はっきりしてきた21世紀初頭の世界
渋谷一三
245号(2002年1月)所収
1.EUROが流通を開始した
経済の基礎条件も福祉など社会的分配の方式も異なるEU加盟諸国が、その相違を残したままではあるが、ユーロ貨幣の流通に踏み切った。
このことは貨幣の意味を改めて問う壮大な実験の開始を意味する。
各国の中央銀行が信用を供与し貨幣を発行するのが20世紀の主流であったが(英国領香港は各銀行が通貨を発行していたが、19世紀には主流であったこの方式は、20世紀には例外的になった)、信用を供与するのが国家ではなくなった点は注目に値する。信用供与の主体が国家であったかのように見えた現象を、ユーロ発行は否定した。また、国家ごとに通貨が発行される現象の根拠を各国の経済条件(fundamentals)の相違に求めていた大方の経済学派に、その再検討を指示することとなった。
この2点だけでも画期的であるが、その動機はどうであれ、人類が国境を廃絶する手段の一つを提示したという意味において、もっと画期的である。
こうした動きに加速されてか、日本も1月13日にシンガポールとの間で自由貿易協定を日本として初めて締結した。今後もASEAN各国との間に自由貿易協定を結び円経済圏の樹立を目論んでいくものと思われる。
米国はカナダとの間に北米自由貿易協定を結んでおり、さらにメキシコをはじめとする中南米諸国との間の自由貿易圏を拡大しようとしている。
そもそもEUはドルの一元支配に対抗し米国並みの「自国市場」を形成し、ドルの世界支配から西欧を自由にしようとする発想から構想された。あるいは、ドル支配に代わってユーロ支配を目指したかもしれない。しかし、その道のりの険しさの中で、かつてのブロック経済化とは異なる質を体質化することを余儀なくされ、謂わば人類が国境を廃絶する手段の一つを手にすることを強制された。それは経済条件・社会条件の異なる諸国が一つの通貨を持つという課題を解決するためには、結局のところ、経済条件の同一化が避けて通れないし、実際に域内の関税を撤廃する中で、経済条件は均質化されていった。東ドイツの崩壊もこうした流れを基礎に起こった現象だった。
関税を撤廃すると消費者は簡単に国境を越え、同じものが安く買える国に買い物に行った。何も諸個人がわざわざ隣国や遠い国に買い物に行くことによってではない。同じものが他国で安く買えるならビジネスとして成立する。例えばドイツの輸出したワーゲン車がイタリアでは10%安く買えるなら、逆輸入してくればいいのである。こうして、まず為替レートから国境の烙印が消え逆輸入が成立しなくなっていく。域内の為替レートの操作による利子生みは成立しなくなる。ある一国の経済の先行き予測によって変動する為替レートはその意味を失う。なぜなら、将来、ある一国の通貨が極端に安くなれば、その国で買った方が安いものは一方的にその国の輸出産目になり、他の諸国の経済に大打撃を与えるから、即座に是正されてしまう。したがって、為替差益が成立しなくなってしまったのである。域内のどの国で買おうが商品Aは同一の価格で、どの通貨で買おうが同一の価値を表示しているとなれば、ある国においては急速な物価の下落をもたらし、他の国においては急速な物価の上昇とそれに遅れながらも賃金の上昇が強いられ、結局のところ、経済条件の同一化が促進されていく他にない。
こうしたことがこの10年間の間にEU諸国内で進展したことだった。
これは植民地に自国通貨を流通させ搾取の手段とし、労働条件はますます悪化させたブロック経済とは内容的に異なる進展であった。
筆者がおよそ10年前に危惧したブロック経済化の可能性については、こうした過程を経て、EU内においては杞憂に終わったと断じてよいだろう。
しかし、米州のドル圏、東アジアにおける円圏の確立の野望が進めば、EUもユーロ圏という一つのブロックに転化してしまう可能性は依然としてある。
そこで、問題はドル圏と円圏の推移にある。
