今月の情勢、新社会創造の共同の力を育てよう
流 広志
276号(2004年8月)所収
美浜原発蒸気漏れ事故
8月9日、関西電力美浜原発3号機蒸気漏れ事故が発生し、死者4名、負傷者7名の大惨事となった。その後、配管の点検漏れが多数見つかるなど、関西電力の検査体制のずさんさが明らかになっている。基本的に放射能を帯びることがないとされている二次冷却水の配管については、危険性の意識が弱かったに違いない。高温の蒸気が起こす複雑な作用については原子力保安院の朝田泰英委員長も「予測法は完ぺきでない」と指摘し、代表的な個所を抽出して安全性を確認している現在の配管管理方法の見直し検討も必要との考えを示している(『福井新聞』8月20日)。予測法が完ぺきでない以上、検査漏れなどあってはならないのである。この事故を受けて、『産経新聞』社説は14日付「社説」で、さっそくこれが国の「核燃料サイクル」政策に影響を与えないように心配している。それよりも11人の死傷者や同種の事故発生の可能性の心配が先である。問題は、放射能が漏れのない事故だったことではなく、一次冷却水の配管の減肉の予測法も完ぺきではないように、放射能漏れ事故につながるような技術的問題がそこに潜んでいやしないかだ。
ちょうどこの事故の前に、核燃サイクル政策で、埋設処理のコストが高いという試算を隠したことが暴露されたり、またプルサーマル計画再開が決定されたことなどがあって、この「社説」は、こんな心配をしたのだろう。この「社説」は、核燃サイクルをエネルギー政策と規定しており、その科学性や技術性については問うていない。科学性ということで言えば、このような量子単位のことでは、つい先日「標準理論」の破綻が実証されたように、基礎的な認識・理論は発展途上である。技術性では、完ぺきではない予測法に依拠している部分があることを踏まえないといけない。それから、公的性格の強い電力業界の検査体制をチェックすべき政府の対応の甘さや遅れということも問題だ。
原発では、今回の犠牲者が下請け企業の労働者であったように、下請け・孫請けが危険な作業を担わされているというヒエラルヒーの問題もある。このような差別体系の下で、下請け孫請け企業の労働者たちが被爆し続けているのである。また、原発誘致は、過疎に悩む地方の要望によるということがあり、原発が大きな雇用の場になっているということがある。つまり、高度成長による都市部と地方の格差拡大という分業問題が横たわっているのである。また、原子力発電をエネルギー政策の基本に位置づけ続けている理由には、当然、核開発能力の維持・発達ということもあるだろう。
さらに、社会環境という点では、電力自由化による価格競争の激化によって、よりコスト低減のための、下請け孫請け化、外注化、労働強化などが強まるのは確実であり、安全性の低下が起こる可能性が高いということがある。
この事故は、都市と地方の分業、安全、技術、科学、エネルギー政策、電力自由化、環境、労働、企業体制等々の多様な側面から、原子力発電を問い直す契機とすべきことを明らかにしたのである。それが遺族の望む二度と犠牲者を出さないことにつながるのである。
沖縄宜野湾市の米軍ヘリ墜落事故
8月13日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学の敷地内に普天間航空基地の米海兵隊のCH53大型輸送ヘリが墜落した。このような事故は、以前から、心配されていたものであり、その危険性をなくすために、住民が普天間基地の撤去を要望し続けてきたのである。今回は人身被害がなかったが、この基地がある限り、いつ犠牲者が出てもおかしくない情況にあることに変わりはない。
この事故でも、1996年の日米特別委員会(SACO)での7年以内の普天間基地移設合意を期限切れしたまま放置している政府の対応の遅れが問題である。それは、対米追随態度の強い小泉政権は、沖縄にはあまり関心がない。
事故後、沖縄県警は、刑事特別法第13条に基づく現場検証を求めたが、米軍は機体を撤去してしまった。そして、すぐに事故機と同型機以外のヘリの訓練を再開した。これらの一連の米軍や日本政府の対応にたいして、宜野湾市をはじめ、中部の各自治体の議会が抗議や飛行訓練中止を求める決議や意見書を採択し、また住民からは、「沖縄は植民地か」「即刻、基地返還を」「飛行再開はふざけている」「差別的だ」等々の怒りの声が沸騰している。21日には沖縄平和運動センターなどによる普天間基地撤去、基地の無条件全面返還を求める抗議集会が開かれ、主催者発表1200人の集会デモが行われた。同日の宜野湾市の普天間飛行場第二ゲート前で開かれた県民集会には約2200人が基地の即時返還を求める声をあげた。宜野湾市は自らが主催者となる市民集会を9月5日に開くことを決めた。
