国家と革命をめぐって−『トランスクリティーク』等々(3)
流 広志
251号(2002年7月)所収
8 柄谷氏は,中期の『経済学批判』や『グリントリッセ』から,後期の『資本論』での「価値形態論」の導入にマルクスの重要な「転回」を見る。しかし,すでに『経済学批判』には「価値形態論」がある。ただそれは,『資本論』のように独立した項目になっていないで,「第一章 商品」の部分に含まれているのである。
それから氏は,「一般的等価形態としての貨幣とは超越論統覚Xであり,超越論的仮象であり,それを物質において見てしまうことが,フェティシズムであるという。等価形態に置かれた物と所有者は他の何とでも交換できる「権利」を持つ。守銭奴の欲動は,物への欲望でなく,それを犠牲にしても,等価形態という「場」(ポジション)に立とうとする欲動である。実は資本家とは「合理的な守銭奴」である。かれは,一度商品を買いそれを売ることによって,交換可能性の「権利」の増大をはかる。それは交換可能性の増大をはかることそのもの,「権利」(ポジション)そのものの獲得である。「合理的守銭奴」の権利蓄積の欲動は交換に内在する危機からくる。価値形態論でのマルクスの重要な移動の一つは,使用価値あるいは流通過程の重視にある。その生産に労働時間がいくらかかっていようと,売れなければ価値ではない。商品には交換価値などふくまれていない。商品経済は信用の上に築かれる。等々」という。そして氏は,「貨幣や信用の世界は,経済的というよりも,宗教的な幻想的な世界ではないのか。逆にいえば,国家やネーションは,共同幻想であるとしても,それが不可避的に存在するのは,資本と同じように,現実的に不可避的な基盤があるからなのだ」(29頁)という。それは「交換」である。すなわち,
第一の交換: | 共同体内,贈与ーお返しという互酬制。相互扶助的だが拘束的で排他的である。 |
第二の交換: | 共同体間の強奪。国家は,より多く収奪しつづけるために,再分配によって,その土地と労働力の再生産を保証し, 潅漑などの公共事業によって農業的生産力を上げようとする。その結果,国家は収奪の機関とは見えないで,むしろ, 農民は領主の保護のお返しとして税を払う。そのために,国家は超階級的で,「理性的」であるかのように表象される。 |
第三の交換: | 共同体と共同体の間での商品交換。ここから資本・都市が発生する。総合的合意による貨幣的交換。市場。 |
第四の交換: | アソシエーション。相互扶助的だが,拘束や排他性がない。アソシエーションは資本制市場経済を一度通過した後にのみあらわれる,倫理的ー経済的な交換形態である。 |
氏は,「第一,第二,第三の交換は,全て共同体に関わる交換形態であり,この三種の交換原理は,封建時代には,「封建国家(領主,王,皇帝」),「都市」,「農業共同体」として明確に区別されていたが,絶対主義的王権国家では,商人階級と王権が結託して,封建国家(貴族)を倒して暴力を独占し,封建的支配を廃棄し,商人資本(ブルジョアジー)は,統一的な市場形成のために国民の同一性を形成した。貨幣経済によって解体された農業共同体は,その共同性(相互扶助や互酬制)をネーション(民族)の中に想像的に回復した。ネーションは農業共同体に根ざす相互扶助的「感情」に基盤をおいている。ブルジョア革命によって,資本ーネーションーステートの三位一体が形成される。それらは相互に補強しあっているので,どれか一つだけをなくすということはできず,この三位一体そのものを廃棄しなければならない。コーポラティズム,福祉国家,社会民主主義は,この環の完成態にすぎない」という。
氏は,「マルクスは,最先進国のイギリスでこそ社会主義が可能だと考えたので,ブルジョア革命に由来する革命とは異質な革命の概念が必要となったが,高度なブルジョア化した社会における社会主義革命は,第四の交換のタイプすなわちアソシエーションによって可能だと考えた」という。氏は,エンゲルスとレーニンがこれを軽視し,せいぜい労働運動に副次的なものとしか見なさなかったと批判する。しかし,レーニンは晩年に,プロ独の基盤上での協同組合企業の発展は社会主義の発展を意味すると述べている。
