アダム・スミスの教育・大学論と大学(教育)をめぐる諸問題について
流 広志
247号(2002年3月)所収
アダム・スミスの教育・大学論について
アダム・スミスは,『国富論』(1776年)「第五篇 主権者または国家の収入について」で,主権者または国家の経費として,防衛費,司法費,公共事業費・公共施設費,の三つをあげている。かれは,公共事業費・公共施設費の第一項に商業の便をはかるための公共事業と施設として,道路・港湾・橋等々をあげている。
その「第二項 青少年教育のための施設の経費について」で,まず,教育経費は,学生の授業料あるいは謝礼で賄われるべきだとしている。それで不足する場合に,地方や州あるいは個人や主権者からの公的寄付による基金の利子をあてる方法を次善の策だと述べている。教師は,寄付財産の基金からの報酬によって生計を立てることによって,他の職で自由競争によって働く者が,当然,競争者に対抗する必要にかられて仕事をある程度は正確に仕上げようと努力するのと反対に勤労しないようになる,と述べている。また,大学に教師の値打ちや評判と関係なく一定数の学生を押し込んではならないというのである。大学は,学生のためではなく教師の利益と安逸のために,教師の権威を維持することを目的としているのであり,公立よりも私立の方がうまくいっているというのである。スミスが理想とするのは,神学に従属する以前の古代ギリシャ教育である。古代道徳哲学では人間生活の義務をはたすことが人間生活の幸福と完成に役立つものとされていたのであり,そうした目的に沿った古代の教育は成功したが,その理由は,それが自由競争の教育制度だったからであり,教育の需要に応じて指導者が生み出され,競争による対抗意識によってその才能が高められたからであるという。公的教育がなければ,需要のない学説や学問が教えられることがなくなり,個人教師は,時代遅れの学説や無益で衒学的な学問を教えていたのではそろばんが合わないだろうというのである。個人教師に十分な謝礼・授業料を払えるのは限られた者であるから,これは,少数の金持ち階級の高等教育の在り方について述べているわけである。
他方で,多数の労働者の理解力は,日常の仕事によって作られるから,分業の発達によって「一生涯少数の単純作業を繰り返している人は,人間として可能なかぎり,愚かで無知になり,感情も荒れ,私生活上の日常の義務や国の利害についても正しい判断がもてなくなる。そのうえ,単調な生活は,勇気を失わせ,兵士の不規則で冒険的な生活をいやがるようにしてしまう。かれの特定職業における巧妙さは,知的,社会的,軍事的徳性を犠牲にして獲得される,だが,進歩した文明社会ではどこでも,政府がそれを防がぬかぎり,働く貧民,つまり大多数人民はかならずこういう状態におちているのである」(『国富論』中央公論社 523ー4頁)という。一般民衆は,教育にさく時間がないし,子供は働けるようになるやいなやパンを稼ぎにでるが,肉体労働なので余暇がない。したがって,「どんな文明社会でも,この人たちに,なんらかの地位や財産のある人々のように高い教育をすることはできないとしても,不可欠の読み,書き,計算を,職業につくまえに教える時間はある。そして,国家はわずかの経費でこういう基礎教育の習得を容易にし,奨励し,また義務として課することさえできる」(524頁)。また,「市民が兵士の精神をもっていれば,常備軍はすくなくてすむだろうし,外敵にたいしては作戦を助け,またまんいち常備軍が国家に反抗する場合にはその活動をはばむだろう」(524ー5頁)といもいう。
