イラク解放戦争と国際・国内プロレタリアートの闘い
−米軍のファルージャ大虐殺を弾劾する−
流 広志
272号(2004年4月)所収
米軍は、米国人4名を焼き殺した犯人の引き渡しを要求し、ファルージャで、女性や子どもを含む住民を大量虐殺している。日本のマスコミは、日本人人質事件によって、このファルージャに目を向けざるをえなくなった。イラクでの一連の事態は、米帝ブッシュ政権がイラク人民の反侵略解放戦争にみまわれていることを日々明らかにしている。
このような泥沼に自ら飛び込んでいった小泉政権はにっちもさっちもいかなくなったいらだちをあろうことかイラク人民と日本人民の友誼を築いた功労者である人質=被害者にぶつけた。この人たちは、イラク人民の友人だったから無事に解放されたのである。
ファルージャをはじめとしてイラク情勢は混沌としてきていることが明らかになれば、自衛隊撤退論が盛り上がるのは確実であるが、その噴出をこの人質事件が一時的に遅らせたとも言える。スペインがイラクからの撤退を開始し、後に続く国が次々と出て、自衛隊撤退論は勢いづいているのである。
「読売新聞」と「産経新聞」は、人質事件で、三日以内に自衛隊を撤退させなければ焼き殺すという誘拐グループからのメッセージが伝わるやいなや、テロには屈するな、不用意に危険地帯に入った被害者が悪いというメッセージを発しはじめた。日頃被害者の人権を強調するキャンペーンを張ってきたこれらのメディアが、被害者が被害にあっている最中に、自己責任論を説教したのである。
これらのメディアに共通するのは政策や政治を利害計算してみせたことである。「読売新聞」は社説で、テロリストの脅しに屈して自衛隊を撤退させれば、国益が損なわれ、日本は損するという計算をしてみせた。政治や政策を利害得失の計算によって判断する近代ブルジョア経済学派の経済主義を見事にあらわしているのである。人の命まで、こうした計算の一項目として入れてしまう計算合理性が一部メディアをとらえているのである。
「産経」の方はもっと冷徹であり、政府は国益の観点から冷静に計算して行動すべきだとはっきり主張している。19世紀のイギリスじゃあるまいし、時代錯誤で後ろ向きのかかる自己責任論の説教は、ごまかしであり、問題のすりかえである。「産経」は、4月25日付社説でもアラブ民衆と日本人民の友好をつくった彼ら彼女らの功績を認めず、自己責任論を国家と個人の関係として扱い、社会を無視した非現実的な主張を書いている。
政府・国家の自由を制限してきたことは民主主義の前進的側面の一つである。たとえば、政府・国家の検閲の自由を制限できているからこそ、メディアは言論の自由を享受できるのである。「産経新聞」が反政府であれ反国家であれ、自由な言論の権利を擁護せずに非難するのは、ジャーナリズムを自己否定する行為である。反政府派や反国家派や左翼嫌いの「週刊文春」がプライバシー侵害で田中真紀子議員から訴えられ販売禁止にされた時、これらの人々が思想信条や立場を超えて、言論の自由を擁護し、その出版の自由と権利を守る主張をしたことを、反政府反国家左翼に批判的な「産経」はどうやら自分のこととして考えなかったらしい。メディア規制法と呼ばれた個人情報保護法案反対運動では、垣根を超えて表現報道の自由の権利のためにこれに反対した「産経」が、今度は反国家反政府的言論を発する者に対しては自己責任だと説教する。これでは強きをくじき弱きを助けるとか判官びいきとかの日本的価値観などとは無縁の欧米流近代主義ではないかと皮肉りたくもなる。それでよく反日思想批判キャンペーンをはずかしげもなくやれるものだ!
