反戦運動の意義と課題−民衆の力を−
坂本巧巳
261号(2003年5月)所収
反戦運動の新たな装い
世界の圧倒的な反戦世論を尻目に米英によって強行された対イラク戦争は、フセイン政権崩壊-米英軍による占領という結果を迎え、国際政治の関心は戦後「復興」に向けた諸大国間の暗闘へと舞台を移した。
ここにいたるプロセスは終始、欺瞞に満ちたものだった。「平和」を標榜して戦争が行われ、「民主主義」のために多数派世論が無視された。世界一大量破壊兵器を所持・使用している国家が「大量破壊兵器の除去」を訴え、「イラク人のために」一万人に上るとも言われるイラク人が虐殺されてきた。石油利権への関心を否定しながら、米英軍はいち早く石油採掘施設の確保に奔走し、イラクの石油収入を我が物にするための「制裁解除案」を国連安保理に提出している。戦争に反対していたはずの仏独露もまた、米英の戦争犯罪を追及するどころか「国連主導での復興」を主張することで石油利権獲得に乗り遅れまいと画策している様(さま)だ。
だが一方で世界の大多数の人々がこの殺戮と偽善に拒絶の声を挙げてきたことの意味を忘れてはならない。世界で同時に最大一千万ともいわれる人々が街頭に踊り出て反戦を訴えた。アメリカが開戦に踏み切る以前から広がっていたこの運動は、「ひょっとしたら史上初めて反戦運動が戦争を阻止できるかもしれない」という期待さえもたらした。仏独露という大国政府がアメリカの単独行動を強く牽制していたということもあるが、在野の運動が短期間のうちに世界規模で一つの力を形成した稀有な経験であったといえるだろう。反面、それにもかかわらず戦争は阻止できなかったことへの失望感、無力感を伴わずにはおれないのだが。
日本においても、他国に比較してかなり小規模といわれながらも、かつてない規模と範囲で反戦デモが街に繰り出した。全国主要都市は無論のこと、これまで政治運動、社会運動の存在感がまったく無かったような地域でも集会・デモが企画された。そして組織動員とは無縁の個々人が街頭で反戦の意思表示をすることを決断し、自ら運動を企画し組織する様が見られた。統一されたスローガンではなく、それぞれの生の怒りの声が直截に、あるいは様々な趣向を凝らして寄せられた。絵や写真を多用したプラカード、フェイスペインティング、コスチューム、パフォーマンス、アメリカンスタイル?の導入・・・デモは一見お祭りのようにも見えた。雑多で分散的、お気軽にも見えるこれらの意匠はしかし、旧来のいわゆる「左翼スタイル」に統一・統制された運動では何も伝えることができないという意識、過去との断絶の意思の現れと見ることができる。そこに拝跪して「新世代」を取り込もうとする党派的囲い込みに終始するのか、あるいは諸個人の政治的積極性を維持・拡大・深化する働きかけができるのか、運動に対して影響力を持とうとする党派・グループは指導性が問われてくることになるだろう。
「人間の盾」−運動の直接性・具体性
幾百の戦闘的スローガンにもまして今回現れ出た反戦運動の直接性・具体性は状況に肉薄しようとしていた。
世界から多くの人々が「人間の盾」として現地入りし、戦争阻止を企てた。「人間の盾」−元々は湾岸戦争当時、フセイン政権が民間人や在イラク外国人を人質として攻撃回避を狙った卑劣な戦術のことを指していた。しかしいつのまにかこれは戦争に反対する人々が自主的に選び取る非暴力直接行動のひとつとなった。ことにパレスチナに対するイスラエルの侵略・占領・弾圧を抑止する手段として、イラク戦争以前から国際NGOの取り組みとして根付いてきたものだ。イラク戦争の陰で相対的に情報が目立たなくなってしまったが、人間の盾としてパレスチナで活動していたメンバーがこの間、イスラエル軍に殺害もしくは重傷を負わされるなどしている※。
