戦争・帝国主義・民族自決・共産主義
流 広志
286号(2005年6月)所収
はじめに
JR福知山線脱線事故や日本航空が繰り返しているミスやトラブルに明らかなように、これらの民間企業は利益優先によって安全を脅かし、人々の生命を危険にさらしている。また、経済関係が拡大・深化している韓国・中国との関係が靖国神社参拝問題や歴史認識問題をめぐって悪化し、国連改革論議の中で出てきた日本の国連常任理事国入りに反対するなど外交問題が浮上している。事の重大性から言えば、安全国会・外交国会が開かれてしかるべきところだ。それなのに、国会は、郵政民営化をめぐる茶番劇に熱中している。小泉首相をはじめ「改革」派は、これらの重要な課題を脇に置いて、郵政改革に夢中である。小泉政権は、人命や隣人との関係よりも経済が大事というブルジョア経済主義に洗脳され、資本に頭を乗っ取られているのである。
自由主義史観研究会代表の杉本幹夫は、反日の中国ではなく、親日的なインドで商売をすればよいなどと気楽なことを書いている。むろん、それは世間知らずの学者らしい思いつきである。それに対して、経団連奥田会長は、国際競争で生き残るためには、覚悟を決めて中国に進出するしかないことをわかっている。アメリカでも、1千万人以上の不法移民を使って低コスト化をはかることで競争力を維持しなければならないほど、国際競争は激しいのである。韓国資本は、北朝鮮の教育された従順で我慢強く安い労働力を使えば、国際競争で圧倒的に優位に立てるので、ノ・ムヒョン政権の「太陽政策」の下で、開城工業団地開発などに積極的に乗り出している。それぞれが必要にかられてそうしているのである。
靖国参拝問題や歴史教科書問題などをめぐる日韓・日中の対立が解けない。
靖国神社は、つい100年ほど前に、戦争賛美のために国家や天皇のために死んだ戦死者を英霊として祭り上げることで、戦争遂行をやりやすくするために国家神道同様でっち上げたもので、陸海軍省が管理する官営神社であった。東京裁判には、BC級戦犯問題や大日本帝国の主権者である天皇の戦争責任が問われなかったという問題がある。A級戦犯については、日本人自身が戦犯を処分できなかったことや冷戦の本格化によって占領政策が変わったことなどが、問題を複雑にした。A級戦犯の多くには、日本人が裁いたとしても、やはり戦犯として責任を取らせるべきである。
神社本庁は、神道の教義上「分祀」は不可能だとA級戦犯「分祀」に反対している。しかし、神道が、道教やアニミズムや自然崇拝や仏教などを混交させて変化してきた歴史を見れば、それが、「ため」にする議論であることは明らかだ。大昔は、教義もなかった。それに、近年では、人間の都合に合わせて、祭日を土日休日に変更することもしている。教義変更による「分祀」は可能だし、戦死者を靖国神社で祀らねば慰霊にならないということもない。
小泉首相は、戦没者の前で不戦を誓うとかいろいろ言っているが、靖国神社に祀られているのは、軍人軍属ばかりで、民間犠牲者を含んでおらず、戦没者の全てではない。軍人戦没者に向かって不戦の誓いというのもおかしな話であるが、結局、小泉首相は、自民党総裁選の時に、旧橋本派の牙城であった日本遺族会の票目当てで、8月15日の靖国公式参拝を公約したという自民党内の内輪の政治利害で参拝することになり、とにかく参拝する姿を遺族会に見せなければならなかったのでそうしただけで、たいして深い考えがあるわけではないことは、この間の彼の発言で明らかである。
しかしそれは、日中・日韓の政治対立という大きな外交問題を呼び起こすことになった。同時に、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)の扶桑社版歴史教科書の検定合格ということもあり、歴史認識問題での対立という形での日韓・日中対立も拡大した。
