イラク情勢について(8)
−衰退期の資本主義の表象としてのイラク情勢−
渋谷 一三
285号(2005年5月)所収
<はじめに>
1月末にイラクにおいて「普通選挙」が実施された。米帝曰くの「民主主義が実現」された。だが、それから3ヶ月経った今でも政権は発足できずにいる。米軍は撤退のめどすら立たずにいる。それどころか、治安維持のために米軍を増強する必要すらあるのだが、米国内世論が持ちこたえられないために増強できないでいる。
イラクにおいて普通選挙が実施されることが民主主義の実現であったはずで、米・英による侵略の大義名分であったはずだった。だが、イラク社会はフセイン時代よりも破壊され、どうしようもないほどに後退してしまった。治安維持がイラク人民の切実な要求となってしまい、治安維持のためなら米軍がいてもよいと思うほどに社会システム全体が破壊されてしまったのである。
元来、大義名分というものは、人民を内側から支配し、支配機構を完全たらしめるために存在した。外からの力による支配は弱い不安定なもので、人民自身が内から制度を支持するようにするのが支配を安定させる秘訣であった。そのために大義名分は存在した。
だが、今、イラクを見るに、民主主義という大義名分は秩序を人民内部へと浸透させる役割すら果たせていない。秩序自体が維持できないほどにイラク社会が破壊されてしまったのである。
本来、民主主義という大義名分に隠れて石油利権をブッシュ一族が握るなどの強盗ばたらきを行えるはずだったのが、利権漁りの行為が浮き出てしまったのである。これは何か変ではある。
従来の反対運動は大義名分と実際との違いを暴露することで有効性を持ちえたが、このような暴露戦術は今や全く無効なものとなった。実際が浮き出てしまって誰の目にも明らかなのである。大義名分が大義名分として機能していないのだ。
他方、米国を見るに、「自由主義(Liberalism)」と「人権の擁護」という民主主義の根幹思想が行き詰まっている。リベラリズムと人権擁護を標榜していた民主党の行き着いた先は、同性婚の容認と犯罪者の人権擁護という現実であった。同性婚の容認は婚姻制度の根本的再検討と家族制度の歴史的検討とその現実的可能な変革を抜きにした「自由一般」思想に留まった限界が露呈したものにすぎず、米国民の少なくとも半分には醜悪なものに映る。内なる支配から、葛藤しつつ婚姻制度を守ろうとしている(守る以外に現実的選択肢のない)大衆にとっては憎悪の対象になるのは必然である。殺人という最大の人権侵害が日常的に行われ、治安維持すらできない米国のような社会において人権を云々することは生き残った殺人者の人権を擁護することにしかならない。この現実に行き着いたことが、米国民の少なくとも半分を苛立たせ、保守主義にからめとられた。米国の治安維持ができないことを真剣に検討することは民主主義以上のものを内実化させることであるがゆえに、民主主義幻想に浸っている人々は殺人者の人権擁護にしかならない現実としてしか認識できない。それゆえに、保守主義という表現しか生み出し得ず、歴史的反動としてしか動きようがない。歴史的反動であっても、民主党の政策が行き着いた先が歴史的前進でもなく「醜悪な現実」であった以上、歴史的反動は歴史的反動とは映じない。
民主主義という大義名分が米国内においても最早秩序維持という初歩的機能すら果たせなくなっているのである。結果、戦争犯罪人のブッシュが再選されるという世界史的愚行としての大統領選が行われた。
民主主義という大義名分が、侵略された側においても侵略した側においても機能しなくなっている。これが、今日の特徴である。
1. 成熟しきり衰退しはじめた資本主義
資本主義の根幹をなす「思想」は価値の尺度を交換価値において表象するということだった。したがって、価値は資本主義においては交換価値と同義語となる。価値を交換価値において措定することを一切の上位に置く物質化の作業がブルジョア革命の成したことであった。
マルクスは資本論において商品の分析から始めることで、上記の関係を明らかにした。家柄だの名誉だのという封建的価値を交換価値において捉えたときには、無価値になる。この瞬間においてはブルジョア階級の世界観は封建階級の世界観と対立し、封建階級の世界観を破壊しようという衝動に衝き動かされて運動する。その限りにおいてブルジョア階級は革命的であり破壊的である。
ブルジョア革命後、ブルジョア階級は自己の世界観を物質化する運動を不断に続けてきた。工業における諸用具の商品化に始まって、第1次産業の資本主義化商品化を成し遂げ、第3次産業の商品化をほぼ完成させた。「愛」なる概念操作の下、性の商品化も進み、日本においては「援助交際」なる現象も出現したが、より徹底して商品化が進んだ米国内においては、援助交際なる貨幣を媒介にした商品関係から更に純化した形での、貨幣を媒介しない性の交換価値に基づく直接の交換が常態化している。
こと性に限らず、日本における介護保険の導入による介護の商品化の完了など、家族関係そのものが商品の言語によって再構成されきった。この現象は世界的であり、それは「自己中」として感じられる時もあれば「家族制度の崩壊」として語られる時もあり、「こどもが変だ」として語られる時もある。