「読売」「産経」に代表される近代ブルジョア階級のこのような価値合理主義的な冷徹な幻想上の人間像を標準として現実を測るやり方こそ、ブルジョアジーがプロレタリアートを搾取してなんとも思わないブルジョア精神なのである。
プロレタリア的な国際主義に満たされた人質にされた人々は、それと正反対の未来を代表する人々である。プロレタリアートは、国際主義の実践者であり、国際文化の担い手の活動を自らの一部として支持しなければならない。
どんなときでも冷静にかつ理性的(これはブルジョア的な意味での冷静さや理性にすぎない)に利益を計算して判断・行動すべきだというブルジョア的精神や人間像のプロレタリア大衆にとってはまったくの無内容で形式的なつまらなさやくだらなさをしっかりと見抜いて暴露していく必要がある。メディアに登場して、当初武装グループをテロリストと決けつけた、したり顔で無内容な論評を加えたつまらない連中が、今はそうすることができなくなったように、すでにかなり暴露されているのではあるが。
小泉政権は、唯一世界的に軍事を展開できるスーパーパワーとしての米帝の存在なしに、世界の安定はないと考えている。それは似非リアリズムであって、資本主義的競争から戦争が不断に発生してくるという帝国主義世界のリアルな認識を欠いている。現に、イラク戦争は、米英帝などの有志連合と仏独露などの非参加国のグループに世界を分けたし、米帝はハリバートンなどの一部大企業に復興ビジネスを独占させたのである。小泉政権が国際社会の再建を呼びかけているのは、ふたたび世界の先進資本主義的帝国主義が仲良く権益を分け合えるようにしようというにすぎない。
これらに対抗して、プロレタリアートは、イラクを侵略し、パレスチナを暴力支配しているイスラエルを背後で支えるアメリカをはじめとする帝国主義を世界から一掃し、プロレタリアートの国際同盟によって置き換える国際主義的闘いを発展させねばならない。
4月22日付けの「産経新聞」の社説は、世界銀行が、日本などの成長率予測を上方修正していることをあげ、世界経済が回復しつつあると書いている。しかしこの社説は、世界銀行がIMFと共同で、世界で「持つ者」と「持たざる者」の格差が拡大していることに対する対策を緊急に行わねばならないと警告していることについては何も触れず、中国経済の不安定化をG7の重要課題とするよう主張している。そこにあるのは「持つ者」の立場でしかない。いずれにせよ、いくつかの経済指標が景気回復を示しているにもかかわらず、自らブルジョアジーに白旗をあげている「連合」中央幹部は、ベアを要求せず、定期昇給と成果給としてのボーナス増をもって、要求をほぼ達成したとして勝利宣言をして「連合」系大手の春闘は終わった。最初から要求を小さくしていたので当然の結果だ。その「連合」では、日本歯科医師連盟贈収賄事件に関わったとして「連合」が中医協委員に推薦した加藤副会長(JEC=日本化学エネルギー産業労働組合連合会会長)が逮捕されるなど、上層の腐敗が暴露された。4月14日「連合」はお詫びの声明と共に彼を役職から解任し、JEC連合は役職からの解任を決定した。
「連合」は、シンクタンクの連合総研が行った最近の労働者の意識調査で、多くの労働者(7割以上)が労働組合が必要だと答えており、労組に対する期待が高いという結果が出ているにも関わらず、労組の組織率は低下し続けている(2003年の組織率19.6%、労働組合員数1,053万人)が、その原因の一つが、「連合」が大企業正社員中心の労働組合運動となって、パート・下請け・中小企業などの労働者を積極的に組織化してこなかったことにあるのは明白であるのに、抜本的な対策を行っていない。そういうところを経営側に見透かされていることも今春闘のしぶい結果に現れているのである。
「連合」には、、文字通りのルーズな連合組織であり、それぞれの構成組合が様々な傾向を含んでいることも確かである。官公労と民間という違いもその一つであり、また一企業内に複数の労組が加盟しているというのもそうである。例えば、後者では、JRでJR連合とJR総連が批判しあいながら両者が「連合」に加盟している。前者は旧国労主流派でJR総連から分裂しJR東海以西で多数を占めている。後者は旧動労系でJR東やJR北海道を中心にしている。JR連合は、JR東への浸透を狙ってJR総連批判やJR東日本民主化運動を展開している。逆にJR総連はJR西日本でのJR連合とJR西日本当局との癒着や不当労働行為の暴露キャンペーンを張っている。また、旧同盟系と旧総評系は仲むつまじく融合しているというわけでもない。そういう「多様性」は、「連合」が支持する民主党にも反映している。