小泉首相は、東京裁判を正当であると考えており、A級戦犯の存在を認めている。それに対して、『読売新聞』は、A級戦犯がいるというなら靖国参拝すべきではないと主張し、『産経新聞』は、A級戦犯は存在しないので堂々と公式参拝すべきだと主張しているが、小泉首相自身は、そんな矛盾があることすら認識していない。今度の日韓首脳会談の議題が歴史認識問題になると発表されているが、先の日韓首脳会談で、村山談話を繰り返してすましたように、小泉首相の歴史認識が浅いので、議論のレベルに達することはないだろう。
それに対して「つくる会」の方は、歴史教科書で、日清戦争から太平洋戦争までの戦争を、西欧帝国主義列強からの自存自衛の防衛戦争であり、西欧帝国主義からアジアを解放する解放戦争として描くことで、歴史観の修正を目論んでいるのであり、自由主義史観という特殊なイデオロギー的歴史観を、教育を通じて、人々に刷り込もうとしている。それは、歴史的事実の一部や一面の誇張や歪曲だらけであるが、公的に強制されれば危険性が高まる。「つくる会」歴史教科書では、戦争や占領などでいいことをしたという点が強調され、大国意識や大民族意識が育つような記述になっている。その戦争認識は、基本的に誤っている。まず、日清・日露・第二次世界大戦についての誤りをいくつか簡単に明らかにする。
また、「つくる会」の動きは、今日の帝国主義世界の変化に刺激を受けたもので、自由主義史観イデオロギーは、グローバリゼーションに対応する世界観でもある。そこには、自由主義と民主主義を進歩とする見方がある。イラク侵略戦争開戦の頃、「つくる会」の藤岡信勝は、戦争には反対だが、フセイン独裁の崩壊は良いことだという趣旨のことを述べていた。この戦争に反対することは、参戦国での国際反戦行動を支持してたちあがり、それが反抑圧の民衆運動を鼓舞することで抑圧除去を進めることを意味する。彼は、アメリカの戦争やそれを支持・支援する日本政府の行動を止めるために言語行為を含めた真剣な行動をなんら行わなかったどころか、平和主義者が戦争の原因だと批判した。国際反戦運動がフセインを助けているというのである。なんと浅薄な! 国際反戦運動はそれに押されたフセイン政権が武器査察に応じ始めるなど武装解除などの成果を出していた。査察によって、大量破壊兵器がないことが明らかになったはずであり、武装解除した裸のフセインをイラク人が恐れなくなれば、抑圧体制の崩壊は時間の問題である。ところが、最初から戦争するつもりだったブッシュは、いちゃもんをつけて攻撃を始めてしまい、そういう解決の道を潰してしまったのである。
イラクとアフガニスタンの現状は、自由主義の反動性や抑圧性を示し、自由主義史観の破綻を示している。しかし、かれらにはそういう反省がない。自由主義史観を暴露し、今日の世界について、できるだけ正確な唯物論的認識をもつことは運動の前進に役立つ。今日の世界を解明していけば、自由主義史観の言う自由主義の進歩の世界ではないことがわかる。そして国際反戦運動が、共産主義運動の発展を意味していることも。それらを少しく明らかにしていきたい。まずは三つの戦争認識から。
日清戦争
日清戦争を促したのは、日本の綿製品の国内市場が開国以来の欧米列強に結ばされた不平等条約もあってそれら諸国からの輸入品に押されて狭く、需要の壁にぶつかり、1890年に恐慌に見舞われ、それからの脱出のために、中国などの海外市場を必要としていたことである。当時の朝鮮は、綿製品市場としては小さかったが、日清戦争後、日本の綿製品の朝鮮への輸出と農産物や金地金などの輸入が激増した。
朝鮮半島に対しては、明治維新当初から、政府内で征韓論が起こるなど、関心が強かった。政府は、江華島事件を起こして日朝修好条規(江華島条約)という不平等条約を結ばせた。当時、大日本帝国は、幕末安政の1875年に日米修好条約を皮切りに、西欧帝国主義列強に、関税自主権の放棄(協定関税)、片務的領事裁判権(治外法権)などの項目を持つ不平等条約を結ばされていたが、同様の内容を持つ不平等条約を李氏朝鮮に結ばせたのである。日朝修好条規は、第一条で、朝鮮の自主独立と日本との対等をうたっているが、それが清の影響力排除を目論んだものであり、言葉だけにすぎないことは、その後の内容が不平等で第一条と矛盾していることやその後の歴史でも明らかである。日本政府は、不平等条約を改正すべく西欧帝国主義列強との外交を行ったのであり、それらが不平等という認識はあった。