この中で、宜野湾市を始め、いくつかの自治体では、SACO合意の見直しを求める決議・意見書が採択されており、名護市辺野古への移転計画そのものを撤回する動きが拡がっている。それにたいして、稲嶺知事は、辺野古移転を進めることを表明しつつ、政府に対して、事故の再発防止や基地の縮小を求めるという立場に止まり、それが人々の怒りをかっている。
この事故は、ブッシュ政権のアフガニスタン・イラクの「対テロ戦争」の名目での侵略戦争によって、普天間基地での夜間飛行訓練などが活発におこなわれるようになっている最中に起きた。事故は、戦争が沖縄の人々の生命の危機を生み出していることを浮き彫りにしたのである。事故原因が不明のまま、6日しかたっていない22日、在日米軍は、事故機と同型機をイラクに派遣するために飛行を再開させた。これには外務省もさすがに在日米軍当局に抗議せざるをえなかった。沖縄の人々の強い怒りの声があがった。明らかに事故原因の調査が先であるべきだ。イラク反戦は、沖縄の人々の命と生活の安全と結びついている。
イラク情勢
イラクでは、スンニ派の一部やシーア派サドル師グループなどを欠いたまま、イラクの暫定議会にあたる評議会を発足させるための国民大会議が開催された。
これを成功させるため、米軍は、ファルージャを始め、サドル師グループに戦闘を仕掛けた。とりわけ、ナジャフなどの南部でのサドル師派との戦闘は激しく、新聞報道などによるとこの間、数百人の犠牲者が出ている。それでもサドル師は、国民大会議へ出席せず、占領軍撤退までの徹底抗戦の姿勢を崩していない。こうしたサドル師の姿勢を受けて、自衛隊が活動するサマワでのサドル師派の民兵によるとみられるオランダ軍への攻撃が激しくなっている。サマワのサドル師派の代表は、自衛隊が占領軍と一体となれば、自衛隊をも攻撃対象とすると明言している。軍隊による人道復興支援というごまかしが破綻する可能性が増しているのである。例えば、もしオランダ軍への攻撃に自衛隊が反撃すれば、占領軍と一体ということが認知されてしまうのである。また、今月10日には迫撃弾が3発、22日から3日連続で各1発の砲弾が自衛隊宿営地近くに着弾している。
アラウィ傀儡政権の権威や統治能力が国際的に評価されていないことは、この間の原油価格高騰によっても明らかである。アラウィ政権は、占領軍の軍事力に依存せざるを得ない。そしてそのことが、イラク人民の自己解放闘争を促すという弁証法を傀儡政府と占領軍にたたきこむのである。
小泉政権はイラクで進むも退くもままならない泥沼に入っている。そもそも米帝ブッシュ政権の誤情報をもとにイラク戦争を真っ先に支持し、海外派兵を人道復興支援活動とごまかし、全土が戦闘状態なのに非戦闘地域があると強弁し、占領軍の一部でありながらそれを占領軍と一体ではないとして押し通すなどの様々な無理が、破綻を招き寄せているのである。
世界構造を揺さぶる持続的反戦運動
イラクの泥沼の長期化は、この侵略戦争にたいする反戦闘争を持続させ、それによって、世界帝国主義支配構造が揺すぶり続けている。こういう構造の持続的揺れの中から、その矛盾に発する諸運動が噴出する噴出口を見いだし、発展してくる。
この間、持続されたイラク反戦運動の中では、とりわけ若い女性の自発的参加が増していることが報告されている。その人々は、反戦に止まらず、パレスチナとの連帯やアフガニスタンでの民衆支援活動、難民支援、入管闘争などへと関わりを拡げていっている。
そうした人々は、この世界の現実はどうなっているのか、戦争の原因はなにか、なぜ貧困がなくならないのか、等々の認識を深め、広めたいという欲求をもって、学習に参加しあるいは自ら学習を組織し、現場を経験し、直接交流を行い、その情報を広め、他者に伝え、話し合い、行動に参加し、あるいは自ら行動を組織し、等々とその力量・判断力を高めていっている。
今日の反戦運動が、新たな活動家を生み出し続ければ、持続的反戦運動として今日の世界構造、社会政治構造を揺さぶり続ける力を保つ。そうなれば、「もう一つの世界」の理念である平和・共生・平等・自由・豊かな自然環境の実現の可能性が高まる。それは、現実認識・資本主義批判の深さと広さにも依拠している。