9 氏は,「剰余価値は,総体として,労働者が自ら作ったものを買い戻すことにしか存在しない。生産過程においては,資本家と労働者の関係はたしかに「主人と奴隷」である。しかし資本の「変態」過程はそのように一面的なものではありえない。資本はこの過程において,一度は売る立場(相対的価値形態)に立たざるをえないのだ。そして,ここに,労働者が唯一主体としてあらわれる場がある。それは資本制生産による生産物が売られる場,つまり「消費」の場である。それは,労働者が貨幣をもち,「買う立場」に立ちうる唯一の場である」(41頁),「資本にとって,消費は,剰余価値が最終的に実現される場であり,消費者(労働者)の意志に従属させられる唯一の場である」(同)という。しかしこれは,社会的資本において成り立つものだという。社会的資本(総資本)は,資本の直接的生産過程を含む周期的過程として資本の回転をなす総循環を包括する資本の再生産過程である。マルクスはいっている。
「社会的資本――すなわち,個別資本がその断片をなすにすぎない総資本,そしてこれらの断片の運動は,それらの個別運動であると同時に,総資本の運動の欠くべからざる環である――の年々の機能を,その結果において考察するならば,すなわち,社会が一年間に供給する商品生産物を考察するならば,社会的資本の再生産過程はいかに進行するか,いかなる性格がこの再生産過程を個別資本の再生産過程から区別するか,また,いかなる性格が両者に共通であるか,が示されるにちがいない。年生産物は,社会的生産物のうちの資本を補填する諸部分を,その社会的再生産を,含むとともに,消費原本に帰属して,労働者と資本家によって消費される部分を含み,したがって,生産的消費とともに個人的消費を含む。それは同様に資本家階級と労働者階級との再生産(すなわち維持)を包含するとともに,したがってまた,総生産過程の資本主義的性格の再生産を包含している」(岩波文庫 5分冊 73頁)。
この総資本の運動の分析は,再生産表式と呼ばれる生産手段生産部門と消費手段生産部門の間のまたその内部の流通の分析として行われる。その場合に対象となるのは,社会的資本としての総資本であって,個別資本ではない。社会的資本=総資本は,その内部と部門間の流通で,剰余価値を実現する。その際に,不変資本の内,固定資本だけは,生産物の価値に,徐々に価値移転する。結局,生産手段生産部門と消費手段生産部門の間の不均衡が必ず生じるのであるが,それを均衡させるには外国貿易がある程度有効である。しかし不均衡は恐慌を引き起こす。「恐慌は,支払能力ある消費,または支払能力ある消費者の不足から生ずる,と言うのは,ただの同義反復である。・・・資本主義制度は,支払う消費以外の消費を知らない。商品が売れないということは,支払能力あるその買い手が,すなわち消費者が見つからなかった(商品が結局生産的消費のために買われるにせよ,個人的消費のために買われるにせよ)ということを意味するにほかならない。しかし,労働者階級が,それ自身の生産物のうちから受取ることが少なすぎる,それゆえ労働者階級がより大きな分け前を受取り,したがってその労働賃金が増加すればこの窮状から救われる,と言うことによって,この同義反復により深い根拠の外見を与えようとする者があるならば,ただこう言えばよい,――いつでも恐慌は,労働賃金が一般的に上昇して,労働者階級が年生産物中の消費向け部分におけるより大きな分け前を現実に受取る時期,まさにこの時,準備されるのである,と。かかる時期は――これら健全にして「単純な」(!)常識の騎士の観点からすれば――逆に,恐慌を遠ざけるはずのものであろう。かくして資本主義的生産は,かの労働者階級の相対的繁栄を,ただ一時的にのみ,しかもつねに恐慌の前触れとしてのみ許す,善意または悪意からは独立した諸条件を含むかのように見える」(『資本論』岩波文庫 5分冊 102〜3頁)。
柄谷氏の論の大きな問題点の一つは,共同体・国家・都市・アソシエーションの基礎に交換を置き,生産を置かないという点にある。共同体(氏は主に農民のそれを指している)は,交換のためではなく,生産のため,生産関係を再生産するために維持再生産されてきたのである。氏は,農業生産力の一定の段階があらかじめ前提している。何も生産されなければ,贈与するものもない。贈与は共同体の目的ではない。共同体は,農業を基礎としながら共同体成員の生活と共同体それ自体の再生産を目的とする結合体である。そこに,贈与ーお返しという交換形態が生まれ,暗黙の掟=規範的強制関係が生じるのは,共同体秩序の破壊を防ぎ,農業生産力を維持し高めるという共同目的を達成するためである。