要するにマルクスが指摘した物神崇拝=交換価値で計られる価値の崇拝、そこへの転倒した隷属という一点に純化したのであろう。物神崇拝という訳語はこなれていないので今日の日本人には直接にフェティシズムと表現した方が分かりやすいであろう。フェチと略称で流布したこの用語の直接の用例は、女性を象徴あるいは代用するものとしてのパンティとか「足フェチ」などの用例に見られる女性の足など。この用例が分かりやすい。国家をフェチする国旗や国歌ということも、上記の流布する直接のきっかけとなった用例に照らしあわせると分かりやすいかと思われる。尤も国家概念そのものがフェチではあるが物質形態をとってはいない。(女性を差別しているとかどうか言わないでほしい。女性が男性にフェチすることは筆者の知る範囲ではないから、実際の用例を採用したまでです)
ホリエモンなる人物は見事にこの物神崇拝の落とし子を表象している。
今日世界的に家族関係も物神崇拝単純化され、その他の諸価値は無くなってしまい、個人の想念の中に幻想として保管されている状態になっている。実際の人間の諸関係が商品化されていることを反映して、人間の諸関係が交換価値崇拝に基づいてしか組織されていないまでに貧弱化してしまった。米の飯を食う時に、米を生産した百姓に感謝し、米を結実させた自然の生態系のいちいちを想起し感謝し、脱穀に使った機械を生産した工員に思いを馳せ、米を運搬した運送業者やそのトラックを製造した人々や車を発明した諸々の人々の行為や、はたまた道路を建設した作業員やその原材料を提供した資源輸出国の人々の相対的に貧しい暮らしやもろもろ。こうしたことを想起する人がたまにあったとしても、それは個人の想念の中にしか存在せず、実際にこれら諸々の人々を組織し動かしているのは交換価値を得るという転倒した結合力である。平たく言えば金のために働いているのであって、例えば農民が都市の民衆の為を想って熱き人類愛で米を作っているのではない。ある個人の農民の想念の中にそういった人類愛があるにせよ、実際にその米が例えば都市の民の手元に届くのはその農民の想念によってではなく、金のために働くしかない無数の人々の営為によってであるという現実を承認してほしいということです。
成熟した資本主義が破壊する敵対物を見出しえなくなるのは当然のことである。「自己に似せて世界を構築し」てしまったからである。この瞬間に貧困化が進行する。すべてが物神崇拝という一点に単純化されるという価値の貧困化である。
この結果、カルト宗教や宗教改革としての原理主義が勃興する。単純化され貧困化した現実は大義名分すら機能喪失させるまでに進行したのである。民主主義や自由や人権などといった輝かしいものであったはずの概念すら無価値なものとして感じられるほどに人間の内部までが貧困化・単純化されてしまったのである。これへの反作用としての宗教の役割の増大である。物神崇拝という転倒した体系へはこれまた転倒した宗教という体系が入り込みやすい。
マルクスはこの物神崇拝の進行の末を予測して、このフェティシズムを再転倒し、人間諸力の直接の解放を呼びかけている。カルトあるいは宗教は人間諸力の解放ではなく、人間の隠された能力の修行による獲得という神秘主義でしか物神崇拝への反作用を提起できないが、これすらも提起できない宗教は消滅の、あるいは「葬式仏教」のような物神崇拝そのものに安住する「単なる形式への堕落」の運命しかない。
再度言おう。人間諸力の直接の解放、人間諸関係の直接の社会的結合を実現することが共産主義そのものなのである。
2. イラク社会は何故にこうまで破壊されてしまったのか。
普通選挙は行われた。これをもってして米軍は段階的に撤退する大義名分を得るはずだった。簒奪した利権を守るためだけならば、こんなに大量の米軍は必要でないし、第1駐留費用を考えたら国家レベルではペイしない。撤退の大義名分を手にするために米軍は多くの「犠牲」を払い、ファルージャをはじめ多くのイラク人の犠牲を強いてきたはずだった。
だが、暫定政権は実質的には発足できずにいるし、イラク人警察機構の建設も進まない。フセイン政権「残党」によるテロルやアルカイダによるテロルによって治安が不安定になっていると発表しているものの、米軍・米政府は治安維持が出来ないのはこうしたテロルのせいではないことを知っており、また、アルカイダのテロルなどはほとんど無いことも知っている。相手が組織的ではないがゆえにどこを攻撃したらよいのか皆目検討がつかないでいる。生活の基盤や就労先を失った大量の人々が、生きんがために略奪や強盗を働く。こうした社会不安感情に勢いを得て、強盗団ややくざなどの従来からあった犯罪集団が活動を活発化させることが出来、それによって構成員も増やしている。
