共産主義者同盟(火花)

戦争と共産主義の党

流 広志
243号(2001年11月)所収


 戦争はすでに1ヶ月以上続いているが,今では誰もが戦争が長期化することを認めている。テロとの戦争を掲げている以上,米帝ブッシュ政権が,たとえタリバン政権を崩壊させ,ビンラディン氏とアルカイーダを潰しても,それで反テロ戦争が終わるということはありえない。戦争は政治の延長であり,また直接的な軍事戦闘だけが戦争ではない。米帝がテロリストと規定する勢力は世界中に存在している。それらは,タリバン政権の存亡に関わりなく存在し続け,生み出されていくだろう。なぜなら,それらを生み出している一因がグローバル資本主義にあるからである。90年代にアメリカが先頭になって押し進めたグローバル化が先進諸国と第三世界の貧富の格差を拡大し続けたために,グローバル資本主義に対する反感は,第三世界諸国内に深まり拡がっていった。イスラム原理主義は,もともとイスラム社会の貧富の差への反発と告発という性格を持っていたため,イスラエルのパレスチナ侵略と虐殺に対する反発とあいまって,グローバル化を強力に押し進めてきたアメリカなどの先進資本主義諸国に対する憎しみが強まっていったのは当然であった。また,イスラム諸国の支配層が先進資本主義諸国と結んで巨利をむさぼる一方で,一般民衆の貧困・零落・惨禍が深まっていくことへの抗議の声が拡大し,そうした情況が,イスラム原理主義を反政府的にしてきたのである。災禍,貧困,抑圧,差別が人々を恐怖と絶望に追いやり,イスラム原理主義に向かわせているのである。したがって,最貧国アフガニスタンのタリバン政権とアルカイーダを潰しても,これらのことが解決しないかぎり,イスラム原理主義はなくならず,その中から次々とイスラム武装勢力が生み出されてくるだろう。そもそもアメリカ帝国主義は,1979年にアフガニスタンに侵攻したソ連に対抗するために,イスラム諸国から集まった義勇兵にたいして,軍事訓練や武器・資金援助を行って反共戦士として利用し,その中で,ビンラディン氏らが訓練され勢力をのばしたのであり,かれらを育てたのは欧米諸国だったのである。冷戦が終了すると,アメリカはかれらを見捨てた。そして,今度は,アメリカの傀儡のパーレビ王政を打倒したイラン革命を潰すだめにイランへの戦争をけしかけ,支援・利用したイラクを,湾岸戦争でたたいたのである。そういうアメリカの姿を見てビンラディン氏らは反米に転じたのであった。
 戦争の勝敗が装備の近代化度や物質力だけで決まるものではないということは,ベトナム戦争が証明した。日本のマスコミでは,軍事評論家と称する軍事オタクが連日登場し,アメリカの兵器の優秀さを強調して軍需産業の広告塔をつとめているが,予想はずれが多く,言うことがころころと変わっている。かれらの多くが信奉している軍事力学主義は一面的で非現実的である。1991年の湾岸戦争でも1999年のユーゴ空爆でも軍事力学主義の破綻は証明されている。誤爆の政治的ダメージは大きく,ハイテク兵器神話は傷つきやすい。重要なのは政治である。欧米諸国は,文明と非文明(野蛮)の対決,善と悪の対決,人権,などの価値を掲げて戦争をしているために,自分たちの側の野蛮行為や悪,人権蹂躙などの不正義が暴露されることに神経をとがらせている。兵器や作戦の非人道性,誤爆などの野蛮さや悪の暴露への強い配慮は,イスラム社会の反感や批判を考慮せざるをえないアメリカの政治的立場の微妙さを物語っている。しかし,戦争を始めてしまった以上は,大量殺人兵器の使用や誤爆・環境破壊を伴う攻撃を続けざるをえない。軍事力・物質力で圧倒的に優位に立つアメリカが政治的に微妙な立場での綱渡りを演じ続けざるをえないのである。