右翼強硬派に領導されたブッシュ政権も今回イラクに結集した「人間の盾」に対してその安全は保証しないとして、戦争に踏み切った(そして現にジャーナリスト達が集まるパレスチナホテルに対してもアメリカ軍によって砲撃が加えられ、記者達が殺害された。狙い撃ちだったとも言われている)。「テロとの闘い」を標榜したこれら軍隊の行動は、より無差別に、よりテロリスト的になってきている。
このようななりふり構わぬ戦争政策に対してどのように対峙できるのか、反戦派はより困難な壁に突き当たっている。日本からも少なくない人々が参加した「人間の盾」に対してはやれ国益に反した行動だなどとの中傷も加えられたが、彼ら・彼女らの勇気ある行動は我々を大いに鼓舞し、示唆するものがあった。
※3月16日ガザの難民キャンプで、ISM(International Solidarity Movement)のアメリカ人活動家・レイチェル・コリー氏が、家屋を破壊しようとしたイスラエル軍のブルドーザーに轢殺される。4月5日、西岸ジェニンで活動しているアメリカ人Brian Avery氏がイスラエル軍により顔面を撃たれ重傷を負う。4月11日、ガザで子どもたちをイスラエル軍の射撃から守ろうとしていた英国人活動家トム・ハンドール氏がイスラエル兵に後頭部を撃たれ、病院で脳死と宣告される。もはやイスラエル軍は非武装の外国人活動家をもためらうことなく攻撃目標としている。だがもちろんそれ以前から、逐一その名を報じられることもない、乳幼児をも含めたパレスチナ人たちが毎日のように虐殺されているのである。「人間の盾」として奮闘してきた人々は文字通り盾となったことでその事実の重みを改めて我々に知らしめることになった。
いま少し、パレスチナに関わる経験を引用させてもらおう。第2次インティファーダが始まり、イスラエル軍がパレスチナ自治区への侵攻、弾圧を強めていた2001年4月、フランスでパレスチナ連帯運動に携わっていた人々が現地への国際市民派遣団を着想する瞬間に関するエピソードである。これは後に、イスラエル軍に包囲されたパレスチナ議長府に立てこもったジョゼ・ボベ氏らの活動につながる。
「六人は、『反グローバリゼーションの運動は新しい形のアクションを生み出したね』といいながら、この運動がすごい勢いで発展していくのを見ていた。市民社会が国家や政党や伝統的な組織からはみ出てきているのだ。この運動とパレスチナ問題を、有機的に連動させる必要があった。六人はこの緊急を要する状況からスローガンを得た。<パレスチナ民衆を保護するための力を確立しよう!>と。」(『パレスチナ国際市民派遣団議長府防衛戦日記』2002年 太田出版 P.20)
これ以前から、軍事政権の暴虐を抑止する類の国際NGOの監視活動等はあった。しかしおそらくこれを皮切りに、とりわけ組織に専従しているわけではない普通の個人が最前線に踊り出てゆく回路が開かれた。そしていわゆる「新しい運動」との連続性がこの種の活動に意識されていることが伺われる。それ自体は意味付与の域を出ないものかもしれないが、世界的な通信と交通の発達、人々の「世界市民」的感覚の獲得の中で個人が国境を越えて現場に向かい、直接問題と対峙しようとする活動形態は明らかに時代の流れとなっている。
今回イラクへ向かった人々がフセイン政権による政治利用と葛藤しながら抱いていた思いは様々であっただろう(中には明確にフセイン政権支持を掲げた民族派右翼の人物もいた)。だが制約された中でイラク民衆との直接的回路を模索しようとした彼ら・彼女らの行動は、荒みきった国家間政治に取って代わる国際社会のありようを予感させるものだ。こうした人々の姿勢や経験に学ぶところは大きいはずだ。
国家間対立を超えて