トルコのクルド人地区とイラクのクルド人地区を合併させて独立させるという民族解放運動などもともと考えていない米帝にとって、クルド人政党が第2党になってしまったことも頭痛の種になり始めている。シーア派反米部分とクルド人政党とで政権を発足させるわけには行かないのである。治安はますます悪化し、イランを解体しイラクシーア派地区と合併させるなどの劇的外科手術が必要となってしまいかねない。それをしたところでクルド人地区の独立運動の活発化などが予想され収拾のつけようがなくなるばかりである。米軍の撤退は少なくとも今後4年間はできない。米民主党が大統領選で勝つことを通じて損失をより少なくする形での撤退しか可能性はない。この間駐留費用はかさみドルはますます下落することになる。民主党勝利後も累積した財政赤字の処理に10年は苦悩することとなる。このおよそ14年間にドルの地位は下落しユーロが基軸通貨になることは十分に想定され得ることである。
ヨーロッパ各国、とりわけフランスはこうした事態を想定し、ユーロの国際基軸通貨化を目指している節がある。仏にとって米国がイラクに足をとられたままでいることは好ましいことである。日本は自衛隊を派兵したことで膨大な戦費の支出を値切ることが出来たが、これも長くは続かないだろう。先のコイズミ・ブッシュの会談時に米軍戦費の一部負担を約束してしまっている以上、この出費を迫られるのは時間の問題となっている。米・日の相対的没落が進行する10年となろう。
この間にEUと中国を盟主とするAUとが勃興する可能性が大きい。自民党にはこうした世界史的動きは全く読めず、米帝の要求する国際規準をグローバル化だと信じ込み、グローバル化を推進することが改革の全てであるとしか捉えられていない。EUやAUに対抗するための、あるいは自らがAUを創出していくことで生き残りを模索するなどの政策を構想する力も無い。グローバル化を推進する改革を完了すれば米帝の没落を緩和し日本の没落を促進するだけのことなのだが、郵政民営化に反対している自民党部分はより後退した利権の保持からの観点しか持ち合わせていない。日本の民主党に政権を獲らせたところでグローバル化賛成であり、郵政民営化はそもそも民主党議員の政策である。
民族主義的に考えても、戦後賠償を何らかの形で値切りつつ行い、韓国や中国との良好な関係を構築し、AUの盟主になる道を模索すべきである。ドイツが行った戦後補償を見習い、靖国参拝や歴史事実歪曲教科書の検定合格などの一文の得にもならないことはさっさとやめることがブルジョア階級としての態度なのだ。実際、奥田経団連会長はコイズミに靖国参拝などやめるように申し入れてきたが、「コイズミに何を言っても無駄だ」とあきらめている。
日本のブルジョア階級がブルジョア階級として行動する能力すら失っていることを、上記のことは物語っている。ここでも衰退期に入った資本主義を見て取ることができる。
3.
学級崩壊に始まり、学校崩壊、そしていまや教育制度そのものが崩壊し始め、従来有り得なかった犯罪が続発し、日本社会にも閉塞感と絶望感が広がって来てはいる。労働者階級の2分化は完了し、誰の目にも労働者上層部とフリーターやパート・派遣社員などの労働者下層との分裂が見て取れるようになった。
85年に火花誌上で展開され始めた労働者の上層と下層への分裂は完了した。火花がこの事態を予測したのは帝国主義の超過利潤の行方を分析することを通じてであり、実際、労働運動の再編と消滅がこの間に進行した。
この20年間に火花が準備してきたことは、新しい運動の構築と「社会主義圏崩壊」の事実から学び共産主義の実現の具体的条件を探る理論的作業だった。新しい運動は大衆に共産主義思想を宣伝し獲得するという従来の運動を破棄し、直接に大衆が自ら共産主義を組織していく運動スタイルへの転換の提起だった。理論的作業と新しい運動の提起は密接に連関していた。今日的に言えば、物神崇拝にのみ純化し文化的創造作用(破壊作用)能力を喪失した衰退期の資本主義の諸問題=物神崇拝以外の価値観の崩壊によるカルト宗教の発生・学校教育の崩壊に象徴される社会的教育力の崩壊・人間関係を結合する諸力の喪失などなど=を止揚する運動への大衆の直接的参入の提起だったと言うことも出来る。
このことは今日ますます生き生きと、かつ、切実に求められている。
人間関係を結合する力が貨幣の力にのみ単純化された結果、人々は家族内においてすら養ってやっているという以外の結合力を持てずに苦悩し、孤独感を味わい、若者は携帯のメールに救いを求めるものの、その若者同士でだけ結合力が豊富にあるわけはなく、心情の底からの安定感を持つことが出来ないでいる。
貨幣を払うお客様の立場に立った途端に尊大に振る舞い、サービスを提供する側はストレスを溜め込み癒しを求め、貨幣関係のない個人間ではちょとしたことでトラブルが発生し、解決が出来ずに、ぶち切れる喧嘩や殺人にまで発展してしまう。
他方、やることがなく、趣味やレジャーにのめりこむ以外にすることがない。だから労働者下層を中心に生活のぎりぎりまで賃労働に従事することを「望んで」いるかのように振る舞い疲弊しきる。したいことをする時間がほしいからフリーターを選んだなどと強弁していたはずの個人が、安い賃金で働く労働者でしかないことを思い知らされている。
などなど。
直接に共産主義に自らを組織していく以外に解決法がない現実がはっきりと眼前に現れ出している。この内実を理論的に措定しつつ現実の運動として実現していくことがブルジョア階級の崩壊への準備である。