第44回衆議院議員選挙結果分析
渋谷 一三
290号(2005年10月)所収
<はじめに>
予想通り、自民党が圧勝した。予想通りというのが一つのキーワードでもある。私の予想がそうだったというより、各種世論調査という世論形成の予想通りであった。解散時点での私の感想は「無茶な」というものだった。小選挙区である以上、郵政反対派と「刺客」とが票を潰しあい、民主が有利というのが解散時点での私の感想だった。だが、民主のマニュフェストなるものが漏れ伝えられるにつれ、民主の勝利は、その条件があるにもかかわらず、ないと感じ始めた。民主が自ら敗北を引き寄せていった。これが、今回の選挙の特徴である。
第2の特徴はマスコミの未成熟とマスコミが政権に包摂される程度が深まった点である。
本稿では、また、選挙に現れた政治的危機について言及してみたい。
1.郵政民営化は必然
郵政民営化の稿で述べたように、無駄な公共事業を無くそうとするなら、その資金源である郵貯を縮小する以外にはない。03年、04年とマスコミを総動員した観のある無駄な公共事業暴露キャンペーンを通じて、「小さな政府」を望む感情が十分に醸成されていた。長良川河口堰や有明海を汚染した諫早湾の堰建設などへの自然破壊の公共事業への反発も、それを推進した側に利用された。
公共事業は一切必要ないわけではない。広域的に考えられた公共事業は汚職や高コストを生むという図式が完全に刷り込まれてしまった感があるが、「地方分権」をすればより汚職や癒着は増えると予想できる。
にもかかわらず、「小さな政府」を望む雰囲気が醸成されているのは、
(1) 社会資本の整備が一巡し、相対的に窮乏化している民衆の生活の実感からは豪華すぎる感があること。
(2) 自営業者を中心に、郵貯に流れている資金が銀行に流れれば、「貸し渋り」が減るのではないかという期待感があること。
(3) 都市部の労働者(本人達の意識からすればサラリーマン)を中心に重税感が増していること。
(4) 年金・社会保険庁問題で暴露された「福祉」「介護」「年金」などを「公」で行う非効率さに辟易としていること。
などが挙げられる。
この感覚は現実的根拠を持っている。だからこそ、現実以上に肥大化されて刷り込まれることも可能になったわけである。
高速道路はもう要らないし、郵貯が集めすぎた金は実際には米国債を買い支えることに使われるしかなく、もっと下落するはずのドルを支えている。
だが、いつまでも社会資本の整備がいらないというわけには行かない。「小さな政府」は「大きな政府」による社会資本整備が一巡した一時期に可能な政策の体系にすぎないことは言うまでもない。
実際を突き動かしているのは660兆円に上ると言われている財政の累積赤字を減らさない限り国債すら発行できなくなるという現実であり、毎年40兆円に上るといわれている財政赤字とその高齢化社会化の急速な進展による飛躍的増大という現実である。
2.保守としての民主党
郵貯民営化は本来民主党の政策なのだが、コイズミが郵貯民営化の旗を振ることになり、政治的駆け引きとして郵政民営化法案に反対した。この姿勢は旧態依然とした保守党の体質である。さらに、中学生まで児童手当を月額1万6千円支給するという「ばら撒き福祉」も重税感に喘ぐ民衆の意識からはかけ離れている。同じことがまた、金を出す時の出し方を問題としているNPOの実践から見れば立ち遅れた立場からの政策にすぎない。これまた、利益誘導のために大きな政府を必要とする古い保守党の体質である。
さらに決定的なのは「年金の一元化」である。これは、意図して国民年金に入らなかった自営業者を中心とする人々を救済するために、営々と天引きされてきた結果「黒字」の厚生年金や共済年金の資金を投入することを意味する。そもそも年金に入らずに同額を運用してきたほうがいいのではないかという不安があった年金に無理やり加入させられてきた被雇用者からみれば、年金積み立てと同額を自分で運用する選択肢を事実上持っていた自営業者層が「うらやましかった」上に、民主党案では淘汰され没落した自営業者の救済に自分たちの積立金があてられるのは、直接に自分の年金支給額の減少を意味するだけに、民主党には投票できない。