資本主義帝国主義は戦争の要因であるし、先進資本主義諸国は大量エネルギー消費を止めないし、資本主義企業には自由も平等もない。資本制社会は、銀行=信用創造機関によって過熱される蓄積欲を満たすための冷たい競争社会である。これらは経験で人々がすでに知っていることだ。それに対して、多くの人々が無力感を抱いたり、あきらめたりしている。しかし、持続的反戦運動は、世界構造を揺さぶり、変革と新社会建設は可能だという希望を世界の人々に生み出し続けている。
現実世界の根本的解明と社会変革運動の結合
例えば、小泉政権が進めている市場原理主義的な自由化政策で最大の目玉とされている郵政民営化がある。その推進論者たちは、銀行を遊休資金を媒介する機関ととらえているが、銀行は信用創造機関である。民営化した場合、信用業務というこれまでやったことのない業務をやることになるわけである。それが困難なことは明らかで、そこにつけ込んで銀行資本は資本の集積と集中を狙っているわけである。
この問題の基礎には貨幣の問題がある。その場合、マルクスの価値形態論において、彼が、商品の相対的価値形態と一般的等価形態の両極関係(形態III)の発展から、価格形態と貨幣形態の両極関係(形態IV)を導き出していることに注意しなければならない。相対的価値形態は積極的で一般的等価形態は消極的であり、価格形態は積極的であり貨幣形態は消極的である。「人間の社会的生産過程における彼らの単なる原始的な行為は、したがってまた彼ら自身の生産関係の、彼らの制御や彼らの意識的個人的行為にはかかわりのない物的な姿は、まず第一に、彼らの労働生産物が一般的に商品形態をとるということに現れるのである。それゆえ、貨幣呪物の謎は、ただ商品呪物の謎が人目に見えるようになり人目をくらますようになったものでしかないのである」(『資本論』第1巻第1篇 商品と貨幣 第1章 商品と貨幣 大月書店(1)170頁)。
貨幣を廃棄するには、商品生産をなくし、それを共同生産に置き換え、その共同労働の生産物の性格を社会的にはっきりと刻印し、表現し、人々がそう認識し、そのように意識的に取り扱うことが必要なのである。「困難は、・・・どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのかを理解することにある」(同上 168頁)。
貨幣の第一の機能は価値尺度機能であり、それから流通手段機能である。さらに、蓄蔵手段機能、支払い手段機能、世界貨幣機能がある。支払い手段機能から信用貨幣が発生する。貨幣取扱業の社会的集中→当座預金=決済性預金の形成→信用貨幣の生成・流通→信用の利子生み資本化=信用創造(『貨幣・信用・中央銀行』楊枝嗣朗 同文館261頁)で、銀行業が誕生する。その基礎にあるのは商品生産である。商品世界の構造は価値形態論に明らかである。等々。こうしたことを含めて全面的な諸連関を追及し暴露することと郵政民営化の反労働者性や反人民性との闘いを結びつけることが必要である。
現実世界を解明していき、そこから見える新しい社会への前進の傾向、そのための諸条件、主体、内容、手段、等々を解明する作業は社会変革運動に欠かせないものである。共産主義運動は、世界の現実的諸関連を解明することとこれを変革することを実践として結合することを意識的に継続的に追求する必要がある。それを全面的に遂行することは、自然にできることではなく、それを意識的に追求する恒常的な情熱を必要とする。また個人がその全てを行うことなどできない。それは、共同で行われねばならないのである。
共同という以上、そこでは意見交換・議論・合意形成・共通認識の形成、共同作業・共有・コミュニケーション、調整、手続き、共同管理、運営、等々、様々な領域における共同の積み重ねがあるわけであり、それが、現実規定力を備えた共同の力になるのである。その経験は、プロレタリアートの社会権力による社会の自己統治・自己管理・自己運営に生かされるのであり、現在の資本主義の非民主的で軍隊式の工場・職場規律を共同生産の型の新しい共同規律に置き換える変革にも生かされるのである。
この間の小泉政治が見捨ててきた沖縄、そして農民や小ブルジョアジーや非上層労働者などの被支配階級階層の人々の隠れた内乱が表に現われ始めている。この隠された内乱の跡をたどり、階級闘争の構造を掴み、解放の条件を見つけること、それを的確に表現し、伝達すること、等々を通じて、解放の闘いを成功に導くように務めること、などを意識的に追求する必要がある。etc