 アメリカが政治危機に見舞われ経済危機にも突入しつつある時に,これを助け,その危機を共有しようとする日帝小泉政権は,アメリカの戦争をただちに強く支持し,米軍支援のための「テロ対策特措法」「自衛隊法改定」を強行日程で短期に成立させ,参戦を決定した。これは,官邸・防衛・外務官僚が早々と決定して根回ししたもので,官僚主導によるものである。「官僚主導から政治主導へ」という空手形を振り出した小泉首相だったが,あっさりと馬脚をあらわした。熟慮を要する大事であったにもかかわらず,性急な支持表明ができたのは,官僚が用意してあったためだと考えるのが常識であろう。テロ対策特措法審議で首相がくり返し「常識」を口にしたので,ある新聞が「変人が常識を口にするのはおかしい」と皮肉ったが,小泉首相のデマゴーグぶりは今や誰の目にも明らかである。
 『火花』誌上では,資本主義には戦争をなくせないということを何度も指摘してきた。ブルジョアジーは,資本主義の下での恒久平和が可能であり,戦争をなくせるかのように言って人々を欺いている。ブルジョアジーは,全世界が資本の権力に完全に屈してしまえば,ルールに従って行われるゲームのような平和な自由競争の世界になり,戦争はなくなるというのだ。実際には,自由競争を土台にして独占が生まれ,自由競争と独占は補完関係にあり,独占から帝国主義が生み出され,帝国主義から戦争が生まれるのである。たとえば,旧ユーゴスラヴィアの内戦にNATO諸国とアメリカが執拗に介入したのは,せっかく作り上げた資本の一大経済圏EUが外部から脅かされようとしたからである。そのために,ミロシェヴィチをヒトラー扱いしてまで排除しようとしたのだ。旧ユーゴ内戦では,民族間の虐殺は,全民族間で行われ,ドイツはクロアチアを,イタリア・カトリックはスロヴェニアを,アメリカはムスリム勢力を,ロシアはセルビア人を,それぞれ支援して外から民族主義を煽り,民族対立の泥沼を深めたのだ。そんな有り様だったので,諸民族が自己の民族主義を絶対善と考えたのは無理からぬことであった。それが資本主義的帝国主義の競争の実際なのである。それにたいして,民族主義の熱狂や民族間の労働者をけしかけて殺し合わせることに反対するプロレタリア国際主義を対置する声は,残念なことではあるが,それほど大きくは聞こえなかった。それは,労働者階級の国際主義精神で,ユーゴスラヴィアの労働者大衆が教育されておらず,またそれを推進すべき共産主義勢力が育っていなかったためである。しかし,プロレタリア国際主義の精神は,ハンガリー,ドイツ,イタリアなどの反戦運動の中に現れた。その精神に立つ反戦運動は,NATOの空爆反対を叫び国際的に声を合わせたのである。今度の戦争でも,イギリスでは米英同盟にもとづいて,アフガニスタンでの戦争に当初から参加して積極的に動いているブレア労働党内からさえ,戦争の停止を求める議員が続出するなど,反戦の声は,戦争の長期化にともなって,世界各地,日本各地でますます大きくなっている。それを,自国政府打倒に結びつけることが必要である。
 日本は事実上の参戦国となった。それにたいして,タリバンは「敵と同盟して参加するものは,敵と同じである」と言っている。自由党は,「現在の戦争には,前線も後方もない。後方支援は戦闘行為である」と言っているが,これは正しい認識である。自衛隊による後方支援は参戦である。「武力行使と一体にならない」とか「戦闘地域には行かない」ことは物事の本質を変えるものではなく,後方で戦争を支援し物質的に支え協力することは,アメリカの戦争への参加であり,参戦以外のなにものでもないのである。たとえば,それは,後方支援中に敵の攻撃によって自衛隊員が死亡した場合は戦死になるということであり,自衛隊が米軍に運ぶ武器や爆弾が前線で使用されてアフガニスタンの人々が殺されるということである。小泉首相はこれは参戦ではないと繰り返して人々をだまして,こういう重大な法案を,時限付きの特別法だからとして,わずかな審議で通ってしまったのである。