おそらく、ドルは一番危険な通貨圏になるだろう。円圏が成立しないことによってしか、ブロック化を免れることは出来ない一番危険な通貨圏になるだろう。カナダとの関係以外は収奪構造だからだ。ドルを直接流通させる試みをしたアルゼンチンが経済危機に陥っている現状が面倒な分析や論証を抜きにして、収奪構造だという結論を示してくれている。
円の検討に移ろう。
EUとは違って単一の共同体や経済圏を作ろうという志向は存在していない。
また、ドルとは違って世界の基軸通貨でもない。アジア圏のみ円で決済しようという日本以外の国にとっては不利な条件をのむはずもなく、依然としてドルが決済通貨であり、円決済はその金でまた日本のものを買う時にのみ用いられる例外でしかない。
他方、日本は為替の差益(差損)の問題で、アジア諸国を収奪することによって実現してきた「豊かさ」に翳りが見え始めた。確かに輸入品はただ同然の値段で手に入り、その結果諸物価が下がってきた。だが、それをデフレと懸念せざるを得ないのも確かである。フリーターやパート労働者の飛躍的増大は平均賃金を確実に押し下げたし、失業者の増大が労働者上層部の賃金をも少しずつ下げはじめている。古典的賃金切り下げさえ始まったのである。
「開発輸入」によって国内産業が成立しにくくなり、失業者が増大したのだが、日本企業が東アジア諸国に進出し、そこの安い労賃を使って安価な製品を生産し輸入もする開発輸入は、農業にさえ及び始めている。その意味で成熟したといっていいだろう。
開発輸入を嘆いても仕方がない。企業は国境を越える。越えなければグローバル競争に勝てない。ということはその企業の倒産を意味する。したがって、国内の製造業の「産業空洞化」が進行し、15〜20年を経て国内失業者の増大となって表れた。消費を支える人々が減るのだから、国内市場の規模が縮小する。それが、ますます海外への生産拠点の転移を促進してしまい、大手の製造業の生産拠点はほぼ軒並み東アジア諸国にある。
この同じ過程が、農業においてすら進行し始めている。
この現象の行き着く先はEU内諸国の経済条件の同一化なのか、日本帝国主義の相対的没落なのかは未定であり、広い意味での階級闘争の結果に左右される。そのことがドル経済圏を危険なものにするか否かを決定していく。
21世紀初頭の経済構造はこうしたものとしてはっきりと姿を現わしたのである。
2.米帝国主義の政治支配
昨年後半の連載で少しながら分析した米帝の破綻している論理の押し付けは進展している。
イスラエルは早速この「論理」を活用し、テロリストを捕まえて差し出さないのは、口先だけでテロ反対を言い、実際にはテロリストを容認しているのだという「論理」にしたがって、ハマスを捕まえて差し出さない以上、アラファトも暗殺してよいのだと言い始め、実際に暗殺を計画し実行しようとしている。ただし、現在のところ、これは恫喝材料であり、殺されているのはPFLPやハマスの幹部だが。
LIC・LIWに始まった反革命テロは今日その隆盛期を迎えている。およそ左翼と名乗る全ての人民に、決して支持することは出来ないが、帝国主義が確実に生み出す帝国主義に対する反乱に対してどのような態度を取るべきなのかを明らかにすることを迫っている。
湾岸戦争時のイラク。今回のアフガン。その間のアフリカ諸国への直接爆撃。
今、米帝は絶好調・有頂天の時期にいる。調子に乗って、ソマリアやイラクへの侵攻さえ口にし出している。世界的無秩序の時代の到来であり、対米「テロ」もまたますます盛んにならざるを得ない。
帝国主義を廃絶していく闘いもこの時代の中で活性化していく。
それは、フセインやビン・ラディンのような帝国主義への反乱一般とは明確に区別される闘いではあるが、反乱者の鎮圧を名目になされる非人道的な戦争や反革命にどのような闘いを組むべきかを鋭く迫られている。
今回の戦争に対して取った心ある人々との結合とその闘いから学ぶ作業を通して、論理化をしていく決意です。
全ての人々、全ての党派の人々がこの論議に加わってくださることを要望します。