日清戦争の直接の引き金となったのは、1894年、李朝に対する東学党の乱(甲午農民戦争)の勃発である。東学党の農民勢力は、反封建反侵略を掲げて各地で武装蜂起した。大日本帝国は、居留民保護を名目に出兵したが、同時に清との戦争を想定して、大本営を設置した。日本軍は李朝の官軍と共同でこれを武力鎮圧した。このことに、大日本帝国の反農民的反民衆的な反動性が現れている。その後、農民反乱が李朝と反乱軍の間の和議で収まり、居留民保護という出兵の名目が消えたにもかかわらず、清の出兵が属邦保護を名目としているのは日朝修好条規第一条の朝鮮は自主の邦という規定に違反すると開戦の名目をたて、イギリスの支持を得て、清への戦争を強引に仕掛けたのである。
日露戦争
日露戦争は、重工業段階に突入しようとしていた日帝が、鉱工業原料やその市場を必要としていたことから、中国東北部での権益をめぐるロシアとの競争が熾烈となり、利害が一致したイギリスと日英同盟を結んで、開始された帝国主義戦争であった。それは、新興の日本帝国主義がツァーリ専制支配の半封建的軍事的帝国主義ロシアを軍事的にはうち破ったが、ロシアの軍事的能力・国力はまだまだ大きかった。それを日帝指導層もわかっており、また日本軍の犠牲も戦費も多大なものになったので、早期の終戦を望んだ。ロシアでも第一次ロシア革命が起き、戦争継続が困難となっていた。両者は、アメリカの仲介でポーツマス条約を結び、戦争を終結した。その後、日本では、軍拡のための増税などで苦しい生活を強いられていた人々は、賠償金を取らずに講和したことに怒り、自由民権運動家なども参加する日比谷焼き討ち事件を起こした。
戦後、明治政府は、ロシアと日露協商を結び、満州利権を仲良く分け合うことにした。日露戦争は、日帝政府と人々の間の亀裂を深め、その後、労働争議や農民運動などが活発化する。帝国主義戦争は、日露双方の反政府運動を促進した。戦争が革命を近づけるというレーニンの思想は実証された。
当時、機械化・大規模化、資本の集中・集積の独占段階に入りつつあった日帝と欧米帝国主義との競争が熾烈となり、鉄鋼・石炭などの新たな資源や綿製品などの大きな市場を求める圧力が強まっていたのである。日露戦費を引き受けたのは主にロンドン市場であり、この時の膨大な軍事公債の負担は後々まで尾を引いた。
第二次世界大戦
日帝は、1938年の第一次近衛声明「東亜新秩序宣言」以来の基本的外交路線であるアジア・ブロック化を進める中で、米帝の「門戸開放」「機会均等」を求める対中政策と激突し、ABCD包囲網を形成されて石油供給を絶たれたために、南方に資源を求めて進出し、日ソ中立条約を結んだ上で、南下と共に対米戦争を開始した。
日帝は、朝鮮半島を永久領土にしようとしたのに対して、太平洋戦争に突入すると、フィリピンなど幾つかの国に親日派政権を建てて形式的に独立させ、それらの国の指導者や反英闘争指導者を日本に呼んで、1943年11月5・6日に、大東亜会議を開き、「一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス 一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス」「人種差別撤廃」などを内容とする「大東亜宣言」を発表し、自主独立や民族性の尊重をうたうようになる。これには米英帝国主義相手の戦争を有利に戦うために、反英米独立闘争を利用しようとする狙いがあった。
それ以前に、1941年8月に米英が戦争目的を宣言した「大西洋憲章」は、第一条・第二条で、民族自決権・完全な政治的独立を掲げている。第一次世界大戦後、アメリカのウィルソン大統領は、民族自決権を国際法の新たな理念として掲げており、1917年ロシア革命ではレーニンのボリシェビキ政権は、フィンランド・バルト三国などの独立を承認するなど民族自決権承認を具体的に実行していた。そのことが、世界の民族独立運動を鼓舞した。その後、スターリンは、ナチス・ドイツとの秘密協定で、ポーランド分割やバルト三国を併合するなど大国主義に転落するのだが。