ところで,これに反対することにたいして,「対案を出せ」「なんでも反対はだめだ」「反対のための反対はだめだ」という言葉が,反対派への脅迫言葉として繰り返されているが,こうした脅し文句にすぎないものを本気にするのは愚かである。反対は一つの立派な対案であり,「なんでも反対」するのは自由であり,「反対のための反対はだめだ」は意味不明なのである。また,内心では戦争に反対だが,それではテロリストに味方するのかと脅迫されて板挟みになっている人がいる。しかし,テロについての定義が不明確な段階で白か黒かの二者択一に答える必要などない。問いが間違っているのだ。誰がテロリストかは主要にはアメリカが政治的に決定しているのである。それに,アメリカの戦争に反対することはテロリストを支持することを意味しない。なぜなら,今アメリカが行っている戦争は,国際法上は,自衛権の発動であり,正当防衛のための戦争にすぎないし,その実は帝国主義政治の延長の侵略戦争だからである。それにテロ撲滅のための戦争という名目をつけたのは,この戦争を,国際社会対テロリストの闘いとして正当化し,他国を味方にするためという政治的理由からである。その証拠に,先日,国連のアナン事務総長が,早期の戦闘終結,空爆の早期停止を要請したのに対して,ブッシュ大統領はラマダン中の戦闘継続を表明し,国連(国際社会)とアメリカの意志が対立したのである。アメリカ政府と反米テロとの闘いは今に始まったことではない。ビンラディン氏とアルカイーダ,タリバンを壊滅したところで,そのごく一部をなくすだけで,第二第三のビンラディン氏が生まれてくるだけである。アメリカは,テロ撲滅を掲げる以上,特殊部隊や諜報機関を主にした闘いを延々と続けて行くしかないのである。
 ビンラディン氏が「文明間の闘い」「十字軍に対する聖戦」を呼びかけているのに対して,この戦争は,アメリカ本土での攻撃に対しての正当防衛としての戦争であり犯人を捕縛する闘いであるとだけ言っておけば十分だったのに,「文明と野蛮」「十字軍」「善と悪」の闘いを叫んでしまったことで,ブッシュは,政治的に大きな失敗を犯した。余計な事を言ったばかりに,ビンラディン氏が描く,「西欧対イスラム」「キリスト教文明対イスラム文明」「十字軍対イスラム社会」の聖戦という対決構図にひきずりこまれてしまったのである。そのミスを取り返すために,あせってイスラム教指導者との会談や発言の訂正などをせざるをえなくなった。1999年のユーゴ空爆では,ナチスばりの民族虐殺者セルビア人対国際社会という対立図式に持ち込んだこともあって,ミロシェヴィチとセルビア人を助ける者はあまりなかったのに対して,今度の戦争では,世界各国のイスラム原理主義者が義勇兵として続々とアメリカとの戦争に乗り込み,インドネシアなどのイスラム諸国が,陰に陽に,アメリカの攻撃の中止を求めている。

 われわれは共産主義者である。ブッシュの描く対立図式もビンラディン氏の描く対立図式も受け入れられない。この戦争は,帝国主義ブルジョアジーが,農民が多数を占める部族社会,内戦で土地を捨てざるをえなくなった難民が何百万人もいる最貧国に対する戦争である。どちらが先にしかけたかということは戦争の基本的な性格には関わりはない。たとえば,アメリカでは,9・11事件が起こった時,「真珠湾を忘れるな」というスローガンが叫ばれた。アメリカ政府と支配階級は,先に戦争を仕掛け,だまし討ちをした方が,卑怯な悪者で,正義はアメリカにあるということを言いたいわけだ。しかし,太平洋戦争に至る経過を見るならば,遅かれ早かれ,戦争が始まることは必至だったのであり,そのことを国民に隠しながら密かに戦争準備をしていたアメリカ政府は,帝国主義戦争を,だまし討ちに対する正当防衛戦争だと言って国民をだましていたのであり,いまだにだまし続けているのである。アメリカ人といっても,移民の国アメリカでは,自国の過去の歴史について詳しく知る者も少ないだろうし,したがって,過去についてだまされていることに気づく者が少ないのは仕方ない。