昨年10月23日、石原都知事の強い意志の下、東京都教育委員会は、「卒業式・入学式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」を発し、校長が教職員に「職務命令」でそれを強制する方針を決めた。その後、土屋たかゆき民主党東京都議は、都教育委員長に議会で質問し、それに都教育委員長は指針に従わない教職員の処分は当然と答えた。土屋都議は中学校の卒業式にわざわざ出席して、教育委員会が派遣した職員と共に監視した。
彼は、サッカーで日章旗や日の丸を若者が振っているのは、かれらが日の丸が国旗であることを強く支持しているからだといったようなことを述べているが、サッカーの応援で人々が旗を振るのは、各人の自由意志で行っているのであり、それは選手への応援の気持ちを表しているので、学校行事での公的強制とはわけが違う。あるサッカーチームの応援では日の丸と共に共産主義革命家チェ・ゲバラの旗がひるがえっている。かれらに選手やチームを応援する気持ちはあっても、国旗=日の丸を強く支持しているとは思われない。9・11直後のアメリカ人の意識と今のアメリカ人の意識が変わってきているように、日本の人々の意識も動いている。それを一方向に固めようというのが、東京都の日の丸君が代強制の狙いである。
かつて近代国家という創作物がなかったころは、多くの人々は村落共産主義的な関係の中にいた。その伝統の方は明治から始まった近代国家の歴史よりはるかに長く人々をとらえていたのである。むろん今日の共産主義が目指しているのはそれではなく近代資本主義後の新しい共産制社会である。しかし、世界史が、マルク共同体(ローザ・ルクセンブルク)が近代的資本主義の浸透に対する長期にわたる抵抗を実現してきたことを教えているし、また、マルクスが、ミール共同体(ロシアの農村共同体)が集団的生産と占有の「もっとも前古代的な型のより高い一形態」への復帰を示すことを指摘していることを想起する必要がある。この農業共同体は、「血縁関係によって拘束されない、最初の、自由人の社会集団であった」(『資本主義的生産に先行する諸形態』国民文庫 123頁)。
土屋都議は、共産主義と言えば、スターリニズムという近代主義の産物をしか思い浮かべないでそれを全体主義と呼んで批判するが、それは彼がいかにも首都(Capital)人らしい都市中心主義的な偏った歴史観と知識しか持っていないことをあらわしている。しかしこういう限界を超えることは、その気になれば誰にだってできるのである。
また、彼は学園紛争は破壊しかもたらさなかったといっている。全共闘が破壊の後に何も創造しなかったなどどいうのはまったく事情を知らない人間のいうことだ。環境保護運動や地域住民運動や医療改革や教育改革運動や反差別運動などに関わった学園闘争活動家は大勢いるのである。かれはでたらめを言っているのである。
教育現場で日の丸君が代強制に反対してきた運動は、教育が在日朝鮮人をはじめとする在日外国人をも対象にしていることや国民の中に被差別者がいることを踏まえた運動である。教育は、国民一般なる抽象物を対象とするのではなく、様々な事情を抱えた具体的な生きた人間を対象としているのであり、法文上は国民となっていても教育対象は住民であり、そこには行政命令や官僚主義ではどうしようもない現場の事情が存在するのだ。それにおかまいなく、上から儀式の形態まで強制するのは官僚主義である。
教職員ら176名の大量処分を行った石原東京都の教育行政は、国家主義イデオロギーを官僚主義的に強要したのである。「読売新聞」はそれを補強して、地方自治は大事だが、文部科学省の学習指導要領に基づく学校行事での日の丸君が代強制は別だと書いた。分権化や多様化や分散化を統合するのは国家主義イデオロギーだというのである。そこにはひからびた抽象である無内容な公共性の主張しかない。
「連合」を支持基盤にする民主党は、その構成組合である日教組を攻撃する「右」の議員をも含んでいる。4月12日付で、日教組中央執行委員会は「東京都員会の「日の丸・君が代」強制に関する声明」を発表し、東京都委員会による教職員の大量処分を批判した。日の丸君が代反対運動を組織課題からはずした日教組が、今回の事態に対しては、反対の立場を決定し公言したのである。その他、大阪府教育委員長の「国歌斉唱の際に教職員が着席したままでは不作法」発言に対する闘いや枚方での東京都に合わせた市教育委員会の「指示」に対する闘いなどのまざまな反撃がすでに開始されている。プロレタリアートは諸民族の平等を後退させ、諸民族の分断・疎隔を促すような排外主義的な政策を許さない闘いを国際主義的な立場から支持する必要がある。
こうした東京都の突出した反動は、石原都知事の政治信念や個性によるところが大きいが、同時に、それは改憲を頂点とするブルジョア政治の動向を反映したものである。愛国心教育を盛り込もうという教育基本法改悪の動きや有事立法の動きや集団的自衛権を行使を可能にする政府解釈変更の動きなどは、海外権益の保護を労働者大衆の命を犠牲にしてはかろうとする帝国主義的政治意志を反映しているのである。