さらに、福祉目的と銘打って消費税の3%アップを掲げられたら投票する気もなくなるというものだ。歳出削減をして「小さな政府」を実現し、3%アップを回避するというのが本道だろうという感覚を生起させる。一体この国債漬けの赤字財政をどのようにして「健全化」させようとしているのか、政策的提示がないのである。
そして、顔。民主党の顔は全て旧保守政党出身である。族議員の印象が民主党の側についてきてしまう。旧社会党右派出身者は政策議論についていくことさえ出来ずにただ単に連合系の集票パンダになっているだけの感がある。その結果が民主党の顔に出ている。コイズミ党に純化している印象を与える自民に対し、旧社会党右派とさきがけ・自民出身者との亀裂の深さが見え隠れする民主党という対比が鮮明に浮き上がってくる。
また、はやばやと公明との連立は有り得ないと宣言してしまって公明を敵に回すとともに、政権を運営する能力の一つとしてのしたたかさを持っていないことを露呈してしまった。
民主党はかくして、自ら墓穴を掘ってきたのである。
3.公明党
公明票が仮に自民に流れなかったら、次点になった民主党候補者のほとんどが逆に当選していたし、民主票に公明票が上乗せされれば、議席数は逆転していたことを開票結果は示している。公明党は組織票を背景に自民党を支えた。その見返りに小選挙区での議席を獲得する戦術を取ってきている。この見返り選挙区をどこにするのかは過去の実績によって決定されており、この「過去の実績」が文字通り過去のものになりつつある今、「過去の実績」通りの議席を得ることも危機に直面している。実際、自公の勝利のはずが公明のみ小選挙区で議席を減らしている。この選挙協力戦術が破れれば、公明の議席は比例区のみとなり、共産や社民と同じ構造に陥る。それを避けるためには政権党との選挙協力を恒常的戦術にしなければならないが、今回の自民の圧勝によって自民の基礎票が増えることになれば、早晩、公明の選挙協力は必要なくなり、公明に明け渡している選挙区での立候補を必要としている自民の野心を持つ者の圧力が高まることとなろう。
連立政権を組むことで共産や社民が陥っている現実対応能力の無さを免れているかのように見えるが、実は政策は自民の追認になるしかなく、見返りにばら撒き「福祉」たる児童手当の創設拡充ぐらいの政策実現しかできていない。比例区政党になれば、公明が現実対応能力を持っているかのような印象はすぐに消えていくこととなる。この意味で、選挙協力戦術の翳りが見えた今回の選挙は、公明にとってはしっかりと総括し対応策を考えなければいけない事態であることを示している。
4.日本共産党と社会民主党の敗北の原因
両党とも比例区政党である限界を内在化させてしまっている。
その選挙スローガンは護憲であり、進行する事態への危険なにおいを嗅いでいる大衆の支持をあてにしている。だが、多くの大衆がとりわけ軍事を巡って危険な匂いを嗅ぎ分けているのもかかわらず、その大衆の支持を得られないのは何故なのか。この点を誰よりも真剣に考えなければならないのは両党なのに、敗北のコメントはなく、「伸び悩み」の原因を聞かれた途端に馬脚を現して大衆を非難する。この傾向は共産党に特に強い。いわく、「我々の主張が浸透しなかった。」「ご理解をいただく努力が足りなかった。」
主張が浸透しなかったという傲慢な物言いに比べ、ご理解いただけなかったという物言いは、姿勢の上ではましだが、大衆の理解が間違いで自らの主張は間違ってはいないという大衆蔑視・啓蒙主義にどっぷりと浸かった体質を露呈させている点で大差はない。
社会民主党を見てみよう。大衆の危機感によって1議席を伸ばすことができたが、全くの保守主義になってしまって現実対応能力がないことを露呈している。
