国家と革命をめぐって−『トランスクリティーク』等々
流 広志
249号(2002年5月)所収
現在,有事法制や個人情報保護法案や人権擁護法案や触法精神障害者の処遇についての法案や郵政事業への民間参入法案やらの小泉政権が掲げる重要法案が国会提出され,審議入りしている。
有事法制については,前号「日本国家の現状についてのノート」の中で,いくつかの問題点を取り上げて批判した。この法の対象である武力攻撃事態の定義は曖昧であり,結局,最終的には内閣が独断でそれを判断するとしか思われない。すでに政府−防衛庁は有事研究を何十年にもわたって続けており,それは対ソ戦を想定したものであった。ところが,米ソ冷戦の終了以後,極東ロシア軍は大幅に減少している。単純な軍事力の点から言えば日本にただちに大規模武力侵攻できるような事態は想定しにくい。もちろん,装備の水準だけで軍事作戦の勝敗が一義的に決まるというものではないが。中国による台湾武力侵攻についても,台湾の国防当局もアメリカ政府も,軍事力の比較から,そうした事態は起こりにくいし,仮にそうした事態になっても,台湾側の軍事的優位によって撃退可能であるということを言っている。朝鮮民主主義人民共和国については,軍人の数は多くとも軍備の質は明らかに韓国軍と駐留米軍に劣っており,自衛隊よりも劣っている。もちろん,大規模侵攻によって日本本土を制圧するなどという可能性は低く,それは自滅的な冒険主義政策でしかないのは明白である。それにも関わらす,日本政府は,有事立法を急いでいる。それは,一つには自衛隊自体の軍隊としての本質維持のためである。常に尚武精神を絶やさず,警戒体制をとる緊張状態において,軍隊としての体制を維持し,軍の精神を養っておかなければならないのである。もちろんそれは単なる精神主義の注入ではなくて,特別手当という物質的な支えをも使っての話しである。実際にはこちらから仕掛けでもしない限り短期の内には発生する可能性の低い武力攻撃事態なる概念をつくり,それを曖昧にしておくのは,むしろ,福田官房長官が,公海上での日本の船舶に対する攻撃は武力攻撃事態であり,それには当然自衛隊が攻撃すると述べているように,時と場合によって変更可能な自在さを確保しつつ,国家武装を強化し,威嚇力を強化し,この棍棒の力を背景に,ブルジョア階級支配を貫くという意志を物質化しようとしているのである。それから,米軍の行動次第で,有事の危険が及んでくる可能性を考慮しているからでもあろう。政府ブルジョアジーは何十年にもわたって,国家緊急権確保を狙ってきたのである。
個人情報保護法案は,プライバシー保護をうたいながら,その対象を公人私人の区別を設けないことで,公人である政治家・官僚の腐敗や不正を暴くマスコミやジャーナリズムの活動を規制し制限しようとするものである。人権擁護法案は,人権保護を名目にしながら,法務省の外局に人権擁護局をもうけて,役人による言論・表現・思想・信条の自由に官僚的規制を加えようとするものである。これについては,当初,人権擁護法制定を推進してきた部落解放同盟も,内容に問題がありすぎるとして反対・大幅修正の態度を打ち出している。また,西鉄バスハイジャック事件や大阪池田小事件などを契機に,触法精神障害者の処遇にたいする対策法制度が出されてきているが,それは,触法精神障害者の再犯の危険性が高いという客観的根拠のない偏見をもとに,治療行為に対する司法介入強化を制度化しようというもので,実質的な保安処分とも言えるものである。かくして市民社会の様々な諸身分に応じて,治安秩序の規定を再編し強化する動きが続いているのである。
このように,日本のブルジョアジーは,身分別の治安秩序を形成しつつ,全体としての階級支配を貫いている。それぞれの対象を構成しているのはなるほど私人であり,個人であるわけだが,それらはある集団・身分に属する者として,秩序維持の対象とされているのであり,そうした特殊性を媒介として,個人のレベルを規制しているのである。
これら悪法に対して,反対運動が起きている。それらを支持発展させることはもちろんであるが,同時に,かかる局面をもたらしているところの現在の階級闘争の質と政治・社会構造を解明し,共産主義運動をそれに適応させていくことが必要である。そのために,左翼に理論的影響を与えている思想家の考えをいくつか取り上げて検討してみたい。
