共産主義者同盟(火花)

米国への同時多発突撃にみる帝国主義の論理破綻(2)

渋谷一三
242号(2001年10月)所収


14.ドイツでの反戦運動

 その規模は分からないが、ドイツでの反戦運動がかなりの規模で行われている。現地にいる人からの情報では、「盛り上がっている」とのことで、テレビで見ていても、少なくない人々が参加していてその規模は数万人ともいわれるし、数千人とも報道されている。
 いずれにせよ、報道管制がきつく、メールあるいはラジオの報道にたよるしかないが、かなりの規模で反戦運動が行われていることだけは確かだ。
 米国でも反戦運動が行われているが、デモの規模は数十人の規模のように見える。
 このことの意味については後でもう一度みることにする。

15.米国によるテロの歴史

 米国は一貫してテロ国家であるが、今回のからみでイスラム圏に限ってみても、19XX年、イランのOPECと共同しての「原油価格つりあげ」に対して、クーデターを企て成功する。その時に、道具として使ったパーレビ将軍が国王に就任し王朝を形成すると、今度は同じくCIAを使ってパーレビの暗殺を図る。それが、ホメイニ革命に力を与える結果となる。
 ホメイニを象徴におくイラン革命によって、米国大使館は占拠された。もちろん、これはパーレビを道具として政権転覆を米国が行った結果、イラン国内の貧富の差が広がり、「女性の社会進出」という名の女性という性の商品化の進展、米国の退廃した文化の横行などへの反発を背景に持ち、イラン革命への米国の直接的敵対・軍事介入に対する「報復」である。より正確に言えば、イラン革命を再再度の米国の軍事介入から守るための闘争であった。米国がこの大使館占拠事件に対しても直接の武力介入を行ったことは言うまでもない。
 米国はイラン革命の破壊を、イスラム原理主義の自国内への波及を恐れるイラクをも使ってなしとげようとした。この結果イラン・イラク戦争が勃発したのだった。
 そのイラクも言うことを聞かないのならば御用済みとして、今度は湾岸戦争をもってしてイラクにミサイルを乱射した。
 こうした歴史をみてくれば、米国は自国の「国益」を貫徹するためには何でもするというあからさまな世界支配を、武力をもってして貫徹してきたことが分かる。

 米国は一貫してテロ国家であるが、今回のからみでイスラム圏に限ってみても、19XX年、イランのOPECと共同しての「原油価格つりあげ」に対して、クーデターを企て成功する。その時に、道具として使ったパーレビ将軍が国王に就任し王朝を形成すると、今度は同じくCIAを使ってパーレビの暗殺を図る。それが、ホメイニ革命に力を与える結果となる。
 ホメイニを象徴におくイラン革命によって、米国大使館は占拠された。もちろん、これはパーレビを道具として政権転覆を米国が行った結果、イラン国内の貧富の差が広がり、「女性の社会進出」という名の女性という性の商品化の進展、米国の退廃した文化の横行などへの反発を背景に持ち、イラン革命への米国の直接的敵対・軍事介入に対する「報復」である。より正確に言えば、イラン革命を再再度の米国の軍事介入から守るための闘争であった。米国がこの大使館占拠事件に対しても直接の武力介入を行ったことは言うまでもない。
 米国はイラン革命の破壊を、イスラム原理主義の自国内への波及を恐れるイラクをも使ってなしとげようとした。この結果イラン・イラク戦争が勃発したのだった。
 そのイラクも言うことを聞かないのならば御用済みとして、今度は湾岸戦争をもってしてイラクにミサイルを乱射した。
 こうした歴史をみてくれば、米国は自国の「国益」を貫徹するためには何でもするというあからさまな世界支配を、武力をもってして貫徹してきたことが分かる。