まず郵政民営化問題を見てみよう。公社化される前は公社化にも反対の立場だった。この反対の立場が何等論拠がないことを暴露してしまい、今度は公社のままでよいという対応である。「無駄な公共事業を削減する」という同党の政策を真面目に考えているなら、郵貯を現行のまま残して財政投融資を大規模に削減することのできる方法を提示しなければならない。たとえば超低金利で維持し、銀行より安い利子しか貯金者に提供できないから民業を圧迫もしない、などの案だ。超低金利の今ならできそうであるが、実は政府に相対的高金利で貸し付けるという道がなくなれば今の低金利水準でも特定郵便局を中心とする人件費の圧迫で赤字経営になるのではないか。とすると、「無駄な公共事業」を無くすために郵貯をどうしていけばいいのか、現状維持はできない以上、その案を提示する努力をしなければならない。要するに矛盾し両立しえない政策を平気で掲げているのである。
憲法に関しても然り。天皇制に反対する運動に責任を持つなら、護憲とは言えない。「憲法9条を守る」のスローガンでなければならない。ところでその9条を検討しているのだろうか。筆者なら「改悪阻止」としか言えず、「守ろう」とは言えない。朝鮮民主主義人民共和国のような独裁国家が登場し核武装を開始している状況に対してどのような説得力をもって憲法9条を守ろうと言うのか。それが少しでもあり、それを言おうとする姿勢があるだけでももっと多くの議席を獲得できたであろう。
共産党はもっと硬直している。社民党が不勉強なら、共産党は傲慢と対比しうる。「確かな野党」というスローガンで二大政党制という「不当な」傾向と闘おうとし結構悦にいってこのスローガンを叫んでいる志位さんの姿に至っては滑稽ですらある。
後述する落下傘候補の勝利に現れているように、自民党の派閥政治はその根拠を失い、「小泉党」と言われるようにほぼ単一の派閥の党になってきているのである。資本主義を前提とする党派が自民党しかなかった時代には派閥が大ブルジョアの利害や小ブルジョアの利害を代表し、その調整をすることによってブルジョア階級内部の闘争を未然に防いできた。田中派系列が高度成長期以降だいたい政権を握りケインズ主義に基づく「大きな政府」を実現し、高度成長を可能にするとともに高速道路網や新幹線網を建設するなどの社会資本の整備をしてきた。この事業に小ブルジョアジーを従事させることは絶対に必要なことだったし、実際に大量の小ブルジョアジーを発生させたことが田中派の勝利の物質的基礎であった。
社会資本の整備がほぼ一巡し、大規模公共工事がそれほど必要でなくなったにもかかわらず、大ブルジョアジーからみれば淘汰されて当然の小ブルジョアジーが「大きな政府」の利権構造にしがみついて生き残ろうとし必死の抵抗をする時代が到来していたが、大ブルジョアジーの利害を代表する政権を樹立できずにいたのが、中曽根政権以降、特にバブルの崩壊で利権構造などを維持するゆとりがなくなった情勢の下で、大ブルジョアジーと小ブルジョアジーの利害の対立が先鋭化した。
こうした物質的基礎の変化に対応するべく、小沢は「政権交代の可能な党」「二大政党制」を模索し、実現するまでに至る。
細川連合政権の成立である。ここから自民党の派閥はその存在の根拠を失う。大ブルジョアジー間の政策の選択の幅を政策の相違として見せる装置としての派閥が必要なだけで、小ブルジョアジーの利害を代表するのは今でいえば民主党に任せればよくなったのである。野中さんの敗北を最終的メルクマールとして橋本派とされた田中派は死んだのである。
逆に言えば、二大政党制なるものはその程度のものでしかない。労働者階級の利害を代表する政党を誕生させることができないほど労働者上層部の腐敗が進んだ米国や英国では二大政党制になったかのようであるが、英国においては3つの政党の時代になっている。要するに二大政党制は結果としてであり、制度としての優劣などないのである。大ブルジョアジーと小ブルジョアジーの利害以外が小さな社会か、その二つの階級の利害しか代表する政党がないという極めて特殊な場合にのみ二大政党制が実現しているだけのことである。
こうした分析をする力さえあれば、労働者階級の利害を代表する政党としての政策に磨きをかけようというものだが、「二大政党制という悪い制度によって正しい我々が消滅するという不当な危機に直面しているのです」とでもいわんばかりの「二大政党制に埋没させられてしまう危機」「確かな野党」というスローガンの構造をみれば、労働者階級の利害を代表しようという気概どころか発想すら失われていることが分かる。