しかし,この機会に,過去にアメリカ政府が行ってきた様々な悪や政府が人々をだましてきたことを知るべきである。アメリカにおいて,自覚したプロレタリアートが増え,かかる帝国主義戦争に反対し,内部からの革命的大衆行動によって,自国政府を打倒する闘いを発展させ,帝国主義政策を一掃し,プロレタリア国際主義に立った政策を実行するなら,世界の労働者大衆との友好的同盟関係を形成できるのだ。そのためには,アメリカの自覚したプロレタリアートは,現在の戦争に反対して,ただちに革命的大衆行動を組織し,それを米政府に突きつける闘いの先頭に立ち,その宣伝活動にただちにとりかからなければならない。
 アメリカでは,この戦争に際して,共和党と民主党がブッシュを支持して大統領の下に結束した。こうして,民主主義を表すとされている二大政党制が,形だけの民主主義であり,ブルジョア独裁の見かけだけ多様な仮面にすぎず,ブルジョアジーの二大派閥にすぎないことが明らかになっている。ただし,民主党には,労働運動の日和見主義派と民主主義小ブルジョアジーが合流している。このブルジョアジーの二つの分派は,今では,非常事態を口実に,一致して,治安や国家統制の強化,軍事国債の発行の承認などの反動的政策を次々と決定している。それに対して,アメリカ人の多くが,愛国主義を吹き込まれているので,自由や権利の制限もやむを得ないと思わされている。しかし,愛国心はブルジョアジーを多く利している。9・11事件の前にはすでにアメリカ経済は悪化しつつあり,いずれリストラが必至だったが,事件によって,それがやりやすくなり,また,非常時だという理由で,ブルジョアジーの望む金利の引き下げや減税があっさりと行われるようになったのである。ブルジョアジーは,愛国主義を労働者大衆に吹き込むことで,それをやむをえないと思わせているのである。労働者大衆は,それにだまされていてはいけないし,それに早く気づいた自覚したプロレタリアートから,愛国主義への熱中がブルジョアジーのためにしかならないことを訴えて,愛国主義への熱中から人々を目覚めさせねばならない。自覚したプロレタリアートは,ただちに,自国政府に対して,戦争を阻止する闘いを突きつけ,自国の敗北を促進し,自国政府に「反逆」して,革命を促進する宣伝にとりかからなければならない。それは,参戦を決定し事実上の参戦国となった日本のプロレタリアートも同じである。帝国主義侵略戦争の参戦国プロレタリアートは,自国政府の敗北を促進し,帝国主義の軍事的敗北をも促進するように行動しなければならない。われわれは,革命的大衆行動の具体的目標を綱領として公表し,その中で,プロレタリア共和制,生産手段のブルジョアジーからの収奪,労働の節約,ブルジョアジーが残した膨大な無駄をなくすこと,軍事費を節約できる労働者・勤労大衆からなる共産同の厳格な統制の下での赤軍による全人民武装の実現,労働者・勤労大衆の利益に反して投機や無駄な投資による不良債権問題の根本原因をなくすためにも必要な金融機関のプロ独国家管理化と統制と記帳の機関へ転化などを掲げている。革命派は,このような革命的方策の宣伝と反戦のスローガンを結びつけなければならない。
 この戦争の階級的性格に基づいて,労働者階級の国際的階級闘争を発展させるためには,帝国主義が掲げている目的のうそ(時には無意識・無自覚の)にもだまされてもならないし,ビンラディン氏がまとう宗教的衣装にもまどわされてはならない。自覚したプロレタリアートは,この戦争の中の階級的性格を明らかにし,自国政府とブルジョアジーの経済危機と政治危機を利用して,国際的なプロレタリアートの闘いを発展させなければならない。一方は,自由や文明を脅かすテロとの闘いだと言い,他方は,キリスト教文明の十字軍とイスラムの聖戦だと言っている。しかし,これらの表象の陰で,帝国主義ブルジョアジーは,事態を利用した利害の実現を目指し,他国を出来るだけ従属化し,半植民地化し,資源を収奪し,自製品の市場にし,労働者・勤労大衆を搾取しようと絶えず狙っている。