米国への同時多発突撃にみる帝国主義の論理破綻(3)
渋谷一三
243号(2001年11月)所収
遂に首都カブールが陥落した。不思議なことに、無抵抗で「明渡し」ている。
よほどの圧制を敷いていたのか、南部でのゲリラ戦に持ち込むしか軍事的に無理なのか、よく分からない。
日本人民はイラクに続き支持することが出来ない政権(勢力)に対する帝国主義の側からの戦争にどういう態度を取るべきなのかという課題に直面した。
パナマに対する米国の侵攻、ニカラグアに対する米国の侵攻、これらの侵攻と比べて、「新左翼」の態度は歯切れが悪い。だが、マスコミの報道が激しいこともあって、イラクへの侵攻・アフガンへの侵攻の方が、一般の関心は高い。高い関心にもかかわらず、宣伝がなされていないこともあって、「新左翼」の存在があるいはその論理が一定の人民を獲得することが出来ないでいる。
今回はこの点に焦点を当てて、米国の侵略戦争を考えてみたい。
1.日本の論調
民主党の論調は(2)で、分析した。結果は、予想通り、自民党と同じになった。相違はなく、ただ単に手続き上の軋轢があったために、自衛隊の派兵に国会の事前承認が必要と言い張っただけのことである。自由党と自民党の隔たりの方が大きいくらいで、自由党はあくまで国連の軍事行動の一環としての軍事を主張している。
自民・民主・公明・保守・自由の5党は、帝国主義的利益を追求することに報復するいかなる勢力も行動も許さないという軍事に、自らの立場を見出している。このためには命をかけるのであるから、徹底したブルジョアの立場である。したがって相違が出ようもない。
これに対して、「市民」運動、「市民」の感覚は異なる。その代表的な論調を引用しよう。
(1)『テロ攻撃に逆上した米国と、日本を含む同盟諸国が近代国民国家の体裁さえかなぐり捨てようとしていることだ。テロ対策をすべてに優先し、法的根拠もなく多数の容疑者≠身柄拘束し、一切の話し合いを拒否して大掛かりな報復攻撃に踏み切るような米国のやりかたは、もはや成熟した民主主義国家の手法とはいえない。』
『これにひたすら追随する日本政府は首相みずから憲法9条、同99条に違反してまで、米国の報復攻撃を助けようとやっきである。勢いづくこの国のタカ派の論法の先にあるのは、徴兵制の復活であろう。』
『そろそろ米国というものの実像をわれわれは見直さなければならないのかもしれない。建国以来、200回以上もの対外出兵を繰り返し、原爆投下をふくむ、ほとんどの戦闘行動に国家的反省というものをしたことのないこの戦争超大国に、世界の裁定権を、こうまでゆだねていいものだろうか。』
(辺見 庸 さん)
この論旨は筆者が、このシリーズの1で述べたことと多く共通する。筆者もびっくりしている。
(2)『9月11日以来、インターネット上に見られる第三世界の発言をまとめてみよう。初めのうちは、米国に対する強い「怒り」の発言が多かった。米国は、朝鮮戦争以来、ベトナム、イラクなど20カ国以上の国々に無差別爆撃を行ってきた。湾岸戦争当時、米軍がイラクに投下した劣化ウラン弾はどれほどの放射能被害をもたらしているか。続く経済制裁では、多くの子どもたちが栄養失調で死んでいる。3年前、ケニア、タンザニア米大使館に対する自爆テロの報復として、米国がスーダンの医薬品工場を誤爆したが、その結果、予防ワクチンが不足し、2万人の子どもたちが死んだことに、米国はどう責任をとるのか。米国こそ最大のテロ国家ではないか。』
『時間を経るにつれて、発信内容に変化が見られる。アフリカでは、今回の米国でのテロ犠牲者とほぼ同数の人々が、毎日エイズで死んでいる。債務の支払いによって、毎日、1万9千人の子どもたちの生命が奪われている。経済のグローバリゼーションの推進勢力と米国は、重なって見える。ブッシュ大統領の報復戦争は第三世界全体を反米で結束させ、「反テロ世界同盟」に参加した政権の不安定化をもたらすだろう。』
『日本はブッシュ大統領に「ノー」と言うべきである。そして、政府、地方自治体、赤十字、NGOが共同して、国内の被災者と難民の救済に全力を尽くすべきだ。』
(北沢 洋子 さん)
(3)『湾岸戦争後、バグダッドに乗り込み、子どもたちのため薬を届けました。ライフラインが破壊され、保育器が止まったため亡くなった赤ちゃんや、電話が不通となり救急車が呼べず、親が抱いて病院に走る途中に亡くなった子もいました。爆撃を受けた人たちは目を覆いたくなる無残さでした。「怨みを報いるに怨みをもってすれば、怨みのつきることなし」と仏教は教えています。テロリストは世界共通の敵ですが、武力報復に訴えない解決法を模索するべきです。』
『日本は武力報復に協力するべきじゃない。へっぴり腰と言われてもいい。難民受け入れや医師による傷病者救護など、弱者を救うためにできることはあります。』
『最近、東京で一組の夫婦に声をかけられました。初老の奥さんが「長男が崩壊したビルで仕事をしていて、今も行方不明なんです。」と打ち明けました。ご主人はショックで発作を起こしたそうです。慰めの言葉もなかったのですが、ご主人が涙をぬぐって「これ以上戦争して無駄に人の命を奪うのはやめてほしい。人殺しはもう結構です。」ときっぱり言われました。それまで私は、身内に被害者がいないので「報復はいけない」と言い切れるのだろうかと迷いもありましたが、この言葉を聞きほっとしました。』