1 まずグラムシである。グラムシの政治思想自体は,戦後のイタリア共産党において継承されてきたものであり,日本でも,1960年代には構造改革派として存在してきたものであり,別に新しいものではない。しかし,1990年代には,アルチュセールやプーランツァス,ラクラウ・ムフなどの流行などもあって,いわば崩壊したスターリン主義あるいはレーニン主義にかわるものとして,ネオ・マルクス主義とかポスト・マルクス主義的に再解釈されたニューバージョンとして流布した。その際に,グラムシの党・組織論はネグレクトされてしまったようである。たとえば,ポスト・マルクス主義を提唱したラクラウ・ムフは,グラムシをヘゲモニーの思想家として捉え,グラムシが党=「現代の君主」「首領」をくり返し強調したにも関わらず,党はあってもなくてもよいという意味のことを述べている。かれらにとって重要だったのはグラムシが第三インター的な経済決定論者ではなかったということであり,ポスト・マルクス主義の主張にふさわしいと思われるところに限って評価したかったということなのだろう。
グラムシ自身は,力関係の問題として,(1)社会的力関係をあげ,それを自然科学の方法で測ることができ,つぎに(2)政治的力関係をあげて,それを集団的政治意識の諸契機に対応する段階を区別し,まず経済的−同業組合的な契機,職業団体意識の段階,つぎに社会集団の全体の経済的利害連帯意識の段階(経済的同業組合的意識の段階),それから同業組合的意識が政治的段階に達するという意識の段階である。この構造から上部構造の領域へ移行した最後の段階で,「以前に発芽していたいくつかのイデオロギーが「党」になり,たがいに対決し,闘争し,ついには,それらのイデオロギーのうちの一つだけが,または,少なくともその一つの組み合わせだけが,優位をしめ,打ちかち,社会の全領域に普及するようになり,経済的,政治的目標の単一性のほかに,知的,道徳的な統一性をも生みだし,荒れ狂う闘争のまととなるすべての問題を,同業組合的な平面でなしに,「普遍的」な平面に提起し,こうして,一連の従属的集団にたいする基本的社会集団のヘゲモニーを創出しようとする」(『獄中ノート』三一書房 102頁)と述べており,党をあってもなくてもよいような偶然的なものとはとらえていない。
グラムシは,構造から上部構造への認識と意識の段階を区別しているわけだが,それを自然科学的認識と政治的意識の区別としている。グラムシによれば,「構造の認識は人間の意志から独立した客観的な関係であり,精密科学または自然科学の方法で測ることができる」(同上 101頁)。それに対して,政治的力関係は,「いろいろの社会の到達している等質性,自己意識と組織の段階の評価である」(同)。すなわち後者は,集団的意識の認識であって,それを測るのは集団的利害であり,それを表現するイデオロギーである。このイデオロギーが党に物質化し,党派闘争を通じて,一つないし一つの組み合わせだけが勝って,普遍的社会集団としてのヘゲモニーを従属的諸集団に及ぼそうとするというのである。そして国家を基本的社会集団の利害と従属的諸集団の利害の調整の場であるとしている。さらに彼は(3)軍事的契機をあげている。
こうしてグラムシは,国家を,社会諸集団間の利害闘争の調整の場であり,それが法という幻想の形をとって闘われる場であるとしているわけである。個別的なエゴは,単にエゴとして孤立しているだけではなく,それから特殊な利害として集団的利害とその表現をイデオロギーとして生みだし,それらが党派として物質化し,政治闘争を発展させる。この闘争の結果として,ある利害集団は,普遍的社会集団という性格を獲得し,基本的社会集団となって,他の利害集団を従属的諸集団と化し,それから基本的−従属的という関係そのものを再生産するヘゲモニーを作用させる。そこで,新たな世界観(イデオロギー)を持つ党派は,この基本的諸集団のヘゲモニーを崩壊させ,自らが代表する従属的諸集団を基本的集団へと押し上げなければならないというわけである。