また,下層階級の教育は,国家にとって利益になる。なぜなら,「教育を与えれば与えるほど,無秩序をひきおこす熱狂や迷信にとらわれなくなり,秩序正しくなり,反乱や煽動のうちにある利己的不平を見抜くこともでき,政府の施策に無用な反抗をすることも少なくなる。自由な諸国における政府の安全は,人民の好意的判断に大きく依存しているのだから,人民がせっかちで気まぐれな判断をしないということは,最高に重要なのである」(525頁)からである。ここで,かれが,教育が秩序・体制維持に寄与し,反乱や煽動がそれに含まれる利己性を見抜くことで防がれるとしていることは特徴的である。利己性を判断規準にすれば,下層階級はせっかちできまぐれな判断をしないようになるというのである。それによって利益を得るのは国家である。かれが,この教育によって,大多数の働く貧民がどのような利益を得ることができるのかについて触れていない。それについては,「教育の要不要は,その社会状態による。政府がほっといても,大部分の個人がおのずとその社会で必要な能力や徳を身につける場合もあるし,そうならないで,政府が配慮しないと,大多数の国民が腐敗し堕落する場合もある」(523頁)としているわけで,必ずしも政府による教育がア・プリオリに必要だとは言っていない。しかし,単純労働に一生涯従事する働く貧民が人民の大多数を占めるような社会状態では,政府が「読み・書き・計算」を青少年に教育しなければならないし,道徳心を植え付けて,秩序・政府の政策などに無駄に逆らうことのないようにすることは国家の利益となるのでそうすべきだと提案しているのである。人間の知的能力を適切に使えないのは,軽蔑すべきであり,人間性をそこなうものだとアダム・スミスは言う。しかし現在では,人間の知的能力や人間性を資本主義的にしか使えないということが,適切性を欠くものとなっているのである。
スミスは,国家の教育政策は,もっぱら道徳的な点からと治安の点からの二点の理由から必要としている。そこで,国家の教育は,二つに分かれる。国家が働く貧民の大多数人民と下層階級に行う教育と,個人教師に十分な授業料あるいは報酬を支払う能力のある学生を教育する私的教育機関とである。それらは教育目的が異なる。道徳哲学を身につけ,時代の需要に応じた学問を身につける少数の者のための教育と一生涯を単純労働に費やす働く貧民が,国家利害や義務に正しい判断をもち,軍事的徳性を失わせないようにし,またその下層が政府にたいする反乱や煽動にのらないようにするための教育とである。後者は道徳や秩序の説教である。かれは,「教育施設と宗教上の教化施設の経費も,同じく,社会全体の利益になることは疑いないし,したがって,社会全体の利益になることは疑いないし,したがって,社会全体の一般的醸出でまかなっても,不正ということにはなるまい。しかしながら,この経費を,教育や教化から直接の利益を受ける人々によって,つまり教育か教化かを必要と考える人々の任意の醸出ですべてまかなっても,おそらく同じように穏当であり,いくらかの利点さえともなうかもしれない」(530頁)と主張する。
アダム・スミスは,主に治安と秩序の説教の面から,一般民衆の教化のための政府による教育と自由競争的な支配階級のための私的教育の二本立ての教育論を唱え,少数の支配階級と多数の「働く貧民」によってなりたつ階級社会を前提に,若い年齢での国家による「読み,書き,計算」教育と「働く貧民」が受けることのない個人教師による私的教育の二重の教育体系を主張したのである。このようなアダム・スミスの考え方の一方は,国民義務教育制度という形で広く普及しているが,もう一方の大学教育を個人レッスン型の自由競争の教育にすべきだとする主張はそれほど実現されていない。アダム・スミスはつづけて,「第三項 あらゆる年齢の人々を教育するための施設の経費について」を論じている。これはおもに宗教教育のことである。その場合の教師の生計は,その方が,教師の熱意と努力が大きいという理由で,聴講生が自発的にくれるものに依存することが望ましいとしている。一般民衆は,生涯にわたって,教化されねばならないというのである。