16.イスラムあるいはアラブの文化への蔑視

 米国や西欧世界は、イラクを、イランを、そして今度はアフガンを「女性の社会進出を妨害する人権抑圧をしている」として非難し、こうした諸国の政権転覆を図ることは、女性を解放する正当な戦いだと言う。
 はたしてそうだろうか。
 イラン、イラクあるいはアフガンにおいて伝統的イスラム文化への回帰という形式をとってしか表現され得なかった女性をめぐる状況は、決して欧米世界が独善的に裁けるような簡単なものではない。
 マホメットの時代にあっては、一夫多妻制は厳しい砂漠の気候風土の中で男性の死亡率が高く、寡婦が多く生まれる状況に対して合理性をもっていた。当時、今の基準からいかに裁こうとしても、寡婦が単独で生計を立てていく物質的根拠がなかった。この状況下で寡婦および遺児を守り育て、かつ、寡婦を妻として再び出産や性交の場に連れ戻す役割を果たしていた。このことを、「寡婦」として出産や性交から除外するとし、実際は出産からのみ除外する社会システムと比較してその是非を論じる愚はもうお分かりいただけるでしょう。
 米国流あるいは西欧流価値観を尺度とすると、不便なベールをかぶせ他の男の目にふれさせないように強要するイスラム文化は男による女の支配であり、所有であると映る。だが、きつい紫外線と乾燥した空気から女性の肌を守るためにベールは合理性をもっている。
 このように見てくると、「他の男性の視線に己の女をさらさない」というベールについての解釈は途端に西欧による勝手な解釈のように見えてくる。
 イスラム世界から物事を見れば、あたりかまわず露出し男を誘惑しておきながら、その自覚をもっていない西欧世界の方が不可解であろうし、よき社会慣習の破壊者として西欧文明が見えてくるとしても不思議ではない。
 もちろん、現実は単にこうした文化的問題にとどまらない。はっきりと資本家階級と認識されうる社会階層が登場し、貧富の格差が劇的に増大し、女性が労働力商品として狩り出され出し、自国の経済が目に見えて米国に隷属していく。こうした経済的諸問題がそれ自身の発展のスピードをはるかに超えた速さで進展することによって、社会・ 文化をがたがたにしてしまった。
 西欧はこうした事情にまったく無自覚なばかりか、自己の資本主義を絶対化した。これは「社会主義圏」の崩壊によってゆるぎないものにさえなってしまい、ついにはイタリア首相の「西洋文明の優位性」発言になり、これを批判して見せたブッシュ自身の「十字軍」発言をうみだした。
 この種の発言は枚挙に暇がないほどに今回の事態によって加速されており、いたるところで「これは文明社会への挑戦だ」とか「文明社会をテロから守る」などという発言が繰り返されている。
 こうした点からみても、今回の米国を中心とするテロの反動性、歴史的後退性がみてとれる。

17.米国の軍事の反動性・後退性

 パキスタンはその核実験後、経済封鎖をされていたが、領空通過を認める代償として、経済封鎖を解除されたばかりか、さまざまの援助を受けることとなった。もし、これを拒否し、タリバン政権を間接的に支援し続けるのであれば、全く逆のことが用意されていただけではなく、おそらく軍事的脅迫をも受けていただろう。一旦タリバン政権を「見限った」以上、タリバン政権崩壊後の新政権との良好な関係を模索し始め、はっきりとタリバン政権に敵対を開始した。
 核武装の最先端を行っている米国にとって、自国の核武装以外は経済封鎖の対象である。これだけでもめちゃくちゃな「論理」だが、パキスタンの核保有も単なる取引の材料に過ぎないことを自己暴露してしまった。
 米国は決して核廃絶の歴史的流れを生み出す進歩的役割はできないし、核保有体制の合理的進歩的未来を描くことも出来ない。反動的・後退的政治と断定するゆえんである。
 アフガンに北接するタジキスタンも同様の政治的・軍事的圧力の下に置かれた。ロシアは、直接の戦闘相手だったタリバンへの敵対と、アフガンにおけるロシアの優越性を再確立するという「国益」から判断して、今回の米国によるテロを利用することを早々と決定した。もちろん、軍事的支援は米国からも得ることができる。
 かくして、一旦終了に近づいた内戦は再燃し、再び内戦による大量の死者が発生することとなった。北部同盟は軍事物資を大量に補給されることにより、軍事的攻勢を獲得している。10月7日米国による空爆が決行され、制空権を手にしたと宣言する米国と協働して、陸戦は北部同盟が担っている。トマホークを打ち込んだ米国の死者が0なのは当然のこととして、死者が大量に出ることが予想される陸戦は北部同盟が担うという代理戦争の様相を、ますます強く帯びてきた。
 北部同盟が一旦勝利して新政権を作ったとしたら、再び、宗派の相違・民族の相違を巡って、アフガンでのゲリラ戦・内戦は激化していくだろう。撤退後の米国にとって、それはどうでもよいことだろうが、この過程で反米感情が再再度高まるのは必至である。
 かくして米国は三度、四度、反米テロに自らを曝す努力を積み重ねている。このために、歴史的に捨てられたはずの「元国王」を担ぎ出したり、反動的政治を積み重ねつつ他国の政権までも思うように使い捨てている。
 米国の政治・軍事は決して歴史的進歩を代表するものではなく、米国の利害のためにいいように利用されたり捨てられたりする反動的代物である。オサマ・ビン・ラディンその人も米国が資金援助をして育てた人物であることを全く忘れ、また同じことを繰り返している。