(瀬戸内 寂聴 さん)
(4)『オサマ・ビンラディン氏もタリバン政権も、イスラム世界のなかでは孤立した存在だった。テロ集団に的を絞って作戦を展開すれば、反発はアフガニスタンの国外には広がらなかったかもしれない。それを空爆に訴えたために、アメリカとイギリスによる攻撃は、広くイスラム社会全体への国家テロとして記憶されてしまった。』
『今回の軍事行動は問題を解決するどころか、さらに多くの問題をつくりだしているのである。それでは何ができるのか。実はすでに、日本は国際貢献を行っている。大国の軍事介入の後に内戦と貧困と荒廃が残されたもう一つの地域として、カンボジアがあった。 東南アジア諸国連合諸国、オーストラリアや日本の協力によって、軍事行動を極力おさえながらポル・ポト派の孤立化を達成した。』
『テロを前にした日本の貢献は、安保条約と平和憲法のどちらを優先するのかと言う伝統的な論争の延長に展開されている。だが、戦争という現実にユートピアを対置する必要はない。テロを克服する前提となる、巡航ミサイルよりもはるかに地味な国際貢献をわれわれは行ってきたからだ。』
(藤原 帰一 さん)
まとめてみると、
- 米国こそテロ国家である。
- 新植民地主義がテロを生み出した。
- 日本は武力行使でなく貢献すべきである。
- 日本は米国に追随するな
となる。
こうした論調は「市民」のおおよそに共通するものである。
先の国会内5党が、完全に帝国主義の権益を守る立場に立っていたのに比べて、「市民」の論調は、米国式帝国主義に「NO」と言っている。すなわち、非帝国主義の立場を支える論拠が上記の4点である、と判断してよいだろう。
これに対して、日系米国人の論が面白いので、引用しておく。
(5)『ベトナム反戦は平和主義の運動ではない。ベトナム戦争は米国の国益にも、ベトナムの国民のためにもならないし、混乱した目的のために米国人が死んでいるのはおかしいという運動です。日本の平和主義とは違う。正しい目的のためなら戦う覚悟のある人々が、この戦争は間違いだ、非道徳的だと考えたからこそ運動は力を持った。』
『現在の平和主義者は武力に対して武力を行使するのはあらたな暴力を生むだけだといって反対している。彼らの動きが重要でないとは思わないが、平和主義を超えた共感を生まない限り、影響を持つのは難しい。』
(マイク・モチヅキ)
日本の非帝国主義の立場の人々を米国の平和主義者になぞらえることはできない。米国の平和主義者は宗教的背景を持ち、かなり異質だ。にもかかわらず、マイクさんの論が面白く感じられるのは、日本の非帝国主義の立場の人々の論が、帝国主義の結果には否定的に言及するものの、帝国主義の暴力・軍事を不当なものとして正面から批判していないことに、マイクさんの指摘が当たっているように感じるからだ。
換言すれば、帝国主義の軍事を正面から批判することに失敗している弱々しさこそ、日本の運動が克服しなければならない課題だということができよう。意図的「誤爆」を含め誤爆や空爆による民間人の犠牲者が増えるにしたがい、反米・反小泉の機運が盛り上がり始めたものの、カブールが北部同盟によって占領されるや、下火になり始める背景には、この点の弱さがあるものと思われる。
そこで、本稿の当初の目的に立ち返ることとする。
日本人民は、イラクに続き、支持することができない政権に対する帝国主義の側からの戦争に対して、いかなる態度を取るべきなのかということである。
2.
結果から見れば明らかだが、タリバン政権はパキスタンの軍事援助によってロシアと現在北部同盟を形成している諸派に勝利することができた「傀儡」政権であり、きわめて脆弱な権力基盤しかもっていなかった。
また、単なる遺跡であり、遺跡としてのみ貴重な価値のある石仏群を破壊してしまうほどに教条的・神学生的純化を追求してしまう観念的集団でもあった。
それゆえにか、オサマ・ビンラディンという個人とその集団を匿うために、いかに不当とはいえ、国家侵略を許してしまうほどに、アルカイダとの特別な関係にある国家意識のない集団でもある。
こうした支持することのできない政権に対する帝国主義、とりわけ米国による侵略に対しては、はっきりと反対の態度を取り、デモなどを行うべきである。このさい、「新左翼」は旧来の実力行動主義とははっきりと決別し、宣伝戦・組織戦でどちらの側が自らの論理に国民の多数を獲得できるのかを勝敗の指標にすべきである。実力行動の先鋭化の先には決して軍事は組織されるものではないことを新左翼の歴史から学んでいるはずである。
今回のように帝国主義の侵略による犠牲者の暴露、その論理のおかしさの暴露などなど、上記に引用した人々のような論議はもちろん有意義で有用なものである。こうした領域での論議にもしっかりとコミットした上で、党派はそのつどの帝国主義の軍事の本当の目標を暴露することに腐心すべきである。
現在のところ、反テロの合唱の前に、ブルジョアジーの側がポイントを挙げている。
日共のように「反テロ・反報復」を掲げることは、この宣伝戦・組織戦に初めから敗北を宣言することに等しい。米国の侵攻反対を掲げ、彼らの軍事の目的を暴露する簡潔な表現を見出す努力をしよう。これは、侵略という概念では表現できないゆえに、新たな表現を流通させることをも要求する。
次稿では、この点に焦点を合わせて考えていきたい。