こうした点から見れば,グラムシは,ヘーゲルの普遍−特殊−個別の論理を取り入れている事は明らかで,トロツキーの永続革命論を批判して,国民的課題(国民的革命)を対置しているのも理の当然である。もしかするとそれはマルクス・エンゲルスが,プロレタリア革命は,当面は国民的枠内を超えず,まずは国内のプロレタリアートを国民的階級に形成することであると述べた『共産党宣言』を踏まえているのかもしれない。しかし,そのトロツキー批判が,単なる政治軍事的戦術としての永続革命論に向けられているとしても,他方で,マルクスがパリコミューンの敗北後に述べたこと,すなわち,互いに戦争しあった敵同志がプロレタリアートの反乱に対しては手を握ってこれを共同で粉砕したからには,すなわちブルジョアジーの国際反革命同盟が生み出されたからには,「階級支配は,もはや民族的制服で変装することはできない。もろもろの民族政府は,プロレタリアートを相手としては一致結束する!」(『フランスの内乱』大月文庫 114頁)ことがはっきりした以上は,フランスのプロレタリア革命は一国だけでは真に勝利することはできず国際革命でしか勝利できない,すなわち永続革命が必要であるとしたマルクスの永続革命論に対する答えにはなっていない。それにはグラムシが,1871年をメルクマールに西欧の政治闘争の条件が陣地戦を要するものに変わったと判断したのはなぜかなどを検討してみなければならないが,それは後の課題とする。
ドイツ・ファシズムは,大土地所有者と保守派が,土地革命に反対して結んだブロックであり,なおかつナチスはイタリア・ファシズムとの国際反革命同盟を結んだ。土地革命の問題は,東方への侵略,土地強奪,入植,強搾取による分配によって暴力的に解決することになった。ファシズムは,革命的要求を反革命によって実現する侵略政策であった。したがって,当時のヨーロッパ諸国における革命の課題の遂行は,国民的性格に止まることはできなかったのであって,そうした点でグラムシの思想の問題点の一つがあるといえよう。
2 それに対して,『国家と革命』のレーニンは,ブルジョア国家の普遍性に重きを置いて,プロレタリア革命のコミューン型国家の普遍性を対置する。ブルジョア国家の軍事的=官僚的性格というものを普遍的性格として押し出している。あまり指摘されていないけれども,『国家と革命』は未完であって,第六章で日和見主義者によるマルクス主義の卑俗化を批判した後に,第七章 一九〇五年と一九一七年のロシア革命の経験 の目次と短い前置きのような文章を残して,原稿が途切れている。それについて第一版のあとがきでレーニンは,「小冊子は,一九一七年の八月と九月に書かれた。私にはすでに,つぎの第七章「一九〇五年と一九一七年のロシア革命の経験」の腹案ができていた。しかし,私は表題のほかには,この章の一行も書けなかった。政治的危機,一九一七年の十月革命の前夜が,これを「妨害」したからである,このような「妨害」は,よろこぶほかない。しかし,この小冊子の第二分冊(「一九〇五年と一九一七年のロシア革命の経験」にあてられているもの)は,おそらく,ずっと延期しなければならないであろう。「革命の経験」をやりとげることは,それを書くことよりも愉快であり,有益である」(岩波文庫 169頁)と1917年11月30日付けで書いている。この部分は,結局,書かれなかった。晩年のレーニンが,ロシア的経験を西欧革命に直接に当てはめることに慎重な姿勢を示し,コミンテルンの組織テーゼに対しても,ロシア的すぎて良くないと批判したりしたことを考え合わせると,グラムシが,レーニンは西欧革命がロシア型とは異なるという考えを持っていたということには根拠がある。コミンテルンでの統一戦線戦術の採用が,レーニンの主張に基づくところが大きかったのは確かであろう。ロシア革命後の白衛軍を後押しした帝国主義諸国の干渉戦争の経験は,国際反革命同盟によるプロレタリア革命の鎮圧策動であって,一国革命の成功などというのは夢物語であり,ただちに赤軍と西欧革命による反革命同盟の粉砕ということが,ロシア革命を救う道だと考えたのは,マルクス主義者として当然のことであった。しかしながら,ツァーリ君主制下でブルジョア民主主義が弱かったロシアとワイマール共和国憲法体制で,社会民主党が大きな影響力をもっているドイツや普通選挙による政権交代が常態化しているイギリスなどの相対的に安定した社会状態にある西欧諸国で,ロシア革命型の革命路線がそのまま当てはまると考えられないのは当然であった。