18.日本の各党派の政治内容

 自民党は湾岸戦争時の130億ドル支出が「感謝」されていないことをもってして、憲法の範囲ぎりぎりの軍事的貢献をするとして、臨時立法を目指し自衛隊の海外派兵を先行させている。
 湾岸戦争で叩かれたのは軍資金を出すことによって米国のプライドを著しく傷つけたというその一点にある。米国は自らの戦費を賄えぬほど経済的に日本より劣っていると自覚させてしまう効果を持っていたし、何より米軍は日本の傭兵の位置に転落している。このことこそが、米国には全く気に入らなかった点なのだが、日本の支配層はまだこのことにすら気づいていないようだ。 
 自民党の政治内容は、武器弾薬の輸送・武器の使用・物資補給・米艦の護衛・難民支援となっているが、携行火器の種類を巡って党内はまとまっていない。総裁選最下位の麻生はバズーカの使用までを主張している。その「論理」は「武器対抗の原則」なるものだそうだ。武器対抗の原則なるものがあるならば、アフガンへは戦車までは持っていく必要はあるし、日本は速やかに核武装しなければならない。論理性のある将来図を全く描けず、行き当たりばったりで、自動小銃からのエスカレートを主張しているだけのことである。
 主流派は自衛隊員の何人かが死ぬことを願っている。「憲法の範囲内」をしばしば口にすることによって安心感を醸成するとともに、憲法が制約的であり、国際的には通用せず、米国のようなテロに日本が晒された場合に日本は何も出来ないではないかと主張するために、この事情を浮き立たせるために、「テロとは断固として戦う」ことを自明のこととしている。
 その通りである。テロと断固として戦うと立てた以上、軍事は軍事として自己展開する部分を持つ。「非戦闘地域」などない。なぜなら、米国本土が歴史上初めて戦場になったのだから。したがって、バズーカであろうが何であろうが、必要と思われるものはみな持っていくのが純軍事的には正しい。
 もし、この結論に反対するのであれば、「テロとは断固として戦う」という前提自身から疑わなければならない。

 このことは民主党を見ると一層はっきりする。
 武器弾薬の輸送ははっきりと当事者になることを意味するが、ここに反対することができず、歯切れが悪い。というのも、自衛のための最低限の武器の携行を容認せざるを得ないのだから、その武器を小銃までとしてすら、最低その弾薬は輸送しなければならない。民主党が自民党との相違を作ろうとするなら、他国のための武器弾薬は輸送しないとでも規定するしかない。
 それでは、米国からは何もしていないといわれる。要するに、米国に追随しながら馬鹿にされる状態を永遠に抜け出すことが出来ない。そこで、論拠を憲法に置くが、鳩山自身が改憲論者であることからして、憲法は制約的にしか映らず、したがって、法治主義を貫徹するために止む無く憲法の制約を受け入れるが、可能な限り解釈改憲を行い、実際の必要性に応えようとしている小泉の側に現実主義の匂いを錯覚していく大衆に対して全く説得力を持たないでいる。
 こうして、現実対応能力を失った鳩山の発言は、「自民党が何を主張しているのかはっきりしない以上、コメントのしようがない」などという主体性のないコメントに堕している。

 社民党はこの点では歯切れがよい。護憲政党と自らを規定している以上、一切の解釈改憲に反対し、一切の軍事行動に反対している。したがって、ここから出てくる政策は、難民の救済を通じて国際貢献をし、イスラム諸国との仲介役をするというものである。
 確かに歯切れがよく一貫性があるが、米国のテロに対して反対する位置を獲得できず、客観的には米国の補完物になり、反米感情の噴出を少しだけ和らげ、一般市民の命を救うという唯一積極的役割を担うだけのことになる。
 この点で、社民党の米国批判はフランスの米国批判に比べてすら弱々しいものになっている。論理上の欠陥が、帝国主義の利害からする批判に比べてすら弱い批判しか為し得ないという結果をもたらしている。フランスは悪乗りブッシュのアフガン以外への侵攻発言を毅然として批判している。
 
 (米国は空爆を敢行した。テロの根絶という大義名分とは裏腹に、ますますテロに怯える日々が待っているだろう。一体何をやっているのかと米国民が気づく日はいつのことなのだろう。)

 市民運動と一括して括る状況にはないし、乱暴なジャンル分けであることを了解した上で、次回は、無党派層あるいは市民運動の論調を見ていくことにしたい。




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