交換についてマルクスは,「交換が生産とならんで独立に現れ,生産に無関係なものとして現れるのは,ただ,生産物が直接に消費のために交換される最終の段階だけでのことである。しかし,(1)分業がなければ交換はない。その分業が自然発生的であろうと,それ自身すでに歴史的結果であろうと。(2)私的交換は私的生産を前提する。(3)交換の集約度もその範囲もその仕方も,生産の発展と編成とによって規定されている,たとえば,都市と農村とのあいだの交換,農村での交換,都市のなかでの交換,等々。このように,交換は,どの契機から見ても,生産のうちに直接にふくまれたものとして現れるか,または生産によって規定されたものとして現れるのである」(『経済学批判への序説』国民文庫 291〜2頁)と述べている。つまり,交換が共同体や国家や資本の土台をなすことはなく,それは生産の一契機として,生産に規定されているのである。ただし,「一定の生産は,一定の消費,分配,交換を規定し,これらの種々の契機相互間の一定の諸関係を規定する。もちろん,生産もまた,その一面的形態では,それ自身他の諸契機相互間の一定の諸関係を規定する。・・・種々の契機のあいだに相互作用がおこなわれる。これは,どの有機的な全体の場合にもあることである」(同上)。柄谷氏の論で抜けているのは,生産と分業である。交換を変革するには生産関係と生産編成,そして分業を変革しなければならないのである。
10 つづいて氏は,交換を問題にしながら分業について論じないまま,資本主義を超える運動について論を進める。
氏は言う。消費者運動は,「市民運動」の形態をとっているが,実は立場を替えた労働者の運動である。しかしそれは労働運動中心主義は根本的に生産過程を中心におく見方であるから,絶望に陥る。他方でそれを否定する市民運動には,資本制生産関係に踏み込む視点が欠けている。それは社民主義のなかに収斂する。ではどうするか。
氏は,まず資本に転化しない貨幣をつくることが必要であるという。それは「貨幣はなければならない」と「貨幣はあってはならない」という二つの要求を満たす貨幣であるLETSをつくることである。それはゼロサム原理(集計的収支相殺原理)にもとづいているために,資本に転化しない。それは複数的で多種多様体である。諸個人はそれをやめることも複数のそれに所属することができる。それよって個人が通貨発行権を持つことになる。それは国家主権の一つが貨幣発行権にあるとすれば,個人を主権者たらしめるものである。しかし実際には貨幣発行権は国家主権というわけではなく,中央銀行券は支払決済システムを基礎にした信用貨幣である。それは,「消費者」がイニシアティブをもつので,流通過程において形成されることが重要である。それが拡大したときにのみ,非資本制的な生産ー消費協同組合も存立することができるという。しかし,マルクスは,社会的分業による労働の一面化と欲望の多面化のギャップのゆえに,生産物が交換価値として役立つと述べている。分業から交換が生まれる。したがって,社会的分業によって一面化された労働の在り方を変革しなければならない。もちろん社会的分業も。
それにたいして氏は,消費者は,買いうる立場に立っている時には,同時に買わないことも可能であり,どれを買うかを選択する権利(自由)があるので,資本制生産物を買わないで,生産ー消費協同組合から買うことができ,もしそれを蓄積できない貨幣で交換することができれば,資本は生まれないという。しかしそれには分業が抜けている。
11 それから,氏は,「資本の運動G−W−G’において,資本が出会う二つの危機的契機があるという。それは労働力商品を買うことと,労働者(消費者)に生産物を買わせることである。前者の場合は,アントニオ・ネグリが言うように「働くな」(労働力を売るな)ということである。後者の場合は,マハトマ・ガンジーが言った「資本制生産物を買うな」である。それが可能であるためには,働き買うことができる受け皿がいる。それが生産ー消費協同組合である」という。