日帝は、それぞれの時代に、世界の強者=帝国主義列強のつくったルールに合わせ、1942年11月の時点でも西欧帝国主義の後を追ってブロック化を追求したにすぎないのである。むろん、米英帝国主義は、米帝がフィリピンを自治領にしていたように、民族自決権の理念を、自分の利害に合わせて都合良く使っただけである。すべての帝国主義国がすべての植民地を放棄しなければ本当の民族自決は成立しないのである。
領土なき帝国主義・資本主義・民族自決権
1928年パリ不戦条約は、戦争放棄・国際紛争の平和的解決を規定した(一条・二条)。それは日本国憲法第9条にほぼそのままの内容で入れられているが、大日本帝国は、戦争放棄を「人民の名において」するとした規定が、天皇が統治権を持つ(天皇主権)大日本帝国憲法と合致しないので、日本には適用されないと宣言し、署名調印したが、批准しなかった。この不戦条約には期限が記述されていないため、現在でも有効だという。それは、自衛戦争と国連安保理の容認する戦争以外を禁じた国連憲章にも受け継がれている。ただ、これは、理念の宣言に止まっており、制裁・罰則もなく、実効性のないものであった。それを実効性あるものとするのが、国連安保理の役目であり、国連軍の創設はそれを担保するものとされている。しかし、未だに国連軍はない。さらに、米英有志連合は、アフガニスタン・イラク侵略戦争は、不戦条約後の戦争放棄・侵略禁止の国際法を無視することで、国連の存在意義を揺るがした。
戦後、国際法の理念となった民族自決権をもとに、アフリカ諸国をはじめ、世界で次々と植民地からの解放・独立が進んだ。それによって、レーニンが『帝国主義論』で指摘した領土なき帝国主義の時代になる。それは、IMF・ガット体制と呼ばれる国際金融・貿易体制の枠組みの中で、金融・経済支配をてことする再分割戦が展開される帝国主義世界である。
今日、この帝国主義の世界再分割戦は熾烈なものとなり、世界は、主にEU・日米英の二大陣営に分かれつつある。その基礎にあるのは、この間、アメリカや欧州を舞台に進んでいる大型合併による強大な独占企業の活動である。それは、アメリカやEU域内市場の独占というばかりではなく、世界市場支配を争う超巨大多国籍企業となり、それらの間の国際競争戦が激化しているのである。こういう資本間の世界競争に国家が引き入れられる結果として、国家間対立や政治対立などが生み出されるのである。
石油をめぐる国際競争戦が国際政治に反映したのが、イラク侵略戦争時の国連安保理の分裂であった。国連経済制裁下で、フセイン政権と結んで、石油利権を確保していたフランス・ロシアなどの欧州勢に対して、イラク侵略戦争によって英米がその利権を奪ったのである。それによって、一時ユーロにシフトしつつあったアラブのオイル・マネーは、米ドルに戻ったりした。しかし、通貨統合によって、国際通貨保有の選択肢が増えたので、これまでのようにドル一辺倒というわけにはいかなくなった。金利・為替動向によって、国際資金移動がより流動化するようになったのである。かかる金融の変動激化は、ヘッジファンドなどの投機者たちの活動領域を提供する。しかしそれは、成功もすれば失敗もする。フランス・オランダのEU憲法批准の国民投票での否決がユーロ安をもたらした時には、ユーロ建て債権保有者は損をした。
資本は、投資先を求めて、世界中で「門戸開放」の圧力を強めている。それは、資本のための資本による資本の支配の下に、人々の生命・安全・生活を従属させるものである。