さらにかれは,大学の学問の中身について,古代ギリシャ哲学が,物理学すなわち自然哲学,倫理学すなわち道徳哲学,および論理学の三大部門に分かれており,これはよく事物の本性にあっていたと評価し,神学が哲学を従属させるようになると,これが逆転して,「論理学,存在学,気学,堕落した道徳哲学,最後に簡単で皮相な物理学となった」ことを批判した。そして,寄付財産の多い大学は,非実際的な打破された学問や陳腐な偏見の避難所と化し,学問の進歩に寄与しないと批判している。アダム・スミスは,中世的制度やイデオロギーを厳しく批判したのである。それは,マルクスが『剰余価値学説史』で,生産的労働と不生産的労働の区別に関するアダム・スミスの論を取り上げて言ったように,かれのブルジョア的革命性を表している。すなわち
「これは,まだ革命的な――まだ全社会,国家,等々を自分に従属させていないブルジョアジーの言葉である。これらの超越的な古く尊い職業,すなわち主権者,裁判,将校,牧師等々,ならびに彼らがつくりだす古いイデオロギー的諸身分の総体,すなわち彼らの学者,教師および牧師は,経済的には,ブルジョアジーおよび不労の富つまり土地貴族や不労資本家によって扶養されている彼ら自身の従者や遊び相手の群れと同一視されている。彼らは,他の人々が彼らの使用人であるのと同じように,公共社会の単なる使用人にすぎない。彼らは他の人々の勤労によって生活するのであり,だから,やむをえない程度の縮小されなければならない,国家,教会等々が正当化されるのは,単に,それらが生産的ブルジョアの共同の利益を指導または管理するための委員会であるかぎりであり,それらの費用は,まったく生産の空費に属するのだから,やむをえない最小限に縮小されなければならない。この見解が歴史的な興味を有するのは,それが,一部には古典的古代の見解,すなわち,物質的な生産的労働が奴隷制の焼き印をおされて単に不労市民のための脚台とみなされる見解とするどく対立している点においてであり,一部には,中世の解体から生じた絶対王政または貴族的立憲王政の見解,たとえば,自分自身がその見解に依然としてとらわれているモンテスキューが次のような文章(『法の精神』第七篇第四章)すなわち
『富者が多くを支出しなければ,貧者は餓死するであろう』
という文章において率直に表現しているような見解と,するどく対立している点にある。
これに反し,ブルジョアジーが地歩を占めるにいたって,一部にはみずから国家を支配し,一部には国家の従来の占有者と妥協し,また,同じように,イデオロギー的諸身分を自分の骨肉の仲間としての認め,これらの身分をいたるところでうまく自分の手足に転化してしまうようになれば,またブルジョアジー自身がもはや生産的労働の代表者としてこれらに対立するのではなく,むしろ本来の生産的労働者が彼らに対立して台頭し,ブルジョアジーに向かって彼らは他人の勤労によって生活しているのだと同じように言うようになれば,またブルジョアジーがまったく生産に没頭するのではなく「教養的」な消費も欲するほどに教養を身につけるようになれば,また精神的労働そのものがますます彼らの勤めとして行われ,資本主義的生産に奉仕するようになれば,局面は一転し,ブルジョアジーは,以前には批判的に攻撃していたものを,彼ら自身の立場から「経済的に」正当化しようと努める。ガルニエ等々は,こうした方面におけるブルジョアジーの代弁者であり良心を曲飾する者である。そのうえに,こうした経済学者がみずからは牧師や教授等々であることの熱心さ,すなわち,自分たちの「生産的」有用性を証明し,自分たちの賃金を「経済的に」正当化しようとする熱心さがつけ加わる」(国民文庫A 287ー9頁)
大学(教育)をめぐる諸問題
現在政府が進めている国公立大学の独立行政法人化や飛び級制,産学協同(企業との共同研究・依託研究の推進など),研究の事業化推進,成果による研究費の選別的配分の強化,大学院大学による一層の専門分化の促進,日の丸・君が代強制に現れた国家ー文部省の介入の強化,等々。それに対して,正面切って根本的に対決する大学はなく,大管法なき大管法体制を続け,ささいなことで学生運動に対して警察力を頼みにした弾圧を加え続けている。大学自治は,1960年代末以来,死んでいる状態である。日共は,学生運動弾圧のための警察・機動隊の学内導入に対して,それで学問と研究の自由が戻り自治が守られ,大学自治・教授会自治が回復したと述べている。しかし,実際は逆である。なぜなら学園の秩序と安定は,教授会や学校に対する信用や尊敬,信頼や徹底的民主主義によって保たれているのではなく,国家権力の暴力によって保たれるようになり,したがって他によって成り立ってるのでそれは定義からしても存在しないからである。