日本でも生産協同組合や消費ー生活協同組合には長い伝統がある。その最大のものは農業協同組合である。氏が言うように,協同組合は合法組織である(協同組合法,独占禁止法等)。労働組合も合法組織である(労働組合法等)。これまでの左翼は,生産過程での労働者運動を重視してきたので,労働組合への浸透やそこでのヘゲモニー争いとかに力をさいてきた。それは生産の労働者統制とか労働者自主管理とか,生産点の労働者による制圧によって,資本制生産社会を根底から転覆しようとしたからである。
現実の協同組合は,小ブルジョアジーの生産者協同組合が多く,小商品生産者の「連合」体が多い。もちろん生活(消費)協同組合も大きいが。農協をはじめ,多くの協同組合は,都市ブルジョアジー,独占ブルジョアジーとの政治ブロックを形成している。それが自民党であり,橋本派を含めた日本の社会民主主義潮流の基盤である。社民党は,民主派小ブルジョアジーを自己の陣営に引き込もうとしているし,日本共産党は露骨に小ブルジョアジーに依拠している。協同組合の多くは小ブルジョアジーの利害をはかる組織である。バブル時代には,資本制企業と変わらないような投機に手を染めるような生協まで現れ,さらに多くがバブル崩壊後は経営難に陥った。協同組合は,組織化によって中間的な動揺が抑えられてはいるとはいえ,動揺は避けられない。そこで,マルクスは,もともとの性格が小ブル的であることを踏まえて,資本制企業に転化しないようにしなければならないと言ったのである。すなわち,「個々の賃金奴隷者がその結合によってこの運動にあたえうるような零細な発展形態にかぎられた協同組合運動は,それ自身の力で資本主義社会を改造することはけっしてできない。社会的生産を自由な協同組合の大規模な,調和ある制度に転化するためには,全般的な社会的変化,社会の全般な条件の変化が必要であるが,このことは,社会の組織された強力すなわち国家権力を資本家と地主の手中から労働者自身の手中に移すことなしには,けっして実現できない」(『マルクス・エンゲルス労働組合論』国民文庫 44頁)。これは1866年9月の国際労働者協会ジュネーブ大会で採択されたマルクスの臨時総評議会への指令である。『資本論』第一巻第一版が出たのは1867年であり,マルクスは,国際労働者協会(1864年9月創立)の活動と『資本論』を書くことをほぼ並行して行っていたのである。続けてマルクスは,「消費協同組合よりも生産協同組合にたずさわるよう,労働者にすすめる。前者は現代の経済の経済組織の表面にふれるにすぎないが,後者はその基礎を攻撃する」(同)と述べている。柄谷氏は,マルクスの『資本論』の「価値形態論」,流通過程の重視は決定的であると言っている。ところがマルクスは,『資本論』執筆と同時に活動していた国際労働者協会の方では,それとはまったく反対のことを言っている。彼は,プルードンではなく,オーウェン派などの協同組合工場運動の方を評価したのである。また,この段階でも労働者階級による政治権力の獲得と支配をはっきりと言っている。
12 柄谷氏は,労働者=消費者のトランスナショナルネットワークは,資本と国家というガンに生じる対抗ガンであり,「資本がそれを取り除くためには,自己自身を可能にした条件を取り除くほかはない。流通の場を拠点とした,内在的且つ超出的な対抗運動は,完全に合法的であり,非暴力的であり,いかなる資本制=ネーション=ステートも手の出しようがない」(47頁)と言っている。しかしながら,社会諸条件の全般的な変革なしに,資本制社会が根本的に変革できると考えるのは空想的である。共産主義者は,生産ー消費協同組合運動を発展させることはもちろんだが,政治権力の獲得,コミューン・ソヴィエト型権力(社会的国家)・プロ独を目指すし,そのことを労働者人民に呼びかけ,働きかけ,それからその他の綱領に掲げている諸要求・諸政策の実現をはかり,全般的な社会諸条件の根本的変化を促し,それと協同組合運動を結びつける。それは氏のように,協同組合運動に「内在的且つ超出的な対抗運動」という特別な意味付与を行って,混乱と幻想を与えるようなものではなく,資本制生産様式の基礎を攻撃するものとして,協同組合運動を共産主義運動と結合することである。階級闘争は,個人的な闘争ではなく,集団的闘争であり,社会闘争もまた政治闘争となるような階級間の党派闘争である。