今回反戦運動が盛り上がった原因の一つは、アメリカの高圧的姿勢、その標榜する「正義」のあからさまな欺瞞性への嫌悪である。ブッシュ大統領や彼の取り巻きとなった指導者達の戯画化が反戦運動を超えて文化現象ともなった。ある意味で「反ブッシュ・反米」は非常に「受けのいい」スローガンとなった。だがその分、運動の政治内容や戦争の性格、イラク民衆との連帯がいかにあるべきかといった領域での議論が運動の中で十分にし尽くされていないきらいがある。このことは運動に関わった人々の中で少なからず懸念されてきた問題−北朝鮮に対する戦争が始まろうとしたとき、同じように反戦運動ができるのか?−という課題にも直結する。
バグダッド陥落の際、フセイン政権からの解放を歓喜する人々の映像が映し出された。あらゆる情報が政治利用され、たびたび捏造されるという「情報戦」が際立った今回の戦争において、このことへの評価も分かれている。戦争を支持する立場からは戦争の正当性を証明するものとされ、反対する立場からは「民衆の歓喜」が演出・誇大化されたものであると指摘されている。実際、フセイン政権崩壊を喜び米軍を歓迎して街頭に出た人は数百人規模で、大多数の人は沈黙して取り巻いていたとも聞く。
だが、フセイン政権による民衆支配・監視、弾圧体制の崩壊を民衆が喜ぶことは不思議なことではない。少なくとも戦争状態からの解放感はあっただろうし、多くの民衆にとって国家指導者―まして国民には「殉教」を強要しながら自らは逃げ延びようとしてきた者達―への義理立てなど無用なことなのである。しかし民衆の意思とはまったく関係なく一方的に行われたアメリカの攻撃に対し、多くのイラク人は「フセイン政権も嫌だがアメリカによる侵略はもっと嫌だ」という思いを強めたであろうし、米英軍によって家族や友人、住み慣れた街を、生活を奪われた人々が恨みを抱えていないはずがない。そして「戦後復興」の名の下にやってくる占領軍、石油利権に群がる諸大国。外国人-"異教徒"たちに銃を向けられ、いいように収奪される祖国の富。4月末、米軍撤退を求める住民デモに対して米軍が発砲、28日には13人、30日には2人が殺害された事件もあった。
フセイン政権が存続しても、崩壊しても解放を掴み取るに至らない−結局、イラク民衆にとっては「よりましな不幸」を他者によって選択されるという道しか開けられていないことこそが問題なのだ。
イラク戦争に対する態度を巡って、日本は「北朝鮮の脅威」を理由にアメリカを支持するべきだ、との論法が保守派から提起され、一定の影響力を持った。市井の人々が北朝鮮の攻撃を受ける不安から(あるいはまったく排外主義的な価値観から)イラク戦争反対に対する疑義を申し立てる場面も多くあった。
この種の論理の強引さ、卑屈さを改めて指弾することは控えておこう。ここで我々は二重の否定をしなければならない。「国益」的観点からの対イラク戦争支持も対北朝鮮攻撃も受け入れることはできない。だが金正日政権の延命もまた北朝鮮民衆の利益にはならない。
現在、日本や韓国のNGOが脱北者支援、北朝鮮民主化支援の活動を端緒に付け、北朝鮮の民衆自身の肉声も伝わっている。北の民衆と直接つながってゆく回路はある。そこからはもはや単なる対米非難が彼ら・彼女らへの連帯行動としては意味をなさないことが明らかになっている。必要なのは、彼ら・彼女らが国家指導者たちの横暴に翻弄される存在からの脱却を支援すること、政治的主体としてともに手を携えることだ。
「(反)ブッシュか(反)金正日か」などといった不毛な選択に腐心することはなにものももたらさない。金正日政権に反対することが何かアメリカや反動勢力を利する事のように感じ、疑問を抱きながらも差し控えてしまう反戦派の人々は少なくないだろう。だがそれは為政者たちのパワーゲームを内面化し、加担・永続化することに繋がってしまうのではないか。排外主義的好戦論にはきっぱりと分界線を引き、ためらうことなくどちらにもNO!をたたきつけるべきだ。
そして今回の反戦運動で発揮された創意、情熱、積極性をもって、いずれにも正義の無い国家間対立を止揚する国際関係を、民衆の連帯を具体化していこう。ただそれだけが未来への希望を肉付けるものだ。