1970年代には,大学は,就職予備校と化していった。大学は,高度成長に伴うホワイトカラーや技術者・研究者の不足に対応するために,マスプロ化し,産業界の要請に応えていったのである。大学が産業界の要請・資本の要請に従っていったことによって,大学闘争は,階級闘争としての性格を帯びていった。それに対して,大学当局は,当初は大学自治を守るような民主的なポーズを見せたりして,権力の介入には消極的であったが,大管法を背景にした国家権力の恫喝に次々と屈していったのである。
日共は,こうした現実を無視して,大学自治・民主主義の幻想にすがり,結局は,闘う学生を反共反革命反民主集団と規定し,その暴力には法的手段で対抗する方針を決定した。かれらは「学生自治会は,全員加盟の自治会として規定されている」,それが組織の絶対的な性質であり,全員加盟制自治会は,クラスを基礎にし,クラス討論すべきだという。ところが実際には,学生大会が,わずかの人数で成立したり,ストライキなどの重要事項が少数のものによって決定されるという長年の習慣が横行しているとも述べ,理念と現実が乖離していることを自ら認めていたのである。日共は,形式民主主義を規準にして自治を規定し,形式的な手続きを規準にして民主主義を測っているのだ。
こういう全員加盟制自治会による学生の切実な諸要求の実現を目指す日共全学連型学生運動に対して,三派全学連は,全人民的政治闘争の一環としての学生運動を対置し,あくまでも学生運動を階級闘争と結合させようとした。闘う学生運動は,諸種の政治課題を学園に持ち込み,それを最先頭で闘うことによって,階級闘争と連帯しようとしたのである。大管法は,まさにこうした部分を狙いうちにした治安弾圧法であった。政府文部省は,78年「4・20文部省通達」によってこの体制をさらに打ち固め,大学から学生の自主的な政治活動を排除し,学内の秩序維持,徹底管理しようとした。この通達の現実化として,たとえば筑波大学は,1979年自主学園祭運動を成功させた学生を翌80年に大量処分ー弾圧したのである。それに対決した筑波大闘争は,4・20体制打破の全国学生共同闘争として闘われることになったのである。
日本政府の大学政策は,1971年中央教育審議会第九期第二三回答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」が基本となっている。この路線(教育と研究の分離,細分化・専門化,大学の社会への解放をも口実にした産学協同等々)が,72年筑波大法,73年筑波大学開校,76年私学助成法に紛争校への助成金打ち切り項目を含め,78年「4・20文部省通達」,同年関西学術研究都市構想始動,79年共通一次試験開始,81年中教審で生涯教育推進が打ち出され,放送大学設置法成立,大学院大学,国立大学の90年代後期ー現在の独立行政法人化等々と推進されてきた。それは同時に大学管理法とそれを引き継いだ「4・20文部省通達」の国家統制・管理,治安の実現化を伴っていた。こうして,1960年代末以来,政府文部省ー支配階級は,階級闘争と結合しようとした闘う学生運動を必死で叩き潰そうとし,それを封じ込めようとしてきたのである。こうした中で,日共民青全学連は,時折,日常的諸要求運動や学費値上げ阻止闘争や反消費税国民運動の一翼を担ったりしてきたが,それに対しては,政府ー文部省は,気にするほどのこともない存在として無視し,また学生や学外大衆もたいして相手にしていない。
