資本対労働、私有制対共有制、組織文化等をめぐる闘いの発展は、
直接に共産制社会を目指す運動を要求している
流 広志
292号(2005年12月)所収
先進国と第三世界の間、先進資本主義国内でも貧富の格差が拡大している。米帝は、石油とイスラエルの安全のために、イラク侵略戦争を続けている。アメリカでは、テロ対策として強化された治安体制の下で、アラブ系住民が差別的扱いを受け、航空機内で精神障害者が治安員によって射殺される事件が起き、ヨーロッパで秘密収容所を設置し拷問を行っていた疑惑が浮上し、12月2日に1977年の死刑再開以降1000人目の死刑が執行された。フランスでは、失業や移民への差別が強まり、下層や移民の若者が暴動に駆りたてられた。アフリカでは、IMFや世界銀行が進めた構造調整策がもたらした債務地獄が、飢えと大量の死者を生んだ。また、先進国向けの資源の利権をめぐる内戦が続いている。これらの基礎にあるのは資本主義帝国主義である。
日本経団連奥田会長は、5日の記者会見で、「日本全体がバブルになっている」「拝金主義が蔓延している」「バブルを繰り返すべきではない」という意味のことを述べた。バブルの基本にあるのは、自己増殖する貨幣としての資本の運動(G―G’)であり、その崇拝である。それは、資本制社会の基礎の上でなくすことはできない。
金融資本の力の増大は、資本制社会の異常な成長やその突然の崩壊をもたらす不安定や社会を腐らせる原因である。小泉−竹中の新自由主義構造改革路線は、不況の要因を不良債権などの金融的要因に見て、金融の建て直しを最優先した。金融機関が抱える大量の国債・公債の信用の危機を取り除くために、「小さい政府」・財政再建を目指したのであり、その一環として、郵政「改革」、日銀の超低金利政策・量的緩和政策、銀行への公的資金投入、安心して倒産できるようにするためのペイオフ実施等々、金融資本へのてこ入れを行ってきたのである。金融資本は蘇ったが、それは、個人投資家の資金を大量に呼び込んでの人為的な株高によるところが大きい。金融資本の支配が進むにつれて、その寄生性・腐食性が社会全体に浸透する。新自由主義的経済政策を進めてきた「経済財政諮問会議」メンバーの奥田が、その政策の当然の結果のバブルを否定するのは無責任である。
経済封鎖下で農業の再生による社会建設を進めるキューバの闘いやベネズエラをはじめアメリカの自由貿易地域創設に対抗する動きを強めている中南米の左派政権の拡大、ヨーロッパに植民地支配の清算を要求するアフリカ諸国の脱植民地化の動き、イギリス、フランス、ドイツでのストライキなどの労働運動の高揚、アメリカでの闘う労働運動再生の動き、韓国での民主労総系のストライキなどの労働運動やグローバリズムに対決する農民運動の高揚や日系企業をも襲ったインドやフィリピンでの労働運動の波等々、世界的な資本主義帝国主義に対する労農大衆の闘いが発展している。資本主義帝国主義とは違う世界・社会への希求がその中から生まれ、「もう一つの世界」「もう一つの社会」に前進するための具体的な方策が求められている。
新自由主義が、士気低下、モラル・社会崩壊をもたらしている
12月6日の『毎日新聞』の「成果主義って何ですか第4部」のインタビューで、成果主義導入をうたった1995年の日経連の提言「新時代の日本的経営」をまとめた副会長諸井太平洋セメント相談役は、「労使双方に成果主義的な考え方が強まっていくだろうとは思っていた。やはり、人間だから、成績を上げたら、評価されて給料も上がり、地位も上がるというふうにしなければ、一生懸命やらないんじゃないかというね、その意味では思った通りになったと思う。・・・・正当な評価を仕事の意欲につなげたいという人は増えている。成果主義、能力主義は今後も強まっていくだろう。ただ、のんびりやりたい人もいるし、ねじり鉢巻きでやりたい人もいる。この働き方しかない、この生き方しかないというのでは人間性を無視することになる。成果主義の中でも、働き方を選べるようにすることが必要だろう。提言から10年を経てなお、成果主義への移行期が続いているということかもしれない」と、反対のことを述べている。彼は、一方では経済的利害中心の経済主義を露わにしつつ、他方では多様な働き方、人間性の多様さを言う。彼が前者を基本に考えていることは明らかである。それは、1980年代アメリカでの年功序列主義から成果主義への転換の影響だろう。