したがって,流通過程における階級闘争が労働者=消費者の資本制とその国家にたいする対抗運動であるとすれば,それは市民という形態での労働者の運動であるだけではなく,プロレタリアートとしての階級形成の運動でなければならない。したがって,市民ー消費者としての労働者運動は,同時に,生産者としての労働者運動と結合し,プロレタリアートの統治階級への発展,その能力と認識と意志の発展過程でなければならない。重要なのは,生活諸関係の全面的暴露であり,政治暴露であり,宣伝・煽動,教育であり,それらと協同組合運動などを有機的に結合し,実例の力と宣伝・煽動の力を結合することである。
流通は,資本主義的総生産過程の一契機をなすのであって,生産の資本主義的性格・生産関係・賃労働資本関係が規定する社会諸関係の契機に他ならない。生産・消費・分配・交換・流通は切り離し得ない全体を構成しているが,それは生産の性格が規定する社会的諸関係としてあって,それぞれが契機をなしているという全体である。したがって,それら契機の一つだけを変革するということではなく,この全体を変革しなければならないのであって,その場合のポイントは生産である。すなわち賃労働資本関係の廃止こそが,その鍵を握っている。したがって,協同組合運動や地域貨幣などの試みは,たんに流通を変革するということで終わってはならないのであり,それらは,生産の変革と結びつけられてこそ,真に資本主義全体を根本変革するものとなる。それだから,マルクスは,できるだけ消費協同組合よりも生産協同組合に参加するように進めているのである。
13 柄谷氏は,『トランスクリティーク』の中で,「グラムシは「「機動戦」から「陣地戦」への移行がすでに一九世紀後半にあったといっている」(427頁)。氏は,グラムシの「陣地戦」が文化的ヘゲモニー闘争を意味するものではなく,ガンジーの消極的抵抗闘争をそれに含めていることを指摘し,1848年革命後の「機動戦」から「陣地戦」への移行をグラムシが指摘していることを重ねて「総合」して見ると,「労働者階級の闘争がすでに『資本論』が書かれた一九世紀後半において,ボイコット,つまり,流通過程中心に移行したこと,にもかかわらず多くの人々がそれを理解しなかったことを示唆している。機動戦から陣地戦への移行は,他のどこよりもイギリスにおいて,リカード左派にもとづくチャーチスト運動が終わった時点で顕著にあらわれていたのだ。この点において,私の企ては『資本論』をいわば「陣地戦」のための論理を与えるものとして読むことだといってもよい」(428頁)というのである。グラムシ思想にいろいろな読みがあってもよいことは当然である。しかしグラムシは,「『受動的革命』が政治の分野で『陣地戦』の立場を占めたように,このイデオロギーは国際経済の分野における『陣地戦』の要素(自由競争と自由貿易は運動に相当することになろう)として役だつであろう。一七八九年から一八七〇年までのヨーロッパでは,フランス革命で(政治的)運動戦がたたかわれた。現代では,一九一七年の三月から一九二一年三月まで政治的に運動戦があり,陣地戦がこれにつづいている。その実践的代表者(イタリアにとって)であるほかに,そのイデオロギー的代表者(ヨーロッパにとって)でもあるのがファシズムである」(『獄中ノート』三一書房 133頁)と述べている。またガンジーの「陣地戦」に言及していることからも,これを資本主義との一般的闘争形態を意味するものとするには無理がある。氏はそれらを「総合」したわけであるが,やはりそれには無理があろう。グラムシは「受動的革命」(「革命ー復古」)の「陣地戦」を問題にしているのであり,それは「革命ー復古」という形で,政治闘争が戦われる場合を問題にしているのである。そこでグラムシは,この文章で最初に「受動的革命」の概念をマルクスの『経済学批判序言』の(一)どのような社会構成体も,その内部で発展してきた生産力が,そのさき進歩的に運動する余地がないかぎり消滅しない。(二)社会は,その解決に必要な諸条件が孵化していないような課題を提起できない(同上 127頁)という政治学の二つの原理から厳密に演繹しなければならないとしているのである。結局それは,(1)社会的力関係,(2)政治的力関係,(3)軍事的力関係の三つの基本的契機に帰着するという(『火花』第249号拙稿(1)の1参照)。グラムシが言いたかったのは,革命か復古かが不分明な政治運動が受動的革命ー陣地戦であって,そういう政治闘争の条件の転換に合わせて,自らの政治闘争を変えないとならないということだろう。