共産主義者同盟(火花)

小さな政府論を巡って(1)

齋藤隆雄
295号(2006年3月)所収


1. ケインズ派対新古典派という構図

 「小さな政府」という小泉政権のスローガンに関連して思い浮かぶ政治上、経済上の諸問題を挙げてみると、政府の財政赤字や累積債務がまっさきに浮上するだろう。およそ1000兆円という巨額の債務を抱えて、今まさに日本政府は沈没寸前と論評する人がいる。あるいはそこまで言わなくとも、政府は大丈夫だろうか、と心配する人も多いだろう。若い人の中には政府を当てにしないという風潮もあるかもしれない。
 しかし、どれも現在のブルジョア政府の直面している諸問題を言い当ててはいない。むしろ、政府の意図する政策意図に沿って誘導されていると言っていいだろう。なぜなら、財政上の危機を声高に言えば言うほど、「国家の再建」という幻想の使命を作り上げ、「小さな政府」という政治スローガンを小泉政権が意図するようにもっともらしくさせていくからである。彼が流布させたこの政策スローガンは、単なるイメージではなく、明確な意志があり、それを示すことによって自らの政治過程を遂行するスケジュールが組まれていることを明確にさせる必要がある。政治的主導権を握る正当性のキーワードとしてそれがある限り、あれこれの政策論としてではなく、政府論としてそれは論議されるべきであり、その意味するところをこそ掘り下げるべきである。
 現在、政府が小さな政府路線と称していくつかの政府機関の再編を企図している。公務員の人数削減、政府系金融機関の統合、年金医療制度の改革等である。これらは額面通り受け取っていいのか、という「改革」推進派からの批判はあるものの、路線そのものの批判はあまり聞かれない。本物か偽物かという論議は、「小さな政府派」内の小さな論争である。政府への批判がこの論争に矮小化されているという指摘はあたっているが、そう言ったからといって事態が明確になる訳ではない。
 これらの路線論争上のレトリックを抜け出るには、元々の政府論を検証する必要がある。大きな政府という比喩は29年大恐慌以来の政府による公共投資政策を担うシステムのことを言っており、その対極にある小さな政府とはいわゆる夜警国家と言われた産業資本主義時代の国家像のことであった。だとすれば、現在の小さな政府路線というのは夜警国家への回帰のことかと問えば、実はそうではない。
 第二次帝国主義間戦争後の資本主義国家の経済政策は概ね、管理通貨制と公共投資による財政政策の二本立てであった。それは開発途上国にとっては国家による資本主義育成策とも一致し、開発主義として機能したし、同時に戦後復興期の敗戦帝国主義国家にとっても同様の枠組みであった。唯一の生き残り帝国主義国家アメリカにとっては景気変動の緩和に役だった。
 しかし、米英では既に60年代に、日本では80年代にそれぞれ帝国主義的な爛熟期を迎え、公共投資による乗数効果が限りなく1に近づき、国家による財政政策そのものが機能しなくなってきた。このことは、米国においてはスタグフレーションとして70年代に猛威を振るい、政策の転換を迫られたと言える。レーガノミックスで知られる小さな政府政策は、実は巨大な財政赤字を膨らませて政府機能を小さく出来なかったことで有名であるが、これは、夜警国家への回帰が不可能であることの証明ともなった。しかし、現実がそれを否定したにもかかわらず、小さな政府路線は現在に至るまで米英日の帝国主義政府の合い言葉となっているのは、実は隠された目的と意図がある、とみるべきである。
 世界恐慌以来、世界の資本主義国家間の政策課題は、資源争奪(戦争)政策と金(ポンド)本位制崩壊からの脱却という二つの大きな問題を解決することであった。これらは実は相反する政策の混合物を生み出したと言える。つまり、植民地収奪と管理通貨制度である。拡大すると同時に閉鎖するという二つの相反する政策の下で帝国主義諸国はブロック化と世界戦争という道を歩むことになったが、これらは歴史的には米帝一元支配の下でのケインズ的財政政策を基本とするドル本位制として、一時的な均衡を生み出した。
 この均衡は、上述のように70年代に終焉を迎えるようになる。ケインズ政策の限界はケインズ自身が予感していたように、国民国家経済と国家間資本移動(世界貿易)との狭間でその政策的意義を消失させていった。資本主義は新たな脱皮を求められたと言える。
 そこで登場してきたのが、言わずと知れた「新古典派」「新自由主義」「小さな政府論」である。この思想と政策が果たした役割は、第一に帝国主義の国民国家経済からの脱皮であり、第二には社会主義経済(計画経済)への批判であった。つまりそれらはいわゆるケインズ派対新古典派という見かけ上の対立とは裏腹に、新たに登場した資本主義の姿は新古典派的でもなく、小さな政府でもなかったということである。
 立ち現れてきた資本主義世界の構造は、一旦崩壊した20世紀初頭の帝国主義的資本主義の世界構造を領土的な植民支配や資源収奪的な負荷から脱皮し、「市場」通じた生産消費のより根底的な収奪構造へと転換してきたということである。そしてそのためには、国民経済特有の地域的多様性を払拭解体しなければならないし、それを支える国家体系の転換、とりわけ官僚組織の構造変換が必要となるのである。見かけ上、それは1930年代以降今日まで形成されてきた肥大化した行政組織の「ケインズ的」と称される法体系と行政組織の再編を不可避とした訳で、これらはいわゆる「小さな政府」というスローガンの下に現在進行している鳴り物入りの変革の真の正体であると言える。

(補足)ネグリ、ハート『マルチチュード』より
「…近代の列強が国民国家の主権を外国の領土にまで拡張することをおもな基盤として実践してきた帝国主義の見地からは、もはや現在のグローバル秩序を適切に理解することはできない…」(上p16)




TOP