ついでに言うなら、民主党は小ブルジョア政党の役割を担うことを自覚せず、「大鉈を振るう」政策を掲げ大ブルジョア政党であるかのように錯覚してしまっている。これでは支持を得られるわけがない。
5.落下傘候補の勝利の意味すること
今回郵政民営化法案に反対した自民党議員の選挙区全てに郵政民営化法案賛成の候補者を立て自民党公認とした。この結果は17対17で、地元と全く無縁な「無個性」の「誰でも良かった」自民党公認候補者が善戦ないしは勝利した。このことは地方レベルでの利権構造の崩壊が進行しており、地元選出の国会議員を通じて利権にあやかる構造がなくなりつつあることを如実に反映している。亀井静香さんに典型的な「面倒見の良い」「どぶ板政治」がようやっと終わりを告げているのである。かろうじて当選した亀井さんの選挙区にしても対立候補が別の人で自民党公認を得ていたならば落選したであろう。
とても良いことのように見える。だがそうではない。利権構造は地方公共団体レベルになっていることの反映に過ぎず、自民党の模索している「地方分権」は、小規模になり国家レベルでなくなった公共事業の利権構造を温存助長してあげる財政的措置にすぎない。今日、利権は介護保険制度創設により膨張してしまった「福祉」市場を巡って大きな規模で進んでおり、いわゆる土木主体の公共事業の規模はますます縮小している。
さて、法案賛成ならば誰でも当選する今回の選挙結果は、政策立案がごく少数のブレーンによってなされ、国会議員はそれに賛成するだけの頭数に過ぎないことを意味する。根回し政治の不透明性に替わってブラックボックスでの政策立案という不透明性が跋扈する。ただそれだけのことのように見える。
法案賛成の頭数としての意味しかなくなった国会議員は地方の利権を代弁するわけでもなく、小選挙区の世論を代弁するわけでもない。単なる頭数になった以上、国会議員の定数を同率で削減することが可能になった。今の10分の1にしたところで賛否の比率は同じなのだから、そんなものでもいい。国会議員が政策立案者だというのは建前にすぎないのだから。
6.国会議員浪人発生の常態化の意味すること
60人を越える落選者を出した民主党「前国会議員」は次の総選挙に向けて大方が浪人生活を送ることになる。83名にも上る新人自民党国会議員もまた次回総選挙ではその多くが浪人生活を送ることとなる。こうした生活に耐ええるのは経営に深く関与しないで済む比較的上位の小ブルジョア層に限られてくる。あるいは小泉さんに典型的なようにパトロンに支えられた大ブルジョア代理人という「専門職」しか立候補できない。政治はますます大衆から遊離し、代弁者を持たなくなった大衆の鬱屈は進行し、とりあえずは政治的「無関心」と「理解不能な犯罪の多発」という形態をとることとなろう。
治安はますます悪くなるということである。
7.07年BIS規制に合わせた郵貯民営化の問題点
07年4月にBIS規制が強化される。その内容は、@貸し倒れ引当金を自己資本から除外する。A税の還付金を自己資本から除外する。など、「確実」とされる還付金を自己資本に組み入れることを認めなくなるものである。小泉政権が郵政民営化を急いだのも、ここに間に合わすというタイムリミットがあったからである。
なぜに間に合わせる必要があったのか、その心中は筆者には分からない。だが、米国国債の対外残高の3分の2を郵貯が支えているという事実から、米国からすれば対外国債が相場を左右する力を持つ前に、その対外国債を買い取るよりは、それを持っている銀行をまるごと買い取った方が安上がりで確実に支配下におけることだけは確かなことである。竹中は「ハゲタカファンドに買い取られないよう手当てをしてある」と豪語するが、法案のどの部分がその手当てに該当するのか、筆者は知らない。
「財政投融資という入り口を閉めない限り、無駄な公共事業をはじめとするじゃじゃ漏れ財政は改革できない」という骨子が、郵政民営論者の主な論拠である。なるほどそうではある。だが、それでは、07年4月に間に合わせなければならない論拠にはならない。本当のことは語られていないのである。この点に関しては、筆者も調査を進めて、早急に本誌に報告をあげたい。