その実際の結果がどうなったかを示す「野村総合研究所」が10月に実施した「仕事に対するモチベーションに関する調査」(上場企業の20〜30代の正社員を対象、1000サンプル)の分析結果が公表された。それによると、現在の仕事に対して無気力を感じる人が75%にも達し、若者の労働のモチベーション低下が顕著であるという結果が出た。「今回の調査から、仕事での成長実感が薄く無気力を感じ、仕事に対する社会的意義も感じられず、容易に転職を考えがちな若者の姿が浮き彫りにな」(「野村総合研究所」HP)ったのである。こうした大企業若手正社員は、かれらの29%が報酬すなわち金を重視し、また、仕事の面白さ、同僚や後輩からの信頼や感謝、顧客からの感謝、上司からの高い評価や承認などを重視しているという。
同調査は、「お金や地位には資源の制約がありますが、挑戦機会や人間関係から生み出されるやりがいは、使えば使うほど豊かになり、強い組織文化を醸成します。・・・・今後はお金以外の面で若者にやりがいを感じさせることが、企業の経営戦略に効果的であると」(同)として、(1)仕事の動機につながるミッション(使命)を樹立し、社員全員の求心力となり組織文化を育むこと(現在勤めている会社の経営理念やミッションを、「知っているが自分にはピンとこない」人が57.1%、「知らない、忘れた」「そもそも関心がない」人が計14.3%)、(2)挑戦機会を増やすことで、そのために、労務政策を見直したり、多元化すること、(3)「周囲の人材のモチベーションを生み出す人間(モチベーションジェネレータ)を組織の中心に引っ張りだすべきです。業績のみならず、“組織モチベーションの発電力、再生力”という角度から、次世代リーダーを選抜する必要があ」(同)ると提言している。
将来を担う若手エリート社員たちが、成果主義・能力主義の導入の下で、拝金主義に陥り、無気力になり、士気低下していることがはっきりと現れている。そのことは、サッチャー主義の嵐が吹き荒れた後のイギリスでも明らかである。例えば、「医療費抑制政策による弊害は、先進7カ国でかつて最下位であったイギリスの経験から学べる。入院待機者が130万人を超え、救急患者ですら3・5時間待たされ、相次ぐ医療事故に国民の不満は高まった。医師・看護師は不足し、長時間労働なのに給与は安く士気は低下した。さすがに医療費を抑制しすぎたと反省し、ブレア政権は医療費の大幅拡大策に転じた。その規模はなんと5年間で実質1・5倍である。/しかし、5年たっても医療従事者の士気は回復せず、いまだ80万人もの待機者が残っている。いったん現場が荒廃し士気が下がるとその回復には多大な費用と時間がかかるのである」(12月4日『毎日新聞』発言席「危険な日本の医療制度改革 日本福祉大学教授・近藤克則)。商業労働者の職場での万引きが増えたこともそういう現象だろう。
「野村総研」は、給与や地位だけでは、モチベーションを高められないことが明らかになったので、企業としての理念や使命を再構築し、組織のあり方を変え、組織文化を作り直し、労働のモチベーションを育てる組織的な仕事と人材を重視し、個人間競争よりも組織としてのまとまりが必要になったというのである。
9日の同欄の連邦政府の業務改善などをはかるアメリカのNPO「パートナーシップ・フォー・パブリック・サービス」の民間部門協議会代表ハワード・ワイツマンは、ほぼこれと同じことを語っている。「野村総研」が、彼のような考えから学んでいることは明らかである。
彼は、重要なのは、組織や団体の使命の把握であり、それから実績が測定可能な目標を設定することであり、使命の達成に結びつけて目標を設定し、社員個人の自由度と創造性の余地を与えることであり、成果主義を機能させるためには有能な管理職体制を作ることだが、大事なのは管理職がコミュニケーション能力を高め、評価基準を十分に理解することであり、上司であると同時に指導者として、部下に信頼されることだと述べている。使命、目標、指導、コミュニケーション能力、等々の組織としての能力や管理が強調されているのである。