それは,「力関係の具体的分析のたびにとるべきおもっとも重要な考察はこうである。すなわり,このような分析は自己目的でありえないし,またあってはならず(過去の歴史の一章を記述しようというのでないかぎり),実践的活動,意志のイニシアティヴを正当化するのに役だつ場合にだけ意義を獲得するということである。具体的分析は,意志の力をもっとも有効に適用できる最小抵抗点は何であるかを示し,当面の戦術的作戦を示唆し,どうすれば政治的煽動のカンパニアをはじめることができるか,どんな言葉が群衆にもっともよく理解されるかを示すこと等々である。どんな有利であると判断されるときは前進させることのできる力である(有利というのは,そうした力が存在し,戦闘の熱情に充ちているかぎりのことである)。だから,主要任務は,この力を形成し,発展させ,ますます等質的で緊密なものとし,自己を自覚させるように,系統的に根気よく専念することである。このことは,軍事史を見ても,またいつの時代でも,いつ何どきでも戦闘を始められるように軍隊を準備してきた配慮を見てもわかることである。大国家が大国家たりえたのは,まさに,いつなんどきでも有利な国際局面に有効に参入する準備ができていたからであり,またそれが有利であったのは有効に参入する具体的可能性があったからである」(同上 107頁)といっていることで明らかである。
このように,グラムシは,政治的軍事的に決定的な闘争の不断の準備ということを強調しているわけである。ところが柄谷氏は,これを流通過程での非暴力的で合法的な対抗運動というふうにねじまげているのである。それが,「一八四八年以後,街頭での大衆の蜂起−革命のような運動は大陸においても過去のものとなった」(418頁)という不可解な断言から,「消費者としての労働者」の運動を押し出すことの正当化に使われている。グラムシ自身は歴史的な過程として捉えているものが,ある時点での決定的で不可逆的な変化として固定されてしまっている。グラムシにおいては,陣地戦と機動戦は弁証法的につながっている。機動戦も陣地戦も階級闘争のある一局面での闘争形態であり,契機をなしているのである。それらは,歴史的情況の中で,相次いで現れ,並行して現れるのである。それを示しているところを柄谷氏は引用している。「ガンジーの消極的抵抗はある時点で機動戦となり,またある時点で地下戦ともなるところの陣地戦である。ボイコットは陣地戦であり,ストライキは機動戦であり,武器と戦闘員の内容の準備は地下戦である」(427頁)。ここでグラムシが言っているのは,ある歴史的時点で,特定の戦術だけが通用するようになり,他の戦術が使えなくなるというようなことはなく,ある歴史的局面から別の歴史的局面への移行に伴って,戦術は変化し,また変化させ適応させなければならないということである。それは,コミンテルン第四会大会での統一戦線戦術の採用に向けてイニシアティヴを取ったレーニンと同じである。したがって,グラムシとレーニンの違いを強調するポスト・マルクス主義のラクラウ・ムフの議論は誤っている。もちろん,違いはある。しかしそれは,彼らがいうようなレーニン主義が軍事用語に偏ったが,グラムシがヘゲモニー概念によってそれを克服したということではない。それは,レーニンがロシア革命を世界革命の促進に結びつけるという観点を軸にしているのに対して,グラムシが国民的革命の推進に焦点をすえすぎているという国際主義に対する態度の違いなのだ。レーニンが一国革命可能論者だとするスターリニズムの論はソ連・東欧体制崩壊で破綻している。
14 最後に,マルクス葬送派の観念論的主張として,1980年代にさかんに言われたステレオタイプな言説についてである。それは,「国家権力を打倒する,あるいは奪取するという考えは,つねに,そのような運動を「国家」に似させる。つまり,中央集権的なツリー型の組織となる」(442頁)という主張である。このテーゼはあまりにも繰り返されたために,ある種のドグマといってもよいようになっており,こういってよければ脅迫的ですらある。このような一般的レベルでは,それらしく見えるというのがこういう類の脅迫的ドグマの特徴である。しかし,「消費者としての労働者運動」が大きく強い影響力をもつようになり,資本と国家にとって大きな脅威と感じられるようになれば,必ず権力による弾圧にさらされることは明らかである。