レーニンはそうした異なる環境に党を適応させることが必要であると考えた。レーニン晩年の闘いの一つとして,コミンテルンで採択された「組織テーゼ」に,「あまりにもロシア的すぎる」として反対した。他方で『国家と革命』でレーニンが明らかにしたブルジョア国家に普遍的な軍閥と官僚制度のありように党を対応させるという課題があった。一般に近代国家は,立法権・執行権・司法権の三権分立になっている。大抵は,立法権を最高権力としている。しかし,そう法律で規定されているからといって,実際そうなっているかどうかは別である。これら三権は互いに闘いあっている。それについては,『国家と革命』にレーニンが引用している『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の中で,マルクスが述べている。
「議会共和制のてんぷくがプロレタリア革命の勝利を芽ばえとしてふくんでいるにしても,この革命の直接のはっきりそれとわかる成果は,議会にたいするボナパルトの勝利,立法権力にたいする執行権力の勝利,空文句の権力にたいする空文句なしの権力の勝利であった。議会では,国民は自分の一般意志を法律にたかめた,いいかえれば支配階級の法律を国民の一般意志にたかめた。執行権力のまえでは,国民は自分じしんの意志をことごとく断念し,他人の意志の権力命令に,権威に,服従する。立法権力に対する執行権力は,国民の自律性に対する国民の他律を表現する。だからフランスが,一階級の専制からのがれたのは一個人の専制に,しかも権威なき一個人の権威のもとに逆もどりするためにすぎないようにみえる。闘争は均されて,すべての階級がひとしく力なくこんぼうのまえにひざまずくにいたったようにみえる」(岩波文庫 141頁)。
レーニンは,この部分につづくところを引用している。
「しかし革命は徹底的である。それはまだ煉獄の火をくぐって旅しているところである。それは自分の仕事を手順をおって遂行する。一八五一年十二月二日までに革命は自分の準備作業の前半を完了した。いまそれはあと半分の完了にかかっている。それははじめ議会権力を完成した,これをたおすことができるように。
このことをなしとげたいま,革命は,執行権力を完成し,これをそのもっとも純粋な表現にまでひきもどし,これを孤立させ,これを唯一の標的として自分に対立せしめる。自分の一切の破壊力をこれに集中するために。そして革命がその準備作業のこのあとの半分をやりとげたとき,ヨーロッパは席からたちあがって,かっさいするだろう。−よく掘った,老いたるもぐらよ!」(同上 142〜3 頁)。
議会権力においては,国民は一般意志という形態を支配階級の法律に自律的に投票によって与える。ところが執行権力においては,国民は他人の意志の権力命令,権威に服従する。執行権力が議会権力に打ち勝ち,これを従属させるというのは,近代資本主義国家の当然の帰結である。革命は,まず,議会権力を完成させることで,執行権力が打倒できるようにした。つぎに,執行権力を完成させ,そうすることで革命がこれを打倒できるようにした。議会権力と執行権力は,一方では外交儀礼を交わしつつ他方で絶えず闘争しあい,お互いを打倒しようとする。完成すれば,それは先に倒されるためであり,結局は,執行権力が完成する。日本の戦後史はまさに議会権力の優位を建て前として出発しながら,結局は,執行権力の勝利の道を歩み,ついにはこれを打倒対象として完成させる歴史であったといえる。1980年代,この執行権力の完成に対応して,これを打倒する革命が,ブルジョアジーの保守派から,疑似革命として現れた。新保守主義あるいは新自由主義が掲げた保守革命は,執行権力の革命による打倒が客観的な社会的課題として日程にのぼったことにたいするブルジョアジーの一つの回答である。すでに,1930年代における同じ課題にたいする回答としてファシズムがあったが,戦後の世界体制の下では,ファシズムは決定的な影響力を持てないできた。それには戦後の国際的な階級闘争の力があったということも寄与しているだろう。