成果主義に対して、経済評論家森永卓郎は、翌日の同欄のインタビューで、「実は、成果主義が厳しく適用され、昇進も給料も解雇もすべてボスが握る欧米の会社では、日本よりもはるかにひどいえこひいき、実力に基づかない評価が行われている。出世できる人は、上司へのおべんちゃらがうまい人、同僚の足を引っ張るのがうまい人、同僚の手柄を横取りするのがうまい人の3タイプしかいない。日本では同僚は仲間だけど、米国はライバル。そんな米国式を取り入れたら、会社の文化は革命的に変わってしまう」と批判してる。しかし、彼のオルタナティブは、部門別に、成果主義と平等主義を分けて適用し、両方を組み合わせるという折衷策であり、「年功序列からいきなり成果主義に全部変えちゃうのではなくて、もう少しきめ細かくやりましょう」という部分修正策にすぎない。
「連合」青年労組員のコミュニケーション・組織に対する欲求
青年労働者の労働意識について、「連合」が今年1月に実施した青年意識調査結果がある(35歳以下の連合組合員3477名の有効回答数)。それによれば、青年労組員の8割近くが、仕事より趣味・レジャーを優先すると答えている。仕事は生計維持の手段にすぎないという答えが58.6%、仕事を通して生きがいを実現したいが41%。転職志向が53.3%で過半数を超えている。収入増よりも自由時間を大切にしたいという答えは64.9%である。年金制度・安全・格差拡大・子育てしにくくなるなど、将来に対する悲観的見方が多い。人事制度では、能力開発支援の要望が多い。成果主義制度については、勤務形態の多様化や早期選抜制度や発明報奨金制度については望む声が多いが、収入の不安定化には慎重である。
労組については、必要とする者が圧倒的に多く、労組に満足している。しかし、一般組合員は、労組活動への参加意欲が低く、執行部に一任する傾向が強い。組合活動に青年の関心を向けさせる方策としては、「参加しやすい催しの増加」が55.6%で圧倒的に多い。それに続いて、魅力的なリーダーが必要がくる。役立っている組合活動として、「春闘」「組合員教育や学習会」「機関紙など組合ニュース」「集会」「労金・全労済・産別共済等共済活動」「組合の文化レクリエーション活動」「青年部で行う活動」「労使協議を通じた経営参加」の順に多い。反対に、やめた方がいい組合活動は、「デモ行進」「ガンバロー三唱」「ストライキ」「メーデー」「特定政党や候補者の支持・支援活動」「組合大会」「機関紙など組合ニュース」「春闘」の順である。ただし、「組合大会」以下は、5.1%以下で、極めて小さい。
この調査結果では、労働は生計の必要のためであり、その外での自己実現を重視している青年労働者の意識が現れている。また、かれらには、成果主義制度に対応しようとして能力開発に励みながら、同時に、安定的な収入を確保したいという願望がある。趣味・レジャーを優先する価値観から、組合活動の意義を認めつつも、できるだけ労組活動に労力を取られたくないと思うようになるのは当然の結果だが、その背景には、この間、年間実労働時間が増加していることがある(2001年1971時間が2003年に2021時間に増加した『国際金属労連IMF季刊誌METAL WORLD』2005.No3)。しかし、学ぶ意欲が大きいので、教育しだいで、「ストライキ」などの組合活動の意義を理解する可能性が高いから、これらに対する否定的回答が多いことはたいしたことではない。
その他、女性の参加促進や非正規雇用労働者の組織化、企業を超えた交流の促進などを求める声も多い。先の「連合」会長選挙で、高木剛UIゼンセン同盟会長に対して、鴨桃代全国コミュニティ・ユニオン連合会代表が予想外の多くの票を集めたことには、こうした「連合」労組員の意識が一定反映しているのだろう。
また、政治や選挙については、関心も高いし、労組が政治に取り組むことへの評価は高いが、選挙運動への動員を多くが嫌っている。「連合」が組織として支持しているにもかかわらず、民主党を自分たちの政治代表と感じる青年組合員は、半分しかいない。