さらに,80年代前半に,中曽根政権は,臨調行革路線の一環として国公立大学の特殊法人化を唱え,教育経費の切り詰めをはかった。しかし80年代後半には,バブルの発生によって,大学はレジャーランド化したと言われるようになり,大学の就職予備校化がさらに進み,その中で,学力低下が懸念されるようになった。しかし,それでも,71年中教審答申の基本は,着々と実現され,この過程で,大学の非政治化が進んだが,指紋押捺拒否闘争に連帯する学生運動などは,一定の盛り上がりを見せている。闘う学生運動はけっして,「4・20通達」体制に屈しきったわけではなかった。むしろ,自己規制していたのは,教授会や大学当局であり,かつて,大管法にこぞって反対したような政治的発言を控えるようになったのである。そのことが,大学全体の非政治化とか政治的アパシーとか言われる現象を生み出した一因である。しかし,大学や教授連が政治や社会にたいして沈黙する中でも,闘う学生運動は,「量は少なくとも質のよい」政治社会闘争を継続していたのであり,それが1980年代後期にはある程度の広がりをもったのである。
90年代になると,文部省は国公立大学の独立行政法人化を強く打ち出してきた。また,バブル崩壊後の経済停滞によって,政府の財政赤字問題が深刻化してきたたため,経営の効率化のための競争原理の導入という観点が強調され,研究費の選別基準の見直しや企業との共同研究や依託研究の促進とか大学からの起業の促進とか,産学協同をさらに進めようとしている。それは,科学・技術の資本への一層の包摂であり,生産過程への結合をより深めるものである。たとえば国公立大学の独立行政法人化は,大学単位での独立採算を求めるもので,それによって大学運営が経営効率の観点に偏ることは必定である。また,飛び入学とか単位互換とか合併とか最新の学問・研究を目指す専門的学科の新増設とか,大学院大学とか,二次試験における面接や論文重視への転換とかがあった。受験競争の中で,学生が,入試突破を最優先して受験科目以外を勉強しないようになったために,学力低下が深刻化したということが問題として指摘されるようになった。関連する教科を切り離してしまう専門化と細分化の弊害が深刻化しているのである。自然科学には語学力が必要なのにできなくても入試を通ってしまうとか,医学部の学生が生物学を知らないとかいうおかしなことがまかりとおるようになってしまったのである。
私学は,すでに私学助成金なしに経営が成り立たず,文部省の指導・管理に従順に従っている状態であるが,少子化によって,学校間の競争が激化している。私大の学生獲得競争は,酒田短大事件で明らかなように留学生にまで及んでいる。
今年四月には,能力主義・つめこみ教育の弊害を是正するとして,新指導要領に基づく学校完全週休2日制が実施される。この新学習指導要領で,小中学校で一年間の授業時数が68〜70時間減り,中学では一週間の授業も30コマから28コマに減るために,大学での教養課程が重要になってくる。しかし,大学では,すでに教養課程はなおざりになっており,90年代にはこれを廃止する動きが強まった。とりわけ,91年の大学設置基準改定で「人文科学」と「自然科学」などの履修単位の制約がなくなってから,大学は,専門教育を増やしてきた。この線に沿って,東大では,教養部廃止・駒場寮廃寮攻撃が,『闘争のエチカ』(河出書房新社)でエリート教育の必要を強調した蓮実重彦学長時代に本格化したが,学生たちの闘いは弾圧され,寮は潰された。それに逆らうように,今年四月実施の新学習指導要領は,いわゆる受験競争・偏差値偏重,詰め込み教育の弊害への反省から,「ゆとり教育」への転換を,また中教審は教養重視を,打ち出した。しかし学生の学力不足が深刻化しているという学力ー能力主義(エリート主義)からの批判がなされている。