他方は,湾岸戦争が欧米諸国によるイスラム諸国を従属化したという事実とイスラム諸国での貧富の格差拡大や貧困化の根本に欧米先進資本主義諸国の進めたグローバル化があることに気づいたのは正しいが,それに対して,十字軍対イスラムという宗教戦争という基盤の上で闘うのは土俵が狭い。なぜなら,欧米の文明は,資本主義の世界的体系,世界的文明となっているからである。それにたいしては,世界的基盤の上で,世界史的任務を遂行すべきプロレタリアートの階級闘争で覆すこと,すなわち現在の戦争を階級間の闘争・内乱に転化させる以外に真の勝利はない。アメリカ帝国主義と同盟国家の下の自覚した労働者大衆とアフガニスタンやイスラム社会の貧困・災禍・悲惨に見舞われている被抑圧民族,下層,農民,小商人,難民,女性,労働者,勤労大衆を結びつけ,接近させるためには,このアメリカ帝国主義とタリバンの間の戦争を,抑圧民族に対する被抑圧民族の自己解放のための抑圧民族に対する戦争,国際的な抑圧階級と被抑圧階級の階級闘争に転化することである。そうすれば,アメリカ帝国主義とその協力者たちの政府と支配階級は,全世界を戦場とする闘争に対処せざるをえなくなり,どんなハイテク兵器を使おうとも,足下から敗北に向かっていくことになるだろう。

 自覚した労働者大衆の革命的大衆行動を発展させるためには,日和見主義を暴露し排外主義とも闘争しなければならない。9・11事件を利用して,米帝政府と支配階級は,アメリカ人の愛国主義をかき立てるために,ありとあらゆる手段を使い,そのために,愛国主義にかられたイスラム教徒への差別・迫害事件が多発している。愛国主義と排外主義は,労働者大衆同士をけしかけて殺し合わせようとする支配階級には利益があるが,労働者大衆の利益にはならない。戦争の長期化は,ますますそのことを彼ら彼女らに自覚させるだろうし,自覚したプロレタリアートはそのことに目覚めさせるための宣伝を強化しなければならない。
 日本における日和見主義は,民主党と「連合」労働運動が代表している。米ソ冷戦の終了は,資本主義の永続的な勝利に見えたため,社会党の存在意義が無くなったとして,党内の日和見派は堂々とブルジョアジーに接近し同盟して民主党を結成した。社会党に残った平和主義的社会主義者は,社会民主党を結成した。日本の社会民主主義から,日和見主義派と平和主義的社会主義派が分かれたのである。民主党は,自由主義的な労働政策を基礎として結成された「連合」労働組合の日和見主義を政治的に代表している。「連合」は,ブルジョアジーと同盟,接近し,ブルジョア的労働運動に成り下がっている。民主党は,国会に百以上の議席をもち,これを支持する「連合」系労組員は組織労働者の多数を占めている。しかし,日本では未組織労働者の方が組織労働者より圧倒的に多く,今も増え続けている。企業は,経済危機に直面してリストラを強めているため,失業者・半失業者がどんどん増えているが,かれらはほとんど組織されていない。労働者の多数は「連合」労働運動の外にいる。革命派にはかれらを組織する機会がある。また,リストラ攻勢の中で,「連合」幹部のブルジョア的方針に対する反発や疑問,批判が高まるだろう。新聞の投書欄にはそうした意見が時々載っている。そうした自覚が芽生えた労働者は,日和見派と手を切り日和見主義幹部を取り除こうとするだろうが,自覚したプロレタリアートは,そうした動きを支持し支援しなければならない。この日和見主義潮流は,この戦争に基本的に賛成し,連立与党と政府による参戦法であるテロ対策特措法に基本的に賛成だが部分的な反対を理由に国会では反対した。しかし政治的自由や思想・信条の自由・報道の自由などを制限して国家統制を強化する治安管理体制強化となる自衛隊法改定案に賛成した。それにたいして何人かの議員が党議拘束に逆らって反対した。このようにブルジョアジーに接近しつづけている日和見主義者は,支配階級のための棍棒の強化に手を貸しているが,それにたいして自覚したプロレタリアートは,労働者大衆が日和見派と手を切るようにねばり強く働きかけなければならない。