全体に、「連合」青年労組員は、コミュニケーション、教育、文化などの共同活動や組織活動への欲求が強く、魅力ある活動やリーダーを望んでいる。現実の労組活動が、それに見合っていないということに不満を抱いているのである。
資本対労働、私有制対共有制、組織文化等をめぐる闘いの発展は、直接に共産制社会を目指す運動を要求している
また、「連合評価委員最終報告」は、国際的国内的格差拡大の是正、市民民主主義、弱者との連帯、「労働を中心とする人間主義」等々を労働組合運動の理念として高く掲げて運動を進めるべきだとして、労働の前衛性を強調している。それは、共産主義と結びつくことで発展することであり、それによってこそ、労働の現実の根本的変革が徹底的に進められる。この報告は、言葉の上だけでも、共産主義への労働運動の接近を促す可能性があるし、そのように利用すべきである。ただし、それは、中上層組織労働者の前衛性であって、基本的に改良主義の限界内のことだから、余計な幻想は持てないが。
上述のように、新自由主義政治は、人間関係、文化、モラル、使命感、仕事の社会的意義、などを希薄化し、無気力、士気低下などを生みだしている。
それに対して、ブルジョアジーは、成果主義を基本とし、その修正によって、対応しようとしている。それと同時に労使共に組織に目を向け、組織の使命、目標、計画、成果・成績、評価基準、公平性、指標・尺度、モチベーション、個人の自由度・創造性、指導、管理能力、コミュニケーション能力、等々の組織建設の領域を重視している。それらの点は、ソ連・東欧においても問われ、改革の試みが行われた(『東欧「改革」のつきつけたもの』参照)。それらは、失敗例として見捨てられているが、新たな発展は、例えば、ケインズが当時全盛の新古典派を批判して見捨てられていた重商主義を新たに蘇らせたように、そういうものを新たに蘇らせるという場合が多いのである。失敗から学び教訓をくみ取ることが重要なのである。
他方で、上で検討したように、資本制企業において、リーダーシップを強調しつつも、自由度や創造性というものをある程度認めないと企業が活力を持てないという考えが現れているのは、効率主義とセットで広まっている新自由主義型リーダーシップ論への多少の反省が出てきたようにも見える。成果主義・能力主義は、成績を測定するための数量化と尺度を立てる抽象的なものであり、抽象的尺度に依存している。だから、労働者がそれに具体的な意義を見いだせなくなるのは当然である。しかし、8日の日本経団連奥田会長と「連合」高木会長の会談で、奥田は、来春闘での賃上げ容認と同時に成果主義を拡大することを表明した。なお、両者は、正社員とパート労働者の格差是正が必要という点で一致した。
「連合評価委員最終報告」は冒頭で、今日の社会病理の蔓延を指摘しているが、それは、資本主義の当然の結果である。それには、極端な個人主義・利己主義という社会病理も含まれる。社会的病理が、資本制企業の根幹にまで及んでいることが、上の調査結果にも現れている。
それに対して、共産主義は、共有制を基礎とした新たな共同体を建設し、組織としての使命、コミュニケーション、人間関係、指導、組織文化、等々の新たな型を創造する。労働が生計獲得手段の資本制と違って、労働が生活の第一の欲求となる共産制社会を創造することを目指すのである。それは遠い未来の夢物語ではない。世界でも、日本でも、運動、事業、文化等々として、直接に共産制社会・社会の高度な型に向かう実践・試行錯誤が存在しているのである。また、山口県下関原発訴訟での、入会=共有制と私有制の対立や公園野宿者排除問題での自治体有と社会有の対立などなど、私有制と共有制の闘いが目の前で展開している。そこに運動としての共産主義が存在している。自然発生的運動にこのような諸性質を刻印して運動の転換を促進することは、すでに始まっているし、資本制社会の社会的病理が進み、世界の人々が資本主義帝国主義が幸福を生み出す制度ではないことを経験によって理解しつつある今こそ、切実に求められている。われわれは、そのような闘いに加わり、さらに発展させるために闘う。