中教審が今年2月21日にまとめた答申は,物質的な豊かさの中で,生活や社会全般において豊かさを実感しにくくなり,価値観が揺らぎ,自信や将来展望を持ちにくくなり,学ぶことの目的意識が見失われ,まじめに勉強したり努力することを軽んじる「学びからの逃走」が起きているのは問題であり,そうではなく,自分の立脚点を確認し目標実現に向けて主体的に行動する必要があるとして,そのための「新しい時代の教養」教育の必要を強調した。さらに,答申では,幼少年期(12,13歳まで)には,道徳心や協調性,しつけを身につけさせることが必要であり,子供に手伝いをさせるとかテレビやゲームの時間を制限するなど,家庭教育に立ち入ったことまで提言している。小中学校段階では,反復練習や家庭学習の課題設定や放課後の個別指導や補習の実施を求めている。これは,遠山文部大臣が1月に打ち出した「学びのすすめ」という学力重視の視点をも取り入れるものだ。高校段階では,卒業論文などを書かせ,討論を通じて論理的な思考を養い,また,人生全体を見渡す機会を提供するとしている。進路指導で将来の生き方を考えさせたり,ボランティアやスポーツ活動を通じて人間の幅を広げることことも必要だとしている。また,全体を通して,ここでいう教養は,「礼儀・作法など型から入り,身体感覚として身につける修養的教養」だという。しかしながら,これは,自主的に考え学習することにつながるのかどうかすら不明であるように,薄っぺらな知識を適当に利用した無教養な官僚作文でしかないのである。また学力重視(能力主義)か教養重視(規範主義)かは曖昧である。
国公立大学の独立行政法人化の動きは,今年2月21日の文部科学省の調査検討会議の「連絡調整委員会」は,大学教員の民間企業役員の兼務や外国人学長を誕生させられるという利点があるとして,大学教員の非公務員化を打ち出し,また,全大学を同時に法人化することを決めた。これはさらなる大学の産学協同化である。他方,先の中教審答申は,長期履修学生制度の導入や高度な専門職業人を養成するために専門大学院の1年制コースをつくり,また通信制博士過程制度を打ち出している。それは,専門化・細分化によって,資本のニーズにより適応した高等教育体制づくりを目指すものに他ならない。そこには企業が必要とする能力が,極めて専門化し細分化してきているということがある。要するに分業の一層の深化ということがある。企業が必要とする技術や知識を短期間で履修する便宜をはかるというのがこの目的である。しかし同時に,今年の中教審では,大学での教養課程の復権が主張されている。これらを見れば,教育・大学・学問の領域でも,ブルジョアジーとその国家に問題解決能力がないことは明白である。
現在の教育は,すでにアダム・スミスが批判したような時代遅れの衒学を詰め込むだけの教育者の利益のためのものになってしまっているのである。すでに衒学と化した古いブルジョア学問,ブルジョア道徳の説教,時代遅れの実証主義,功利主義,古典派経済学,等々の死臭を放つだけの衒学が,衣装をとっかえひっかえリニューアルされているだけなのである。アダム・スミスは,国家が大多数の働く貧民に行う教育は,政府への反抗や反乱の中に利己的不平を見抜く知的徳性,秩序を尊重する社会的徳性,愛国的な軍事的徳性を,「読み,書き,計算」の教育の中で身につけさせるものであり,それは治安上の国家の利益になるものとしていた。他方で,大学などの高等教育は,もっぱら学生の払う授業料・謝礼に依存する個人教師による教育であるべきだといっている。それは革命的な時期のブルジョアジーの教育思想であった。しかしブルジョアジーの支配が進むにつれて,先の『剰余価値学説史』の引用部分でマルクスが示しているとおり,大学教育も階級支配に奉仕するものに転化したのである。
新時代を切り開くプロレタリアートには,アダム・スミスが批判したような衒学として今度はブルジョア学問を批判し,それらをつくりかえていくということが必要である。それはブルジョアジーの護教論にすぎなくなっている経済学や倫理学や実証主義社会学等々を批判して,学問の変革と同時に教育・大学の変革をも課題とするということでもある。闘う学生運動は,階級闘争の一部として政治社会闘争を闘うことと結びつけて,かかる課題を遂行する必要がある。その中でこそ,日共全学連的な形式的閉鎖的手続き的自治ではない,高度な社会性を基礎にした開かれた自治の現実化の可能性が開けるのである。等々。
本稿がこの領域の一部を大ざっぱに見たにすぎないことをお断りしておきたい。