保守派の疑似革命は,ファシズムの形態をとらなかった。イギリスでのサッチャー保守革命の嵐が吹き荒れた後,ブレア労働党政権は,「第三の道」路線をとり,保守革命が破壊した社会の再建に取り組んだ。しかしその中でも極右が台頭し,合法的な議会権力の中に浸透し始めている。歴史上では,たとえば,ドイツでの合法的な政権奪取路線でのナチスの国会での第一党獲得から,大統領に代表された土地革命に反対する大土地所有者等の保守派との反革命を一致点とした妥協・連携による首相指名−政権奪取から,再軍備−ヴェルサイユ体制打破の侵略策に急激に転化していったということがある。ファシストは,合法的議会権力奪取から執行権力によって議会権力を打倒し,警察・軍隊を掌握しこれを使って,一切の批判勢力をただちに打ち倒してしまった。警察・軍隊をただちに自らの手下として自在に使えたのは,もともとファシストが,ナチス突撃隊のように警察・軍隊の雛形として組織した勢力をもって治安・軍事の技術と経験を蓄積していたことも大きい。グラムシは,「どんな政党も(支配的集団の党も従属的集団のそれも)警察的機能,すなわちある政治的・法律的秩序をまもる機能をも果たすことは否みがたいことである」(前掲書 60頁)と述べている。ただし彼は,この警察機能の遂行される様式と方向が,抑圧的か,それとも普及的か,反動的性格のものか,それとも進歩的なものか,を区別して判断しなければならないと注意している。すなわち,「その党は,歴史の活力の足かせになっている外的な,非本質的な秩序を維持しようとして,警察的機能を遂行しているのか,それとも,人民を新しい文明水準−政治的・法律的秩序はその綱領的表現である−に高めようとする方向で,この機能を遂行しているのか」(同)が問題だというのである。
先のフランス大統領選挙での極右ルペンの躍進やオーストリアでの極右ハイダー率いる自由党の政権参加,イタリアでの極右を含む右派連立のベルルスコーニ内閣の成立などの極右の議会権力への進出が目立っている。ドイツでは,ネオナチが移民・外国人襲撃を繰り返しており,ロシアでも東洋人を襲う事件が起きている。しかし他方では,フランスではルペンと極右に反対する50万人集会がただちに組織されるなど極右排外主義と闘う動きも活発である。9・11事件後のムスリムやアラブ人に対する嫌がらせや政府による人権無視の不当拘束や弾圧や監視が強化されているアメリカでも,その不当性を訴えるデモが組織されるなどの動きも活発となっている。しかし全体的に見て,事態は流動的であると見ておく必要があろう。というのは,ブルジョアジーが,その階級利害にしたがってどのような政治ブロックを組むかは時と場合によるからである。
現代の国家−権力をめぐる革命の課題は執行権力の打倒・粉砕ということである。このことが歴史的に普遍的課題であるがゆえに,あらゆる階級・階層がそれぞれの回答と態度をもって,この課題に取り組んでいるのである。『国家と革命』において,レーニンは,『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』を検討して,一つの回答を与えている。彼は先の引用箇所につづけて,さらに引用を続けている。
「巨大な官僚的軍事的組織をもち,複雑で精巧な国家機構をもったこの執行権力,五十万の軍隊とならぶ五十万の官僚軍。網膜のようにフランス社会の体にからみついて,すべての毛穴をふさぐこのおそろしい寄生体。これは,絶対王政の時代に封建制の崩壊にともなって発生し,その崩壊をはやめるのをたすけたのであった」。フランス第一革命は中央集権制を発達させたが,「同時にまた,その範囲,属性,補助者をさらに発展させざるをえなかった。ナポレオンがこの国家機構を完成した。」正統王政と七月王政とは「いっそう大きな分業のほかには何ものをもつけくわえなかった。」・・・・/「最後に,議会的共和国は,革命に反対するその闘争において,弾圧手段とともに,統治権力の手段と集中化とをつよめざるをえないことを知った。すべての変革は,これをうちくだくかわりに,それを完成させた」「交互に支配権をあらそった諸政党は,この巨大な国家構築物を占領することが勝利者のおもな獲物だとみなした」(『国家と革命』岩波文庫 44 頁)。