 他方,「テロにも戦争にも反対!」という社民党・共産党などの平和主義的な社会主義者にたいしては,帝国主義政府の戦争策動に対して闘うという点では,同伴者として共に闘うことが必要である。しかし,それ以上ではない。なぜなら,かれらの階級基盤は,民主主義的小ブルジョアジーであり,また,自覚したプロレタリアートは,資本主義下の恒久平和は不可能であり,あらゆる戦争に不可避の残虐,災厄,苦悩にもかかわらず,歴史的に進歩的な役割を果たす革命戦争と民族解放戦争という二種類の進歩的な戦争があることを認めなければならないからである。平和主義は,自覚したプロレタリアートにとっては,ブルジョアジーを打倒し,世界から資本主義を一掃し,社会主義を確立しなければ恒久平和は不可能だということを意味する。ところが,平和主義的社会主義にとっては,それは,今ある平和の永続化,すなわち資本主義下の恒久平和を求めることを意味している。それが,日本でリアリティがあるように見えるのは,戦後半世紀以上にわたって,直接戦争に参加することがなかったからである。しかし,1960年代後期のベトナム反戦闘争などの革命的大衆闘争が暴露したように,日本は,朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争などの諸戦争で,米軍に基地を提供し,物資を与え,戦費を出すなどして,米帝の戦争を支援することで,これまでも事実上は参戦してきたのである。そしてついに,小泉政権は,「戦闘に直接参加しない」「武力行使しない」ことだけを,参戦ではないということの根拠にしてしまったのである。そのために,「憲法を変えないでは,これ以上,日米同盟を維持,発展させることはできない」「このままでは,これ以上の国際貢献ができない」という限界を指摘する声が,与党内から大きくなってきた。憲法をめぐって,支配階級内部での政治危機が煮詰まってきたのである。戦争はこうした政治的危機を拡大し深めている。経済的危機をも。こうした支配階級の政治的経済的危機を利用して,自覚したプロレタリアートは革命的方策を宣伝しなければならない。
 日米軍事同盟のために改憲するのか? それとも,憲法を擁護して,日米安保体制をなくして,米帝の戦争への参戦をやめて中立となるのか? 護憲・平和主義・中立派と改憲・参戦主義・日米同盟派の対立点は,現在このように立てられている。今の条件の下では,改憲・参戦主義・日米同盟派は,帝国主義政治・戦争の立場を直接に代表している。護憲・平和主義・中立の政策は,それに対する直接的な反発を表し,平和を求める大衆の気分を幾分かは反映していることは確かである。しかし,同時にそれは,今のブルジョアジーの支配の下での平和を守ろうとするものだから,ブルジョアジーの政策に根本的に対立するものではないことも明らかである。だから,自覚したプロレタリアートは,平和主義的社会主義者と,現在の改憲・参戦主義・日米同盟派,さらに日和見主義・排外主義と闘争するためには同伴者として共に闘うが,同時に,革命的大衆行動を共にしうる自覚したプロレタリアートの国際的な結集と共闘を発展させなければならない。