米占領軍のファルージャ虐殺攻撃や侵略へのイラク人民の解放戦争は続いている。米軍は圧倒的に優勢な兵力と最新兵器で武装して軍事的にはまさっているが、これまでの幾多の解放戦争の歴史が証明しているように、戦闘の勝敗は政治的勝敗とは違う。米軍が育成したイラク軍兵士の多くがファルージャでの戦闘への参加を拒否したり米軍に反抗している。アフガニスタンではソ連軍の中央アジア出身兵士がゲリラ側に寝返っていった。
ブルジョアジーとそのイデオローグは今日の戦争が世界を支配する資本主義的帝国主義の矛盾から不断に生まれているという苦い事実を認められないので、あれこれと戦争の別の原因を考えだし、独裁と民主の闘いだのテロリストの邪悪な野望だの悪の帝国だのという漫画のような表象を大まじめで宣伝し、それを人々に信じ込ませようとする。
だが同時に資本主義の発展は、世界のプロレタリア大衆どうしを否応なく混淆させ接近させるのであり、かかる帝国主義イデオロギーによる分断策をうち破る結合をうち立てる国際連帯を発展させる条件を作り出している。いかに米帝が解放運動の国際連帯の絆を分断し妨害しようと画策しても、ファルージャ虐殺の真実がそうした国際的結合のネットワークを通じて暴露され、イラク侵略の真実がイラク人民の解放闘争を支持支援する人々によって世界に伝えられ発信されているように。
民主党は、自衛隊撤退を要求しているが、同時に国連決議に基づく多国籍軍への参加なら派兵すべきだといっている。日本共産党は、帝国主義の現実を否定して、イラク戦争を帝国主義侵略戦争ではなく国際法に反する違法な戦争と侵略と規定し、分裂集会をやってスターリニストぶりをさらけ出した。社民党は、「テロにも戦争にも反対」という小ブル平和主義の立場で、人質事件は許されない行為と断罪した上で、自衛隊撤退を要求している。ただし平和主義者はプロレタリアートの同伴者ではある。
渡辺さんは、共産主義者であることを名のり、自らがイラク人民の側に立ち、ファルージャの虐殺の真実を調査するという訪問の目的を語り、自衛隊撤退を訴えた。彼は、社民党のような反米武装勢力への説教をいっさい行わなかった。プロレタリアートは、抑圧者の抑圧・暴力支配への被抑圧者の自己解放戦争を支持すべきであるが、彼はその点でプロレタリア的な態度を示したのである。
資本主義的帝国主義は金融的経済的支配をてこに世界を支配しそれを公然非公然の戦争で支えている。自国内ではプロレタリアート大衆を民族主義や国家主義や排外主義によって分裂させ再統合して、自らの利害のために自由に使おうとする策動を強めている。プロレタリアートは、イラク侵略で仲良く手をつないでいる日米英帝国主義の国際的同盟による海外搾取収奪に対するプロレタリア大衆の国際主義的闘いと自国政府権力によるプロレタリア大衆への搾取収奪を強化するための政治への闘いを結びつけることが必要である。
日教組が日の丸君が代強制反対運動を放棄したにもかかわらず、東京都の数百名をはじめ、全国で卒入学式での日の丸君が代強制に反対して立ち上がった勇敢な教職員組合員が多数いるのと同じように、大幹部が闘わず白旗をあげているのに反して闘いに決起している労組労働者が多くいるという事実が明らかになっている。再生した「左」からの働きかけを強めなければならない。さらに今回の反戦運動では、若者の自発的参加が目立って増えていることや、アナーキスト、市民系の活動も活発なことが報告されている。こうした事態に脅威を感じたらしい公安権力は、自衛隊イラク派兵反対のビラを自衛隊官舎の郵便受に入れたことを、住居侵入罪にあたるとして、「立川自衛隊監視テント村」の活動家三名を逮捕し弾圧した。かかる不当弾圧を弾劾する。
米ソ冷戦終焉後、米帝をはじめとする資本主義的帝国主義の世界支配が世界各地における戦争を生み出し、「持てる者」と「持たざる者」との格差を拡大し、国際的な階級闘争が激化している。同時に、国際連帯の絆を分断しようとする帝国主義政府や民族排外主義勢力などの妨害をはねのけて、イラクをはじめ世界中で国際主義的な活動が取り組まれ、国際的な人々の結合が着実に育っている。
また、スターリニズムと異なる共産主義が育っている。それは今日の資本主義的帝国主義が、「「農村共同体」のこういう発達が現代の歴史的潮流に対応するものであることの最良の証拠は、資本主義的生産が最大の飛躍をとげている欧米諸国において、それがこうむっている宿命的な危機である。それは資本主義的生産を廃止することに、近代社会をもっとも前古代的な型のより高い一形態―集団的な生産と占有―の復帰に終わるような」(同上)危機を世界的に深め広めていることから日々生み出されている共産主義である。