ガンジーの非暴力闘争もイギリス軍による弾圧や暗殺という暴力にさらされたのである。また,1932年にオーストリアのベルグルで導入された「労働証明書」の地域スタンプ通貨も国家権力によって潰された。それから,グラムシは,陣地戦はきわめて厳しい戦いであると言っている。敗北主義でないかぎり,闘争が「軍事的力関係」(グラムシ)に発展する局面を想定しなければ空想的になる。レーニンの党組織論とマルクス・エンゲルスのそれには,組織や戦術の特定の型を絶対化することなく,情況に合わせた生き生きした柔軟性がある。実際,マルクス・エンゲルスの組織した共産主義者同盟と国際労働者協会はかなり違っている。マルクス・エンゲルスの組織は,一つの決まった型に運動を押し込めるようなものではなかった。レーニンも同じである。スターリニズムは,その一部を絶対化し,それをレーニン主義党組織論として固定化したのである。それについてレーニンに責任を帰すのは不当である。レーニン党組織論についての議論ではメンシェヴィキとの分裂ばかりが強調されるが,かなり激しく批判しあったトロツキー派との組織合同を行うなどの柔軟性をもっていた。しかしこうしたドグマの原因は,組織の性質がその考えによって決定しているとする観念論にある。国家権力打倒・奪取という「考え」が,運動を国家に似させるというのは,国家が「考え」によって規定されているという国家=共同幻想(氏の場合は国家=宗教)を前提にしているから成り立つのである。それに対して,マルクス・エンゲルス・レーニンは,国家の物質性を忘れない。その上で,国家意志,幻想,法などの社会的意識形態を問題にするのである。それを踏まえれば,かかる観念論がドグマにすぎないということは看破される。
15 国家と革命についての若干の検討を簡単にまとめると,ブルジョア国家は打倒されなければならず,それは革命(戦争)によるものであり,その場合には機動戦と陣地戦を切り離さず有機的に結びつけ,あるいは情況の変化に応じて移行し合うようにしなければならないこと,ブルジョア独裁国家にコミューン・ソビエト型権力がとってかわらねばならないこと,それは旧制度を抑圧し粉砕するためのプロレタリアートの独裁であり,それは代表制をもつ「徹底した民主制」を採用しなければならないこと,その政策(革命的方策)をもって非資本主義的生産関係を発展させ,また消費・交換・流通・分配をも実現しなければならないこと,交換を変革するには分業を止揚しなければならないこと,そのなかで実例の力をも発展させるがその場合に協同組合労働は大きな役割を占めること,革命のための党組織の形態は情況に応じて変化させなければならないこと,等々である。それから,帝国主義国際秩序を覆す国際革命と地域革命とは切り離せない有機的な相互関係を持たなければならないことも明らかである。
国家=官僚による人々の統制・管理強化を狙った個人情報保護法・人権擁護法・有事立法は,今国会での成立が見送られた。また,9・11事件後,アフガニスタンでの戦争を継続し,対イラク戦争を準備しているブッシュ政権下のアメリカでは,1952年以来,公立学校で毎日強要されている星条旗への宣誓の中の「神の下で一つ」という一神教の強制を憲法の政教分離原則違反とする判決に,議会や大統領からの反発・非難が起きた。アメリカが掲げる自由が宗教的自由や国家に対する自由を否定する強制を背後にもつまやかしであり,人為的意図的人工的にナショナリズムを煽り,国家暴力によってブルジョア秩序を守っていることが暴露されたのだ。またエンロン事件やワールドコム事件,ゼロックス事件などは資本主義中枢の腐敗を明らかにした。国家と革命の問題の重要性が増しているのである。
本稿は『トランスクリティーク』やグラムシ思想の一部を検討したものにすぎない。学ぶべき点について学ぶのは当然だが,同時に自らを甘やかさないための率直な批判の提起が大事だと考えたので,社会的資本に関する部分など柄谷氏の論考の評価すべき部分については取り上げていないことをお断りしておきたい。柄谷氏についてはNAM,グラムシについては構造改革派・ネオ・マルクス主義・ユーロコミュニズム・ポスト・マルクス主義,への実践的態度の問題があり,たんに学ぶということではすまないのである。