 この戦争に反対し,革命的大衆行動によって自国政府の敗北を促進し,それを具体的な革命的方策の宣伝と結びつけている自覚したプロレタリアートを支持し共闘することが必要である。われわれは,その点で,日本の新左翼が大きな欠点を持っていることを指摘してきた。それは,その多くが急進的な反戦闘争を政府に突きつけてきたが,それと,具体的な革命的方策の宣伝とを結びつけていないために,急進民主主義政治を超えられず,社共の急進的左派という位置を抜け出せていないということである。反戦闘争に結びつけて帝国主義政治に何をとってかえるのかを具体的に明らかにして,帝国主義政治か具体的な革命的方策かの選択肢を提起しないので,プロレタリア大衆に自らが権力を握り,統治の仕事に参加するという自覚を育めないのである。自覚した労働者大衆の前衛に自己変革するための党の革命を進めて,平和主義的社会主義を超え,日和見主義から労働者大衆を引き離す闘いを首尾一貫して押し進める共産主義の党をつくらなければならない!。
 この戦争に反対して,プロレタリア国際主義と自国帝国主義打倒を掲げ,愛国主義・排外主義,日和見主義と闘い,われわれが綱領に記した具体的な革命的諸方策の宣伝を共にできる部分があれば,意義ある共闘ができるだろう。その場合,原則では譲歩できないが,そうでない部分については,条件の変化を考慮して,改定することにはなんの問題もない。その点で,『風をよむ』No58(9月25日)で共産主義者同盟首都圏委員会の竹田さんが,94年の改定綱領を基本的には正しいと評価してくださったことに感謝したい。この点での批判を含めた率直な意見表明を歓迎する。なお,この号の冒頭で,9・11事件と米帝の報復戦争にたいする声明が掲載されている。声明は,米帝の戦争準備が,侵略戦争に向けたものであることを暴露し,同時に反米テロリズムの無差別攻撃によっては米帝のグローバリズムや親シオニズムを打倒することができず,根本的には,労働者階級・被抑圧人民の国際主義的連帯による他はないことを対置しているが,これは正しい。9・11事件については,その政治性格を明らかにできる十分な証拠がなく,背景やターゲットなどからそれを推測するほかはない。しかし,米帝が戦争を開始した戦争が帝国主義侵略戦争であることは明らかである。したがって,現在のわれわれの任務は,この戦争を階級闘争・内乱に転化する革命的大衆的行動の組織であり,それを促進する宣伝である。
 米帝ブッシュ政権は,閣僚らを世界各国に派遣して,自らの戦争への参加・支援・支持を求めて諸国政府と会談を続けているが,公表されているのは表の部分だけである。これらの会談の中で,秘密協定が結ばれ,秘密の約束が交わされているかどうかはわからない。しかし戦争の場合に,秘密協定や秘密の約束があるのは普通のことである。そうした密約には,領土分割の約束や経済利益の供与などの生臭い話がある可能性がある。そういうことが暴露されれば,帝国主義政府が人々をだまして表向き掲げている立派な戦争理由の信用は失墜するだろう。
 戦争に反対する声は,戦争の長期化によってますます大きくなっている。戦争の終結,民族間の平和,略奪と暴力行為の停止は理想である。そのためには,この戦争が反動的な帝国主義侵略戦争である以上,自覚したプロレタリアートと共産主義者の党は,自国政府の敗北を促進する革命的大衆行動を支持し発展させ,金融機関の没収や官僚機関の根本的変革などの具体的な革命的諸方策の実現をはかることを反戦と結びつけて宣伝しなければならない。国際社会とテロリズム撲滅の戦争,宗教戦争,文明の衝突などの衣装を身につけて闘われている帝国主義侵略戦争を,ブルジョアジーとプロレタリアートの国際階級闘争へと転化し,被抑圧民族人民・被圧迫階級の側に立ち,民族解放闘争と階級闘争を結合する戦術を具体化するために宣伝し行動することが,自覚したプロレタリアートと共産主義の党に問われている。それが成功するかどうかは関係ない。「それは,一般に革命家が革命の成功を保証できるかどうかが問題ではないのと同じである。問題は,社会主義者として行動するか,それとも,帝国主義的ブルジョアジーに抱擁されて,ほんとうに『息を引きとる』かどうかにある」(レーニン「社会主義と戦争」国民文庫 143頁)。




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