといった問題として語られてきた諸問題と同種の課題であると思われる。おそらく、スターリン主義への教訓という問題への解答ともなっているはずである。
 以上のように、パリコミューンの四原則については既に様々な課題が提起できる地点に我々がいることを確認しよう。そして、19世紀から20世紀にかけての革命が提示した諸問題を再度構成しなおす必要があることを政府問題はつきつけている。

(補足)
この節のより詳細な論議は、大藪龍介さん(『国家と民主主義』)や志摩玲介さん(『共産主義運動年誌』7号)の論説を参照してください。




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