このことから,レーニンは,官僚的軍事的組織をもつ執行権力の解体がプロレタリア革命の課題であり,これを粉々に打ち砕き,これとは根本的に異なる権力としてのプロレタリア独裁権力を創造し,抑圧者を抑圧し,旧制度を復活させないようにすることを主張したのである。彼は,権力の問題は,誰が武装しているかという問題であり,プロレタリア独裁権力とは武装したプロレタリアートによる支配であると言っている。その上で,それがパリ・コミューン型の権力原理を持つことを強調したのである。コミューンは,プロレタリアートが武装し,立法府と執行府が一体であり,その吏員はその関係者の普通選挙によって選ばれるという民主的な組織なのである。それは,ブルジョア民主主義と同様に普通選挙による民主主義であり,代議制である。レーニンは,プロレタリア独裁においてもそれは維持されると述べている。しかしそれは有責と随時の解任制と労働者なみの俸給などによって,ブルジョア民主主義を止揚したものである。
3 この辺に関して,NAMを立ちあげた柄谷行人氏が,『トランスクリティーク』(批評空間)の中でいろいろ言っている。
同書第二部第1章「移動と批評」の「2 代表制」で柄谷氏は,『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』を取り上げ,レーニンが上記引用したのと同じ箇所を引用した上で,それがフランスをモデルにしながら,国家と資本の関係を原理的に考察したものだと述べている。そこで,マルクスは,ブルジョア独裁を「普通選挙」において見ていることに注意を促しているという。氏は,普通選挙の特徴が,あらゆる階級の人々が選挙に参与すると同時に諸個人があらゆる階級・生産関係から「原理的に」切り離されることにあるという。秘密投票によって,「代表するもの」と「代表されるもの」が根本的に切断され,恣意的な関係になり,「代表するもの」は「代表されるもの」から拘束されない。したがって,「「ブルジョア独裁」とは,ブルジョア階級が議会を通して支配するということではない,それは「階級」は「支配」の中にある個人を,「自由な」諸個人に還元することによって,それの階級関係や支配関係を消してしまうことだ,このような装置そのものが「ブルジョア独裁」なのだ」(同上 222頁)という。中央集権的軍事的官僚的国家機構は,絶対主義が封建制を解体するために作り上げたものである。それはブルジョア独裁特有のものではなく,それを引き継いだだけである。ブルジョア独裁を絶対主義的独裁などと区別するのは,支配関係や階級関係を消してしまう装置による独裁だというのである。しかし,人々を「自由な」諸個人に還元して階級関係を消してしまうのは幾億回と繰り返された習慣的行為のなせる業である。それをなくすためには,その意志とプロ独が必要である。
レーニンはすでにブルジョア独裁下の抽象性を暴露して,生産単位における選挙ということを対置している。それがソヴィエトの原理である。少なくとも原理上,ソヴィエトは,各生産単位等と結びついていた産別とか職場代表とか地域代表とか農民代表とかで構成され,選挙された単位の利害と性格を失わないように配慮されるものとされていた。ブルジョア議会は,原理的にはそういう具体性を捨象することによって純粋化し,「すべて個人として尊重される」(『日本国憲法』)とされている。そのために,特殊な団体利害や階級・階層利害が直接に現れることは,議会制民主主義に反するとして批判されることになる。(鈴木宗男問題に明らかなように)。重要なのは,「実際は,普通選挙とは,国家機構(軍・官僚)がすでに決定していることに「公共的合意」を与えるための手の込んだ儀式でしかない」(同)ということであり,これについてはレーニンとも一致している。その際に,忘れてはならないのは,レーニンは,官僚の買収という一手段を強調したのだが,それ以外にもアメリカで一般的なように直接自らが官僚機構に入ることによって,あるいは自らの代理人を官庁の審議会などに送り込むことによって,人的結合によって,その他の様々な手段によって,この官僚機構を自らの手足として動かしているということである。