第二次世界大戦後、第三世界諸国は形式的に政治的独立を果たしたが、債務地獄に陥ったアフリカ諸国の現実が示しているように、金融的経済的に帝国主義に従属させられている。先のG8では、最貧国の条件付き債務免除を合意した。これら諸国の巨大債務の主な責任は、資本の運動から生じる過剰資本のはけ口として、だぶつく資本を強引に貸し付けた先進国側にある。また、それを、先進国側が、兵器を含む工業生産物や資源や公共事業の形で取り戻すことが多い。その中には、使いようがなくて稼働していない機械や環境や生活破壊のもととなっているものもある。IMFや先進国側がつける民営化・自由化などの条件は、結局は、先進国側企業の利益のためのものである。IMFなどが押しつける市場経済化では多くの国々が破壊や荒廃に見舞われ、悲惨な目にあった。多少の成功を収めているのは、地域統合を伴う自由化の場合であるが、その恩恵にあずかるのは一部の人間だけである。
国際反戦運動に内在する共産主義革命の質
そのような資本主義帝国主義世界に対して、共産主義を直接に求める運動が登場し、成長してきた。それは、全ての帝国主義を同時に敗北させる世界同時革命を求める。そのロシアでのレーニン帝国主義論の実践的結論が、自国政府を敗北させる革命的反戦闘争である。それに対してトロツキーは、自国帝国主義打倒すなわちロシアの敗北の要求はドイツの勝利を要求していると考えてそれに反対した。レーニンは、それを全ての帝国主義を打倒する世界同時革命の一部という形で提起したのだが、トロツキーは理解できなかったのである。レーニンは、第一次世界大戦において、ロシア帝国主義を打倒する革命的反戦行動から発展するプロレタリアートのヘゲモニーによるブルジョア革命は、西欧帝国主義下の革命的反戦行動からのプロレタリア革命への発展を鼓舞するし、少なくとも数カ国で先進国での同時革命が成功しその援助があれば、ロシアを社会主義革命に前進させる大きな力を得ることになると考えたのである。実際には、ロシア革命しか成功せず、孤立する中で、自ら道を切り開かねばならなくなり、やがて、スターリニズムが支配するようになってしまうのだが。
「帝国主義戦争を内乱へ」は、このような意味で、具体的な革命任務の違いに対応しつつ、帝国主義下のプロレタリアートが同時に掲げるべき世界同時革命のスローガンだったのである。それは、帝国主義参戦国の全てのプロレタリアートが同時に自国政府を敗北させる共同行動を意味する。その点で、参戦国政府に対してそれぞれの国の人々が同時に反戦行動を貫いたイラク侵略戦争に対する国際反戦行動は、このスローガンを実践した世界同時革命の質をはらむ国際反戦運動なのである。
それが先進資本主義国で成功した場合には、共産主義革命へ発展させることが必要である。その時、問われるのが、プロ独の質であり、その点で、様々な社会運動の経験が重要な内容を提供することがわかってきた。また、農民が主の貧しい国では、共同体と協同組合を結びつけるような社会建設が、害が少なく持続的な復興を可能にすることが、ソ連崩壊後のコルホーズやアフガニスタンやサパティスタなどの経験からわかった。その他、様々な歴史的教訓を取り入れつつ、共産主義運動を前進させていくことである。
6月15日の『時事通信』は、イギリスの会計検査院が、今や、イラクやアフガニスタンでの任務に資金が割かれているため、4割の部隊で有事への備えができていないとの報告書を公表したと伝えた。このうち2%は非常に危険な状態にあるという。軍事費が不足しているのである。アメリカ同様、イギリスでも増税の声が政府から聞こえてきそうだ。この点からも、報道されているようなイラクの現状からも、この戦争が終わっていないことは明らかである。したがって、国際反戦運動も終わらない。それは、イラク侵略戦争への沖縄の米軍派遣だけからも、普天間代替ヘリポート建設を長期にわたって阻止し続けている沖縄辺野古における闘い(厳しい闘いではあるが)のような反戦運動と結合することが必要なことは明らかだ。その内容を上述のようなプロレタリア国際主義的なものとして発展させることが必要である。
そして、プロレタリアートは、それを、貧富の格差、階級階層格差が拡大する中で多数を占める下層の闘いを階級的闘いとして発展させることとも結びつけ、資本の支配を終焉に導く力を組織するヘゲモニーを発揮することである。等々。