柄谷氏は,普通選挙のはらむ問題を指摘しながら,その弊害に陥らないためとして,権力の集中する場にくじ引きを導入し偶然性を加えるべきだとしている。
それに対してマルクスは,パリ・コミューンの経験を総括して,武装した労働者による常備軍への置き換え,普通選挙による有責で即座に解任できる議員によるコミューンの構成,同時に執行し立法する行動的機関,警官は中央政府の手先ではなく,行政府の他のあらゆる部門の職員と同様に,コミューンによって任命され,いつでも解任されうるコミューンの職員,労働者なみの賃金,裁判官の有責,選挙制,解任制,コミューンの社会生活のあらゆる問題への発議権,中央諸機能をコミューンの監督下に置くことでの職員の社会の上に立つことの不可能,公立学校からの宗教教育の放逐,教育施設への政府の後見・奉仕からの解放,等々を実現し,「こうして,政府の抑圧力と社会にたいする支配力とは,その純然たる抑圧機関については打ち砕かれるはずであり,またそれが正当な機能を果たすべき場所では,それらの機能は,社会に優越する一組織体によってではなく,社会そのものの責任ある吏員によって行使されるはずであった」(『フランスにおける内乱』大月文庫 165頁)と述べている。このようにマルクスは,ブルジョア国家機構(軍・官僚)を粉砕し,それからの解放を実現する社会権力(社会的国家)としてのコミューンが,普通選挙を有責制,随時の解任制という方法によって変革したことを評価したのである。
4 前号「日本国家の現状についてのノート」で指摘したように,「日本国憲法」は,公務員一般に対して,その選定・罷免権は国民固有の権利であると規定している。ところがこの国民が選定・罷免しうる公務員は,議員だけであり,罷免権のみ認められているのが最高裁判事だけであり,その他の行政職員や臨時の公務員などについては,選定・罷免権が規定されていない。国家公務員法上の一般公務員は試験という儀式によって選定され,国民は選定も罷免もできない。特別公務員にしても,議員以外はそうである。最近問題になっている議員秘書もそうであり,要するに,議員と一部の公務員(司法)を除く公務員の選挙制や解任制は,普通選挙権の対象になっていないのである。
レーニンは,民族自決権を被抑圧民族の独立権の承認まで徹底しないと,実際にはブルジョア民族主義の水準を超えられないとことを強調した。その議論で,彼は,離婚の自由・権利を引き合いに出した。もし結婚の自由のみを認め,離婚の自由を認めなければ,それは実際には不自由なのである。同じように,買う自由だけがあって買わない自由がなければ,それは自由な購入ではない。入信の自由だけがあって信じない自由がなければその宗教は不自由な宗教である。普通選挙による選任と解任制は,必ず組み合わせられなければ自由な制度にならないのである。ところが柄谷氏のアソシエーションは,普通選挙の規定からその弊害を除去するためとして,複数の選挙による代表選定とその中から1人を選ぶためのくじ引きを導入することで,最終過程が偶然に左右されるから,それで民主主義が実現されるとしている。氏は,それが必要なのは能力差に伴うヒエラルキーや代表制の固定化を防ぐためだと述べている。しかし,アソシエーションが徹底した民主制をとるならば,くじ引きと選挙の組み合わせではなく,選挙と有責・随時の解任制の組み合わせであるべきなのである。マルクスやレーニンのコミューンの考察から導き出されるは,普通選挙と有責と随時の解任制である。職員や官僚は,簡単に選ばれるが有責であるため,責任を果たせなければ,即座に解任される。しかし,いったん解任された者も,よほどのことでない限り,簡単に再び選ばれて戻ることができる。再び選ばれるようにするためには,自己変革しなければならない。それが無数に繰り返されることで,誰も官吏であり誰も官吏ではなくなる。また,労働者なみの賃金と記帳と管理の機能の簡単化等によって,特権,神秘,能力主義の弊害が取り除かれる。レーニンの考えはおおよそこういうことだ。コミューン制・ソビエト制は,きわめて簡単でやさしい制度である。ソビエトの解体と政府ー国家(官僚)の勝利は,ロシア革命の歴史的転機のメルクマールである。